第23話 決心

 家に帰った私は、ベッドに寝転びながらその日に起こった出来事を順に一つ一つ振り返っていった。


 今回の件で私たちに力を貸してくれた加古さんが、いつかのイベントで私に質問してきた記者さんだったことにもビックリしたし、そこに待っていたのがあのミステリアスな先生であったことには本当に驚いた。


 その西条先生の話はとにかく衝撃的で、正直、今でもどこまでが現実だったのかわからなくなってしまう。


 そして、それ以上にその後の藍子さんの部屋での出来事のインパクトは強く、その時に刺さった棘は少し時間が経った今でも、しっかりと私の胸に刺さり続けている。


 美咲さんがあんな剣幕で私に怒り、涙まで流すなんて・・・。


 美咲さんだけじゃない。藍子さんや葵さん、和泉や芽生さんなど卒業生を含む他のメンバーはもちろん、結衣さんや今でも連絡を取り合う学生時代の友人たちもそうだ。それを言うなら長瀬さんや柏木さん、西尾さんや上野さんをはじめとするマネージャーさんたちもそうだし、西条先生や加古さん、そして何より私のことを応援してくれているファンの皆さんも、みんな私に期待してくれているのだ。


 それは痛いほどわかっている。


 今まで私は、やはり心のどこかで「アイツ」が出てくるようになってからの自分をそれまでの自分とは連続しない別の存在と考えていて、そんな方々の想いも私ではなく「アイツ」に向けられているもののように感じていた。


 しかし私自身は私と「アイツ」を切り離して考えていても、周りの方々はそのどちらも併せて私として応援し、期待し、支えていてくれたのだ。


 そんな当たり前のことにこういう事態になって初めて気付いたことを、私は心底情けなく、恥ずかしく感じ、申し訳なく思うようになっていた。


 それがわかったからには、その想いに応えたい。応えなくてはいけない。その気持ちに嘘偽りはないのだが、本当にそれが私にできるのかということについて、正直、自信が持てないのもまた事実だった。


 私は帰り際の藍子さんの言葉を思い返していた。


「今回の試練は、奏にはとても大きくて高い壁に見えていると思う。でも、その壁を乗り越えることが出来たら、この先にどんな出来事が起こってもきっとあなたは怯むことが無くなるよ。高い壁の上から見れば、次にそれより高い壁が出てきたとしても、今居る場所から見るよりは遥かに低く見えるでしょ。アイドルの仕事に限ったことじゃない。この先の人生、全てにおいてそうだよ」


 どんなに厳しい内容でも優しい口調で話す藍子さんにしては、珍しく力強く、はっきりとした口調で、私の手を強く握って言っていたことをよく覚えている。


 その感触を思い出しながら、私は一枚のディスクを眺めている。


「家に帰ったら見てみて。ウチのドキュメンタリー映像の製作用に撮られていたものの一部なんだけど、編集の結果、尺の都合で使われなかったからってことで長瀬さんが私にくれたの。大事なものなんだけど、今の奏にこそ必要なものだと思うから特別に貸してあげる。ただ内容は誰にも言わないで欲しいし、恥ずかしいから私にも感想は言わないでいい。それを見れば、美咲が言っていたことに納得できると思うから」


 藍子さんがそう言いながら、別れる際に私に渡したものだった。


 私はベッドから起き上がり、パソコンを立ち上げてディスクをセットした。


 再生ボタンを押すと流れてきたのは、私たちのグループのレッスン風景であろう映像で、レッスンをしているのは一期生の先輩たちだ。


 髪型や雰囲気から初期の頃、それもCDデビュー直前くらいの時期に撮られた映像であることは、メンバーや昔からのファンであればすぐに気付くだろう。


 そこで繰り広げられている先輩たちとダンスや歌の先生たちとのやり取りは、私の知るその方々の様子とは全然違う、別人のようなものだった。


「何度も同じこと言わせるな由良!やる気ないなら帰れ、代わりはたくさんいるよ。どうなの、やる気あるの?黙っていたらわからない、何か言いな!」


「桐生、さっきのとこが完璧になるまで残ってやっていきな。下向いたって出来るようにはならないよ。落ち込むなら家に帰ってからにしな、そこでされても邪魔だから!」


 気が強く底抜けに明るい美咲さんが言葉を詰まらせて黙ってしまったり、何事も真面目に丁寧に取り組み、いつでも前向きな藍子さんが居残り練習に落ち込み暗くなっている。別のシーンでは、常に冷静沈着でクールな葵さんが上手くできない自分に皆の前で声を上げて苛立ちを出すところや、プロ意識の塊で加入前からダンスも歌も上手だったと聞いていた結菜さんが膝を抱えて涙を流しているところも映っていた。


 キャリアの浅い初期だから、デビュー前だからではないことを私は知っている。


 私がまだ一人の麹町ファンだった頃、この映像とそんなに変わらない時期の先輩たちをテレビやイベントで見ている。その先輩たちは今のような貫禄や風格こそ無いものの、決してこの映像の子たちのような不甲斐ない様子を見せることは無く、今と変わらない立派なアイドルであったということは私の記憶違いではないはずだ。


 一方で、私が憧れていた方々は、間違いなくこの映像の中の彼女たちでもある。


 そして同じような風景がいくつか続いた後に、映像は私たちのグループの四枚目シングルのレッスンと思われる場面になった。四枚目シングルといえば、美咲さんが初めてセンターを務めたシングルだ。


 そこには、センターの重圧に押しつぶされそうな美咲さんを励ます藍子さん、葵さんの姿があった。


 それはちょうど私たち二期生が加入した頃の出来事で、入って間もない私たちが憧れ、圧倒され、一生追い付けないのではないかと感じた背中と、今、映像のなかで同期のメンバーに優しくさすられ小刻みに震える背中は、俄かには信じがたいが同じ時分の同じ背中だ。


 この彼女たちが私の知るキラキラしていたアイドルたちであり、今も私が追い続ける大好きな背中たちなのだ。


 その後もよく知る今の姿からは想像できないような先輩たちの様子が続き、最後の方の映像はそんなに昔のものではない、私でもよく思い出せるような時期のものに思われた。


 気付いたら私は涙が止まらなくなっていた。


 さっき一度は理解したつもりになっていた美咲さんの「自分を演じる」という言葉が、それを裏付ける映像を伴って、一生忘れることはないであろうというくらい強烈に私の脳裏に焼き付いていくのを感じる。


 みんなそうだったんだ。美咲さんも藍子さんも、葵さんや結菜さん、都美さんだって凛さんだって、誰一人として自分が自分のまま、普通にしていてあんなに輝いているわけではなかったのだ。


 みんな少なからず、その時々で違う、求められる自分を演じている。


 そしてそのスイッチは勝手に入るものでも、誰かに押してもらうものでもない。自分の意思で押しているものなのだ。


 私は何を勘違いしていたのだろう。藍子さんの部屋で和泉が言っていた通り、先輩たちは特別で初めからアイドルとして求められることが出来ていた。才能がある人は羨ましいだなんて、何もわかっていない人間が勝手に抱く幻想だ。そんなの、この画面の中の先輩たちに対してあまりにも失礼ではないか。


 そんな先輩たちの努力や苦悩を知らず、自分は同じことは出来ませんだなんて、何様のつもりだというのだ。


 私に足りなかったものは才能でも努力でもない。本気と覚悟だ。


 私は今すぐこの世からキレイに消え去りたい、二度と今日までに知り合った人たちに合わせる顔がない、そんな気持ちで胸がいっぱいになり明日の朝が来るのが怖いような気持ちにすらなっていた。


 この消えてしまいたくなるような気持ちを抱えたままでは、私はアイドルだけでなく、その他のどんな仕事も、遊びも寝ることも、生きるのに必要なこと全てができない。そのくらい絶望的な気持ちが私のなかに渦巻いていた。


 こんな私を救えるのは私だけで、その方法は明確。


 私は呟いた。


―自分を演じる。


 今度は「アイツ」の代わりを私がやる番だ。


 不安も恐怖も消えたわけではないが、私が生きていくためにそれが唯一の方法であることを悟ったとき、私の心は固まった。


 やるしかない。


 心のどこかで期待していた「アイツ」が居なくなった以上、この状況を救える唯一の存在は私自身なのだ。上手く出来る自信なんてほんの少しも無いが、上手く出来なかったところで何もやらなかった時より悪くなるわけではない。むしろ少しマシになるくらいだ。


 それに私にはこの二年弱の間、一番近いところから最高のお手本を見せてもらっていたという、これ以上ないアドバンテージがあるではないか。そう思うと今まで見てきた「アイツ」の振る舞いやパフォーマンスが、全て私に向けた教科書のように思えてきた。


 大丈夫、出来る。出来なくても、やる。


 私は、出来るか出来ないかではなく、やるかやらないかという状況であることを理解するとともに、一つの決断を自分のなかで下していた。


 もし次に私がセンターとして振る舞うことを求められたにもかかわらず、その役割を全うできなかった時は、その時には私はこのグループから去ろう。それは、私はこの場に居るべき人間ではないということなのだ。


 それは以前、衝動的に柏木さんに卒業を告げに行った時とは違い、一方的に書き置きだけ残して居なくなるような、交渉の余地を残さないくらい絶対的なものとして実行しようと私は自分のなかで強く誓った。


 それを望んでいるわけではないが、その覚悟をしたことで、私は本気で「アイツ」を演じることに挑めるのだ。


 その結論に達したことで、私はやっと眠りにつくことができた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る