#16『ただ静かに、神隠しの夜は訪れる』

【2021年12月23日(タイムリープから2日目)】



「ターゲットの様子はどうだ」


『たったいま勤務先から帰宅したところです。残業で疲れていたっぽいので、とくに寄り道などもしていませんでしたね』



 ルーチンとなっている塾での講義を終えたあと、王太郎は同ビル内にある非常階段の踊り場にいた。

 ほとんどの塾生は表のエレベーターを利用するため、ここに来れば会話を聞かれる心配もない。そこで彼は周りに人気ひとけがないことを確認してから、注意を払いつつくじらとの連絡を取っていた。



吾妻あづま君彦きみひこ35歳。勤務態度はいたって真面目、人畜無害そうなどこにでもいる普通の会社員。配偶者がおり娘もいるが、単身赴任中で現在は都内のアパートに一人暮らし……か)


 ──そして、不知火を誘拐・殺害した犯人でもある。


 プロファイリングされた資料を読み返しながら、王太郎はその忌々いまいましい顔写真をみて思わず歯噛みした。

 くじらには現在、偵察用ドローン数台を駆使くしして犯人ターゲットの行動を24時間監視させている。当初は王太郎も自ら進んで監視役を引き受けようとしたが、『妹を殺した張本人を前にして、冷静ではいられないだろう』とくじらに判断されたため却下されたのだ。



「とにかく、奴が動き出すとしたらおそらく今夜だ。決して警戒をおこたるな」


『了解です。わわっ、ターゲットさんいきなりシコり始めました。奥さんがいないのをいいことにあんなものまで……』


「連絡終了、切るぞ」


『え、ちょまっ──』



 強引に通話終了ボタンを押しつつ、階段を下りた王太郎はそのまま雑居ビルの玄関口へと向かう。

 ひとまず犯人の行動さえ把握しておけば、たとえいつ不知火が襲われても対応できるはずだ。



(残る問題は、今夜中に家出してしまうヌイをどうやって引き止めるかだが……)



 前回のタイムリープと同様に夜逃げしてしまう方法も考えたが、ガトラベル・アインスの飛行機能が万全ではないことを知った今となっては、あまり得策ではないとして選択肢から除外することにした。

 理由は学校……ひいてはこの街から離れた場所に移動してしまうと、25日まで動けないガトラベルが駆けつける前に、王太郎自身がオルカに捕らえられてしまう危険性が高いからだ。


 タイムリープのかなめでもあるガトラベル──その待機地点である学校からなるべく離れずに、不知火が誘拐される未来を回避する。

 なおかつ犯人にも直接接触し、“真相”を問いただす必要がある。



(いっそヌイと犯人が接触するまで待ってから、現場を取り押さえるか? だが仮にくじらの言っていた“仮説”が本当だった場合、吾妻君彦ターゲットが未来の記憶を持った時間遡行者タイムリーパーである可能性も否めない……そんな得体の知れないやつと鉢合はちあわせして、オレは本当にヌイを守りきれるのか?)



 誰か護衛役ボディガードが欲しい。

 そんなことを考えながら夜の駅前広場を眺めていたそのとき、不意に意識の外から声をかけられた。



「坊ちゃん、遅くまでお疲れ様です。お迎えにあがりました」



 顔を向けると、目の前で停車した車の窓からひょっこりと顔を出すメイド──霧咲ざくろがそこにいた。

 こんななりをしているが、これでも彼女はボディガードとして体術の訓練を受けている。本人曰く、刃物を持った成人男性が相手でも対処できるくらいには凄腕とのことらしい。



「? なにをボーッとしているのですか、はやく乗らないと置いて行ってしまいますよ」


「……霧咲。今から話すことはとても信じ難いことかもしれないが、すべて真実だ。だから、落ち着いて聞いてくれ」



 ──彼女なら、きっと協力してくれるに違いない。


 そのように踏ん切りをつけた王太郎は、一呼吸を置いてから打ち明けた。



「オレは2031年から、未来を変えるためにタイムリープしてきたのだ」





「吾妻、君彦……」


「知っているのか?」


「……いえ。勤務先が海神わだつみグループの傘下企業とのことだったので、もしかしたらニアミスくらいはしているかもしれませんが」



 信号待ちの間にプロファイルを見せると、ハンドルを握っている霧咲は怪訝けげんそうな面持ちでそれをながめる。


 彼女にはこれまでの経緯をすべて話した。

 もちろん霧咲のほうも当初は冗談半分のつもりで聞いていたようだが、不知火が死ぬ運命にあるという話を聞いて顔付きが変わった。

 さらに『隠していたオタク趣味を言い当てた』という昨日の出来事もあり、最終的に彼女は王太郎の告白を聞きれてくれたようだった。



「確かに昨日から、坊ちゃんの様子がどこかおかしいと感じてはいましたが……」


「やはり、信じられないか?」


「いえ、むしろ少しに落ちました。いつもの坊ちゃんなら、ジョークはもっと面白くないハズですし」


「……言うではないか」



 王太郎は口を尖らせつつも、しかし内心ではこの上ない安堵感を抱いていた。

 いくら人並み以上に自信家である彼といえど、犯人を追い詰めることに微塵みじんも不安を感じていなかったわけでは決してない。だが、彼がもっとも信頼を置いている侍女じじょ──霧咲の協力を得られた今なら話は別だ。



(フッ……いつの時代でもお前は、オレにとって最優の右腕のようだ。これならヌイの身柄を守りつつ、逆に吾妻ヤツを捉えることもできるというもの……!)



 あとは尋問や拷問なりして事情を吐かせることができれば、ひとまず第1の課題ミッションは達成されるだろう。

 流石の王太郎もここまで事が順調に運ぶとは思っておらず、良い意味で肩透かしを食らったような気分になった。



「念のため確認しておきたいのですが、不知火様が家出なされたのは今夜の10時30分頃……ということでよろしかったですか?」



 しっかり前を見て運転しつつも、霧咲は助手席に座る王太郎へと訊ねてきた。

 王太郎も同じ方向を向きながら、受け答えに応じていく。



「ああ、そうだ」


「誘拐の被害にう時刻は?」


「正確な時間はわからない。ただ一つ言えるのは、家を出た23日の夜から25日朝までの間に犯行が起きた……ということだけだ」



 オリジナルのタイムラインでの出来事を頭の中で整理しながら言うと、霧咲は『そうですか』とだけ告げて再び運転に集中する。

 王太郎のポケットから携帯バイブの振動音が鳴り出したのは、ちょうど同じタイミングだった。



「さっき話した未来人だ。出てもいいか」


「どうぞ」



 霧咲から承諾しょうだくを受けた王太郎は、すぐさまかかってきた通話に応じる。

 しかし耳元に当てられたスピーカーから発せられるくじらの声は、緊急事態とはとても思えないほどに呑気のんきなものだった。



『お兄様ぁ、大変なコトになりました』


「どうした!? もしやヤツがついに動き出し……」


『逆です、逆。ターゲットさん、ちぃーっとも家から出る気配がないんですよう! 今だって安酒やすざけをかっくらいながら急に泣き始めちゃいましたし』


「は……?」



 予想とはあまりにも大きくかけ離れた犯人ターゲットの行動に、王太郎の思考が思わず混乱しかける。

 仮にもこれから誘拐事件を起こそうとしている人間が、アルコールを多量摂取しはじめただと?

 まさか酔った勢いで身代金誘拐を起こしたというわけでもあるまい。計画的に犯行が行われたという点については、手口からしても間違いないのだから。



「つ、つまり……ヤツが誘拐を決行するのは今夜ではなく、明日だということか……?」


『それも否定はしきれませんが、可能性は低いでしょうね。少なくとも日中は出勤しなければならないでしょうし、欠勤なんていかにも足がつきそうな真似を犯人がするとは思えません』


(どういうことだ……?)



 考えられる可能性は三つある。

 一つ目は、誘拐事件の起こるエックスデーが今日ではなく明日──12月24日だったという場合だ。

 先ほどくじらも言っていたように、社会的には普通のサラリーマンである吾妻君彦が、労働時間である9時〜18時の間に犯行に及ぶとは到底とうてい考えにくい。つまり犯行時刻は(定時に退社したとして)明日の18時以降……夜に行われたと推測するのが妥当だろう。


 二つ目は、犯人側に協力者がいたかもしれないという可能性だ。

 王太郎が辿ったオリジナルのタイムラインにおいて、吾妻君彦は単独犯として捕まっていたし、DNA鑑定の結果からも組織性は低いとされていた。

 だが現時点でその犯人が動き出していないとなれば、本当はグループを組んでいたかもしれないという考えが頭をぎってしまう。もしそうなら、吾妻君彦はまるで『単独犯に見せかけるための人柱とされた』ということになりかねない。




 そして、三つ目。

 もし吾妻君彦が、としたら。

 彼が犯人であることを決定付けた証拠も、実はすべて偽装工作で、彼ではない誰かが“真犯人”なのだとしたら。


 少なくとも2日間ほど監視をした限りでは、彼が重犯罪を起こすほどの悪人とはとても考えにくい……というのも事実だった。監視結果を逐一報告してきたくじら曰く『遠くで暮らしている家族との電話が唯一の楽しみな、とても寂しい思いをしている人』とのことである。

 もしかしたら本当に彼は、この事件には一切関与していないただの一般人なのかもしれない──



(……いや、最後はさすがに考えが飛躍ひやくしすぎか)


『お兄様?』


「とにかく、監視は続けてくれ。また何かあれば連絡しろ」


『はいですっ……まあ、放っといても今夜は酔いつぶれそうですけどね。だってもう11時を回っちゃってますしぃー』


「切るぞ」


『ちょ』



 このままたわいもない話を延々と続けたがっていたと思われるくじらとの通話を強引に切り上げつつも、王太郎はやや強張った表情になりながらポケットに携帯電話をしまう。

 先ほどまで乗りに乗っていた興も、今のやり取りでほんの少しだけ削がれてしまった。ただでさえ不知火が家出をしてしまう10時半頃まで、もうあまり時間がないというのに……



(……ん? 『もう11時』……だと……?)



 ついさっきくじらが何気なく呟いていたのを思い出し、王太郎は急激に不可解さを覚える。

 なぜならその時刻を迎える頃には、もうとっくに家へと到着しているはずだからだ。なのに車は相変わらず走り続けており、家にも一向に着く気配がない。


 さらに辺りを見回してみると、たったいま走っている道にまるで見覚えがないことに気付く。

 間違いない、そもそもこの車は──!



「お、おい。霧咲……」


「坊ちゃん。今日のあなたは本当におかしいことだらけですよ……まあ、10年後から遥々はるばる飛んできたわけですし、覚えてなくても無理ないでしょうけど」


「な、何を……?」



 人気のない直線道路を走行しながら、急に異様な雰囲気を放ちはじめた霧咲に戦慄する。

 そう、それはだった。

 オルカに向けられた敵意とは違う、本物の殺気──それを今、彼女は主人である王太郎に対してはっきりと向けている。



「たとえばこの車も、いつもと同じものではないのですが……普段は神経質なはずの坊ちゃんは、なぜか全くと言っていいほど気に留めていませんでしたね」


「なっ……」


「ああ、盗難したわけではありませんよ? たまたま車検に出さなければいけない時期だったので、代車を借りているというだけの話です。……もっとも、多くの人に使い古されるこの車から、指紋などを検出するのは極めて困難でしょうが」



 隣の運転席で喋っている霧咲は、もはや王太郎の知る彼女ではなかった。

 鉄の仮面マスクを被ったような無表情のまま、淡々と語り続ける。



「本来なら、不知火様のほうが私の理想とする“条件”を満たしていたのですよ。でも、仕方ありませんよね? タイムリープなんて奇想天外なものを引き合いに出されてしまったら、こちらも手段を選んではいられませんから」


「き、霧咲……まさか、お前が……」


「しかし奇妙な感覚です。まるで頭の中を覗かれたみたいに、貴方は私がひそかに立てていた計画の内容を言い当てた。……ですが、しくも“真相”までは辿り着けなかったようですね」



 気がつくと、王太郎の首筋には細い注射針が突き立てられていた。

 何らかの薬品と思わしきものが注入され、ひんやりとした心地の悪い感覚が、首から全身にかけてをおかしはじめる。

 またそれにともないい、段々と意識も朦朧もうろうになってきた。すべてが遠くなっていくのを感じながら、王太郎はまだかすかに残る思考の残留をき集めて問いかける。



「な、ぜ……だ……?」


「坊ちゃんにはきっとわからないでしょう。世界の中心に立っている貴方には、私ごときが抱えている痛みなど……決して」



 その言葉を聞き届けたのを最後に、王太郎の意識もそこで途切とぎれた。

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