OPENING/旅立ち
#01『また、男は青の月曜日を迎える』
若くしてこの世のすべてを手に入れた男──と、いつも人々は
勘違いも
どれだけ財を積み上げたところで、手に入らないものなどこの世にはいくらでもある。『
ならば、失った時間はどうやって取り戻せばいい?
一度通り過ぎてしまった時計の針を、どうやって巻き戻せばいい?
その問いに対して明確な答えを見つけられぬまま……少年だった彼は、やがて身体だけが大人になる。
心にぽっかりと空いた空洞は、考えうる限りの手段を試してみたものの、未だ埋められていない──。
*
「お兄ちゃん、起きて。朝だよっ」
月曜日の朝。
多くの学生や社会人は憂鬱な気持ちになってしまうであろう
カーテンの隙間から差し込んでくるあたたかな陽射しを感じながら、まだ重い
まず視界に入ってきたのは、自分の体へと寄り添うように横たわっていた、可愛らしい印象の少女だった。
彼女は目覚めたばかりであるこちらの寝起き顔をのぞきこむと、まるで天使のように微笑みかけてくる。その笑顔で眠気がいっきに吹き飛んだ男は、自分と少女の体を包んでいるベッドカバーを剥いだ。
同じベッドで寝ていた二人は、ともに一糸まとわぬ姿をしていた。
「うむ。おはよう、我が妹よ」
「えへへ……おはよっ、お兄ちゃん。今朝は早いんだっけ、朝ごはんは食べてく?」
「もちろんだ。お前の手料理は世界一だからな」
「ふふっ、アリガト。それじゃあパパッと作っちゃうから、お兄ちゃんはゆっくりしててね」
すぐにセーラー服へと着替えた少女は、挨拶代わりのキスを交わしてからキッチンのあるリビングへと向かっていく。
その愛おしい後ろ姿を見届けたあと、男も高級ブランドの黒いスーツに着替え、そして愛用のメガネをかけて寝室を出た。
洗面所で顔を洗い、サラサラの黒髪をヘアブラシで
ドアを潜ると、ほんのりと朝食のいい香りが漂ってきた。同時に少女もこちらに気付いたようで、自信ありげな表情で食卓へと手招きする。
「じゃじゃーん、今日のメニューは妹ちゃん特製のオムライスでーす! 冷めないうちにはやく食べてねっ」
「ああ、ありがとう。それじゃあ早速、いただくとするよ」
皿に乗った料理へ、そしてそれを作ってくれた妹への感謝を込めて合掌してから、男は一切物音をたてず食べ物をスプーンで口へと運ぶ。
ほどよく半熟に熱せられたふわとろの卵、ケチャップと塩胡椒で絶妙な味付けがなされたチキンライス──その両者が舌の上で奏でるハーモニーは、お世辞や誇張抜きに“世界一”といっても過言ではない味わいだった。
とても優雅な朝だ、と我ながら思う。
都市の一等地に建てられたタワーマンション。その最上階にある部屋のリビングで、コンクリートジャングルの美しい景色を一望しながら、愛すべき妹とともに朝食を
これをブルーマンデーと呼ぼうものなら、部屋に火炎瓶を投げつけられてもおかしくないだろう。
──自分はいま、間違いなく最高の時間を手にしている。
そのような確信を男が抱いていたとき、ふとテーブルの向かいに座る少女が声をかけてきた。
それもどこか申し訳なさそうな表情をしており、伺うような上目遣いでこちらを覗いてくる。
「あ、あのさ……お兄ちゃん。昨日の夜したことって、その……サービス……になるんだよね?」
料理を掬おうとしていたスプーンがぴたりと止まる。
その反応をみた少女は慌てて笑顔を取り繕いつつ、なおもたどたどしく言葉をつむぎ続ける。
「ち、違うの! たしかにアレはその場の勢いみたいなのもあったけど……でも別にイヤだったわけじゃなくて、むしろアタシも金持ちのイケメンと寝れて嬉しいってゆーか……」
「……何が言いたい?」
「ええっと、だからその……またこーいうコトをしてもいいからさ。その代わり、“報酬”を少しだけ上乗せしてほしいな……って」
そう懇願してきた少女の表情には、若干の照れと恥じらいが含まれていた。
どうやら彼女は体を重ねることには満更でもないらしい。
打算と計算にまみれた、男の一番嫌いな
「……所詮は
「えっ?」
「契約はここまでだ。お望み通り、報酬は倍にして支払うから安心しておけ」
「ちょ、ちょっと! それってどういう……」
納得がいかずにテーブルを叩いて抗議しようとした少女の顎を、男はクイっと掴んで引き寄せた。
そして鼻先が触れるほどの距離まで顔を近づけると、その甘いマスクにはとても似合わない冷徹な声音で告げる。
「お前はオレの
「は……?」
「
そう言って突き放すと、少女は瞳に大粒の涙を浮かべながら、荷物をまとめて部屋を出ていった。
ただでさえ一人で暮らすには広すぎるリビングが、とたん一気に静まり返る。やがて居心地の悪い静寂に耐えかねた男は、思わずため息を吐いた。
「まったく、これだから
契約を破棄したのはこれで4人目になる。
自分はただ“妹”という存在から、純粋に愛されたかっただけなのに──
「う……ぷ……っ」
唐突に吐き気がこみ上げ、男はとっさに口元を押さえながら慌ててトイレへと駆け込む。
すぐに便座の蓋を開けると、喉元に這い上がってくるようなドス黒い背徳や罪悪感を、まだ消化しきれていない
彼の名は
幼少期より帝王学を叩き込まれ、28歳という若さにして巨大企業の社長という地位を手に入れた、まさに生粋のエリート。
しかし彼の心はどこか欠け落ちたまま、結局いつものように鬱屈とした月曜の朝を迎えるのだった。
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