第16話 全然違う

 いつもの私に戻りそそくさと身支度を整え楽屋を出ると、部屋の前で思わぬ人が私を待っていた。


 先ほどまでスタジオで共演していた一色さんだ。


 私も一人で居心地の良くない楽屋に長居するつもりは毛頭なく、テキパキと帰る準備をしたつもりだったのだが、その私より後にスタジオを出た一色さんが今ここにいるということは、よほど私に何か言いたくて急いで来たということだろう。


「あのさ、さっきの・・・」


 私の、「アイツ」の言い方が気に障ったのかな。そうだよね。私なら愛想笑いして何も言わずにその場を去っただろうに、余計なことを言うから・・・。


「ごめんなさい、失礼なことを言って。すみませんでした」


 私は「アイツ」に代わって深々と頭を下げたのだが、一色さんはそういうつもりではないというような身振りを見せる。


「いや、むしろこっちが謝りたくて。『アイドルさん』なんて言い方してゴメン」


 スタジオでの印象で勝手に気の強い人、もっと言えば嫌な人だと思っていた一色さんからの思いもしない言葉に、私はただただ戸惑うだけだった。


「えっ、いや、そんな。とんでもないです。謝られることなんて何も・・・」


 頭を上げた一色さんが穏やかな顔で話し始める。カメラの前では必要以上に硬い表情になってしまっていたのだろう。スタジオに居た時とは違い、今そこに居る彼女は優しそうなお姉さんといった感じだ。


「私さ、今日のあなたみたいに初めてバラエティ番組に出た時に共演してたベテランの先輩タレントから、モデルさんはいいよね、座ってるだけで褒められるんだからとか言われて、すごく悔しかったんだ。それこそ悔しくて悔しくて、家に帰っても思い出して泣いちゃったくらいで」


 その冒頭の語り口を聞いただけで、私はこの人を嫌う気持ちや苦手に思う気持ちが一気に無くなった。本当に悪い人はこんな風に自分の弱味を他人に話さないことくらい、私にだってわかる。


「それから自分なりに少しでも見せ場を作ろう、モデルとか関係ない、私個人を認めさせてやろうって頑張ってきたんだけど、見ての通りまだまだ全然ダメで。そしたら今日、バラエティが初めてだっていう新田さんが堂々と立ち回ってるのを見て、自分が情けなくなっちゃってさ。それでつい、あんなことを言ってしまって・・・」


 感覚的にわかる。この人もきっと、この業界で生きていくために何かを受け入れて、何かを我慢して、何かを乗り越えてやってきたのだろう。私の大好きな人たちと同じ匂いがする。


「純粋に感心して、凄いねって言いたかっただけなのに。最低な言い方しちゃったよね。本当にごめんなさい。でも、あなたに言われて思い出したんだ。自分も初めは同じように思ってたってこと。あのまま何も言ってくれなかったら、私もいつかの嫌な先輩みたいになっちゃうところだった。ありがとね」


 想定外の謝罪に加えてお礼まで言われてしまったことに驚き、「アイツ」ではない私はよくわからないことを言うことしかできなかった。


「いえいえ、そんなこと。私なんて本当にダメですし、一色さんの方が慣れていらっしゃって、おキレイで、足も長くて、番組に必要な存在だと思います」


 ずっと申し訳なさそうな口調で話していた一色さんも、私のその慌てた様子と意味不明な発言に笑いがこらえきれなかったようで、自然と笑顔になっていた。


「なんか、スタジオに居る時と全然違うんだね。さすがアイドル、舞台に立つとオーラが出るのかな?あっ、これは本当の褒め言葉だからね」


 私も一色さんの表情を見て少し心に余裕が出来てきていた。


「そんな、ありがとうございます。嬉しいです」


 さっきまで少し険悪な雰囲気にもなりかけていた二人が、今では和やかに笑い合っている。人間関係というのは本当にわからないものだ。


「良かったら、連絡先交換しない?今度、一緒に食事でも行ってゆっくり話そうよ」


 私に一色さんからの嬉しい申し出を断る理由は何も無かった。


「はい、喜んで。よろしくお願いします」


 私にとって初めての、仕事関係でメンバー以外の友人が出来た瞬間だった。こういうのに憧れてはいたものの私の性格では無理だと思っていただけに、それだけで私は嬉しくて仕方がない。


 「アイツ」には冷や冷やさせられることも多いけど、こうやって私にできないことをやってくれるのは素直に嬉しい。私はあらためて「アイツ」に感謝し、その有り難みを噛み締めながら家路についた。


 そして後日、私はさっそく食事に誘われ二人で会うこととなった。


 社交辞令かと思っていた私にとってその誘いはとても嬉しく、会う前に彼女の出ている雑誌を読み漁ったりその間に出演されていたテレビ番組を漏れなくチェックしたりしていた私は、すっかり好きな芸能人に会うような気分になっていて少し緊張したりもしていた。


 予約をしてくれていたお洒落なお店の前で待ち合わせ一緒に中に入ると、これまたお洒落なテーブルに案内され、お洒落なメニューを手渡される。


 そして見よう見まねで注文を済ませた私は、あらためて挨拶をするところから始めることにした。


「本日は、お忙しいところお時間をいただき・・・」


「奏ちゃん、何それ!就職活動の面接じゃないんだから。しかも誘ったの私の方だし!」


 私たちはこの日の日時や場所を決める連絡を取り合うなかで少しずつ打ち解けていて、会った時点では既にお互いを「結衣さん」、「奏ちゃん」と呼び合うようになっていた。


 もちろん、呼び方を変えようと提案してきたのは結衣さんの方だ。「アイツ」ではない私が、同期のメンバーや学生時代の友人以外の人を下の名前で呼ぶなんて奇跡のような出来事で、それもまた私にとっては嬉しいことだった。


「それに忙しいのはお互いさまでしょ。知ってるよ、カマクラのシャンプーのCMとか出てるの。歌番組でも目立つところで歌ってるの見たし。奏ちゃん、麹町のなかでも売れっ子なんだよね。それはそうか、一人でバラエティ番組に出るくらいだし」


「実は、この間のあれは・・・」


 私は番組に出ることになったいきさつを結衣さんに話した。


 私がどうとかではなく、結衣さんにも今の美咲さんの多忙さは容易に想像がついたみたいで、その経緯にはすぐに納得できたようだ。


「そっか。今、由良美咲さんが出演するっていったら大変なことだしね。CMとかもいっぱい出てるし、アイドルとかモデルじゃなくて、芸能関係の仕事をしてる女性全体でもトップクラスだもんね。モデル仲間でも憧れてる子多いよ。まぁ、みんなせっかく現場で一緒になっても、あれだけの美人さんだとなかなか話しかけられないって言ってるけどね」


 なぜだろう。美咲さんが褒められていると自分まで嬉しくなってくる。私は思わず照れ笑いしている自分に気付き、少し恥ずかしくなった。


 しかし、やはり美咲さんのことを知らない人は勝手に近寄りがたいイメージを持ってしまうらしい。あんなに気さくで明るくて、ふざけたりするのも好きな人なのに。そんな私も未だに気安く話しかけることはできないのだけど・・・。


「でも、そんな由良さんだっていつかは卒業するんでしょ?そしたらチャンスじゃん。奏ちゃん、センターになれちゃうかもよ!」


 結衣さんは冗談交じりに言ったようだが、私はその話題については冗談で返すことはできなかった。


「センターなんてとんでもない!今のフロントだって、私には出来過ぎなくらいですから」


 思いも掛けないことを言われると、私は余裕がなくなり上手い返しができなくなってしまう。私の悪いところだ。自分でも常々直したいと思っているのだけど、コミュニケーションに関するものについては、こうすればいいというイメージは持ててもなかなか上達はしない。「アイツ」とは正反対だ。


「でも、私はせっかくだから仲良くなった奏ちゃんのセンター見てみたいけどな」


「そんな、私のセンターなんてどこにも需要ないですよ」


 純粋に私に期待してくれている結衣さんに失礼とは思いつつも、また私は即座にそれを否定してしまった。


「自分で気付いてないだけなんじゃないのかな。外から見てる私に言わせれば、テレビで麹町A9のメンバーが出てるの見てても、たしかにセンターの由良さんは凄いなって思うんだけど、奏ちゃんも負けてないと思ったよ。お世辞抜きでね」


 美咲さんと比べられるなんて恐れ多すぎて、私は思いつくだけの言葉を並べて心から否定した。


「そんな、有り得ないですよ。美咲さんは誰もが認めるウチの絶対的エースなんですから。テレビや雑誌で見るより何倍も何十倍も、本当に素敵な方なんです。私なんかとは何から何まで違いすぎて、比べられるのも申し訳ないくらいです」


 私のボキャブラリーではこれが限界で、その拙い言葉ではなかなか想いを伝えきれないことが歯痒くて仕方がない。


「でもさ、奏ちゃんもフロントなんだし、次はセンターって可能性もそれなり以上にあるんじゃないの?グループアイドルのことってよくわかってないから、的外れだったらゴメンね」


 結衣さんにとっては素朴な疑問なのだろう。


「・・・可能性はゼロではないですけど、フロントとセンターは全然違いますから。二列目からフロントならともかく、フロントになったから次はセンターだなんて、自分では全くそう思えないです」


 謙遜ではなく、私は本気でそう思っている。


「そうなんだ。そんなに違うものなの?センターと他のポジションって。私みたいな素人には、最前列の人同士でそんなに差があるとは思えないんだけど・・・」


 結衣さんは本当に不思議そうな顔をしている。もしかしたら、それが一般的な見方なのかもしれない。


「違うんですよ、上手く言えないけど・・・。何て言うか、センター以外は一人ってことはないし、必ず誰かと曲の歌割りもダンスの振りも一緒で安心感があるというか。同じフロントでも他のポジションは中心ではないから、テレビなんかでカメラに映る回数も、映った時の位置もセンターとは全然違うし・・・」


 気付いたら私は、結衣さんを置き去りにして熱弁をふるい続けている。


「それに、その曲の期間に開催されるコンサートや歌番組なんかに出た時、話しをする場面では一人でグループを代表して喋らなければいけないし。その期間はCMでも雑誌でもほとんどセンターのメンバーがメインで、とにかくグループの顔っていうか、背負っているっていう感じが凄いんです」


 私の早口の説明を聴きながら、結衣さんはそんなに違うんだといった感じで目を丸くしている。また同時に、私の熱量に押され少し納得し始めているようでもあった。


「そっかぁ。そんなに言うくらいだし、本当に全然違うんだろうね。たしかに、明日から由良さんみたいにやれって急に言われたら、私も逃げ出しちゃうかも!」


 私も心のなかでその言葉に激しく同意していた。


 美咲さんや結菜さんみたいに何回もセンターを務めているメンバーはもちろん、一、二回だけ抜擢されたメンバーも、みんな苦しい思いをして乗り越えてきた大きな壁だ。私なんかがその苦しみを理解し、それに挑もうだなんて十年、百年、いやもっと早いだろう。


 アイドルになった以上、本来は目指すべき場所なのかもしれないが、私にはそれを想像するだけでも身の程を知らない、分不相応なことのように感じられた。


 その後も私たちはお互いの仕事の話を中心に、他愛のない話なんかもしながら、少なくとも私にとっては新鮮で、楽しく、有意義な時間を過ごしていった。


 そして楽しい時間は早いもので、気付いたらお店の閉店時間になっていた。


「今日はありがとうございました。結衣さんとこうしてお食事して色々なお話しができて、正直、夢みたいです。嬉しかったです!」


 本当に楽しかった私は、珍しくスラスラとお礼の言葉を述べることができた。


「私も今日は楽しかったよ、またゴハンいこうね。それと奏ちゃんのセンター、大変なのはわかったんだけど、やっぱり私は期待してるよ!」


 そう言って手を振り、結衣さんは雑踏に消えていった。


 その姿が見えなくなった後、私は一人で結衣さんの言葉の前半部分に大きく頷き、それを大切に胸にしまっておくことにした。


 そして結衣さんには申し訳ないが、後半部分についてはそれを振り払うように小さく首を横に振り、一度大きく息を吐いてから自分の家の方に向かって歩き始めた。

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