第4話 二重人格…?

 私は、この握手会というイベントが嫌いだ。


 ただ誤解して欲しくないのは、一般的に気持ちワルイとされるオタクやオジサン、イタイタしい格好を堂々としているイタイタしい方々と握手するのが嫌、というわけではない。


 正確に言えば、嫌というか怖いという感じではあったが、それも最初の方にはあったことは否めない。しかし今では慣れてしまったというか、それ以上に、そういう方々でも自分に安くないお金を遣って会いに来てくれていると思えば、むしろ有難く思えてくるのが正直なところなのだ。


 では、なぜか。


 とにかく私は自然に笑うのが苦手で初対面の相手も苦手。そして会話も苦手ということで、自分でも明らかにこの握手会というイベントに向いていないタイプであることはよくわかっている。


 それでもアイドルになった当初は頑張って作り笑いをし、初対面の人、全員初めはそうだし、よほどのことがない限りはファン個人を自然に覚えることはないので多少通ってくれている人もそこには含まれるのだが、そんな方々とも怖がらずに接して、会話は出来なくてもせめて発せられた言葉にお礼くらいは言っていたのだ。


 ただ一部のファンの方々にとっては、そんな私の対応はアイドルとしては物足りない、人によっては許せないものだったらしい。


 いつからか握手会で苦言を呈されることが多くなり、しまいにはただ罵声を浴びせて帰る人も出てきた。


 そんな人がたとえ僅かでもいると、残念ながら私にはそれを気にせず笑顔で居ることや、そんな人にも認めてもらおうと奮起することはできなかったようで。そうしているうちに徐々に作り笑いも上手くできなくなっていき、その対応がまた批判されるという負のスパイラルに突入していた。


 気付いたら、私はこのイベントが大嫌いになっていた。


 本当は応援してくれるファンがいるのは嬉しいし、真顔に見えているかもしれないが、会いに来てもらえることには喜んでいる。そして返す言葉は短いかもしれないが、本気で感謝をしているのだ。


 ただ事実として、私の態度からはそれらを感じることはできないらしい。悔しいことに。そういえば、昔からヤル気が感じられないとか言われちゃう子供だったな。そういうことか。


 そんなヤツがアイドルなんて目指すなと言われるかもしれないが、そんなヤツでも年頃になれば華やかな世界に少なからず憧れを持つし、一緒に受けにいこうと誘う気弱な友達もいるし、選考が進むと心配と言いつつ密かに喜ぶ親バカな両親がいるのだ。


 かくして私はアイドルになった。


 一部の方々には申し訳ないが、なってしまったのだ。


 そんなアイドルにとって今日は、それが好きであろうが嫌いであろうが関係なく、とても重要なイベント、いや仕事の一つなのである。


 私は控室でメイクや着替えを済ませ握手会が始まるのを座って待ちながら、今日はどうしのごうか、嫌なこと言われなければいいな、応援してくれる人がガッカリしないでくれたらいいな、などと考えているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


 眠っていたのは一瞬だったと思うが、私は西尾さんの声でハッと目が覚めた。


「奏、起きな。もうすぐ始まるよ」


 寝てしまっている私に気付いた西尾さんが、少し大きめの声で私に握手会の時間が近づいていることを伝える。


「あっ、はい。あれ、私、寝ちゃっていました?」


 寝ようと思ってはいなかったし、寝に入った瞬間も自分ではわからなかった。人前で隙を見せないよう、常に気を付けている私にしては珍しいことだった。


「『氷の女王』がこんな暑いなか寝てたら溶けちゃうよ!」


 西尾さんが私をからかうように言う。


 「氷の女王」とは、握手会での無愛想な様子を揶揄してファンが付けてくれた私のアダ名で、インターネット上を中心にそこそこ定着しているらしい。


 西尾さんには私たち二期生が加入した頃からお世話になっていて、アイドルとその運営側のスタッフというより、彼女は私たちのお姉さんのような存在だ。


 私を「氷の女王」なんて言ってからかうことのできる数少ない存在で、近寄り難い、扱い辛いと思っているであろうスタッフさんが多いなか、こんな風にフランクに接してもらえるだけでも私の心がどんなに救われているかわからない。


 とてつもなく感謝をしているのだが、残念なことにこんな風に私を和ませようとして掛けてくれた言葉に対しても、私にできるのはいつも愛想笑いを浮かべることだけだった。それでもかなり心を許している証しではあるのだが。


 本当は冗談の一つでも言い返して笑い合えれば、私に気を遣ってくれている彼女に対する心ばかりのお礼にもなるのにな。そんなことを考えていると、ふいにどこかで聞いたことのある声に似ている、少し高めだけど、いずれにしても聞き覚えのある声がした。


「もう、寝てたのほんの一瞬ですよ!それに外は暑いけど中は寒いくらいに冷房が効いてるから平気です。かき氷を作れちゃうくらいしっかり冷えてますから!」


 西尾さんがキョトンとした顔で私を見ている。


「びっくりした。どうしたの、急に。アイドルみたいな声出しちゃって」


 私も同じことを思っていた。誰がこんなアイドルトーンで、アイドルみたいな台詞を発したのだ。


 そして声の主は席を立ち、会場に向かうべく歩き始めながら更に返した。


「いやいや、アイドルですから!今日も頑張ってアイドルやってきますね。今度、一緒にかき氷を食べにいきましょうね!」


 またしても全力のアイドル対応。なんなんだ、これは。周りには誰もいない、私と西尾さんだけだ。


 そして、西尾さんは私の方を見て話している。


「何かよくわからないけど、頑張っておいで。その感じいいじゃん、ファンは喜ぶと思うよ!」


 声を掛けられた人物は少し振り返って手を振り、駆け足で会場に消えていった。


 一連のやり取りが何だったのか。自分のなかで整理ができていない状態ではあったが、そんな私を時間は待ってくれず握手会の開始時刻が迫ってきている。とりあえず私は自分の持ち場に向かわなくてはならない。


 自分のブースに入ると、時間を測る係と案内係の二人のスタッフさんが既に待機していて、二人で談笑しながら担当するアイドルの登場を待っていた。そこに私が来たことで一瞬にして緊張が走り、二人は無言でイベント開始の準備に入る。


 いつも思うのだが、お給料をもらっているといってもアルバイトだからそんなに高いわけではないだろうし、それなのにほぼ丸一日、多少の休憩こそあるとはいえ立ちっぱなしで大変な仕事だなと、私はこのスタッフさんたちには感謝している。


 概ね真顔で無口な私が、そんなことを思っているなんて絶対に伝わっていないだろう。むしろ、何か不満に感じているくらいに思われているかもしれない。そういうことは何もないのだが、そう思わせてしまうことについては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「今日も一日、よろしくお願いします!長時間で大変だけど、一緒に頑張りましょうね」


 そういう一言だけでも気分は違うのだろうなという、良好なコミュニケーションのお手本のような言葉がスタッフさんたちに掛けられた。おまけに声の主は微笑みながら台詞に併せて軽く頭を下げている。


 ちょっと待てよ、それを言っているのは誰だ。明らかに二人は私の方を見てぎこちない笑みを浮かべ、会釈までしているではないか。


 またさっきと同じだ。どちらも、声の主は私だったのだ。どうやら私が私の意思によらず言葉を発し、手足を動かしているようだ。


 なんだ、これは。


 何かに憑依されたってやつか。いや、そんな非科学的な話があるわけがない。そうすると考えられるのは・・・。二重人格、「ジキルとハイド」のあれか。でも、あれって他の人格が出ている時にもう一方は意識がなくて、記憶も残っていないのではなかったっけ。


 今、私は意識があるし、たぶん記憶にも普通に残るだろう。でも私の預かり知らないような発言と行動が、実際に私の目の前で私によって繰り広げられている。


 こういう二重人格もあるのかな。それとも経験者に言わせればこれが普通なのかな、詳しくないからよくわからないや。そんなことを考えているうちに、会場にアナウンスが流れた。


「ただ今より準備のできたメンバーから順次、握手会を開始いたします」


 こんな状態での握手会なんて、どうしよう。このことで頭がいっぱいで、いつも以上に無口になってしまうではないか。今日来てくれた数少ないファンの方、ごめんなさい。勝手にパニックになってしまっているんです。見た目からは伝わらないかもしれないけど・・・。


 そう思っているうちに一人目のファンが案内されてきた。


「おはようございます、朝早くから来てくれてありがとうございます!」


 手を握るやいなや目の前のアイドルから掛けられた予想外の言葉に、ファンの方が戸惑い黙っていると、すかさず次の言葉が続く。


「私のところに握手に来るのは初めてですか?」


 やっとそのファンも口を開いたが、動揺は隠せない様子だ。


「あっ、いえ。前にも何回かあります・・・」


 今までも私のブースに来るファンは恐る恐る口を開くことが多かったのだが、それは私の愛想の無い態度に恐れをなしていたことが原因のように見受けられていた。しかし今は違う意味で怖がっているというか、驚いているように見える。


「そうなんですね、ありがとうございます!また来てくださいね」


 終始両手で握手をしながら、自然な笑顔とやや高めの声での対応だった。


 ファンの方はといえば、想像していなかったアイドルの対応に去り際に挨拶の一声を発することもできず、ただ小さく手を振るだけだった。相当以上に面食らっていたことがうかがえる。


 こんな対応をすればファンが増えるのだろうなという、アイドルの教科書があれば真っ先に書かれているような対応だ。ただ、それを行っているのは私。私ではないのだけど、周りから見れば私なのだ。


 今までの私の対応や、インターネット上の噂、数少ないテレビ番組に出ている時の様子などを見て自分のなかで私のイメージを作ってから来るファンの方々は、さぞかし驚くことだろう。


 もっとも、一番驚いているのは私自身なのだが。


 これは誰なんだ。私だけど私ではない、でも私。


 私は自分の持っている知識を総動員して、その前の西尾さんとのやり取りを含めたここまでの言動、行動を思い返し、それが何なのかをあらためて考えてみた。そして辿り着いた結論は、やはり一人の人間のなかに別の人格が居て、何かの拍子にもう一つの人格が表に出てくる、というもの。


 これが二重人格か。


 意識はあるというところが私の知るそれとは違っているのだけど、その分野に精通しているわけでもない私の知らないことくらい、一つや二つ、場合によってはもっとあってもおかしくはない。


 私はなぜか自然にこの出来事を受け入れていた。そうはいっても、もちろん他人には言えない、というか言うと頭がおかしくなったように思われるだろうから、言わない方が正しいように感じていた。よほど何かが起こらない限りは。


 そういう意味では、さっきから見ている「アイツ」は私らしくない振る舞いをしているが、他人に迷惑を掛けるわけではないし、むしろ私より各段に愛想が良いくらいだ。


 私に対しても精神的には辛い、というか恥ずかしくてかなわない側面こそあれ、自傷行為を行うわけではないし、評判を下げるわけでもない。当然、何の迷惑を掛けられているわけでもない。つまり被害者がいないこの状況を、あえて騒ぎ立てる必要性を感じないのだ。


 とりあえず様子を見てみよう。そのうちに元に戻るかもしれないし。


 そんなポジティブなことを考えている間にも「アイツ」による私の握手会は続いていて、私が考え事をしていて上の空であっても「アイツ」の対応は変わることがない。どこまでもアイドルの鏡のような、文字通りの神対応だ。


 そのまま何の問題も起こることなく、この日の握手会は終了の時刻を迎えた。

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