#15『さすれば、望む結末へ辿り着ける』

 アニメや漫画、映画などの世界の学校では必ずといっていいほど高確率で屋上が自由に解放されているが、実際には危険防止のため立ち入り禁止になっているケースがほとんどである。

 そのため一般の生徒はほとんど屋上に立ち寄ることを許されておらず、また侵入する手段も限られているが、元生徒会長にして学年トップである王太郎の場合はそうでもなかった。



「ほいこれ、鍵だよン」


「どうも」



 まず職員室へと立ち寄った王太郎は、ちょうど居合わせたガタイのいい体育教師から鍵束を受け取った。

 よほど暇なのかそれとも仕事に戻りたくないのか、教師はそのまま扉の前で立ち話を始めようとする。



「しかし野口先生もヒデェ人だよなァ。よりによっていま勉強が一番大変な鋼城に野暮用を押し付けるなんてよォー」


「ハハハ、あまり悪く言わないであげてください。ちょっと理科準備室の掃除を頼まれただけですよ」



 もちろん本当はそんな頼み事など受けていなかった。

 つまりは架空の嘘偽りをあたかも事実のようにでっち上げたに過ぎないのだが、そうとも知らない教師が王太郎を疑う気配は微塵もない。

 それだけ学校創立きっての優等生──しかも巨大企業の御曹司でもある彼に、この学校の大人たちは何処までも甘かった。


 ともあれ“鍵”を難なく入手することに成功した彼は、会話を早めに切り上げると、その足で理科準備室……ではなく屋上へ向かう。

 放課後で誰もいない南校舎の階段を上がり、鍵束を使って錠前を開く。そうして屋上への扉を開くと、誰もいない視界の開けた空間が王太郎を迎えた。



(む……誰もいないのか?)


「おーい。こっちですよ、お兄様っ」



 すぐに声のした方角を振り返ると、給水塔の上に捜していたくだんの少女がいた。

 12月の冷たい風に靡かせているのは、もはや見慣れたショートボブの銀髪。しかし首より下に纏っているのはぴっちりとしたパイロットスーツではなく、どこから調達したのかブラウスとミニスカートの制服姿だった。

 冬らしく暖かそうなピンク色のセーターを着ており、さらにその上から皺ひとつない白衣を羽織っている。両脚に履いている白いニーソックスの印象も相まって、全体的にとにかく白く、白っぽかった。



「……おい、タヌキ娘。なぜそんなところで仁王立ちをしているのだ」


「ふふふーん、天才のくじらちゃんはたとえブロック一段分でも高い場所をこよなく愛しているのですっ」


「(無言で拍手パンッを一回し、片手でVサインツーを作り、OKサインでマルを表し、水平にした手のひらを額に当てるミエ)」


「…………ひゃあぁっ!?」


(ふん、ヴァカめ。そんな高い場所にミニスカでいるからそうなる)



 下着の色が白ではなかったことは胸にしまっておきつつも、王太郎はようやく梯子を降りてきた少女──鋼白くじらと再び対面することが叶う。

 彼女が二度目のタイムリープ後の“合流地点”として指定したのも、この屋上ばしょだった。



「……ふ、ふ、ふふーん。くじらちゃん天才ですから、この程度のことくらいじゃ動揺なんてしませんしぃー?」


「今さら強がっても遅いわ。この背伸びぱんつタヌキめ」


「せのっ……てかさっきからそのタヌキ呼ばわりはなんなんです!? まるで人を22世紀からきた猫型ロボットみたいにーっ!」


(思ったよりも噛み付いてくるな、コイツ)



 くじらに対してはどこか飄々ひょうひょうとして掴みどころがないという印象を抱いていたが、実際のところ根は意外と子供っぽいところがあるのかもしれない。

 胸中でそのように彼女への認識を改めつつも、王太郎は先ほどからずっと気がかりだった話を切り出す。



「それで、ガトラベルは一体どこに隠したのだ? あれほどデカい機体を誰にも見つからずに隠せる場所が、この東京の街中にあるとは到底思えんが……」


「? アインスちゃんならお兄様の目の前にいますけど」


「何だと?」


「もちろん不可視モードにしてありますけどね」



 そう言ってくじらは五、六歩ほど前へ出ると、何もない空間をノックするように手の甲で軽く叩く。

 ……いや、透けて向こう側の景色こそ見えているものの、“其処そこ”にはたしかに重厚な鉄の塊が存在しているようだった。どうやらガトラベル・アインスは、本当に学校の屋上にて待機させられていたらしい。



「わかっていると思いますが確認のため一応……アインスちゃんはガトラベル・ツヴァイとの戦闘で大破した後ではなく、まだこの時代に転移してきたばかりの状態のものです」


「機体そのものではなく、記録データのみを過去に存在するガトラベルへ送った……ということか」


「イグザクトリィ。そして転移直後のアインスちゃんは飛行モジュールが数カ所イカれちゃってるので、現在は自己修復をさせています」


「完了まではあとどれくらいだ?」


「戦闘に耐えうる状態にまで戻すには、最低でも4日。……つまり、本格的に動けるようになるのは12月25日からです」



 一度目のタイムリープの時にはくじらやガトラベル・アインスとなかなか合流できないことに多少の苛立ちを覚えたこともあったが、そのような理由があったことを知ればおのずと納得することができた。

 むしろオルカに襲われていたあのタイミングで駆けつけてくれたのは、今思うとかなりギリギリのところだったいうことに気付く。

 もし襲撃があと1日でも早ければ、それこそ王太郎は詰んでしまっていたかもしれない──いや、そういう“綱渡り”を今まさに行っている最中なのだということを、改めて思い知らされた。



(くそっ……あの、オルカという奴さえいなければ)



 今も思い出しただけで、はらわたが煮え繰り返ってしまいそうになる。

 歴史改変を目論む自分たちにとっては、不都合な障害でしかない時の番人タイムキーパー──不知火を死へと追いやった、責を負うべき者。

 もはや王太郎から見た彼の存在は、人の形をした理不尽な運命そのものだった。



「お前とよく似ていたな、ヤツは……100年後はみな髪が銀色なのか」


「あらぬ誤解をされていることはともかく、私とオルカくんが近しい存在であることは事実です」


「“図書館”というのも関係しているのか?」



 オルカという少年との会話を断片的に思い出しながら訊ねると、くじらは少し考えてから答えた。



「ここからは少々込み入った話になります。寒い屋外で立ち話をするのもアレですし、いったん場所を移しましょう」



 そう言って彼女に連れて来させられたのは、屋上のある南校舎とは別棟べつむねにある校内図書室だった。幸いにもこの時間に利用者はほとんどおらず、ここでなら会話をしても問題なさそうである。

 カウンターでただボーッと座っている図書委員にだけ聞き取られないように細心の注意を払いつつも、本棚の前に立ちながらくじらは切り出した。



「ざっくりと大筋からお話すると“図書館”というのは、私の時代に存在している組織の通称です」


時流犯罪者タイムクライマーを取り締まる警察組織……いわゆるタイムパトロールのようなものか?」


「そういう仕事もなくはないですが、主なのは『歴史の記録・保全』のための活動ですね。たとえば……」



 くじらは目の前の本棚から適当な一冊を引き抜くと、表紙をパンパンと手で叩いてみせる。



「この一冊の本に、ひと一人分の生涯が記録されているものと思ってください」


生まれてプロローグから死ぬまでエピローグを、全てか?」


「そうです。そして記録ページが蓄積されていけば、やがてそれは歴史ものがたりとなる……そんな移ろいゆく時代を影から監視し、を増やすことが、“図書館”の担っている本当の職務です」



 言いながらくじらは、無数の本が所蔵されている棚にその一冊を戻した。

 王太郎の生きる時代において“歴史”とは、過去の人々が残した文献や手がかりから“推測”されたものでしかなく、その精度は当然ながら古い時代へさかのぼるほど落ちていく。


 だが、タイムトラベル技術が確立した100年後の時代においては、どうやら根本的に考え方が違うようだ。

 より広く、より深く観察する手段を得た未来の人類にとって、“歴史”はもはや“真実”のみを記した完璧な記録ロゴの集積となっているのだろう。

 “図書館”が抱えているのは、そういう『全人類が体験した記憶ビッグデータ』なのだ。



「……いやまて。あくまで歴史を影から記録することが任務だというならば、あのオルカというヤツはなぜをしてきたのだ」


「それはオルカくんが記録班とは別の特務班……“執行部隊”に所属しているからですね」


「執行部隊?」


「それこそお兄様が先ほど言っていたタイムパトロールによく似た警察部隊です。その任務は、歴史改変影響度パラドクスレベルが高いと断定された人物の保護──あるいは、排除」



 排除。

 その言葉が殺人の代替えであるということは、聞くまでもなかった。



「そして“2021年における鋼城かねしろ不知火しらぬいの死”は、パラドクスレベルA……大規模な戦争状態のきっかけにも相当する出来事とされています」


「なに……?」



 つまりあの場面で不知火の死を回避した場合、戦争のような“人類にとって不都合な歴史”に繋がってしまう──ということだろうか。

 そんな突拍子もない結果だけを教えられたところで、そこに至るまでの過程を王太郎が想像できるはずもなかった。


 ──のちに海神グループの社長になることが決まっているオレではなく、なぜ不知火なのだ……?


 少なくとも王太郎の知る限りでは、不知火は突出した才能を持っているわけでもないただの一般人だ。

 いくら彼女が世界のトップモデル達が裸足で逃げ出すほどの美貌と可憐さを持ち合わせているプリティ・ビューティフル・パーフェクト・エンジェルだからといって、歴史に影響を与えるほどの何かがあるとは到底思えなかった。



「普通に暮らして一生を終えたパラドクスレベルC〜D程度の人間であれば、たとえ歴史改変されたところで“図書館”が動くようなことも殆どありません。でも、不知火ちゃんの場合はそうはいきません……残念ですけど」


「なぜ……よりによってオレの妹が、そんな……」


「それについては私も、そこまでの閲覧アクセス権限がなかったためわかりませんでした。……たぶん、オルカくんにも」



 そう告げた上で、くじらは図書室の最奥にあった椅子に腰かける。

 足を組み替えて知識人インテリらしい座り方になりながら、アメジスト色に輝く大きな瞳で王太郎をまっすぐ見据えた。



「ともかくいま念頭に置くべきなのは、不知火ちゃんの死がパラドクスレベルAに認定されてしまっていること。そして“正史”においては誘拐殺人事件が発生したことにより、その“戦争レベルの厄災”はに回避された……ということです」


「? どういう意味だ?」


「この“図書館”的には正しいとされてるタイムライン、どこか不自然だと思いませんか? 仮にもパラドクスレベルAの女の子が、誘拐殺人の被害者になりますかね?」


「……まさか」



 くじらの言葉巧みな誘導によって、王太郎はそれまで考えたこともなかった結論に至る。



「まさか……ヌイを殺した誘拐犯は、を知った上で犯行に及んだとでも言うのか……!?」


「ただの推測であって確証もないですけど、その線も大いにあり得ると思います。とはいえ決めつけてしまうのも危険なので、あくまで考えられる可能性の一つということで」



 衝撃のあまり、しばらく開いた口が塞がらなかった。

 その間にもくじらは何かを喋っていたが、もはや話の内容もほとんど頭に入って来ない。


 もし本当に不知火の死が、その後の“歴史”を知る者によって計画されたものだったのだとしたら。

 王太郎がやろうとしている『妹の死を回避する』という歴史改変行為タイムクラックは、自分が思っていた以上にスケールの大きい話なのかもしれない。



「……お前もオルカと同じ、“図書館”の人間なのか?」



 ふと、疑問に思った。

 その問いについては隠するもりもないのか、くじらは動じる素振りを見せるどころか平然として答える。



「私自身はそのつもりですよ? もっとも、あっちからは絶賛指名手配中ですけど」


「つまりは腹に一物を抱えた叛逆者はんぎゃくしゃか……実際、オルカともやっていることが真逆だしな。どうせその真意を訊いたところで答えないのだろう?」


「ふふっ、お兄様も段々くじらちゃんの扱い方がわかってきたようですねー」


「フン、義妹ぎもうと風情がよく言う」



 くじらが何を企てているのか知るつもりはないし、いささかどうでもいい。

 重要なのは、彼女が何らかの目的によって“図書館”とは独自に動いており、また王太郎とは利害の一致から協力関係にあるということ、


 あくまで彼女とは契約によって成り立った義兄妹に過ぎず、必要以上に干渉する義務はないのだから。

 ただ自分が望む未来を手に入れるため、骨の髄まで利用させてもらうだけだ。



「話を戻しましょう。最良の結末ハッピーエンドにたどり着くために、がこの時代で起こさなければいけないアクションは2つです」



 そう言ってくじらは人差し指を天井に向けながら、これからの具体的な行動方針を語り始める。



「ひとつは、4日後のガトラベル・ツヴァイの襲撃になんとしても打ち勝つこと。知っての通りアクセラレート・アーマーの攻略は厄介ですが……アインスちゃんのタイムリープ能力を応用すれば、活路はきっと拓けるはずです」



 『そしてふたつ』と、くじらはもう一本の指を立てて告げた。



「誘拐事件の真相を突き止め、ひた隠された歴史の“真実”を知ること。不知火ちゃんを本当に闇から救ってあげるためには、それを暴かなくてはなりません」



 2つの課題ミッションを掲げてから、くじらは白衣のポケットから一枚の写真を取り出して王太郎に手渡す。

 そこに写っていたのは、30代半ばくらいの男性。その顔に王太郎はたしかな見覚えがあった。


 否、忘れるはずもない。

 男の名前は吾妻あづま君彦きみひこ。2021年当時35歳。

 鋼城不知火を誘拐・殺害した容疑で逮捕され、死刑囚となる予定の男だった。

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