第10話 立ち止まらない
収録が終わり楽屋に戻る途中で、一番に声を掛けてきてくれたのはキャプテンの藍子さんだった。
「奏ちゃん、おめでとう。みんなの前では気を遣って喜びづらいところもあるだろうけど、やっぱり嬉しいことだと思うし、こういう時は素直に喜んでいいんだからね」
私なんかが言うのも失礼な話だが、藍子さんは本当に優しく、礼儀正しく、そして教養もあるということで、老若男女の誰からも愛される人だと思う。一緒のグループに所属している、そのことだけでも誇らしく思えるくらい素敵な女性だ。この方ほどキャプテンに相応しい人もそういないだろう。
「アイツ」のままであればここで上手いこと返せたのだろうが、スタジオを出て少し経ったその時点では、既に私は私だった。
当然、私に気の利いた返しが出来るわけもなく、せっかくの藍子さんの声掛けにも私はお辞儀をして頷くだけだった。
その後、楽屋の隅の方で帰る準備をしていると、和泉が寄って来て静かに声を掛けてきた。
「かなちゃん、だよね・・・?」
私は全力で頷いた。
「和泉さ、私、大丈夫だった?さっきの・・・」
その時の私には、選抜に入った喜びを和泉に伝えることより「アイツ」の振る舞いの客観的な評価を聞く方が大事だった。
「事情がわかっている私からしたら冷や冷やだったけど、なんとか大丈夫だったと思うよ。美咲さんもかなちゃんのコメント拾ってくれてたじゃん」
その言葉に少し安堵の表情を見せていた私の肩を、誰かが後ろから叩いた。
振り返ったそこには美咲さんが立っている。
「さっきの面白かったけど、どこまで本気なの?」
私は、さっきまでの「アイツ」がヤラかしていた光景を思い出し、そこに憧れの美咲さんから声を掛けられているという事実も重なったことで、完全にフリーズ状態になってしまった。
「やっぱり木田さんたちがイジってくれるように適当なコメントしてただけなんだ?なぁんだ、がっかり。密かに喜んで損した」
美咲さんがそう言いながら拗ねたような表情を見せた。慣れた人からすればいつものおふざけなのは明らかなのだろうが、その時の私にそれが冗談か本気かを見分けることはできなかった。
そして焦った私はボリュームの調節もできず、不必要に大きな声で言葉を発してしまった。
「あ、あの、本気です!ずっと昔から好きでした!」
その声量と内容に好奇心を掻き立てられたのか、どこからか近寄ってきた葵さんが美咲さんの顔と私の顔を交互に見てボソッと呟く。
「・・・告白?」
いかにも葵さん、というような間合いのツッコみ方だ。
私はロクに話したことのない、憧れの先輩たちに立て続けに話しかけられたことによる動揺もあり、顔を赤くして、よくわからない身振りで葵さんの言葉を否定することしかできなかった。
その様子を見て美咲さんが思わず笑う。
「なんか面白い子だね。スタジオに居る時とは雰囲気も顔つきも全然違うし。でも、さっきのあなたのコメントが良かったと思ったのは本当だから。これからヨロシク、一緒に頑張ろう!」
そう言ったと思うと、美咲さんは葵さんの背中を叩いたり冗談を言い合ったりしながらその場を去っていった。
私はしばらくの間、少しずつ遠ざかりながらもふざけ合う二人の背中を見ることしかできなかったのだが、落ち着いたところで再び和泉に話し掛けた。
「びっくりした。美咲さんも葵さんも、ちゃんと話したの初めてに近いし」
和泉も同じ気持ちだったようだ。
「ねっ、二人ともあんなに気さくに後輩に話し掛ける感じなんだね。アンダーだとほとんど仕事一緒にならないし、たまに一緒になっても近づくこともほとんどないから・・・。どうしても麹町ファンだった頃のイメージで、いつまでも遠い存在みたいに思っちゃうんだよね」
選抜に入るってすごい、と思わずにはいられなかった。
帰り道、和泉が私の選抜入りをあらためて祝福してくれて、やっと私は冷静にその事実を振り返ることができるようになってきた。
それもこれも、全ては「アイツ」の仕業、もとい、おかげなのだが。
遂に選抜に入ったのに、感動が少ないのではないかと言いたくなる人もいるかもしれないが、自分でもそう思われるであろうことは認識している。その理由はよくわからないが、「アイツ」がやっていることであって私ではない。そんな気持ちをどこかに持っていて他人事のように感じているからなのかもしれない。
「それでも私、私なんだよね」
新月だったのか見上げた夜空に月は出ていなかったが、なんとなく誰かに向かって呟いてみた。
この日、私は寝る前に楽屋での出来事を思い出し一人でニヤニヤしてしまったのだが、そのことはさすがに和泉にも内緒にするつもりだ。
まさか美咲さんとあんな風に会話できる日がくるなんて・・・。実際は会話になっていなかったけど、そこは自分のなかでは勝手に美化していて私は美咲さんや葵さんと楽しく談笑したような気になっていた。
そして、さっそく始まった次のシングルの制作やプロモーションの活動において、私の選抜メンバーとしての日々が始まった。
そこはアンダーのそれと比べると一日にいくつもの仕事を掛け持ちするメンバーが多いこともあるからか、全てにおいて無駄がなく、楽屋の雰囲気も、仕事中の空気も、メンバーの表情も、何もかもが大きく違っていた。これがプロとして仕事をするということかと、今までの自分の甘さを痛感させられるものだった。
もちろんアンダーだってアイドルとしてプロだし、みんな本気で、一生懸命に様々な活動に取り組んでいるのだが、グループ内の仕事以外のテレビ番組や雑誌のモデル、そして女優など、多種多様な現場を経験しているメンバーが集まる選抜の世界は、残念ながらアンダーの現場が学生の延長に感じられるくらい異次元のものだ。
選抜と行き来するメンバーがアンダーの仕事では他のメンバーに少し厳しく接しているように感じたのも、彼女たちにとってはそれが普通で私たちが至っていなかったからそう感じただけなんだろうな。自分がその立場になってみて、私は初めてそのことに気付くことができた。
そんな別世界に迷い込んだような状況でも、「アイツ」は選抜メンバーとして臆することなく堂々と振る舞っていく。その様子からは、かつてアンダーのなかでも不人気メンバーで、三期生の加入によってグループ内に居場所が無くなるかもしれない、そんなことまで心配されていたメンバーの一人であった片鱗をうかがうことはできないだろう。
そんな風に活動を続けているうちにいつしか私はファンの間で、一期生最年少でセンターも経験していて、早くから将来を嘱望されていた凛さんと並び「次世代エース」候補の一人と目されるようになっていた。そしてその勢いそのままに、次のシングルの選抜発表で私は二列目のメンバーとして名前を呼ばれることとなる。
私たちのグループでは、シングルの表題曲を歌うのは選抜メンバー全員だが、テレビのCMや各種キャンペーン、映画などのタイアップが付いた曲であっても、それらのプロモーション活動に全員が参加するわけではない。
取材やイベントにおいても選抜メンバー全員が参加するということはほとんどなく、参加できるのはその内容に応じた人数に限られてくる。多くはフロントのみ、もしくは二列目までということで、三列目のメンバーは選抜とはいえ仕事が限られてきてしまうのが実際のところだ。
もちろん三列目であってもシングル表題曲を歌うメンバーなので、歌番組やその曲のミュージックビデオへの出演、CDのジャケット写真などは選抜メンバー全員で担うし、冠番組へも都合がつけば毎週出演できることから、アンダーと比べれば露出が圧倒的に多くなるのは間違いがない。
しかし、やはり二列目以内のメンバーとなり様々な仕事にグループの顔としてよばれるようになって、初めて胸を張って選抜メンバーを名乗れる、そんな風に感じているメンバーが多いのも事実だ。
三列目のメンバーの場合、次のシングルではアンダーに落ちてしまうかもしれないという不安があることも、そういうメンバーの気持ちに拍車を掛けているのだろう。
そんな選抜の二列目のメンバーとして、私はこの年の活動を終えることとなった。
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