第18話 針の筵

 スタジオを出てフラフラと楽屋に向かい歩いていると、みんなと先に廊下に出ていた和泉が私に駆け寄ってきた。


「かなちゃん、大丈夫?いつもの収録と様子が違ったけど・・・。かなちゃんのままだったよね?」


 私は黙って頷いた。


「やっぱり。様子が変だから、ひょっとしてとは思ってたんだけど。どうしちゃったの、いつものは」


 それは私が訊きたいくらいだ。


 「アイツ」なら、アイドルとしての最高の台詞と笑顔でこの状況を喜び、皆から祝福される場としてくれただろうに。なんで今日に限って・・・。


 私は、自分が選抜のセンターに選ばれるという大きな出来事より、「アイツ」が現れなかったことに対する戸惑いで頭がいっぱいだった。


 そして次にセンターとして振る舞わなくてはならない時に「アイツ」が現れなかったらと思い、急にとてつもない不安に襲われてしまっていたのだった。


 和泉はそんな私の肩を抱き、ゆっくりと楽屋まで一緒に歩いてくれた。和泉はどんな時でも本当に優しい。


 楽屋の手前に差し掛かった時、少しだけ空いたドアの向こうから誰かはわからないがメンバーの声が漏れ聞こえてきた。


「奏のあの態度、なに?普段の収録ではこれでもかってくらい話すし、笑うし、上手いことやるのに。センターになったら急に楽屋に居る時みたいになっちゃって。どういうつもりなんだろ」


 それが客観的に見た正直な感想なのだろう。傷つきはするものの、今の私には声の主に対して申し訳ない、謝りたい気持ちしかない。


「さすがにセンターに選ばれて無言はないよね。泣くわけでも、笑うわけでもないなんてさ。そこより下のポジションにすら選ばれないで、それでもあの場に居なきゃならなかった人の気持ち考えたことないのかね」


 私だって、同じ立場であれば似たようなことを思っていたはずだ。


 そのポジションに選ばれた人が、その犠牲となった多くのメンバーに対し敬意を表すと共に溢れる想いや抱負をその場で語るということは、今までセンターに選ばれた数少ないメンバーの誰しもがしてきたことで、一つの通過儀礼なのだ。


 私は、それをしなかった。責められて当然である。


 和泉が機転を利かせて先にドアを大きく開けて入っていったことで、話していた子たちも私が入ってくるのを察したのか、会話をやめて私と入れ替わるように部屋を出ていった。


 私は、すれ違うその子たちに謝ることもできなかった。


 つくづく私は最低だ。


 その日は家族にも、友達にも、他の誰にもセンターに選ばれたことを話すことなく、私は眠りについた。


 ただ一つ、「アイツ」がまだ私のなかに居続けてくれていることを祈り続けて・・・。


 それから一週間が過ぎ、私は選抜のセンターになってから初めて公の場に出ることとなった。


 私がセンターを務める今度の新曲は、この夏の終わりに公開される話題の映画の主題歌となることが決まっていて、その映画には私たちのグループの都美さんが準主役級の役で出演している。


 都美さんはミュージカルや舞台から、ドラマや映画まで、今までにも幅広い作品に様々な役で出演している、私たちのグループきっての女優さんだ。


 彼女の立ち位置が二列目になることが多いのは、その多忙な外部の仕事に運営側が配慮してというのと、イベントなどに欠席してしまうことが多くなることを勘案してなのではないかとファンの間では言われているのだが、その読みは身内の私の目から見ても正しいように思われる。


 そんな実力派女優のメンバーが出演する映画の主題歌を所属する人気グループが担当するとあっては、若者向けの情報番組なんかは放っておくわけにはいかないのだろう。楽曲のリリースはまだ先となるものの、その選抜メンバーが内々に発表されたということで、さっそくこの日は映画と新曲に関するインタビューの収録だった。


 そこによばれたメンバーはフロントの五人。


「それでは準備が出来ましたのでお願いします」


 スタッフさんが呼びにきて、先輩たちが一斉に席を立った。


 時間だ。行かなくてはいけない。


 楽屋で準備をしている間も呼ばれるのを待っている間も、私はずっと自分が自分でなくなること、「アイツ」が出てきてくれることを願っていたのだが、やはりそれは叶わないようだ。


 だめだ。「アイツ」は出てこない。


 私は私のまま、センターとして人前に立たなくてはならない恐怖にすっかり飲み込まれてしまっていた。


 動けない。


「奏、行くよ」


 座ったまま立ち上がらない私を見かねて藍子さんが急かすように呼び掛けるが、足に力が入らないのだ。


「葵、もう先に行ってよ」


 結菜さんが葵さんを連れ、呆れたような顔で部屋を出ていった。その状況に焦らずにはいられなかったのだが、それでも私は動き出すことができなかった。


「あんたさ、この間言ったよね。次はないよって」


 美咲さんがイライラを隠さずに、私の真横に立って少し強い口調で言う。


「ごめんなさい。すみません、でも私、無理なんです」


 私はとにかく謝り続けるだけだ。


「無理って何よ、お仕事だよ。緊張するのもわかるけど頑張らないと。前のシングルの時だって色々な番組やイベントに出て、しっかりこなしてたじゃない」


 それは私であって私ではないのだと言うわけにもいかず、私はただ首を横に振るだけだった。


 もう待てないといった感じで藍子さんが私の腕を掴み、引っ張るようにして私を立ち上がらせた。


「美咲、手伝って」


 私は二人に引きずられるようにして楽屋を出ていった。


 私の座る場所は歌唱位置と同じということで前に三つ、後ろに二つ並んだ椅子の、前列の真ん中だ。


 照明の光が最も当たり、カメラが常に中心に収めるその場所は、あらためて自分の与えられたポジションの重大さ、深刻さ、そして華やかさを感じさせるのには十分であった。


 始まってしまう。どうしよう。どうすればいいんだろう。


 そんな時も、やはり時間は待ってはくれない。


 最初の質問には例によって藍子さんが模範回答で答えて、その後はしばらく映画の内容についての質問を誰となく訊かれる時間が続いたため、私に振られないようにと思ってだろう。それらには主に美咲さんが積極的に答えていった。


 そして話題は新曲に。


「今回、初めてセンターを務める新田さん。自分がセンターを務める楽曲が映画の主題歌に起用されるということについて、何か感想はありますか」


 新センターにその質問をするのは当然だろうし、「アイツ」ならきっと笑顔と共に喜びの声を発するのだろうが、私には何もできなかった。


 前を向いたまま、言葉を発さない私。そのまま数秒の間が空き不穏な空気が流れ出しそうになったところで、思いもよらない位置から声がした。


「実は昨日、新曲のミュージックビデオの撮影があって、主役の新田が大声で叫び続けるシーンがあるんですけど、監督がそのシーンにこだわっちゃって何度も撮り直したんですよ。そしたら、この子喉潰しちゃって。今日は声が出ないんです」


 私の背中越しにインタビュアーにウソの事情を告げたのは、後列に座っていた葵さんだった。


「そんな撮影秘話があったのですね。新田さん、そうとは知らずに失礼しました。そしたら代わりに四作ぶりにフロントのメンバーとなった里見さん、何か思うところがあれば是非教えてください」


 私への質問は葵さんが引き取ってくれた。


 クールで何事もソツなくこなす、隙のないメンバーの代名詞でもある葵さんが、まさかこの場面で自分を救ってくれるなんて・・・。


 そんなことを想像もしていなかった私は、インタビュアーに申し訳ない顔をしながら会釈するとともに、心のなかは葵さんへの感謝の念に溢れていた。


 そして収録は最後に藍子さんがまとめの挨拶をして、果たして無事と言えるのかはわからないが、とりあえず終了した。


 楽屋に戻ってからしばらく、私は誰の顔を見ることもできず黙って下を向いて座っているだけだった。


 そんななか、結菜さんが誰に言うとでもなく呟く。


「今回のミュージックビデオに、大声で叫ぶシーンなんてあったっけ」


 その言葉の意味するところは、その場にいた全員がすぐに理解した。


「結菜、やめときなって」


 藍子さんが立ち上がって制するが、そんな藍子さんの方を見ることなく独り言のように結菜さんは続けた。


「みんな優しいよね、わざわざ手を引いていったり、かばったり、代わってあげたり。でも、グループとしてそれでいいのかな。私もわからなくなっちゃった」


 そう言いながら結菜さんは立ち上がり、荷物を持って部屋を出ていってしまった。


 藍子さんは一瞬、追い掛けようとしたが、すぐに私の方に目をやり追い掛けるのを断念した。


 そんな藍子さんに代わり、葵さんが走って部屋を出ていった。


「ごめん、葵。結菜のこと頼むね」


 葵さんは背中でその声を聞きながら、振り返らずに右手をあげて応えた。


 楽屋に残されたのは私たち三人だけとなる。


 しばらく続いていた沈黙を破り、美咲さんが口を開いた。


「結菜の気持ちもわからなくないよ。あの子だって必死に頑張ってセンター掴んだ子だし。仲の良い子のなかには、誰から見ても一生懸命に頑張ってるのにフロントとかセンターに戻りたくても戻れない子もいるんだから」


 美咲さんが言っているのは杏さんのことだろう。結菜さんは、ファンサービスには定評があり早い段階でセンターを経験したものの、一時は三列目までポジションを下げた杏さんの親友だ。


 杏さんがセンターの葛藤と戦っていた時に、一番近くで支えていたのは結菜さんであっただろうし、結菜さんの時は杏さんだったのだろう。そして今でもお互いに相談し合う仲であることは、ウチのグループのメンバーであれば誰もが知っているところだ。


 私も、キツい言い方をされたものの、結菜さんを憎む気持ちは全くなかった。結菜さんの言う通りなのだから。


「それに私だって、本当は一分一秒でも長くセンターでいたいし、グループがもっと大きくなるために自分も少しでも貢献したい、活躍したいって思ってる。これでもセンターを外されたこと、けっこう悔しがってるんだから」


 美咲さんがそんな風に思っていることを初めて知った。


 私は勝手に、容姿端麗で歌もダンスも上手い、コミュニケーション能力も高く、人気モデルで、女優で、誰もが認めるグループのナンバーワンである美咲さんは、センターなんていつでもなれるし、頼まれればやるけどこだわりはないくらいに思っているものと想像していた。


 そんな美咲さんの熱い想いを聞いて更に申し訳なくなり、気づいたら私は涙が止まらなくなっていた。


「わかってると思うけど、泣いても何も解決しないんだからね。自分で何とかしなさいよ」


 美咲さんは私の頭をクシャクシャっと荒っぽく撫でたと思ったら、そのまま部屋を出ていった。


 その様子を見ていた藍子さんが、美咲さんが愛情を込めて乱していった私の髪を直しながら穏やかに言葉を掛ける。


「奏、今夜は空いてる?食事でもしながら少し話そうか」


 藍子さんの言葉に私は黙って頷き、涙を拭ってゆっくりと荷物をまとめ始めた。

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