第21話 真実は小説より
その日、美咲さんは仕事のため一緒に来ることができず、私は藍子さん、葵さんとともに待ち合わせ場所となっていた某高級ホテルのラウンジに向かった。
「
入口の前で葵さんが一人の男性に声を掛ける。四十代半ばくらいだろうか。うさんくさいような、それでいてキレ者のような、いかにも業界人という感じの男だ。
「お疲れさま。それから、桐生さんと新田さんはこうして話すのは初めましてだね。今日はヨロシク」
「こちらこそ、無理言ってしまってすみません。本当にありがとうございます」
藍子さんが挨拶をするのに併せ、私も頭を下げる。
「いや、こちらも仕事みたいなものだからさ。今をときめく麹町A9の新センターの素顔に迫れるなんて、記者として放っておくわけにはいかないでしょう」
加古さんが私を見ながら話す。そんな私は、この人物をどこかで見たことがあるような気がしてならなかった。
「あっ、シャンプーのイベントの時に意地悪な質問してきた・・・」
藍子さんが意地悪は余計でしょといった感じで、苦笑いしながらヒジで私のことを軽くつつく。
「覚えていてもらって嬉しいね、その節はどうも。今日はあの時とは様子が違うみたいだけど・・・」
私が返しに困っているのを見て、すかさず葵さんが割って入った。
「先方はもう、先にいらっしゃってますか?」
加古さんが店のなかを見回しながら答える。
「たしか奥の方にいるって・・・。おっ、いたいた。よし揃ったからいこう」
加古さんの後ろに続き、私たちもお店のなかに入っていった。
「西条先生、ご無沙汰しています。今日はすみませんね、お忙しいところ」
席で静かに本を読んでいた女性に加古さんが声を掛ける。
そこに居たのは私があの日、カウンセリングを受けたミステリアスな雰囲気の女性だった。
「すみませんだなんて白々しい、思ってもいないくせに。加古さんの頼みじゃこっちも断れないのはよくわかってるでしょ」
西条先生が本を鞄にしまいながら答えた。そして私の方に目を向ける。
「加古さんが会わせたい人がいるって言ってたの、この子のことなんだ。だいたい見えてきた」
加古さんが得意気な顔で私たちを見る。葵さんの予感は的中していたようだ。
私たちが席に着くと、さっそく西条先生が用件を訊いてきた。
「それで、何か気付いたってこと?」
西条先生は私が全てをお見通しで、答え合わせに呼ばれたと思ったようなのだが、私の反応を見てそうではないことを察したらしい。
「ちょっと先走りし過ぎたみたいね。そしたら今日はどうしたの。まさか用があるのがそっちの二人ってことはないんでしょ?」
上手く喋り出せない私を見て、隣にいた藍子さんが意を決して話し出した。
「この子のことです。実は二年くらい前から自分が自分じゃないような時があるらしくて、そのことで悩んでいるんです」
藍子さんが言い終わると、少し間を空けてから西条先生が言葉を返した。
「二重人格なんじゃないか、って?」
西条先生は、藍子さんの言いたいことは全てわかっているという感じだった。
藍子さんが頷いて続ける。
「それで、ちょうどそれが始まった頃に先生のカウンセリングを受けたというので、何かご存じではないかと思い、加古さんを通じてお時間をいただけないか相談させていただきました」
私の言わなくてはならないことを、藍子さんが完璧に伝えてくれた。
「悩んでいる、か。普通は悩むようなことにはならないはずなんだけどなぁ」
西条先生はそう言いながら首をかしげる。
「それって、何か知ってるってこと?」
記者魂に火が付いたのか、加古さんはペンとノートをとった。
「あなたの場合、依頼者はあくまで長瀬さん。あなたたちのところのお偉いさんだから、本当は依頼者の許可を取らずに話すわけにはいかないんだけど・・・」
葵さんが口を挟む。
「何かあったら私たちが責任をとるので、教えてください。今、本当に不味い状況なんです」
藍子さんが切実な表情で続けた。
「実は、そのもう一つの人格のおかげで色々なことが上手くいっていたのですが、急にその人格が出てこなくなってしまって。このままだと、この子のアイドル生命にも影響してしまいそうなんです」
加古さんが驚く。
「そんなに深刻な話なのか。すごい話だな、それは」
私は先輩たちの必死なお願いを聞きながら、ただ申し訳ない顔をするだけだった。こんな自分が本当に情けない。
西条先生が開き直ったように言う。
「わかった。ただし先に言っておくと、聞くと色々なことが繋がって納得感は得られるだろうけど、今のあなたたちの問題が解決されるわけじゃないし、ひょっとしたら悩みを増やすかもしれない。それでもいいなら話すよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
三人でお辞儀をし、姿勢を正して次の西条先生の言葉を待った。
そして西条先生が落ち着いた口調で話し始める。
「まず、あなたが二重人格かどうか。答えは簡単、違うよ」
私はいきなり気が動転してしまった。それなら今まで私が見てきたのは何だったのだ。「アイツ」って何なんだ。
藍子さんが大丈夫と言わんばかりに私の手を取り強く握った。
西条先生は私の動揺している様を認識しただろうが、気にせずに話を続ける。
「あなたに起きた出来事に私が関係しているか、それは正解」
「面白くなってきたね」
加古さんがペンを走らせながら呟く。
「私があなたに施したのは、カウンセリングではなくて暗示。マインドコントロールというやつなの」
映画とかドラマの世界でしか耳にすることのないような横文字に、驚きを隠せない私。それは藍子さんも葵さんも同じようだった。
その後も西条先生の説明は続いたが、それはその場ですぐに理解できるような内容ではなかった。
西条先生は私に、自分が二重人格であると思い込ませる暗示をかけていて、それによって潜在的に自分が二重人格だと思い込んでいる私は、無意識のうちにもう一つの自分を自分のなかに創り上げていたらしい。
その出現条件も、その人格も、全ては私が決めていたもので、つまりは潜在的な私。なんのことはない、私が「アイツ」で、「アイツ」は私だったのだ。
「だから出てこなくなるのも当然、あなたしだい。私にはどうすることもできないってこと。もっとも効き方にも個人差があるから何かの拍子に解けちゃう人もいるんだけど、最近まで続いてたっていうことなら、あなたは掛かりやすいタイプだったみたいね」
暗示に掛かりやすいか・・・。言われてみれば、なんとなく私にはそういうところがあったような気もするな。決して喜ばしいことではないけど。
「なるほどね・・・」
そう呟いて加古さんはノートを置き、後頭部に手を回して上を向いた。
「でも奏が創り上げていたものだったのに、奏が望んでいても出てこなくなるっておかしくないですか?」
藍子さんらしい、周りの理解の助けになる優等生な質問だ。
「意識して出てくるものならそうかもしれないけど、これはあくまで無意識のうちに出てきていたもの。望む、望まないは関係なくて、出現条件を満たしているかどうか。それだけ」
当の私もわけがわからなくなってきて困った顔をしていると、私の目を見て西条先生がさらに続ける。
「要はあなたが、どんな条件の時にもう一つの人格が出てくるかを、無意識のうちに設定していたか。自分のなかで思い当たるフシはない?」
私は今まで「アイツ」が出てきた時のことを思い返してみたが、アイドルとして振る舞わなくてはならない場面ということ以外には思い当たらず、それであれば急に出てこなくなったことと辻褄が合わない。それでは他に何があったというのか。
「ポイントは、無意識とはいえ全てあなた自身が創っていたってこと。あなたが潜在的に、こういう時にこういう風にできればいいなって思っていることを、自分が二重人格だと思い込んで別の人格という形で実現していただけだから」
そこまで聞いたところで、葵さんが腹に落ちたらしい。
「わかった。アイドルの仕事をする時で、自分がどうすればいいか、どうしたいかが明確になっている時ってことじゃない?」
葵さんの考えは的を得ていたようで、西条先生も頷いた。
「それが正解かは本人にしかわからないけど、考え方としてはそういうこと。勝手に出てくる二重人格じゃなくて、どこかで自分がこうしたいって思っていることをやってくれる、もう一人の自分だから。自分に想像もできない、できっこないことを勝手にやり出すことはないわけ」
言われてみると「アイツ」の言動や行動は、普段の私がそれを言ったりしたりすることは想像もつかないけど、どれをとっても私の理想とする、完璧なアイドル像に重なるものだった。
暗示を掛けられていたとはいえ、それを私が自分で創り上げていた、つまり別人格と思い込み無意識で演じていたと言われると、顔から火が出るくらい恥ずかしくなってきた。私は一人で顔を赤くして下を向いてしまった。
「それってさ、選抜のフロントまではどうすればいいって思っていたことがあったけど、センターには無かった、というか、センターがどうすればいいのか、どういう気持ちになるのか、そういうのがわからないから出てこれなくなった、ってことだよね」
藍子さんが言ったことがおそらく答えになるであろうことを、その場にいる全員が感じていた。
「センターは特別ってことか。選抜とかフロントとかと違って、原則としてたった一人しかいない、グループ全体の顔だしな。就いたことのある者にしかわからない、孤高のポジション、と」
加古さんが感慨深そうに言うと、西条先生が話をまとめ出した。
「いずれにしても、二重人格が自分で創っていたものだったということを理解した以上、もう出てくることはないから。暗示が解けちゃったってこと。まぁ、今のあなたの置かれた状況では出てこないってことだったから、何も変わらないのだとは思うけどね」
最初に言われいてた通り、西条先生の話を聞いても何も解決しなかった。しかし少なくとも、もう一度「アイツ」を頼るという選択肢が消えたことで、私たちに残された道が絞られたという意味では有意義な時間であったことには間違いがない。
「お二人とも、今日は本当にありがとうございました」
別れ際、藍子さんが加古さんと西条先生に丁寧に挨拶をし、葵さんと私も一緒に深々と頭を下げる。
すると、西条先生が私の前に来て言った。
「あなたの悩みを解決してあげられなかったのは申し訳ないけど、全てあなた自身が創り上げていたもので、私がしたのはそれを引き出すお手伝いだけ。全ては、あなたのなかに元々あったものだから。そのことの意味をよく考えてみて」
言い終わるやいなや、会釈する私を横目に見ながら西条先生は去っていった。
「じゃあ、俺も行くよ。今日の結果として何がどう変わったかは、これからの活動を見て確認させてもらうからさ。楽しみにしてるよ」
そう言って振り返りながらジャケットの袖に腕を通した加古さんも、足早にネオンが眩しい大都会の人混みへと消えていく。
残されたのは午前0時を越えたシンデレラと、原作と違って心温かいお姉さんたちだけとなった。
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