第26話 木葉の怒り
「木葉」
もう一度その名を呼ぶ。現実だと分かって、また会えたんだと分かって、気が付くと目からは大粒の雫が零れていた。
「……どうして」
私が幻と思ったのも無理は無いだろう。こんなタイミングで現れるなんて、いくら何でも出来すぎだ。すると木葉は私を抱きかかえたまま、ゆっくりと手を取った。そこには木葉のくれたあの腕輪があった。
「言っただろ。これをつけている時もし志保に何かあったら、俺にもそれが分かるようになるって」
そう言えばそんなことも言っていたっけ。木葉は腕輪を指していた手を、今度は私の手の方へと動かし、ゆっくりと繋いだ。その途端、繋いだ手の平が淡い光を放った。
温かな感覚が広がって行ったかと思うと、重かった体がフッと軽くなる。さっきまでは息をするのも苦しかったはずなのに、それもだんだんと落ち着いて行くのが分かった。
木葉を見ると、私とは逆に何だか疲れてきているように見えた。そこで私は、木葉が生気を分けてくれたんだと気づく。
「大丈夫?立てる?」
木葉は自分も辛そうだというのに、気に掛けるのは私のことばかりだ。
「うん。そっちこそ平気なの?」
「俺は大丈夫だよ」
そうは言うけど、さっき鹿王が返したものとは違って、木葉は自らの生気を私に譲ったんだ。いくら妖怪は人間とは違うと言っても、そう簡単なことではないだろう。
それでも木葉は、私に言い聞かせるようにもう一度言った。
「大丈夫だから」
だけど、そんな木葉の強がりを打ち消すように声が飛んだ。
「やせ我慢はよくないな。あまりやりすぎると、今度は君の命を縮めるよ」
二人して声の主を、今までそばにいながらずっと黙っていた鹿王を見る。
私をこんな目に合わせた張本人だ。警戒心から身を固くするけど、それ以上の反応を見せたのが木葉だった。
木葉は私を地面に下ろすと、庇うように前へと出て鹿王を睨みつける。
「志保に何をした!」
叫び声が辺りに響き、空気が震える。木葉はワナワナと肩を震わせ、その怒りようは顔の見えない後ろからでも分かるくらいだ。こんな木葉、今まで一度だって見た事が無い。
だけどそれだけ怒りをぶつけられているにも関わらず、鹿王に臆した様子は無かった。
「君こそ何しに来たんだい?てっきり彼女の前にはもう現れないつもりだと思っていたよ」
それを聞いて木葉は少しの間押し黙る。だけどやがて吐き出すように言った。
「ああそうだ。あのまま会い続けていたら、きっと俺は自分の想いを押さえきれなくなる。それが志保の命を縮めかねないと分かっていて、それでももっと深く繋がりたいと思う。だからもう会わないと決めたんだ」
その言葉が胸へと響く。言っている事は鹿王から聞いたものとほとんど変わらない。だけどこうして本人の口から聞くことで、改めてそれが本当なんだと実感する。
「なのに何だよ。志保のためをって思って離れたのに、どうして俺の知らない所でこんな事になってるんだよ。答えろ!」
飛び出した叫びは悲鳴のようにも聞こえた。木葉は怒りだけじゃなく、悲しみや後悔といった思いも同時に抱きながら鹿王を問い質す。
それを受けて、ゆっくりと答えが返ってくる。
「ヌシ様の命令だよ。君が人間の娘に心惹かれて苦しむくらいならいっそ壊してしまえだそうだどうせ苦しむなら、その傷は自分がつけると。あの方なりの心遣いだよ」
相当歪んでいるけどね。鹿王は最後にそう付け加える。まったくだ。襲われたのが自分だというのを差し引いても、そこには十分すぎるほどの狂気を感じる。この場にいないヌシ様に対し、私は言いようのない恐怖を覚えた。
だけどそんな狂気を打ち消すように、木葉は怒りを込めた言葉をぶつける。
「なら戻ってヌシ様に伝えろ。二度と志保には手を出すな!」
言い放ったそれには有無を言わせぬ迫力があった。でもそれはあくまで私がそう感じただけで、鹿王はそれに頷きはしない。
「分かっているのかい?こんな事を言うのは虎の威を借りるみたいで気が進まないけど、それはヌシ様の意思に反する事だよ。僕らはヌシ様に逆らえないのは君も知っているだろう」
私にはヌシ様がどういう人かも、妖怪の世界の仕組みもよく分からない。だけどその口ぶりから、逆らえば木葉にとって良くないことになるのは簡単に想像できた。
「…………」
木葉は何も答えなかった。かわりに、黙ったまま鹿王に向かって右手を突き出す。異変が起きたのはその時だった。
――――――バチッ!
空気の弾ける音が辺りに響いたかと思うと、突如巻き起こった突風が、まるで弾丸のように鹿王の顔のすぐそばをかすめた。僅かに頬が裂け、ポタリと一滴血が流れ落ちる。
鹿王は静かにそれを拭う。無論、偶然こんなタイミングであり得ないような風が吹いたわけじゃない。これは木葉がやったことだ。
木葉は風を自在に操るという力を持っていた。そしてそれを鹿王に向けて放った。そしてそれこそが、鹿王の問いに対する答えだった。
「志保に手を出すなら、また傷つけようとするなら、例えヌシ様でも許さない」
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