第14話 ひとりよがり
「まぁ、まずは落ち着こう」
柏木さんがやっとその重い口を開いた。
「奏のなかで引っ掛かっているのは、浅見の卒業公演のことか?最後のメッセージのこととか」
私の熱はさっきまでよりは冷めてきているものの、未だその眼光は鋭いままだったのだろう。柏木さんはゆっくり、言葉を選びながら話しているように見えた。
「それもあります。でも、それだけじゃなくて、この仲間なのか、敵なのか、何なのかわからない関係のなかで、それでも良い人がいて、努力している人がいて、優しい人がいて、それなのにそういう人は報われないとか、そうじゃない人が成功するとか、そういうのがもう嫌なんです」
私は「そうじゃない人」として自分を想像していた。
「奏にメッセージの内容を変えてもらった件については、まぁ俺は正直そんなに気にしなくてもとは思ったけど、桐生とも相談して念には念を入れてってことでああなったんだよ。つまらなく感じるかもしれないけど、それだけ今、自分が影響力の有るポジションに居ると思って我慢してくれ」
正直、それはもう私のなかでそんなに重要な話ではなくなっていた。柏木さんもそれを感じたのか、一つずつ手札をきるように次の話を始めた。
「それと、呼ばれた順番がどうとかって少し話題になってるみたいだけど、それこそ気にし出したら始まらないぞ。ファンってのは好き勝手に言うものだし。メンバーのなかにだって、これだけ人数がいれば色々な感じ方、考え方があるのは当然なんだからな。割り切るところは割り切らないと」
柏木さんの方にも情報は入っているようで、インターネット上などでファンが騒いでいることだけでなく、一部のメンバーの間で物議を醸していることも把握しているようだ。
それでも聴いている私の顔から納得してる感じを読み取ることはできなかったのか、柏木さんは矢継ぎ早に言葉を続ける。
「それより一番気になっているのは、やっぱり自分が浅見の卒業のきっかけになってしまったのではないかってことだろ?」
私は無言のまま視線を落とした。
「そんな風に思う必要はないぞ。浅見だって、奏を恨む気持ちなんて持っていなかったと思う。そういう世界だって理解していただろうし、奏が努力をした結果として掴んだポジションだってことは分かってくれていただろうからな。誰が悪いとか、誰のせいとか、そういう問題じゃないんだよ、これは」
私は違う、私のは努力じゃない、このわけのわからない別人格が勝手にやっていることであって、私はそれにタダ乗りしているだけなんだ。
そう言えたらどんなに楽になれただろう。私は喉から出掛かったその言葉を飲み込み、ただ奥歯を強く噛み締めて苦い顔をするだけだった。
何も言えなくなっている私を見て、柏木さんが更に続ける。
「厳しいことかもしれないけど、努力が必ず報われるなんてことは残念ながらこの業界では無いことなんだよ。だけど確実に言えるのは、成功する人は必ず何かしらの努力をしている。それがどういう形であっても、たとえ本人がそれを努力だと思っていなくてもだ。それは間違いないと思うぞ」
柏木さんは、どこまでも私は堂々と今の場所で仕事をしていていい、誰に遠慮することもない、ということを言ってくれるのだが、やはり私はそれを受け止めることができなかった。
「それと、これは内緒にしておいて欲しいって言われていたんだけど、こういう状況だから言うぞ」
柏木さんは、私がなかなか態度を変えないことに痺れを切らしたのか、切り札として取っておいたのであろう、私に言うつもりのなかった、誰かと言わない約束をしていた話を喋り出した。
「浅見の卒業公演の後、桐生が俺と長瀬さんのところに来たんだ。奏のことでって」
私は、想像もしていなかった自分に関する出来事があったことを知り、そこまでの頑ななものとは違い無になったような驚いた表情をしていた。
「桐生は、奏は優しい、優しすぎるから、それ故に傷つきやすいと思う。理由はわからないけど、自分が成功することにどこか申し訳なさを感じているように見えるし、自分の代わりに他の子の仕事が減ったり、アンダーに落ちたりするのを気にしすぎているように思うって言ってた」
私は藍子さんがわざわざ自分のことを相談しに、様々な事柄に決定権を持つ長瀬さんまで含めて訪ねていたことに加え、その内容がまさに今の私の心情そのままであったことに、ただただ驚くだけだった。
柏木さんは私の表情の変化を感じ取ったのか、さっきまでの過度に慎重な話し振りが少し和らいだように見える。
「その後に、奏は急激にポジションを上げてきたから特に戸惑うだろうけど、自分たちも同じようなことを初めの頃に感じていて、それでもそれは宿命として乗り越えてきたことだから奏にも乗り越えてもらいたいとも言ってたよ。あいつらしいよな。自分以外のメンバーのことに、こんなに真剣になるなんて」
柏木さんの口調が滑らかになってきた。
「最後には、近いうちに奏が卒業したいって言いにくるかもしれないけど、あの子は絶対にウチに必要になる、代わりはきかないから、何が何でも引き留めてくれってさ。あいつ、エスパーかって感じだろ?」
柏木さんは少し笑みを浮かべながら話す余裕も出来てきたようだ。そのくらい、私の表情も穏やかになってきていたのだろう。
―絶対に必要になる。代わりはきかない。何が何でも引き留めて。
私はその言葉を噛みしめると同時に、自然と涙を流していた。
「それと、これは少し前の話だから今さら感もあるんだけど、奏が初めて選抜に入った時に美咲がこんなこと言ってたんだ」
私は、さらに思ってもいなかった名前が柏木さんの口から出たことに、動揺を隠せず思わず目が泳いでしまった。
「新田奏って子、二期生ってこともあって今まであまり関わったことなかったけど、面白そうだって」
憧れの美咲さんが私の名前を出すだけでも恐れ多いのに、そこに前向きな評価まで入っているなんて、私にとってはこれ以上なく嬉しいことだった。
「あと、ウチのグループは大人しいというか真面目な子が多いから、ああいう芯が強そうで前に出る気概がある子が選抜に上がってきてくれて良かった。根が真面目で良い子っぽいし、自分と仕事で絡ませてもらえれば何か新しいことができるかもしれないから、機会があったらよろしく、だってさ。実際には美咲の方が忙しくて実現していないのが申し訳ないんだけどな」
あの美咲さんが、私と一緒に仕事をしてみたいとまで言ってくれていたなんて・・・。
藍子さんの言葉だけでも涙が止まらなかった私は、美咲さんの言葉を知り、もうボロボロになってしまい顔を上げることも出来なくなっていた。
しばらくの間、柏木さんは黙って私のその様子を見守っていてくれた。そして私が少し落ち着いたのを見計らって、雰囲気を和ませようと思ったのかそれまでと打って変わった冗談っぽい口調で言った。
「俺、こんなに色々と勝手に話しちゃって。バレたら絶対、桐生や美咲にボコボコにされるよな」
私は涙の跡が残るその顔に少し笑みを浮かべながら言葉を返す。
「藍子さんはそんなことしないんじゃないですか。美咲さんは・・・、どうですかね」
柏木さんが大笑いした。
「そうだよな、絶対に内緒にしておいてくれよ!」
半分冗談、半分本気、といった感じの柏木さんの様子に、私は笑いながら頷いた。
「ここだけの話だけど、長瀬さんも奏のことは買っているんだぞ。自分のポジションとか、もらっている仕事を考えればわかるだろ。そういう周りからの評価を、もっと素直に受け入れてもいいんじゃないか」
柏木さんは少し真剣な表情に戻っていた。
周りの方々が私に期待してくれているのは十分に感じているし、私にはもったいないくらいだと思っている。
それでも、やはり「アイツ」の存在があってのその評価であることを考えると、私はそれを真に受けることがどうしてもできない。それは私に向けられたものではないと思わずにはいられなかった。
ただ、それを言うことはできない。
それであれば、私のなかの複雑な気持ちは消えないものの、私はこのまま頑張り続けるしかないのではないか。
それに藍子さんや美咲さんだって同じような壁にぶつかって、それでもそれを乗り越えて今みたいな素敵なアイドルになっているのだ。先輩たちと自分は違う、自分だけは高潔でこの汚い世界を受け入れないなんて、自分勝手な正義感を振りかざした単なるワガママなのではないか。
柏木さんと話していて、私は少しずつそんな風に思うようになってきていた。
私はバカだ。
この世界が理不尽なことばかりなのも、努力が報われるとは限らないことも、仲間とか友情とかでは片付けられない競争社会であることも、初めからわかっていたことじゃないか。
自分が思ってもいないところで理不尽に批判されたり、自分の努力が報われなかったり、自分が競争に負けていたり、要は自分がその被害者の側に居た時には被害者面して受け入れてきたことなのに、いざ加害者というか、その恩恵に預かることが多い立場になったら、それは悪だと声を上げ自ら舞台を降りようとする。
私は加害者の苦悩を理解していなかっただけだ。
みんな色々なことをわかったうえで、受け入れて、消化して、乗り越えて前に進んでいる。
そういった様々なものを背負っているからこそ、選抜、それも特にフロントやセンターを務めるようなメンバーからは、不退転の決意や覚悟、そして時には鬼気迫るような迫力を感じるのだ。
そしてそれらが幾重にも重なることで、眩いばかりの光りを発する特別な瞬間が生まれ、人はそれを「奇跡」とよび、そこに感動を覚えるのだろう。
ファンはその一瞬を待ち望み、日々奮闘する私たちの背中を押してくれているのではないか。
そのことに気付かされた時、私が今、やらなくてはならないことは明確になった。
私は芽生さんのことを想ってこの世界に抗うのではなく、芽生さんの想いを背負ってこの世界を照らさなくてはならないのだ。私にそれができるかはわからないが、私はそれに挑まなくてはならない。
考えているうちに私の心は固まっていた。そしてそのためには、恥を忍んで前言を撤回する必要がある。
私は恐る恐る口を開いた。
「あの・・・。ごめんなさい。さっきの、取り消していいですか?」
柏木さんが当然といった顔で頷いたと思ったら、次の瞬間、冗談めかした表情で付け加えた。
「一応、俺の意見も聞いてからにしてもらってもいいか?結論を出すの」
そうだ、色んな人の言葉や想いを伝えてもらったばかりで、柏木さん本人の考えを聞くのを忘れていた。
「あっ、はい。私の気持ちは決まっていますけど。一応、聞きます」
柏木さんが笑いながら怒る。
「こらこら、一応は余計だ」
私も思わず笑ってしまった。
「すみません。では、どうぞ」
私は真面目な顔に切り替えて、頭を下げて柏木さんに話の続きを促した。もちろん、その顔は硬いものではなく「おどけた」真面目な顔であるのは言うまでもない。
柏木さんが一度咳払いをしてから言う。
「俺が言いたいのはただ一つ。もう少し一緒に夢を見させてくれ。それだけだ。これは俺からのお願いと思ってもらっていい」
柏木さんらしい、ストレートな言葉だった。
「お願いするのは私の方です。このグループで、これからも頑張らせてください。お願いします」
商談成立だ。
勢いに任せて柏木さんに話しにきたことを恥ずかしくも思ったが、もしこの日、柏木さんと話さずにその想いを抱えたまま活動を続けていたら、本当に私はある日突然、フッといなくなってしまっていたようにも思えた。
私が今後もアイドルとして高みを目指していくのであれば、この日のやり取りは必ず通る道だったのだろう。
すっかり暗くなった街を歩きながら空を見上げると、その日は絵に描いたようにキレイな形の三日月だった。
私の心のなかは、今まで引っ掛かっていたものが取り除かれ、柔らかかったものが硬くなり、濁った水がろ過され透明になった。そんな状態になっていて、今日は気持ちよく眠れそうだな、そんなことを思いながらその月を見上げた。
前に進むしかない。私はその決意を新たにした。
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