第17話 0(ゼロ)
初夏の匂いを引き連れ、また私たちにとって重要な一大イベントである選抜発表の時間がやってきた。
その方法は今までと変わらず、全メンバーが揃う番組収録の場での発表のようだ。
この発表方法においては、司会者によって三列目から順番に選抜に入ったメンバーが発表され、二列目の発表が終わった時点で選抜を落ちたメンバーが誰だったのかがわかってくる。そして同時に残ったメンバーの顔触れと人数からフロントのメンバーも確定し、そこに居る人々の興味は誰が選抜に入るかから、センターは誰かということに移っていく。これがお決まりのパターンだ。
今回もいつも通り三列目から発表されていき、ここでは前作からの変動として、選抜に入る方のメンバーで弥子さんと桜子さんの名前が呼ばれた。桜子さんは何年か越しの久々の選抜復帰ということで、勝気な性格の彼女が珍しいくらい涙を流しながらコメントしていた姿に、同期の一期生を中心に他のメンバーも涙していたのが印象的だった。
その反面、私と同じ二期生で長く二列目より前のポジションを得続けてきた小和が初めて三列目に下がった。また前シングルの選抜メンバーにはもう一人しかいなかった同期の砂羽は、他の先輩二人とともに前作では三列目だったにも関わらず、ここまでのところ名前を呼ばれていない。高い確率でこの三人のなかから一人は二列目に上がり、残る二人はアンダーに落ちるものと思われ、激動とまでは言えないが多少の変化はある様子だ。
そして二列目の発表で、案の定、選抜落ちが誰かはわかってきてしまったのだが、どうやら砂羽は今回、選抜から落ちてしまった模様だ。
自身の選抜落ちを悟ったメンバーを目の当たりにするのは、何度見ても辛いものだ。ここまで二作続けて選抜に選ばれていて選抜定着を密かに期待していたのであろう砂羽は、離れることができなかった椅子に座ったまま、かなり沈んでいる様子だった。うっすらと涙を浮かべているようにも見える。
初めての三列目となってしまった小和を含めて、やはりこのイベントは何も悪いことをしていない子たちを有罪か無罪かに分けるような、未熟な私たちには過酷なものだと実感させられる。
二列目に新たに加わったのは三列目から戻ってきた杏さんと、前作のフロントから下がった凛さんということで、センターも経験している二人だ。そしてよほどのことでもない限り二列目からの選抜落ちは考えられない私たちのグループでは、前回の一、二列目で呼ばれていない五人、前作から凛さんと葵さんが入れ替わったそのメンバーがフロントだということは、スタジオ内の誰しもが思ったことだろう。
私は、またフロントに選んでいただけたみたいだ。
「アイツ」と出会ってから止まることなく歩を進めてきた私にとって、この辿り着いた一番前のポジションは当然ながらそこから更に前を望むことが出来ない、同じ位置を維持することを目指すしかないという、今まで経験してきたポジションとは意味合いが違う場所だ。恵まれたことに、私はここから下がることがあった場合に自分がどうすればいいか、どうなってしまうかを知らない。
つまり贅沢なこととは思いつつも、私は初めて不安に思う気持ちを抱えてこの発表に臨んでいたため、そういう意味では現状を維持できただけでも今の私にはこれ以上ないくらい、有難い話だった。
フロントのメンバーが見えてきた時点で、多くのメンバーは美咲さんの六作連続でのセンターを確信していただろうし、私もその一人だった。
百万枚を超えるCDの売り上げ、俗にいうミリオンセールスを続ける私たちは、いつの間にか常にハイレベルな結果を求められるグループになっていて、時には強烈な逆風に晒されることもある。
そんな状況で五作続けて、一年半以上にもわたってセンターを務め続ける美咲さんはグループの精神的支柱であり、彼女がセンターに居ることで私たちは一丸となって戦えているのだ。
そしてそれは、一期生、二期生はもちろん、入ったばかりの三期生でも肌で感じているであろう、もはやこのグループの生存要件と言っても過言ではないもので、文字通り美咲さんはグループの顔、いや心臓のような存在だ。
フロントは両端から呼ばれ、葵さんと藍子さんが収まった時点で、見栄えする両サイドだなぁなどと呑気なことを考えていた私は、少し遅れて自身の立場に気付いた。
残るのが美咲さん、結菜さん、それと私って、私、結菜さんと対になるポジションで、美咲さんの隣じゃないか。
しかも、よく考えたら葵さんが入ったフロントは私以外みんなファッション誌のモデル、そのなかで超人気モデルの美咲さんの隣なんて・・・。この状況だけでも私は涙が出そうだった。
私、凄い。私の名前が呼ばれて「アイツ」がコメントする時、こういう話もしてくれたらいいのにな。私の本心だし。そんなことを考えながら、私はぼんやりと残り少ない発表を待っていた。
直後に呼ばれたのが結菜さんだった時点で私は次に自分の名前が呼ばれることが決まったものとして、あらためて心の準備を始めた。
そして、木田さんが静かに次のメンバーの名前を呼ぶ。
「フロント4番、由良美咲」
その瞬間、スタジオ内にありとあらゆる感情が入り乱れたのがわかった。
木田さんから呼ばれたのは、私ではなく美咲さんだったのだ。
美咲さんがコメントをしている間、自分が何を思っていたのかは全く思い出せないのだが、時間が止まるように祈っていたことはよく覚えている。
しかし非情にも時間は過ぎていく。どんな時であっても。
スタジオのなかでは、笑顔で拍手の準備をする者、憎しみにも近いようなやるせない表情を見せる者、そもそも自分のことを消化できておらず俯いている者と、それぞれがそれぞれの顔で次の名前が呼ばれるのを待っていた。
そして、残された一つの席を掴み取った人物の名前が呼ばれる。
「最後フロント3番、センター、新田奏。おめでとう!」
私は、その状況を受け止めきることができず、一ミリも姿勢を変えることなく座り続けていた。
「どうした、新田。こっちに来なよ」
微動だにしない私に木田さんが移動するよう促すが、私は足がすくんで立つこともできない。そして、声を出すこともできなくなっていた。
少し時間が過ぎなんとか立ち上がった私は、おぼつかない足取りで選抜メンバーが並ぶ壇上に上がった。そしてその最前列の中央に立った私に、木田さんがあらためてコメントを求める。
「驚いただろうけど、新田が頑張ってきた結果がこのポジションなんじゃないか。素直に喜んでいいと思うよ」
わかっている。今、自分が喋らなくてはならないことも、喜ばなくてはならないことも。しかし、どちらも自分ではできないのだ。
その時、私はあることに気付いた。
私、私のままだ。アイドルをやらなくてはならない局面なのに。
この二年弱の間、私がアイドルをやらなくてはならない時には必ず出てきていた「アイツ」が、こんな大事な場面で出てきてくれていないのだ。
つまり、今、スタジオの中心で皆の視線を集めコメントを求められているのは、正真正銘の私だ。
私はなんとか声を絞り出そうとするが、残念なくらい私はこういう場面を自分で経験しないままこの位置まで来てしまったため、この状況を自分で何とかする術を何一つ持っていなかった。
「新田、今は喋れないか。まぁ、びっくりしただろうしな」
木田さんが私のコメントを諦めるようにそう言って、「無理」というような合図をスタッフさんに送り番組を締めてくれた。
私は最低だった。
選抜を落ちて絶望している子、ポジションを下げて悔しがっている子、選抜に上がれて喜んでいる子、ポジションを上げて安心している子、その全てのメンバーが自分の感情を押し殺して私の時間を作ってくれていたのに、私は何も言わなかった。そして涙の一つも流さなかった。
それは、せっかく私だけに与えられた晴れの舞台を台無しにするだけでなく、その時間を用意してくれた全ての人に対する
なんで、こんな時に限って出てきてくれないのだ。
私は、理不尽とはわかっていながらも「アイツ」を責めた。ただ、どんなに責めても「アイツ」は応えてくれない。これが、ずっと「アイツ」に頼ったままその成果だけを享受してきた私に対する罰なのか。そうだとしたら、あまりにも酷ではないか。
番組収録が終わっても、私は立っていた場所から動けないでいた。周りに居たメンバーやスタッフも、どう言葉を掛けていいのかわからなかったのだろう。しばらくの間、誰も私に近づくことができない様子だった。
そんな私を見かねて藍子さんがゆっくり私に近づいて肩に手を置き、慰めるように話し掛けてきてくれた。
「今日のことは今日のことで、明日からは引きずらないようにね。褒められたものではなかったけど、その重圧はその状況になったことのある人にしかわからないと思うから」
藍子さんの言葉に、思わず涙がこぼれ落ちてしまった。
「すみません、私・・・。すみません」
私はただ、謝ることしかできなかった。
そこへ美咲さんが来て、私の頭を軽く一つ叩いて声を掛けた。
「次、こんなことがあったら怒るよ。まぁ、センターおめでと」
そう言い残し、美咲さんは藍子さんを連れてスタジオから出ていった。
美咲さんの言葉で、やっと私は歩き出すことができた。
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