第22話 そんなもの
西条先生や加古さんと会ったホテルのラウンジからの帰り道、私たちは無言のまま、お互いに顔を見合わせることもなく歩いていた。
それぞれにこれからのことを考えていたのか、なんとなく先輩たちの表情も冴えないように見える。
そのまま歩き続けていき、先輩たちのマンションと私の住む寮との分かれ道に差し掛かったところで藍子さんが私に尋ねた。
「よかったら、少しウチに寄っていかない?」
先輩の部屋になんて入ったことのない私は、一瞬、返答に困ったが、そんなことお構いなしに葵さんが自分の進む方向に私の背中を押していくため、私は返事をしないまま藍子さんの家の方に向かって歩いていくこととなった。
その時、私の携帯電話に着信があった。和泉からだ。
「すみません、同期の長岡から電話なんですが、出ても大丈夫ですか?」
二人は、そんなこと訊かなくてもといった感じで笑いながら頷いた。
私が歩きながら電話に出ると、和泉が心配そうな声で喋り出す。
「もしもし、かなちゃん?今、家?この間のこと、ゆっくり話せればと思って」
「ごめん、今は外なんだよね」
そこで藍子さんが電話を貸してというようなジェスチャーをし、戸惑う私から電話を受け取って話し始めた。
「もしもーし、和泉ちゃん?桐生です。ごめんね、急に」
和泉が慌てている様子が容易に想像できる。
「えっ、あっ、桐生って、藍子さんですか?」
「そうです!和泉ちゃん、今から奏と会おうと思ってたんでしょ。それならウチに来ない?」
藍子さんの提案に、和泉だけでなく私も驚いた。
「あっ、お疲れさまです。はい、新田と話そうと思って電話したのですが、先輩とご一緒でしたら、また今度でも大丈夫です。お気になさらないでください」
和泉が恐縮して答えている姿が目に浮かぶ。電話の向こうで何度も頭を下げていることだろう。
「私たちも奏と話そうと思ってたところだからさ。いいじゃない、一緒に話そうよ。一期生の寮の場所わかる?着いたら奏に連絡しくれればいいから」
その言葉の先で和泉がどういう返答をしたかは、藍子さんがOKの手の形を作って電話を切ったことで理解した。
先輩たちのマンションに着くと、入口の前に和泉が待ち構えていた。
「ごめん、待っているとか言っておいて待たせちゃったね。買い物をしにコンビニに寄っちゃって」
「いえ、今しがた来たところです。外出先から直接来たので、思ったより早く着いてしまいました」
和泉はガチガチに緊張している。
それはそうだ。プライベートで一期生の先輩と会うことなんかほとんど無い私や和泉にとっては、先輩たち、それも藍子さんや葵さんみたいな人気メンバーは、今でも入った当初の憧れの存在そのままなのだから。
加入前は私以上に熱狂的な麹町A9のファンだった和泉にしてみれば、仕事場で会うだけでも幸せに感じていただろうに、まして自宅に入れていただけるなんて文字通り夢のような出来事だろう。
藍子さんの部屋に入ると、私と和泉はとりあえず座るように促されたため、部屋の隅の方に小さく固まって座った。
「適当にクッションを使ってね。葵、見繕ってあげてよ」
藍子さんが皆に飲み物を出そうと準備をしながら言うと、手伝おうとする私たちを制して葵さんが一つずつクッションを渡した。
私たちは恐る恐るそれを下に敷いて、また小さく固まり出した。
そんななかインターホンが鳴り、藍子さんがパタパタと玄関に向かったと思うと、藍子さんが戻るより先にインターホンの主がバタバタと部屋に入ってきた。
「お疲れ、今日も撮影でしょ?長かったね。売れっ子は大変だ」
葵さんが労いの声をかけ、隣に座った人気モデルの肩を揉んだ。
「まぁ、これでも早かった方よ。まだ撮影が続いてる子もいたし。あぁ、でも疲れた」
美咲さんはさっきまで専属モデルを務めるファッション誌の撮影があり、その前は取材と、この日は一日仕事だったらしい。
突然、プライベートモードの美咲さんが現れたことに、私は先日の会食で多少の免疫が付いていたのもあってマシだったが和泉はさらに恐縮してしまい、もう一回り小さくなってしまった模様だ。
「あれ、長岡和泉ちゃんだよね、二期生の。びっくりした、どうしたの?そんなに小さくなっちゃって」
美咲さんが目を丸くして和泉を見る。
「そりゃ驚くよね、急に先輩の家に呼び出されたと思ったら、葵がいて、美咲が来て。大丈夫、何かの歌のビスケットみたいに、これ以上はどんどん増えたりしないから安心して」
藍子さんが用意しかけだった飲み物を作り終え皆に渡しながら、和泉の緊張を解こうと茶目っ気たっぷりに言った。
「由良さん、お仕事お疲れさまです。お邪魔しています」
それでも和泉はやはり借りてきた猫のままだった。
「お邪魔しますは藍子に言ってあげてね。うん、まだ集まったばかりって感じね。話はこれからなんでしょ?」
藍子さんが頷き、座ったところで本題が始まる。
一度聞いただけの突拍子もない話にも関わらず、その説明は聡明な藍子さんらしく簡潔で理解のし易いものだった。
藍子さんの話をひとしきり聞いた美咲さんと和泉は、やはり分かったような、分からないような感じだ。無理もない。西条先生の話を直接聞いた私たちですら、未だに全てを信じきれているわけではないのだから。
「えっと、つまり、奏はもう前みたいに振る舞うことはできないってこと?」
美咲さんの質問に、藍子さんが黙って頷いた。私は申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
「正確に言うと前と同じ方法ではできないってだけで、不可能ってわけじゃないと思うよ」
葵さんが何かを含んだような言い方をする。
「どういうこと?」
何だったっけという感じで藍子さんが訊き返す。
「先生が話してたのは、あくまで別の人格という形ではもう出てくることがないってだけで、その人格がやっていたことを奏が出来なくなったわけではないと思ってるんだけど。違うかな」
みんなが葵さんの話を理解するのと同時に、藍子さんの顔が明るくなった。
「そっか、奏自身がその人格と同じように意識的に振る舞うことができなくなったわけではないからね。全て奏のなかで創り上げていたものだったんだし」
私は驚き、思わず弱々しい声でネガティブなことを言ってしまった。
「そんな、私にはできないです。あれは二重人格だって思い込んでいたから、別の人格だから出来ていたことであって、私だけど私ではないんです」
藍子さんが私を奮い立たせようと強く訴える。
「そんなことない、あれは紛れもなく奏だったよ。自分でどう思っていたかわからないけど、楽屋に居る時の奏の面影が全く無くなっていたわけじゃなかったんだから。たしかに雰囲気は違ったけど、周りに気を遣うようなところとか真面目そうなところとかはあったし。その表現の仕方が違っただけで、あれは奏なんだよ」
「でも・・・。やっぱり・・・」
煮え切らないような私の態度に、美咲さんが思わず立ち上がって喋り出した。
「あんたにとって簡単じゃないことも、不安なこともそんなのは全部分かっていて、それでも藍子も葵も言ってるの!これはあんた一人のことじゃない、グループ全体の今後に関わることなんだから。今のあんたはウチにとってそういう存在なの。そういう存在になったの!今までのあんたがマインドなんとかか二重人格か知らないけど、あんたはあんたでしょ。自分で勝手に限界決めてるんじゃないわよ!」
藍子さんも立ち上がって美咲さんを座らせようとするが、振り払って美咲さんは続ける。
「だいたい自分じゃない、別の人格だって言うけど、私たちもいつだって素の自分で仕事してるわけじゃないんだから!誰だって少なからず自分の本意ではなくても、こういうのが求められているのかな、こうした方がいいんだろうなっていう自分を、創る、いや演じてるんだって」
美咲さんの一つ一つの言葉が、棘のように私の胸に突き刺さっていく。それも深く、強く。
「アイドルだけじゃない、仕事なんて何だってそんなもの。自分らしくとか、ありのままでとか、そんなのは幻想。一握りの天才にだけ許された特権よ。あんたも今の自分のままじゃできないって言うなら、その別の人格ってやつを演じてみればいいだけなんじゃないの!」
美咲さんは一気に喋り続けて喉が枯れたようで、カップの中身を飲み干して座り込んだ。
私は美咲さんが私を想って放った棘の数々に、いつの間にか涙を流していた。悲しいわけでも、傷ついたわけでもなかったのだが、では何の涙なのかと訊かれても、それは自分にもわからなかった。
隣では和泉も一緒に泣いている。
「あぁ、もう、ごめん。怒るつもりはなかった。ただ、悔しいんだって。あれだけやれていた奏が、そんなわけのわからないものに振り回されて、何も出来ない子になっちゃっているのが」
葵さんが静かに続ける。
「それと、それを簡単に受け入れようとしている奏が、でしょ。美咲だって初めてセンターになった時は、どうすればいいかホントに悩んで、それでも何があっても諦めないって試行錯誤してたもんね」
葵さんがそう言って美咲さんを抱き寄せると、美咲さんの目からも涙がこぼれ落ちた。
こんな状況でも、何も言えないでいる私。
そんな私を尻目に和泉が口を開いた。
「ごめんなさい・・・。今まで私、ずっと勘違いしていました。二期生として加入するまでテレビとかで見ていた先輩たちはホントに素敵で、可愛くて、カッコよくて。私の憧れだったので、先輩たちは選ばれた人たち、天から与えられた才能が自分とは違うんだと思ってて・・・」
和泉が号泣しながら言うと、藍子さんが和泉の頭を撫でた。
「でも由良さんが仰った、自分で自分を演じるっていうのを聞いて、先輩たちでもそうなのに自分は何をしていたんだろうって。自分に腹が立って、情けなくて、申し訳なくて・・・」
美咲さんが、指先で涙を拭いて再び話し始める。
「和泉ちゃん、ありがとう。でもね、あなたたちにそう思われていたっていうのは、私にとっては褒め言葉でもあるから。私、みんなの前でちゃんとアイドルをやれていたんだなって」
美咲さんはそう言いながら、泣き続ける和泉を抱きしめた。和泉は更に号泣するが、この涙はさっきまでとは違うものだろう。
「あとは、奏しだいだよ」
藍子さんはいつもの優しい口調で言ったが、その言葉は今の私にとっては決心を迫られる、とても厳しいものだった。
「・・・はい」
私はなんとか返事をすることはできたが、その声がこの場に居る人たちを安心させられるものではなかったことは自分でもよくわかっていた。
すると突然、藍子さんが明るい、大きな声で言った。
「あぁ、嬉しいな、こういうの。ずっと憧れてたんだよね」
その様子を見て、美咲さんと葵さんが笑みを浮かべる。
「キャプテンになってすぐの頃だっけ。選抜とかアンダーとかできて、後輩もできて、麹町がどんなに大きくなっていっても、誰でも本音で意見を言い合えるグループにしたいって。よく言ってたよね」
葵さんが懐かしそうに言うと、美咲さんも続ける。
「言い方は考える必要あるけど、厳しいことを言えない、言われたくない。そんなグループになっちゃったら、その先の成長は無いからってね」
二人に過去の自分の発言を掘り返されて、藍子さんは恥ずかしそうに笑った。
「私、それ何かの雑誌で読んだことあります!初期の頃に取材で答えたことなかったですか?」
和泉が目をキラキラさせながら言う。目は腫れているが、すっかり泣き止んだみたいで、その表情は熱烈なファンの子が初めて私たちに会いに来た時のようだ。
「和泉ってさ、ホントに麹町愛が強いよね。まだ若いし、可愛いし、これからのウチは和泉みたいな子が選抜に上がって頑張ってくれたら、もっと上を目指せるんだと思う。そしたら私たちも安心して卒業できるんだけどな」
葵さんの言葉に、思わず和泉がはにかむ。
「ちょっと、それは気が早いんじゃない。まだまだ私は譲る気ないんだけど」
美咲さんが過度に演技がかった不貞腐れた表情をしてみせたのを見て、皆で顔を見合わせて笑ってしまった。
「二人とも、近くだけど気を付けてね」
先輩たちにマンションの下まで見送ってもらい、私と和泉は自分たちの寮に帰っていった。
この日、何も解決はしなかったが、私がやるべきこと、やらなくてはならないことは明確になった。藍子さんの言う通り、あとは私しだいだ。
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