第5話 そういうことか

 握手会を終えて控室に戻ると、先に戻り身支度を済ませていた同期の長岡ながおか和泉いずみが声を掛けてきた。和泉は私より年下だが、ウマが合うというか、他人との距離感なんかが自分と似ている気がして、私がこのグループに入ってから一番仲良くしているメンバーだ。


「かなちゃん、今日は何かあったの?」


 私はドキっとして返答に困り、黙って和泉の顔を見つめた。


 私が何も答えないため何か不味いことを言ったと思ったのか、和泉が少し慌てて言葉を続けた。


「あっ、変とかってことじゃないよ。ほら私のブース、今日も隣だったじゃない?いつもとお隣の雰囲気が違ったなって思って。かなちゃんの声もよく聞こえてきたし。それに声自体も少し高かった気がして・・・」


 よく考えてみれば驚くことではない。私自身がパニックに陥るくらいの私の変わり様を、他の子が気付かないわけがないのだから。しかし本当の事を話すことができない以上、とりあえず今は何かしら言い訳をするしかないのだろうが、親友の和泉に適当な嘘を付いて誤魔化すのは何か違う気がする。


 それに和泉に話せなければ、私はこの先もずっと誰にもこの事を話せないだろう。いつか話すのなら質問された今日、話さなかったことが不誠実になる。


 思いきって和泉には話してみよう。私は自分のなかでそう決断した。


「今日さ、後で私の部屋に来ない?」


 質問の答えになっていないのはわかっていたが、私にしてみればこれも答えの一部なのだ。


「うん、いいよ。そしたら、帰って荷物を置いたら行くね」


 和泉も何か察してくれたのか、特に何も訊かずに同意してくれた。


 どこからどこまで話そうか。和泉が相手であれば話せないことはないのだが、そもそも自分がこの事象を余すところなく他人に伝えられるかという問題があるため、まずは頭のなかを整理する必要がある。和泉に話すと決めてから家に帰るまで、私はそのことで頭がいっぱいだった。


 そして帰宅後、少し経った頃に和泉が訪ねてきた。訪ねてといっても私たちが寮とよぶ、運営会社が一棟借りしているマンションの別の部屋を訪れただけなので、そんなに大袈裟なことではないのだが。


「紅茶でいいよね?用意するから適当に座ってて」


「お邪魔しまーす。うん、お構いなく」


 そう言って和泉は絨毯の上に腰を下ろし、無造作にテーブルに置かれていた雑誌を手に取りパラパラと捲り始めた。その表紙を飾っているのは私たちのグループの一期生で、巷では「次世代エース」と評されている先輩の高林たかばやしりんさんだ。先輩といっても私や和泉とほぼ同世代なのだが・・・。


「かなちゃんもこの雑誌買ってたんだ、ウチにもあるよ。あっ、このページ見た?『未来を担う二期生の星、横瀬よこせ小和こより』だって。この小和の写真いいよね、かっこいいなぁ」


 和泉が何の気なく捲っているなかで手を止めたのは、同期の小和が紹介されているページだった。小和は私より一つ年上で、同期ながら既に選抜の中心メンバーになっている私たち二期生の希望のような存在だ。


「その雑誌ね、ウチのグループが特集されてたから。それに小和のページもあったしね。まぁ、当然ながら私のことなんかは一文字も載っていないんだけど・・・」


 私が苦笑いをしながら和泉を見ると、和泉も力なく笑った。


「それを言ったら、かなちゃんだけじゃなくて私も同じだから。同世代でもかたや表紙、かたや一文字も触れられないか・・・」


 二人してため息をつき、顔を見合わせ紅茶を一口飲んだところで私から本題について話し始めた。


 私は和泉に全部、少なくとも私が理解していることは全てを話した。


「二重人格・・・」


 一通り話を聞き終わった和泉がボソッと呟く。


 普段の私をよく知る和泉は私がふざけているとは思わなかっただろうが、一方で本当の話として飲み込むにはあまりにも突拍子もなかったようで、少し困惑しているように見えた。


「それって自分が気付いたら勝手に何かをやっていて、後から思い返してもそんなことをしていた覚えがないっていう、あれ?」


 和泉は怪訝な表情で私に念を押す。


「そう、あれ」


 あっけにとられたような顔をしている和泉をよそに、私は話を続けた。


「私が知ってるのもそんな感じなんだけど、少し違うのは、別人格が何かをしている時、私の意識もしっかりあって記憶にもしっかり残ってるんだよね」


 私が真顔で話すため、疑っていたわけではないのだろうが、あらためて和泉も本当の話として受け止め始めたようだ。


「そうなんだ、それって今日からなの?」


 現実に起きていることと思ったら興味が湧いてきたのか、さっきまでより和泉の喋りが滑らかになってきた。


「うん、少なくとも気付いたのは今日の朝、握手会が始まる少し前くらい」


 ひょっとしたら昔から私はこうだったという可能性もないわけではないのだが、私のこの二重人格の場合は記憶を失ってしまうわけではないので、おそらく今日からということで間違いはないだろう。


「そうなんだ。でも、何で急になったんだろうね。何か変わったことあった?きっかけになるような出来事とか」


 そう言われて一瞬、一昨日のカウンセリングが頭をよぎったが、あの何事もなく過ぎたカウンセリングにそれほどの影響力があったとは到底思えなかった。他に何かあるかと記憶を順に辿っていった時、私は一つの出来事に行き着いた。


「あっ・・・」


 私のなかで、ある点と点が結び付いた。


「一つだけ、ある。きっかけっていうか、衝撃的だった出来事が」


 きっとあれだ。あれなら、私のなかにいたもう一つの人格、アイドルがやりたくてたまらなかった「アイツ」が、長い沈黙を破って出てくるのにも頷けるしタイミングもぴったりだ。


「それって私にも言えること?」


 そうだ、柏木さんからは取り扱いに注意しろって言われていたな。どうしよう、まだ公にはなっていないし。でも他にもメンバー同士のお喋りのなかで漏れ聞こえてきて知ってる子もいるかもしれないし、話しても平気かな。部外者じゃないんだし。


「あのさ、この間いつもの面談があったんだけど・・・」


 呼び出された時にレッスン場に居た和泉が知らないわけがないのだが、一応、そこから話し始めてみた。


「あぁ、アレね」


 和泉は常連ではないが面談に呼ばれた経験はあるため、何のことかだけでなく、その雰囲気や中身まで詳しく知っている。当然、それが楽しいものではないことも。


「そこでさ、言われたんだよね」


 和泉の顔色が一瞬で変わるのがわかった。それと同時に目に涙を浮かべ始めたようにも見えたので、私は慌てて誤解を解く作業に入った。


「ごめん、そっちじゃない。クビって思ったでしょ?」


 和泉は安心したような表情を浮かべるとともに、驚かせないでよといった目で続きを急かしてきた。


「他に衝撃的って何があるの?」


 私は冷めた紅茶に一度口をつけてから、できるだけ冷静に、淡々と言い放った。


「三期生・・・」


 この一言で全てが伝わったようだ。


 それと同時に、和泉の顔がわかりやすく曇っていったのが見て取れた。


 それはそうだ。面談によばれている私たちほど深刻ではないにせよ、同じアンダーメンバーの和泉にとっても新メンバーの加入は驚異でしかなく、焦らずにいられないのは当然なのだから。


「それって、時期も決まってるの?」


 しばしの沈黙を経て和泉が口を開いた。私に怒っているわけではないのだろうが、その口調は少し怒ったような感じだ。


「年明けから春くらいに掛けて募集がかかって、秋頃にはって言ってた」


 平静を装って伝えてはいるが、今でもこの話のことを考えると気持ちが暗くなってしまうのは私も同じだった。


「そっか、それだね・・・」


 和泉が少し落ち込んだ声で言い、その後はしばらく二人とも言葉が出てこなかった。和泉は、おそらく三期生が入ってきてからの自分のことを考えていたのだろう。


 そして私は、自分に起こったこの摩訶不思議な出来事のことを思い返していた。


 さっきまでこんな風に論理的に今回の事を解き明かそうとしてこなかったのがいけないのだが、和泉と話したおかげで、ずっと探してたパズルのピースが見つかったように私のなかでは既に確信に変わりつつあった。


「でも、そうなってくると、あとはどういう時にそれが出るかだね。いつ出るかっていうのがわかれば、それなりに対処もできると思うし」


 和泉は少し落ち着きを取り戻したのか、三期生のことは一旦置いておいて、再び私の今の状況について考え始めたようだ。


「どういう時に、か。そんな風に決まった時に出るものなのかな?」


 たしかにいつ出るというのがわかっていれば、深刻な事態にならないように予め準備しておくこともできるかもしれない。しかし、そんな都合のいいものなのだろうか。


「ほら、そういうのって何かトラウマになっている出来事とかがあって、その出来事に直面した時に自分が傷付かないよう、自分を守るために出てくるっていうイメージがあるじゃない?」


 言われてみるとそんな気がしてくるから不思議だ。今更ながら私は、自分が物凄く単純な人間に思えてきた。


「今日は握手会が始まるのを控室で待っていた時、いつの間にか少し寝ちゃってて。始まる時間が近づいてきて西尾さんに起こされた後に気づいたらそうなっていたって感じだったかな」


 和泉が何か閃いたようだ。


「それよ、それ!」


 和泉は私も同じことを考えていると思っているようだが、残念ながら私はいまいちピンときていない。


「控室での寝起き?」


 和泉はなんでそうなるの、というような顔で首を横に振る。


「だから寝起きって、何のために起きたかってこと!」


 和泉の言いたいことがわかってきた。


「握手会?握手会の開始が近づいてくると、ってこと?」


 そんなことあるのかと思ったが、たしかに私は握手会が得意ではないし、むしろ苦手で、嫌っているのも事実だ。


「さすがにそんなピンポイントでとは思わないけど、もっと広い意味でアイドル活動っていうか、アイドルとして振る舞う必要がある時、とかは?」


 なるほど。私の二つ目の人格さんは私のアイドルとして振る舞う姿があまりにも酷く、見るに見かねて出てきたということか。現時点では和泉の仮説でしかないが、それはそれで理に適っているようにも思った。


「そっか、アイドルが得意そうな人格だし、私の代わりにアイドルをやらせろってことなのかね」


 自分で言いながら少し可笑しくなってきているのだが、ここまでの流れに矛盾がないことも否めない。


「もしそうだとすると、かなちゃんはアイドルをするのがトラウマで、逃げ出したいくらい嫌ってことになっちゃうけど・・・」


 和泉も少し笑いをこらえているような感じに見える。


「それって私がアイドルやめれば全て解決、悩むこともなくなるってことじゃんね」


 思わず二人で顔を見合わせて大笑いしてしまった。


「とりあえず、次にどこで何をしている時に出るか注意しておきなよ。それによって何かわかるかもしれないし」


 私は笑いながら頷いた。


「和泉、今日はありがとね。おかげで色々とスッキリした」


 二重人格のこともそうだが、新メンバー加入のことについても誰かと共有できたことで、私の気持ちはだいぶ軽くなっていた。


「ううん、私も知らなかったこと教えてもらっちゃったし。また今回のことで何かあったら、いつでも相談してね。しばらくは私も気にして見てるから」


 そう言って和泉は自分の部屋に帰っていった。


 二重人格か。自分の人生にそんな出来事があるなんて想像もしたことがなかったな。まぁ色々な出来事が、他人に起こるのに自分には絶対に起こらないということはないだろうし、これも一つの運命なのかな。


 ベッドに寝転びながらそんなことを考えていると、疲れていたのかいつの間にか私は寝てしまっていた。

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