第3話 藁にもすがる

 黙り込む私を尻目に柏木さんが話を続ける。


「今日話したいのはメンバーが増える前にみんなに一つ提案があって、その件についてなんだ」


 柏木さんの話を要約すると、メンバーが増えて少なからず仕事の割り振りが変わる前に一度、本格的な自己分析というか、プロによるカウンセリングを受けてみて自分についてもっと知ってこれからの活動に活かしてみないか、ということだ。

 

 実際に過去にも同じようなカウンセリングを受けて仕事の方向性を見直した結果、劇的な変身を遂げた役者、歌手、そしてアイドルもいたとのことで、新メンバーが入る前に希望をすればその道では有名な先生を手配してくれるらしい。


 熱血漢はできるだけ軽い話かのように話してくれたのだが、残念ながら私には解雇予告期間中に藁にもすがる思いで何かやってみないかという、非常に重苦しい提案にしか聞こえてこなかった。


 しかし私は、心のどこかでその話に惹かれたのか、興味本位だったのかはわからないが、すぐに拒むことはせず柏木さんに質問をしていた。


「他の子たちはどうしたんですか?」


「五人とも、この場では答えを出せないってことで、今日は保留して帰ったよ。もっとも実際は奏みたいに冷静に最後まで話を聞ける感じではなかったり、最後まで聞いたけど少し考えたうえで持ち帰りだったり、色々だったけどな」


 みんなの気持ちもわからなくはない。カウンセリングだかなんだか知らないが、そんなもので人気が上がるのならとっくに人気者になっている気がするし。自らのアイドル人生の余命を宣告された直後にそんな提案をされても、すぐに決断するのは難しいだろう。


「それで、奏はどうする?」


 その時、私のなかで一番強かったのは自分のためというわけではなく、これまでお世話になった長瀬さんや柏木さんのために、この話を受けてあげた方がいいのかなというものだった。


 彼らにしてみても、ここまで面倒を見てきた私たちとの契約を打ち切るのは辛いことだろうが、ここは学校ではなくビジネスの世界であり、抗えない大きな流れがあるのも現実。それならば、せめてできることは全てやってからにしたい、それがたとえ藁のようなものであってもという気持ちがあるのだろう。


 つまり、この藁は私にとってだけでなく、彼らにとっての藁でもあるのだ。


 冷めているように見られがちな私だが、なぜだか昔から恩や義理にはこだわりがあり、そんな彼らの想いを無下にすることは自分が許さなかった。


 そしてそれは、思いのほか早く結論となって私の口から出ていった。


「よくわからないですけど、私、受けます」


 柏木さんが驚いた顔をしたのはよく覚えている。まさか私が即決で受けるとは思ってもいなかったのだろう。ひょっとしたら本当のところは、この話を受けるメンバーが一人でもいるとは思っていなかったのかもしれない。その反応からは少しテンションが上がっていたこともうかがえた。


「そうか、そうだよな!やってみなければ、何がきっかけになるかなんてわからないしな。そうか、そうか!」


 そんな前向きな理由でもなければ、まして何かのきっかけになるなんて思ってもいなかったのだが、自分の責任を果たした気分になっていた私はどこか少し晴れやかな気持ちになっていた。


 それと同時に、あと一年ちょっともしたら卒業とかって話になるのかと、少し寂しい気持ちも感じていた。一方で全ては自分のせいと、それを受け入れている自分が居たのもまた事実だった。


「そしたら、さっそく準備して駐車場に向かってくれ」


 柏木さんが冷静な口調に戻り私に指示を与える。


「えっ、今からなんですか?」


 私はまさか今すぐの話とは思ってもいなかったため、再び戸惑うような感じになってしまった。柏木さんはそんな私にお構いなく続ける。


「そうだよ、なかなか予約を取るのも大変な先生だからな。今日は長瀬さんの方で特別に、まとまった時間を押さえておいてくれてるんだ。駐車場に上野うえのが待ってるから」


 私は駐車場に向かいながら、私の後に面談する平賀さんは来るかな、まさか私一人だけってこともあるのかな。一人だったらせっかくの有名な先生の予約時間が無駄になっちゃうのかな、その分も料金を取られてしまうのかな、などと、今の私にはどうでもいいことを考えていた。


 駐車場に着くとマネージャーの上野さんが既に車を回していて、その車で私はカウンセリングの施設に連れていかれた。


 到着した建物の受付で上野さんが名前と予約している旨を伝えると、すぐに奥から私の名前が呼ばれた。


「ここで待ってるから、頑張ってきてね」


 受付で上野さんと別れた私は、名前を呼ぶ声がした奥の部屋に案内される。


 そこで待っていたのは西条さいじょうという名の女性の先生で、三十代後半くらいだろうか、ミステリアスな雰囲気を持つキレイな方だった。なるほど、なんとも言えないが凄い人という感じはある。


「それじゃ、さっそく始めようか」


 先生が私の目を見て話し始める。黒縁の眼鏡越しに見えるその瞳はもちろん、その眼鏡すら、ただモノではないことを物語っているように思えた。


「まずは、あなたが今日ここに来た理由を長くなっても構わないから詳しく教えてもらえる?」


 理由と言われても、本当のところは長瀬さんと柏木さんの顔を立ててなのだが、それを言ってしまっては元も子もない。私は先生がアイドルの世界について知っているわけがないとは思いつつも、この時はなぜか不思議なくらい赤裸々に自分のことを目の前の女性に話していた。


 今となっては、なぜそうしたのかわからないし、理解もできない。私が自分の過去のことや思っていることなどを初めて会った人物に洗いざらい話すなんて。


 自分が友達に誘われて一緒にオーディションを受けたこと、二期生として加入したが入る前に想像していたものと違い、そこは華やかな世界にはほど遠い下積みの連続だったこと。元々、人見知りをする性格で人前に出るのも苦手であったことや、笑顔を作るのも苦手なこと。可愛い仕草や話し方はもっと苦手で、素っ気ないように見られることが多いこと。そしてアイドルとしては致命的なくらい人気が低いため、あと一年くらいで、おそらく卒業という名のクビになってしまうこと・・・。


 とにかく全部話した。


 先生はそれをただ黙って聞き、一通り聞き終わったところで私に目を瞑ってしばらく待つように指示をした。


 実は私の記憶はここで途切れている。


 そこから何分が経ち何があったのかは定かではないのだが、次に記憶がはっきりしているのは、ベッドに寝ている私が目を覚ますのを上野さんが横で待っているところだった。


 そっと目を開いた私は、少しの間、何も考えず天井を見つめていた。


「あっ、やっと起きたね」


 上野さんが私の顔を覗き込んで呟いた。


「あれ、私、寝ちゃってたんだ・・・」


 自分でもいつから寝ていたのか、どのように眠りに入ったのかは全く思い出すことができなかったのだが、確かに私は寝ていて、そしてそこはカウンセリングを受けた部屋の隣の部屋だった。


「先生が、奏が気分が悪いから少し横になりたいって言ってるけど、どうしますかって私のところに訊きにきたから、私が付いているから少し休ませてあげてくださいってお願いしたんだよ」


 私がお願いして寝ていたのか。人間、覚えていないって怖いな。でも、そう言われるとそんなやり取りがあったような気にもなってくる。記憶っていうのはいい加減なものだ。


「もう大丈夫なら、今日は帰るよ?」


 そう言いながら上野さんが時計を見る。


「あ、はい。大丈夫です」


 そう言って私はベッドから立ち上がり、受付の女性に会釈をしてその場を後にした。


 結局、このカウンセリングで何かわかったのか、変わったのかというと、正直なところ私にはよくわからなかった。もっと言えば、それ以前にどういうカウンセリングだったのかすらも思い出せないのだが、私にとってそれはもう、どうでもいいことであった。


 私は、お世話になった方々への義理を果たす、少しでも恩を返すためにカウンセリングを受けただけで、そこで何かを得ようとは思っていなかったのだから。


 先生には申し訳ないが、おそらく私に限ってはカウンセリングの効果はないだろう。そういう意味では、それはそれで申し訳ないことをしたな。でも先生のところに来た人の全員が全員、効果があるわけではないだろうし、こういうヤツは過去にもいたのではないか。それなら気にしなくていいか。


 そんな都合の良いことを考えながら私は上野さんに自宅まで送ってもらい、さっきまで寝ていたにも関わらず、その日は帰ったらすぐに寝てしまった。


 次の日、柏木さんとレッスン場の入り口で会うとさっそく戦果の報告を求められる。


「どうだった?やっぱり凄いのか、あの先生って」


 柏木さんにしてみれば、私のなかで何かが変わり奇跡的に人気が上がることを期待しているのだろうが、本当に申し訳ないことに、私は肝心のカウンセリングの中身を全くと言っていいほど覚えていない。


 ただ、ここでどう答えたとしても結局は人気という不確定要素の強いものでしかその効果は測れず、ましてそれはすぐに答えが出るものではないのだから、私のなかでその場での答え方の選択肢は一つだけだった。


「良い先生を紹介してくださってありがとうございます。これからの活動を見ていてください」


 柏木さんの熱い眼差しが一層強くなったことには気付いたが、私は胸が痛むのでそれ以上は彼を見ないようにしておいた。さすがの私も、相手のことを想っての嘘とはいえ、期待に満ち溢れた熱血漢の視線に耐えることはできないようだ。


 柏木さんが次の言葉を発する前にその場を離脱しようと思った私は、仲の良いメンバーを見つけて話しかけるようにして彼の前を立ち去ることにした。


 そんな私の背中越しに柏木さんが声を掛ける。


「明日の握手会、楽しみにしてるからな!」


 そうだ、明日は先日発売されたシングル曲の特典イベントの握手会があったのだ。嫌なことを思い出させるなぁと思いつつ、とりあえずその時だけはそれを忘れられるよう、私はレッスンに集中することにした。


 そして次の日の朝、私はその「嫌なこと」の会場に向かうこととなる。

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