第12話 優しさとは

 私が選抜のフロントメンバーとして様々な仕事を得て忙しくしている頃、時を同じくして表舞台を去る、つまりグループからの卒業を決断しているメンバーもいた。


 そのメンバーは一期生の浅見あさみ芽生めいさん。デビュー曲から前作までのシングルの半分で選抜に入っていた、ファンからの人気ではグループで真ん中くらいのメンバーだ。他のメンバーとも万遍なく仲が良く後輩にも慕われていて、私もアンダーの活動で何回かご一緒していたため、数少ない気軽に話すことのできる先輩の一人だった。


 しかし、芽生さんは奇しくも私が選抜に上がった時に入れ替わりでアンダーに落ちたまま、今回、私がフロントに選ばれたシングルで丸一年、三作続けて選抜に入れず自己最長のアンダー期間を更新することとなっていた。それがきっかけで卒業を決めたのではないかとも巷では囁かれている。


 選抜の三列目とアンダーを行き来していたメンバーのなかでも比較的選抜に選ばれることが多く、アンダーの時も選抜に欠員が出た際には代役によばれることの多かった芽生さんの卒業は、少なからず他のメンバーやファンの動揺を誘うこととなった。


 今までにも卒業していったメンバーは何人かいたのだが、みんな選抜に入った回数が一回か二回のメンバーだった。失礼ながら、私たちのグループの活動を通じてアイドルとして成功したとはお世辞にも言えないメンバーばかりで、卒業を惜しむ声はあっても、それほどの衝撃を感じさせることは無かったのも否めない。


 そういう意味で芽生さんの卒業は三期生の加入後ということもあり、グループのこれからの流れを象徴するような出来事にも感じられた。


 私は自分が芽生さんの椅子を奪ったことや、芽生さんがアンダーで活動している間にその私が二列目、フロントとポジションを上げていったことが、芽生さんの卒業の一因となっているように思え胸が痛むのが正直なところだった。


 もちろん、芽生さんには芽生さんの事情があるだろうし、私なんかが勝手に責任を感じるのはおこがましいことであることもわかっている。


 それにグループアイドルという職業を選んだ以上、全員が目立つ、人気になる、仕事がもらえる、そんな都合の良い話は当然に無く、メンバー同士は仲間であると同時にライバルでもある。隣の子の明日の仕事を奪うために日々頑張っていると言っても言い過ぎではないのだ。


 私たちは、そういう世界で戦っている。そのことはよくわかっているのだが、やはり芽生さんの卒業を自分に関係の無い話と思うことは私にはできなかった。


 私はアイドルになって四年も経っているが、その辺については未だに馴染むことができていない。


 自分が甘いのは分かっている。それでも努力が報われて欲しい、頑張っている子に光が当たって欲しい、良い人に良いことが起こって欲しいと思うのは、そんなにおかしいことなのだろうか。


 自分が努力とは違う方法でその栄光を少しずつ掴んでいっている陰で、努力をしている人が淘汰されていくという現実が、私のそういった思いを強くしているという側面もあるのだろう。


 私はこのような複雑な思いを抱えたまま、最近では「アイツ」が選抜のフロントメンバーとして一段と強い光を浴びて輝く姿を目の当たりにしているため、常に何とも言えない罪の意識を感じていたのだった。


 芽生さんの卒業公演はこの年の春と夏の間に行われるアンダーメンバーによる公演の千穐楽に決まり、私たちは卒業セレモニーの準備に取り掛かることとなった。


 その一環として、一期生、二期生が各々メッセージを事前にしたためて、セレモニーの際にステージ上の大モニターで流すこととなっていたのだが、そのメッセージに私が何気なく書いた文章が波紋を呼ぶことになろうとは、それを書いた時には私は想像もしていなかった。


―芽生さんの笑顔が大好きでした。もっと一緒に歌ったり踊ったりしたかったです。また一緒にご飯とか行けたら嬉しいです。今まで本当にありがとうございました。


 当たり触りのない文章だと思っていたのだが、この「もっと一緒に」というフレーズが気になる人には気になるらしい。一部の一期生の先輩たちから、文章を書き換えるべきという意見が出たとのことだった。


 私はそのことを、ある日のレッスン後に藍子さんに呼び出されて知らされることとなり、そこには柏木さんも同席していた。どうやら柏木さんの方に先に話が入り藍子さんと相談して私に話すことを決めたようで、それを言うなら自分からと藍子さんの方が同席を申し出たみたいだ。


 藍子さんによると一部のメンバーの意見としては、自分が選抜から蹴落とした相手に対し自らは最もスポットライトの当たる場所に居る立場で「もっと一緒に」というのは、選抜に芽生さんが上がれないことに対する嫌味にも聞こえ配慮が足りないということらしい。


 私にとっては本心なのだが、そういう見方もあるということだ。


「そんな、私、自分が芽生さんよりアイドルとして優れているとか自分の方が上だとか、一度も思ったこと無いですし、本当に『もっと一緒に』ステージに立ちたかったなって思っているんです」


「アイツ」ではない私が、珍しく感情的になって反論する。


「奏の気持ちはわかるんだよ。でも私たちの世界では、人気の高いメンバーがそうではないメンバーに掛ける優しい言葉は、同情と言われてしまうの。そして同情はもっと相手を惨めにするだけ。奏はアンダーでの下積みが長かったから、アンダーのメンバーを見下す気持ちなんてないのはよくわかってる。でも、これは覚えておいて」


 藍子さんは熱くなっている私に対しても、決して語気を強めることはないし冷静さを失うこともない。


 私は納得いかないといった目で藍子さんを見続けながら話を聞いていた。そして、その目からは涙がとめどなく流れ続けていた。


「勝負の世界には、勝者がいれば敗者もいるのは必然だから。そこで敗れ去っていく者に勝ち残った者が掛けられる言葉は、悲しいくらいに何も無いの。これは優しさとか、思いやりとか、友情とか感謝とかっていう言葉とは関係のない話。私たちはそういう世界に居るんだよ」


 藍子さんもこんなこと言いたくない、わかって欲しいといった感じの表情だ。それでもその言いづらいことをしっかり言うあたり、やはり藍子さんの責任感や人間性は信頼できるものだと、こんな時でもあらためて実感させられる。


「まぁ、見る人の見方によると思うけどな。浅見や奏の性格とか二人の関係性、奏のここまで歩んできた道のりを考えると、そんな風に取らなくてもと思うのも事実なんだけど、せっかくの浅見の門出で不要に揉める必要もないと思って。気を悪くしないでくれ」


 柏木さんは、そんなことで目くじらを立てなくてもという気持ちを持っているようではあったが、それを口にすることはなかった。


 私は涙ながら微かに頷く。


 そして私のメッセージから「もっと一緒に」の一文は削除されることとなった。


 芽生さんの最後の晴れ舞台となるアンダーのコンサートには、本編に出演はしないが選抜メンバーも会場に掛けつけていて、アンコールの最後に一期生、二期生の全員がステージに上がり卒業セレモニーが始まる。


 私たちからのメッセージがモニターに流されるなか全員で一曲歌い、その後に芽生さんが一人一人にお返しの言葉を掛けながら、それぞれと握手や抱擁を交わしていっていたのだが、そこで思わぬ出来事が起こった。


 順番的に私であろうというところになっても、私の名前は呼ばれなかったのだ。


 最後に近づくにつれ盛り上がるように芽生さんと関係の濃い、深いメンバーが後ろの方に設定されていて、二期生から始まり、一期生、そして最後に芽生さんと同じく選抜とアンダーを行き来することが多く、一番仲が良かった弥子さんが呼ばれることとなっていた。


 しかし二期生の間に私の名前が呼ばれることはなく、弥子さんの一つ前、藍子さんをはじめとする多くの一期生の先輩たちよりも後に思いも掛けず私の名前が呼ばれ、私は芽生さんの前に立った。


「奏ちゃん。アンダーで一緒に活動したことも何回かしかなかったし選抜では入れ替わりになっちゃったから、あまり一緒にステージに立てることはなかったね。私も、もっと一緒にコンサートとかに出たかったよ。奏ちゃんのこれからの活躍を楽しみに見ています。今までありがとう」


 この思ってもいなかった順番で呼ばれたことと、そのメッセージの内容に戸惑い、私はただ泣き崩れるだけだった。


 この日は演者ではなく、しかもコンサート後のアンコールの時間であるとはいえ、ここがステージ上であることを考えると「アイツ」が出ていてもおかしくない状況ではあるのだが、この時だけは「アイツ」がそうしていたのか、私のままだったのか、どちらかわからなかった。


 ここはアイドルとして振る舞う場でもあり、一人の人間として芽生さんと向き合う場でもある。ただ、この日この場所でどうするかということについては、「アイツ」であっても、私であっても、もしかしたら同じだったのかもしれない。


 後から考えてみても、やはりどちらだったのかはわからないのだが、とにかく私は泣き続けていた。


 楽屋に戻っても一人泣いている私の隣に、藍子さんがそっと座り肩に手を乗せて声を掛ける。


「芽生があの順番にしてって言ったんだよ。自分が卒業することについて、奏が責任を感じていたりしないか心配だから、あえて他の二期生とは別の特別な順番にして言葉を掛けてあげたいからって。自分の卒業のこと、奏は少しも気にしないで頑張って欲しいって言ってた」


 私は、芽生さんのその優しさに更に涙が溢れてきてしまった。そして同時に、こんなに良い人が報われないのがアイドルの世界だっていうなら、こんな仕事やめてやるとまで思うようになっていた。


「それを芽生から言われた時にね、奏がメッセージに初めに書いていた言葉のことを伝えちゃったの。勝手にゴメンね」


 こういう何気ない謝罪の言葉でも、藍子さんはしっかり頭を下げて言う。そんなところも私はこの人を尊敬している。


「そしたら芽生は、自分は気にしないけど一期生の子たちのなかには気にする子もいるかもしれないから、消されてしまうのは仕方がないし、その判断は正しいと思うって。でも自分は奏のその言葉が素直に嬉しいとも言っていた。その返事が最後のメッセージになったんだと思う」


 芽生さんの私への言葉に「私も」と付いたうえで「もっと一緒に」と入っていたのは、そういうことだったのだ。


「芽生ってね、ホントに優しい子なの。私はああいうのが本当の優しさだと思ってるんだ。相手や周りにわかりやすいような優しさを提供して、みんなに優しい人と言われるのも、もちろん悪いことではないし良いことだと思う。だけど本当の優しさはそうではなくて、相手や周りが気付かないような、お礼なんて言われようがないところで相手に何かをしてあげることなんじゃないかな。芽生はそういう子だったから」


 私は涙を止めることが出来なかった。


 深く考えずに思った言葉を綴ってしまった自分を責める気持ちと、そんな自分を受け止めてくれ、大事な自身の卒業公演のなかに私への気遣いを含めてくれた芽生さんへの感謝。そしてそんな良い人が成功するわけではない芸能界、アイドルの世界のやるせなさ。それらの気持ちが入り乱れて私は自分でもわけがわからなくなっていた。


 私は、このままアイドルを続けることができるだろうか。


 少し前まで自分の居場所が無くなることを心配していた私が、今では選抜の、それもフロントのメンバーになって、今度は違う理由でアイドルとしての先行きを心配することとなっている。


 私はアイドルとして上を目指していたのに、上を目指すことで必ず味わう、アイドルとしての苦しみからは目を背けていたことを思い知らされた。そしてそれを直視することとなった時に、自分の進む方向が全くわからなくなってしまったのだ。


 私は真剣にアイドルを続けていくべきかを考えていた。もちろん自分で選んだ道なのだから、自ら放棄するのは無責任だということはわかっている。


 それでも私は、この現実を素直に受け入れることができそうにない。


 そしてこの件は後日、更に私を悩ませるような事態を引き起こすこととなった。

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