FIRST TRAVEL/誘拐殺人事件 その②

#13『そして、すべてを失った男は……』

【2021年12月25日(タイムリープから4日目)】



 戦場からオート操縦で飛び去ったガトラベル・アインスは、郊外の森林に不時着した。あたりに生物の気配など欠片かけらも感じられない……ひっそりと静まり返ったその閉じた世界に、王太郎は人知れず降り立つ。


 時刻は午前6時過ぎ。

 冬の太陽がようやく顔を出し始めたその頃、彼は枯れ果てた森の中でうれいの海に沈みきっていた。



「ヌイ……くじら……」



 地面でうずくまっている王太郎の真正面には、折れた枝を組み合わせた簡素な墓標ぼひょうが立てられている。言わずもがな、彼が森の木々を利用して作ったものだ。

 その下にはコックピット内で生き絶えたくじらの遺体が埋められているが、不知火のものはない。彼女の体は襲撃にったあの場所に残され、王太郎は髪の毛の一本たりとも手にすることができなかった。



「オレの身勝手な行動のせいで、ヌイを……くじらまで殺してしまった……」



 素朴な十字架の前にひれ伏しながら、王太郎は熱い涙を浮かべてうめく。

 今度こそ不知火を暗闇から連れ出してやりたかったのに、救えなかった。

 逃げることを勧めてきたくじらを無視して、彼女に深すぎる傷を負わせてしまった。



「オレが……二人を……」



 冷たい森の地面で丸まっている王太郎の背中には、すでに妹たち二人分の命が背負わされてしまっている。

 ……いや、二人どころではない。これまでにも王太郎は自らの目的を果たすために、それこそ何十、何百人という犠牲を払い続けてきた。

 もはや暴君とさえ言えるその所業が、人道に反していない筈がない。これほどの破滅に追いやられるまで、彼はそれを自覚していなかった……否、自覚していないフリをしていたのだ。



「カネシロ・オウタロウ……残念ながら妹の死は、全てあなたの行動が招いた結果だ」


「……っ!?」



 おびえきった顔を上げると、すぐそこに銀髪の少年が立っていた。

 まさか、もう追いつかれてしまったというのか? ──そんな理性的な発想に今の王太郎が辿り着けるはずもなく、彼の思考は込み上げてくるような激しい恐怖によってあっという間におおい尽くされる。



「ぁ……うぁっ……」


「言ったでしょう、過去の改変は許されないと。あなたが秩序を乱すというのなら、こちらもしかるべき処置をとらせていただくだけです」



 その少年──オルカは冷徹れいてつとも同情的ともとれる顔で見下ろしながら、王太郎にどうしようもない現実を突きつける。

 “時の流れに逆らってはいけない”という、現実を。


 ああ、そうだ。

 都合のいいように歴史を書き換えようとした自分はきっと、この世界にとってのガン細胞だったのだ。時の番人タイムキーパーによって切除されるのは道理といえるだろう。

 『いずれ世界のすべてを手に入れる』という肩書きなど、所詮はただの幼稚ようちな自分が思い描いていた絵空事でしかなかったのだ。



「ゆ、許してくれ……違法な真似をしていたなどと、し、知らなかったのだ……っ! な、なんでも……なんでもする……!」



 幼児が嫌々をするように、王太郎は弱々しく首を振りながらも後ずさる。

 オルカからの返事はなかった。代わりに──彼の背後にそびえている機械仕掛けの巨人が、恐ろしく冷たい眼光を放ちながらこちらに狙いを定める。

 その右腕に備えられた鉄杭の先を突きつけられたとき、王太郎は身体中に刻み込まれた恐怖心を想い出し、今度こそ本当に死を覚悟した。



「うへあぁっ……!?」



 情けない悲鳴を小刻みにあげ、王太郎は力強く目を瞑った。

 ……が、その切っ先が彼の胴体をつらぬ穿うがつよりも前に、とつぜん意識の外から何者かに抱きつかれたことによって、悪夢から現実世界へと引き戻される。


 気がつくと、目の前にオルカの姿はなかった。

 というよりは、『そもそも彼は初めからこの場にいなかった』というほうが正しい。どうやら精神に過剰なストレスの負荷が掛かっていたため、有りもしない幻覚を見てしまっていたようである。



「お兄様、どうか落ち着いてください。まだオルカくんにこの場所は見つかってません。だから、大丈夫……大丈夫ですからっ」


「え、あ……?」



 すぐ真後ろから、ここにいるはずのない少女の声が届く。

 あまりに奇妙な感覚だった。夢の世界からようやく目覚めることができたと思ったら、まだ白昼夢を見続けていたような、まるで現実味のない心地。


 だが、彼女はたしかに現実ここにいる。

 背中越しに当たる胸が、その奥底で脈打つ心音が──彼女の実在を何より証明している。



「お、おまえ……なぜ生きて──」


「う……うしろ、その、まだ見ないでください。絶賛お色直し中なので」



 驚いて後ろを振り返ろうとした王太郎だったが、すぐにくじらによって呼び止められてしまった。

 背中に密着した彼女の体から、なにか人肌の生暖かさのようなものを感じ取った王太郎は、言われた通りに正面を向き直ってから改めて問いかける。



「どういうことだ? お前がここにいるはずがない、だってお前はさっき……」



 その先の言葉をいいかけて、喉奥まで出かかったところで踏みとどまる。

 彼が思わず躊躇ためらってしまったのは、目の前に突き立てられた墓標──その下にを埋めたときの冷たい土の感触が、かじかんで震えている掌にまだ色濃く残っているからであった。

 氷のように冷たくなっていく彼女の肌を、とめどなく溢れてくる赤い血の熱さを、この手はしっかりと覚えている。



「……確かに、死んでいた。刺さっていた破片はできるかぎり取り除いてから、遺体をそこに埋めた……あの状態から蘇生そせいできるわけがない」


「お兄様は、何をもって“生命の死”の基準を定義していますか?」


「オレがいま聞きたいのはそんな言葉遊びじゃない! あいつは……鋼城くじらは、オレの目の前で死んだのだ……あれは決して夢なんかじゃなかった」



 ──どうせなら、悪い夢であって欲しかった。



「ええ、その通り。すべて現実で起きた出来事です」


「……お前はだ?」



 念を押すように問い詰めると、くじらはどう答えたらいいのか悩むようにしばらく『うーん……』と唸ってから、ようやく王太郎の質問に答え始めた。



「あえて説明するなら、2340秒前に機能を停止した生体義肢クローンボディ──つまりが遺したバックアップデータから再生成されたのが、です」


「バックアップ……記録されていた情報から肉体を復元した、ということか?」


「厳密にはいまも復元中、ですが。生体義肢クローンボディ内を循環しているナノマシンが安定するまでは、まだ少し時間がかかりそうです」



 要約すると、肉体的に一度死んでしまったくじらは別に“実は生きていた”わけでも“ゾンビのように死体から蘇生した”わけでもなく、ガトラベル・アインスの機体内に保管されていた人格情報パーソナルデータから、また新たに肉体をということらしい。


 まるで人間の身体をあたかももののように語るくじらには、さすがの王太郎も面食らったが──あくまで22世紀の技術水準での話だということを踏まえれば、完璧に理解は出来ずともとりあえず納得することくらいはできた。



「フッ、未来人は“命知らず”か」


「科学文明の進化が行き着いた先です。……まあ、ほこれるほどイイモノでもありませんでしたけど」


「未来のことなんぞどうだっていい。どうせオレも、奴に始末されてしまうのだから……」


「お兄様……?」



 きょとんとした声を上げるくじらに対し、王太郎はすべてを諦めきったような顔で語り聞かせる。



「お前だって見ただろう……? タイムトラベラーが歴史に干渉しようとすれば、そこには番人オルカが必ず現れる。時の秩序を乱すことは許されない」


「お兄様、それは違いま……」


「違わないさッ! ああ、そうだ……これはきっと償いなのだ。今まで罪を犯し続けてきた、オレが受けるべき罰……オレのせいで、こんな──ッ!?」



 危うく自暴自棄になりかけていた王太郎は、不意に後ろから顔を両手で掴まれ、無理やりくじらのほうを振り向かせられた。

 そして直後、王太郎は目を見開いたまま絶句してしまう。

 弱気な言葉を紡ごうとしていた口を、唇によって塞がれてしまったからだ。


 食らいつくようにくじらのほうから唇を重ねられ、それまで物思いに耽っていた思考が一瞬で吹き飛ばされる。

 嵐のような肌の熱りが、いまこの瞬間の二人を支配するすべてだった。



「落ち着きました?」


「あ、ああ……」



 やがて唇が離れると、王太郎は驚いたようにくじらの顔を見やる。

 少し気恥ずかしそうに垂れた前髪で目線を隠した彼女は、衣服というものを一切まとっていなかった。

 小柄ながらも発育のいい女性らしい体つきはそれだけでも十分に魅力的だったが、王太郎が目を奪われたのはそこではない。


 くじらの尾てい骨よりもやや上──仙骨にあたる部分から、有機的な機械繊維で構成されたケーブルが伸びていたのだ。

 いくつもの細い糸をロープみたく一本に束ねたそれは、目で追っていくとガトラベルのコックピットブロックから延びていることがわかる。まるで蛇のうろこのように黒光りしている見た目の印象も相まって、悪魔の尻尾を彷彿ほうふつとさせた。



「幻滅、させちゃいましたよね」


「いや……というか、それは一体……」


「これもいわゆる、ヒトと科学の進化が行き着いた“末路”ってやつです。ねっ。人が夢見た未来って、笑っちゃうくらいロクでもないでしょう?」



 くじらは自嘲気味な笑みを浮かべながらうまく言葉をにごす。

 どうやら彼女は質問に答えられない……というよりも、あまり答えたくない様子だった。

 なにか事情があることを察した王太郎も、それ以上深く追求することはしなかった。その気遣いに心から感謝しつつも、くじらは続ける。



「私のいた22世紀では“命”の定義も、この時代とは全く異なるものでした。でも、限りあるヒトの命はとおとばれるべきだと……私は思います」


「尊ばれるべき、命……」


「今ここでお兄様がすべてを諦めてしまったら、誰が運命を変えるんですか? 誰が不知火ちゃんを、闇から救ってあげられるんですか?」


「……っ!」



 それまで滞っていた身体中の細胞へと、とつぜん生命のガソリンを注ぎ込まれたかのように──王太郎はハッと目を見開く。

 自身の命の危機に怯えるあまり、それより重要な目的さえも見失いかけてしまっていた。



「運命を……妹が死ぬ結末を、変える……」


「はい。それができるのは、お兄様だけです」


「だが……出来るのか? 歴史を変えようとすれば、否応なくオルカあいつは現れる。戦って勝てる見込みなど──」



 ──おそらく、1パーセントにも満たない。

 そう紡がれようとしていた王太郎の後ろ向きな言葉は、帳消しにするほど前向きなくじらの言葉によって遮られた。



「たとえ0.001パーセントでも勝算があるなら、そこに賭けてみるべきです。自慢じゃないですが、私のアインスちゃんは中々の本命馬だと思いますよ」


「どういう意味だ……?」


「要はんです。無限に近い選択肢があるなら、当たりを引けるまで何度も挑戦すればいい……ガトラベルには、それを可能にする能力チカラがあります」



 くじらの提案はあまりにもシンプルで──だが同時に、修羅の道であることも目に見えていた。

 ともすればそれは、成功率の極めて低い綱渡りを何度でも繰り返すようなものである。ガトラベル・ツヴァイが“無敵”となれる112秒……その永遠にさえ思える刹那を生き抜くまで、果てのない死線を彷徨うこととなるのだ。



『でも、あの日。“ヌイ”って久しぶりに呼んでもらえたとき……昔の、私に優しくしてくれた頃の兄さんに、戻ってくれたような気がして……少し、嬉しかった』



 今朝、不知火から赤裸々に打ち明けられた言葉を想い出す。

 ずっと見たかった笑顔が、そこにはあった。

 もう永遠に見れないと思っていた……そして守りきれなかった、妹の安心に満ちた顔が──



「? お兄様……?」


「未来ではどうだったか知らんが、そんな格好をしていては風邪を引く。……はやく機体に戻るぞ」



 王太郎は抜いだ上着をそっとくじらの肩にかけてやると、彼女と臍の緒のようなケーブルで繋がれている鋼鉄の人型を仰いだ。

 タイムマシン“ガトラベル・アインス”。その胴体部にはパイルバンカーで貫かれた大穴がまだ痛々しく残っていたが──他の箇所よりも強固な装甲で覆われた両肩のタキオン粒子加速用ユニットだけは、あちこちに戦闘痕こそ刻まれているものの、使用にはなんら問題のない状態だった。


 時間の移動能力は奪われていない。

 この機体は、まだ



「『嬉しかった』……と、ヌイはオレに告げてきた」



 退路を自ずから絶つように、そして自らを奮い立たせるように──王太郎はこの場にいない実の妹に向けて、力強く言い放つ。



「それは違うぞ、我が妹よ……お前が掴み取るべきしあわせが、そんなちっぽけなモノであっていいはずがない。この地球上にいる誰よりも、お前は幸福にならなくっちゃあいけないんだ」



 それを阻害せんという者が現れたならば何者だろうと、たとえ神だろうと殺してやる。

 どうせ元より数えきれないほどの罪で塗れているのだ。ならば、己のエゴイスティックな願望を叶えるためだけにこの身を汚しきってやる。

 悪魔と相乗りする勇気が必要だというなら、いっそ堕ちるところまで堕ちてやる。



「何故なら……お前は世界の中心にいる男の、妹なのだから……ッ!!」



 その為ならば、オレは何度でも運命きさまに抗ってやる。

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