第2話 悪い報せ

 ある日のレッスンの休憩時間、おもむろにレッスン場に入ってきたマネージャーの西尾にしおさんの声が部屋の中に響き渡る。


「今から名前を呼ぶ人、レッスンが終わったらA会議室に集まって。岡本おかもと尾崎おざき関岡せきおか谷川たにがわ鳥山とりやま、新田、平賀ひらが


 その時期と呼ばれた名前から、用件は誰にでも想像ができる。


 恒例行事だ。


 私たちのグループでは年に一度、これからの活動の方向性や現状の課題、抱えている悩みなどを話し合うために、グループの運営会社のトップとマネージャーのチーフ、そしてメンバー本人による三者面談が年末近くに行われている。またそれとは別に、いつからだったか春や夏の新曲がリリースされるタイミングに前後して、一部のメンバーにだけ同じような面談が行われるようにもなっていた。


 前者と違い後者の内容はシンプルで、とにかく今の状況を変える方法というか、端的に言えばどうすれば今より人気が上がるか、ファンが増やせるかといったことに特化されている。当然、対象となるのは人気が低い、ファンが少ないメンバーだ。


 先ほど西尾さんから名前を呼ばれたのも多少の入れ替わりこそあれど、ほぼ毎回よばれているメンバーで要は不人気メンバーたち。


 私たちのようなグループアイドルでは、年に何回か発売されるシングルCDの表題曲とよばれる曲を歌うべく選ばれた選抜メンバーと、その他のメンバー、控えという意味を込めてアンダーメンバーとよばれる子たちに分けられるのが一般的だ。


 選抜にいつも選ばれるメンバーもいれば、選ばれたり選ばれなかったりというメンバー、そして一度も選ばれたことのないメンバーというのもいて、いつしかグループ内にはくっきりとした色分けが生まれてくる。


 選抜組、アンダー組、そしてその当落線上のボーダー組、と。


 選抜メンバーは人気、実力、運営からの期待、その他の様々な要素によって発売されるシングル曲ごとに決められるのだが、そのなかにも更に歌唱位置、その曲を歌う時のフォーメーションにおける立ち位置がどこかという序列が存在する。


 テレビの歌番組やコンサートでその曲を披露する際に目立つ方から、フロントともよばれる最前列、二列目、三列目、それぞれの中心から端と、より目立つポジションの序列が上であることは言うまでもないだろう。そしてそれはカップリング曲やB面と表記されることの多い、シングルCDに表題曲と共に収録されるアンダーメンバーによる楽曲においても同じことが言える。


 つまり選抜の最前列の中心で、ステージ上に付されるポジションを示す位置番号が「ぜろ」である、俗にいう「センター」を頂点に、アンダーの三列目の端までキレイなピラミッド構造のヒエラルキーが存在するのが、私の居るグループアイドルの世界だ。


 ただの立ち位置と侮るなかれ。それはそのまま完全にではないが知名度や仕事量、ひいては発言力にまで影響を及ぼす、時として民間企業における職位の差を超えるくらいメンバー間やスタッフの間では絶対的なものなのだ。


 不人気とされるメンバーは当然ながら多くの場合、その最下層近辺、アンダーの二列目や三列目に居るメンバーたちと一致している。


 私も、その一人だった。


 そして今がこの夏のシングル曲が発売された直後であることを考えると、この呼び出しがその面談であることを疑う余地はない。


 集められた会議室の雰囲気は、初めの頃はもっと暗かったが今でもさすがに楽しいものではない。順番を待っている間に隣の子と話すこともなく、それぞれがそれぞれで携帯電話を操作しているか、ボーっとしているか、机に伏しているか。


 知らないで済むのであれば一生知りたくないような、嫌な雰囲気であることは想像に難くないだろう。


「次、奏。C会議室ね」


 私の順番が来て荷物を置いて部屋を出ようとすると、西尾さんから更に一言。


「あっ、荷物は持っていって。この部屋にはもう戻らないから」


 そういえば先に出ていったメンバーも今日は荷物を持っていったし、終わってからも戻ってきていないな。いつもと何か違うのか。まぁ、どうでもいいんだけど。


「新田です。失礼します」


 とりあえずノックをして部屋に入り一礼すると、椅子に座るように促される。


 テーブルの反対側に座っているのは二人。運営会社のトップの長瀬ながせさんとチーフマネージャーの柏木かしわぎさんで、この辺はいつもの面談と変わりのない様子。


「お疲れさま。今日は現状について話し合うために残ってもらったんだけど、まぁ、奏も初めてじゃないから、その辺の細かい説明はいらないよな」


 長瀬さんが落ち着いた口調で話し始める。いつも思うのだが、この人は偉い人なのだろうけど常に穏やかで配慮があって、こういう重苦しくなってしまいそうな場でも相手を萎縮させない技術を持っている。本当に人格者だ。誰からも尊敬されるだろうし、嫌われることはそうそうないだろう。こういう大人になりたいものだ。


「はい、だいたいわかっています」


 思わず愛想笑いをしながら答えてしまう。この私が真顔を保てないなんて、やはりこの人はさすがだ。


「こら、主旨がわかっていたら笑顔なんて出ないはずだぞ」


 柏木さんが、長瀬さんの方を申し訳なさそうにチラッと見ながら私を軽く叱る。


 柏木さんは長瀬さんほどの器は今のところ感じられないが、とにかく相手を思いやる気持ちが強い人だ。本人は表に出さないようにしているようだが、今時、珍しいくらいの熱血漢で、それ故に時にはメンバーにも厳しく接するところがある。そのせいで煙たく思っているメンバーも少なくないのは事実だが、私は嫌いじゃない。いや、むしろビジネスライクな人物より好きなくらいだ。


「まぁまぁ、暗くなったって仕方がないしな」


 人格者が熱血漢を制して続ける。


「毎度、同じ話をして申し訳ないが、キミたちはアイドルで我々はその運営側の人間。つまりは同じ目的に向かって一緒に仕事をしているわけなのでね。言うことは言わなくてはならないし、もちろん、それについてのキミたちの考えも聞かせて欲しいと本気で思っているんだ」


 長瀬さんがお決まりの前振りを行うと、いつもこの席で見せられるデータ、私の握手会券の売上と来場者数、公式グッズの売上、メール配信会員の登録人数に公式ブログの閲覧数などなど、おおよそ私の人気を数値化したであろう資料がテーブルの上に広げられ、柏木さんからひとしきり解説される。


 「まず、自分でどう思っているかを聞かせて欲しい」


 長瀬さんが、怒る気はないんだ、とでも言いたそうな柔らかい口調で問いかける。


「私の努力不足で、前回のシングルの期間でも特に人気を上げることができませんでした。すみません」


 開き直っているわけではない。本当に申し訳ないと思っているのだ。ただ、残念ながら目の前の数字たちに対し、私から語れることは驚くほど何もない。本当にこれが今の私の口から発することのできる言葉の全てだったのだ。


 人気商売なのは理解しているし、人気が無いということは本来、私のお給料の源泉が無いということなので、今の私はタダ飯食らいと言われても仕方がない。それくらい自覚しているし、それでいいと思ってはいない。しかし、その理由を言えと言われても、色々とあるのかもしれないけど、総じて努力不足という言葉に行き着いてしまう。


 わかっているなら努力しろと言われるかもしれないが、努力にも色々とあり、私のそれは私が私でなくなる努力とでも言えばいいのか、私にとってはそのくらいハードルの高いものなのだ。


「努力不足、か」


 今度は長瀬さんが、柏木さんの方を意味有り気にチラッと見た。


 いつもであればこの後、あれはこうすれば、ここはああすればと各論が始まり、励まされて面談終了となる。この日も私はその展開を予想していたのだが、なんだか少し様子が違うようだ。


 何なのだ。


 長瀬さんに促されて、柏木さんが重たそうな口をゆっくりと開いた。


「みんなにはまだ発表していないし、外部へのリリースもまだ先の話だから取り扱いには注意してもらいたいんだけど・・・」


 なんだ、この展開。聞いてないぞ。ちょっと待って、嫌な予感しかしない。普段はあまり動揺しない私も、さすがに心がざわつく。そのくらい柏木さんの喋り出し方も、表情も仕草も、その全てが私に警告を与えていた。


「三期生の募集が決まった。時期は確定していないけど、年明けから春くらいまでには募集が始まって、秋頃には入ってくると思う」


 正直、考えていたなかで二番目に悪いニュースだった。


 私が常々思っている、アイドルが運営側から急に伝えられる悪い話のうち最も悪いものが即解雇。そして二番目が解雇予告だ。この世界に居る人間ならわかるだろうが、不人気メンバーにとっての新メンバー加入なんて、実質的には解雇予告と同じ意味を持っている。少なくとも私はそう考えていた。


 柏木さんの私への非情な宣告により、会議室の時が止まったのをその場に居る全員が感じただろう。おそらく時間にすれば一瞬だったのだろうが、その間に私は眼前の会議室の真っ白な壁を隅から隅まで見ることが出来た。


「だから何って話ではないよ。念のために言っておくけど」


 私の動揺を見抜いてか、先に面談を終えたメンバーたちのなかに取り乱す子もいたからなのか、すかさず人格者が鎮静剤代わりの言葉を掛ける。だがそれは彼の立場や人柄を思えば、むしろ逆効果ではないかとも思えた。それだけインパクトのあることを伝えたと言っているようなものなのだから。


 その時、自分がどんな表情をしていたか、それは今でも思い出せない。ただ笑っていなかったことだけは覚えている。そして泣いていなかったことも。


 ここで涙を流せないところも、私が人気にならない理由なのかなとも思った。それが私なのだけど。


 しばらくの間、私はただ茫然としていた。

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