#14『何度でも、男は世界を廻り廻って』

「『宇宙や太陽を創ったのは神だ。だが“時間”というものは、人間ひとの発明である』──私のいた時代みらいには、そんな言葉があったんですよ」



 男の横に並び立っていた少女は、そう言いながら一歩前へと出た。

 二つの人影を取り囲んでいるのは空も太陽もなく閉鎖的で、かつ壁も天井も存在しない広く開放的な空間。ただ夜空に浮かぶ星のごとく、不規則に散りばめられた針表示式アナログの時計たちが、それぞれバラバラに針を刻んでいる。

 “此処ここ”は、そういう心象セカイだった。



「本当はこの宇宙に“時間”なんてものは存在しない……けれど人間は、確かに“昨日”や“今日”、そして“明日”を観測している。それは何故だかわかりますか?」



 水先案内人ナビゲーターでも気取っているのか、少女は航海の途中にさまざまな話題を持ちかけてくる。

 退屈なのは事実なので、男も渋々それに付き合うことにした。



「人は自分の経験したことを、頭の中で体験した順番通りに整理するからだ」


「正解です。私たちは記憶というビデオテープに、ただ“昨日”や“今日”という分類記号ラベルを当てがっているに過ぎない……つまりは“時間”っていうモノもあくまで記憶の累積であって、人にとって何かと都合がよかったから、そう呼ばれるようになったってだけなんですね」



 時間とは相対的存在であり、絶対的存在ではない。

 昨日かこ明日みらいは同じ場所にある。ただ、“経験する順番”が違うだけ。


 人がこの世に生を受けた瞬間から、すでに運命レールの先に“死”という結末を用意されているように──この宇宙もまた誕生したときに、終焉を迎えているのだ。



「人間だけが“時間”を持つ──か、くだらん言葉遊びだ」


「でも、偉大な発明です。この宇宙にある10の80乗個もの原子の配列に、呼びやすい名前が付いたんですから」



 無数の分子によって成り立っている世界では、まるで立体構造を持つパズルのように、常に目まぐるしく組み合わせが変化し続けている。

 その配列変化の軌跡こそ我々が“時間”と呼ぶものであり、日付や年代とは言わば“世界配列“そのものに名付けられたラベルなのだ。



「お兄様。あなたにとって2021年の出来事は過去かもしれませんが……これから行き着く2021年は、お兄様の未来とも言える場所になります」


「オレが過去の時代に到着したその時点で、すでにそこは“オレの経験した過去”ではなくなっている……ということか」


「はい。ですので厳密に言えば、たとえタイムマシンでも『過去に戻る』ことはできません。なのでお兄様はこれから、『過去という未来に進む』ということになりますね」


「言い得て妙だな。それもお前の時代にあった言葉か?」


「いえ、私の言葉です。えっへん」



 2021年も2031年も、同じ場所に存在している。

 両者の違いは(人から見て)10年分の変化を遂げた分子構造配列と、人々の記憶の中にしまわれる場所が異なることだけ。

 そしてもしも未来の人間が記憶を保持したまま過去に遡行した場合、世界配列はその人物の経験した過去とは違う形へと書き換わってしまうのだ。


 全ては“同じ宇宙”で起こっている出来事。

 なので彼女のいた時代においては、タイムトラベルによって親殺しのパラドックスや並行世界パラレルワールドへの分岐などといった現象も(基本的には)発生しないということになっているらしい。


 ただ、過去という未来に時計の針を進めるだけ。

 この鋼鉄の方舟──ガトラベル・アインスに備えられた能力は、たったそれだけのものだった。



「さて、そろそろ舟もします。到着したら、私がさっき教えた合流場所にちゃんと来てくださいね」


「わかっている」



 男は神妙にうなずくと、この刹那にして永遠に及ぶ航海の到着点を見据える。

 広大な星の海原を超えた先にあったのは、“過去”というラベルを貼り付けられた記憶の引き出し。その封を切った瞬間、世界は再び“当時の配列状態”を再現するために大規模な組み替え作業を始めることとなる。



 ──過去を振り返るな。


 ──そして、未来を恐れるな。



 覚悟を瞳に灯した男は、まっすぐに前を見つめる。

 恐怖などすでに克服していた。一度折れてしまった心はより強固な剣となって、その切っ先を運命の支配者たる神の喉元へと突き立てようとする。


 妹をこの手で救い出す。もう迷いなどない。

 その障害となるものは全て滅ぼしてやる。そう誓ったのだから──



(そうとも……たとえ理不尽な運命だろうと、オレを止められるものは何もない。なぜなら世界は、いつだってオレを中心に回っているのだからな……!)



 男を乗せた方舟を軸にして、せかいはまたグルグルとまわりだした。

















 目を開けると、猛烈な既視感デジャブを覚える天井の光景が視界に広がっていた。



「ようやくお目覚めになりましたか、坊ちゃん」



 おおよそ予想していた通りの声をかけられ、ソファの上で目覚めた王太郎はゆっくりとそちらを見やる。

 椅子に座りながらブックカバーのついた文庫本を読んでいるその女性は、やはり霧咲ざくろだった。王太郎はしばらく部屋を見回してから、気の動転を抑えきれないような深刻な顔で自分の付き人を見つめる。



「……? わたくしの顔に何かついていますか」


「き、霧咲……お前、また綺麗になったんじゃないか?」


「は?」



 ひどく可哀想な目で見られた。



「坊ちゃんが人を褒めるときは大抵なにか裏があると確信していますが一応ありがとうと言っておきます。日々のお手入れも欠かさない大人のレディですので」


「フフフ……大人のレディを自称するやつが何食わぬ顔でラノベを読んでいるのもどうかと思うがな?」


「む、ブックカバーを付けているだけイイではありませんか。鋼城家の侍女たるもの、TPOはしっかりとわきまえておりま……」



 そこまで言いかけて霧咲はようやくその会話のに気付いたのか、思わず首を傾げた。



「はて……? 私の密やかな趣味たのしみを坊ちゃんにカミングアウトしたことがありましたっけ?」


「いいや、5年後くらいにオレのほうが興味を持つのだ。ついでに言うと、コスプレ作りの趣味が高じてメイド服を好んで着ていることも知っているぞ」


「それはなんと、この霧咲ざくろ一生の不覚です。よりにもよって顔と学力だけは一流のエリートクソ野郎に秘密を知られてしまうとは……あとその『5年後』というジョークは全く面白くないです」


「おい」



 言葉のわりにそこまでダメージを受けていない様子の霧咲は放っておきつつ、王太郎は壁にかけられたカレンダーへと目を向ける。

 日付は2021年の12月日。やはりこれも王太郎の予想していた通りであった。



「ところで坊ちゃん、先ほど送られてきたメッセージですが……」


「不知火はこの家に帰っているか?」



 確認しておきたかった情報をだいたい把握し終えた王太郎は、念のためこの質問を投げかけてみる。

 霧咲のほうも何かを聞きたげだったが──いつになく真剣な王太郎の眼差しを見て、彼女はそれまで言いかけていた発言を引っ込めた。



「不知火様ですか? 彼女なら先ほど帰られていましたが」


「ならいいんだ」



 それだけ聞いて安堵の息をつくと、王太郎はすぐにソファから起き上がる。

 一方で霧咲は先ほどの問いの意図をまだ測りかねているのか懐疑的な面持ちのまま、リビングを出て行こうとする主人を呼び止めた。



「坊ちゃん、どちらへ?」


「学校だ。ノートを置いてきてしまってな」


「塾の時間まではまだしばらくありますが……何でしたら車をお出ししておきましょうか」


「いらん、今日は一人で歩きたい気分なんだ」

 


 そう言って強引に会話を打ち切ろうとする王太郎だったが──



「坊ちゃん」



 と、なおも霧咲が後ろから呼び止めてきたため、やや不機嫌そうに振り返る。



「なんだ、まだ何かあるのか」


「まさかとは思いますが、のままお出かけなさるつもりですか?」


「はやく言わんか」



 西暦2021年12月22日、タイムリープから1日目──その

 自分が今まさにノーパン健康法を試していた途中であったことは、すっかり記憶から抜け落ちてしまっていた。

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