第25話 自分を演じる

 その時、美咲さんより一瞬早く逆側の隣に座っていた結菜さんが口を開いた。


「その映画、ウチのメンバーの籠守沢が出演してるんですよ!」


 結菜さんが珍しいくらいに声を張ってそう言うと、この曲のポジションが二列目であったため後方に控えていた都美さんをカメラが抜き、視聴者に向かって手を振る時間が作られる。


 少しでも時間を稼ごうというのと、一瞬でもカメラや司会者の視線を逸らそうという意図が結菜さんにあったことは、私にもすぐにわかった。


 あの結菜さんが、私のために・・・。


 周りの人たちにとっては一瞬だったと思うが、私には時が止まったのかと思うくらい長い時間に感じられた。それは打ちひしがれていた私が冷静になり、自分が今やらなくてはならないことを思い出すのには十分な時間だった。


 そうだ、上手いこと答えようとする必要はない。「アイツ」だったらどう答えるか、どうするかを思い浮かべて、同じことをするだけでいいんだ。私は「アイツ」を、私を演じるんだ。


 私は短い深呼吸をし、自分の任務を再確認した。


 失うものは何もない。


 自分を演じる。


 そこからの私は、さっきまでの私とは違う、もちろん以前の私とも違うし「アイツ」とも少し違う、今まで誰も見たことのないような私だった。


 私は司会者が仕切り直しあらためて私に質問をする前に、自分の方から気持ち高めの声で話を始める。


「映画の内容が大学生の夏休みの物語なんですけど、なんていうか青春って感じで今度の新曲のイメージとぴったりなんです。ウチの籠守沢も良い演技をしていたので、是非、注目して見てみてください!」


「そうなんだ、なるほどねぇ。青春、自分は満喫してる?」


 司会者がやっと会話が成立することを認識したのか、少し安心したように私に言葉を返した。


 それと同時に、先ほどまで繰り広げられていた単調なやり取りが生み出していた、不安感に溢れた空気から解放されたスタジオが瞬く間にいつも通りの活気を取り戻していく。


「そうですね、私はお仕事をしている今がまさに青春って感じなので、そういう意味では青春していますね。楽しんでます!」


 満面の笑顔で答える私がカメラに抜かれたところでトークシーンが終わり、番組は私たちの歌唱シーンへと移る。


 歌唱ステージに向かう途中、私は結菜さんに声を掛けようとしたが、その真剣な表情を見てやめておいた。


 正確には、やめておいたのではなく、その眼差しに気圧されて声を掛けることができなかったのだ。


 そうだ、まだ終わっていないんだ。


 私はトークシーンを乗り越えたことですっかり一仕事終えたような気持ちになっていたのだが、これは歌番組。歌唱シーンをしっかりキメてみせて、はじめて全ての仕事をやり遂げたと言える。


 私は、もう一度自分に気合いを入れ直す意味を込めて両頬を自分の手で二、三度叩いた。


 そんな私を見て、美咲さんが何も言わず私の背中を叩いた。その目から何を言いたいかは想像がつき、その瑞々しい唇の動きも思っていた通りだった。


―やるよ。


 私は美咲さんの目を見て頷き、静かに曲が始まるのを待った。


 静寂のなか私が一つ息を吐き、オンエアされていることを示すタリ―ランプの灯るカメラの位置を確認して、そこに射貫くような視線を配したところで曲のイントロが流れ始めた。


 曲中、センターは一際カメラに抜かれることが多い。


 そしてその時の私は、その全てに最高の笑顔で応えていた自信がある。


 笑顔だけでなく、歌のソロパートも、ダンスも、全てがこのグループのセンターに相応しいものだったと、当の本人としてはもちろん、モニター越しに見聞きしていたパフォーマンスから客観的にもそう思うことが出来た。


 それはまるで「アイツ」がセンターでパフォーマンスをしているかのようだった。


 私は、一度は解けてしまった魔法に再びかけられたような気分だ。


 今まで私は、何をそんなに恐れていたのだろう。躊躇していたのだろう。もったいぶっていたのだろう。


 自分に与えられた場所があって、自分に求められていることがあるのなら、自分に出来ることを精一杯やる。簡単なことだ。


 もちろん、それを簡単と思えるまでには困難な道のりがあり、私は決して一人でその道を乗り越えてきたわけではないのだが、自分が挑み続けている限りその道が消えてなくなることはないということを、今の私は知っている。


 そんなに単純な話ではないこともわかっている。周りの人に恵まれたことも、それを含めて運が良かっただけであることも、言われなくても百も承知だ。


 それでも確実に言えることは、その運を引き寄せられるかどうかは、自分しだいだということ。


 勝手に諦めていた、何かのせいにしているだけだった、逃げていた私が、その細い糸を掴むことが出来たのはなぜだったのだろう。


 一つだけ思い当たったのは、私があの日、カウンセリングを受けに行ったことと、その理由だった。


 私はどんな状況にあっても、お世話になった方々に唾を吐くようなことは絶対にしてこなかったし、自分に出来ること、正確にはその時点で出来ると思っていることで、そんな方々に少しでも報いることが出来ることがあるのであれば、それをやることには何の迷いもなかった。


 それが今日に繋がるとは思いもしていなかったのだが、よく考えたらあれってカウンセリングじゃなかったんだよな。私って騙されてたんだよな。いつか美談になるかもしれないけど冷静に考えたらヒドい話だな。そんなことを思っていると、ほんの少しだがパフォーマンス中にも関わらず思い出し笑いをしてしまった。この曲が笑顔の似合う夏曲で良かった。


 そうして、ここまでの様々な出来事を思い返しているうちに気が付けば私たちのグループの歌唱シーンは終わり、残る出番はエンディングだけとなった。


 エンディングではその日の出演者のなかで「大物」とよばれる方々を中心とした何人かが手短なコメントをし、司会者が締めの挨拶をしたところで、出演者全員が手を振るステージを撮りながらカメラが引いていって番組終了というのがいつもの流れだ。


 当然、私たちのようなアイドルグループがその場面で話を振られることはほとんどないのだが、この日はまさかの展開に。


 締めに入る前の最後の一組として司会者が触れたのは、私のパフォーマンスについてだったのだ。


「麹町、いい顔して歌っていたねぇ。特にセンター、良かったねぇ」


 思いがけないタイミングでカメラに抜かれる私。急なことだったので驚いたのも事実だったのだが、その時の私はそれすらも楽しめるような気持ちになっていた。


 とっさにカメラに笑顔で手を振り、さらには隣に立っていた結菜さんの頬にキスをしてみせたのだ。


 結菜さんがそれに合わせてカメラに向かい大げさに驚いたような表情を見せたところで、カメラは司会者に戻り締めの言葉に。


「それでは、また来週!」


 カメラがオフに切り替わり、番組は終了した。


 楽屋に戻った私を待っていたのは、藍子さんと美咲さんからの熱い抱擁と、葵さんからの労いのアイコンタクト。そして他のメンバーやマネージャーさん、スタッフさんたちによる拍手と歓声の嵐だった。


 それらがひとしきり終わったところで、私は結菜さんのところへ向かう。


「結菜さん、今日はありがとうございました。それと最後すみません、いきなりキスしちゃって」


 結菜さんが真顔だったため、一瞬、怒らせたかとも思ったが、ステージから降りてすぐにスイッチがオフになっていたかつての私とは違い、まだその余韻に浸っていた私はそんな結菜さんの目を真っ直ぐに見つめることが出来た。


「最後、なんで私だったの?逆側に美咲もいたのに」


 なんでだったのか。それは私にもわからない。ただ、その時はそうしたかったのだ。


「あの時は、他の誰でもない結菜さんだって思ったからです。それに、私と結菜さんのツーショットって珍しいし、見ているファンの皆さんも喜ぶかなって」


 すっかり「アイツ」のような受け答えが板に付いてきた私を見て、密かに美咲さんたちが笑っていたことには私も気付いていた。後で冷やかされてしまうかな。


「何よそれ、私が流れに乗っかってああいう顔したからよかったけど、本当に驚いて戸惑うだけになっちゃったらどうしてたの?」


 結菜さんの言葉に、今度は私が真顔で答える。


「それはないですよ、結菜さんに限って。そこには自信があったので、安心してあんな風にしたんです」


 私は言い終わってから、しばらく結菜さんと見つめ合った。そうしているうちに結菜さんが先に根負けし、思わず噴き出して悔しそうな笑顔を浮かべる。


「もぉ、ホントわからない子だなぁ。なんか意地張るのがバカらしくなっちゃった」


 そう言って着替えに入ろうとする結菜さんを呼び止めて、私はある一つの提案をしてみた。


「結菜さん、せっかくだからもう一つだけ私のお願いに付き合ってくれませんか?」


 結菜さんはキョトンとしながらも、私の提案に乗ってくれた。


 その後、私はあらためて真剣な表情で結菜さんに頭を下げる。


「この間はすみませんでした。今日、結菜さんが助けてくれた時、ホントに嬉しかったです」


 結菜さんも少しずつこんな私に慣れてきたようで、肩に手を回して小声で答えた。


「私だって、この間のままだったらあんなことしなかった。だけど今日は雰囲気が違うようだったから。私の方こそ、この間はゴメン。感情的になって」


 そのやり取りに後ろから耳を傾けていた葵さんが、私たち二人の肩に一つずつ手を乗せて付け加える。


「グループのために前に出ようって子がいたら、いくらでもその力になるに決まってるじゃない。みんな、ウチのグループのこと大好きなんだから。ねぇ、結菜」


 結菜さんが恥ずかしそうな顔を見せて、私の肩に回していた手をほどく。


「もう、葵、そういうのホントやめて。そんなんじゃないんだから!」


 結菜さんは私に言った言葉を聞かれたことが本当に恥ずかしかったようで、顔を赤くしてその場を去っていった。


「結菜さん、さっきの今日中には!」


 結菜さんは少し振り返って小さく頷いた。


 私は結菜さんとの距離が近づいたことが嬉しくて、ここが楽屋でなければ飛び跳ねて喜びたかったくらいだ。


「よし、この後、食事行く人!」


 すっかり気を良くした美咲さんが皆に向かって声を上げると、西尾さんがすかさずツッコむ。


「ダメ、美咲はこれからまだ仕事でしょ。さっさと準備しなって」


 美咲さんがガッカリした表情で膝から崩れ落ちる様子を見て、その場に居た全員で大笑いをした。


「また近いうちに行こうね。結菜も、奏も一緒にだからね」


 藍子さんが美咲さんを慰めて、この日はそのまま解散することとなった。


 帰り道、私は歩きながら空を見上げた。


「月がキレイだなぁ」


 一人呟いた後にふと考えてみると、ここしばらくは夜空を見上げるのも忘れていたことに私は気付いた。同時に、そこで見た久しぶりの月がそれでそのまま祝杯をあげたくなるようなキレイな上弦の月だったことに、私は勝手に嬉しくなっていた。


 私はその夜、帰ってから寝るまでにあまり時間はないだろうが、ファンに向けたブログを更新してから眠りにつこうと考えていた。書くことはもう決めていたから、文章は長くなるだろうけどすぐに書き終えると思っていたのだ。


 その内容は、この日に感じた様々な気持ち、今まで支えてくれた方々への感謝、今日の月がキレイだったこと。そして、そこに結菜さんと楽屋で撮った、結菜さんが私の頬にキスをしている画像を添えることは何よりも先に決めていたことだった。


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