#24『今だけは、刹那の夢であろうとも』

「──しかし、いったいどのような風の吹き回しでしょうか。学業にだけはあんなに真面目に取り組んでいた坊ちゃんが、とつぜん使用人メイド同伴で塾のサボタージュを決行するとは」


「たまには息抜きもせんと勉強効率が落ちるからな。おっと霧咲、わかっていると思うが母さんに告げ口はするなよ?」



 2021年12月24日。

 クリスマスシーズンで賑わいをみせる街の中を、王太郎と霧咲は歩いていた。

 容姿端麗な二人が並び歩いているその光景は、側からは美男美女のカップルに見えていることだろう。王太郎も内心、絶大な信頼を置いている彼女とそのような関係に見られることは、認めこそしないが決して悪い気はしていなかった。



「ところで坊ちゃん、さっきから周りの視線がひどく気に触るのですが。帰って積みゲーの消化作業に戻ってもよろしいでしょうか」


「フッ、そう言うな。このオレとのデートなんぞ、この世のほんの一握りの女だけが勝ち取れるまさに栄光だ。むしろ末代まで誇るがいい」


「労働時間外の拘束をデートと呼ぶとは、ブラック企業の社長もついに来るとこまで来てしまいましたね」


「ふむ、つくづく可愛げのないやつだ」



 などと他愛もない雑談を交わしつつも、霧咲を連れた王太郎はいつしか駅周辺の広場へと辿り着いていた。

 クリスマスソングがそこらじゅうから聞こえてきていたアーケード街からは雰囲気が一転し、巨大な噴水が目を引くその広場は、水の音だけがよく響くような夜らしい静寂に包まれている。周囲で立ち止まっている人々も、ただ何かを待ち侘びているように時計台へと視線を集中させていた。


 そうして霧咲が寒さに身を浸しながら、その場で立ち尽くしていると──



「そろそろ、だな」


「?」



 王太郎が手元の腕時計を見るなり、そう呟いた。

 次の瞬間──辺りの枯れた木々の枝に飾られていた電飾が、一斉にブワッと青白い雪のような光を灯し始めた。

 まるで夜空の星々が地上で輝き出したかのような美しいイルミネーションに、すっかり油断していた霧咲はつい心を奪われてしまう。そんな彼女の横顔を密かに覗き見ながら、王太郎はそっと微笑を浮かべた。



「喜べ霧咲、クリスマスプレゼントだ」


「……なるほど。先ほどから妙に時計を確認しているとは思っていましたが、ライトアップの時間を見るためだったのですね」


「うむ、労働時間外の拘束も帳消しになるほどの美しさだろう? その目に焼き付けておくがいい」


「そのセリフで危うく感動までもが帳消しになってしまいそうでしたが……ひとまずお礼は言っておきます」



 霧咲はこちらに顔を向け直すと、彼女としては珍しく素直に礼を告げる。

 まるで無表情の仮面が氷解したように、ありのままの自然な笑顔がそこにはあった。



「ありがとうございます、坊ちゃん。本当に、綺麗です」



 その一言を聞いた途端、王太郎は自分の耳たぶが火傷したように熱くなったような気がした。

 それと同時に、彼は心の奥底にずっと仕舞い込んできた本心を思い出す。霧咲に対する想い、その感情の正体を──ここにきて王太郎はようやく理解する。



(そうか……オレはきっと、昔からお前のことを……)



 だが王太郎はそれを口にすることはせず、強い意志によって再び蓋を閉じた。

 もしも運命の巡り合わせが少しでも違っていれば、こんなにも苦渋を噛み締めるような想いをすることもなかっただろう。


 一瞬、脳裏を過ぎった光景──それはきっと、のひとつ。

 糸のように複雑に絡み合った因縁の螺旋、その分岐点において迫られる数多もの選択肢。その結末の一頁いちページだった。



(もしもオレがヌイを一度でも失わなければ、未来は違っていたのかもしれんな……だが、にその道は選べない、選ばない)



 たとえ他の全てを犠牲にしようと、王太郎は不知火の兄で在り続けることを望む。

 きっかけは確かに悲劇であり、ともすればそれは偶然の折り重なりによって引き起こされた出来事だったのかもしれない。けれど、結果として運命はそのような形に出来上がってしまった。


 不知火の死という運命が、定められた“必然”だったというのなら──王太郎もまた、“必然”によって一つの可能性を手放すのだろう。

 覚悟なら出来ている。後悔だって、意地でもしてやるつもりはなかった。



「……願わくば、オレも」


「坊ちゃん?」


「オレもお前と一緒に、世界の中心に立ちたかった。だから、最後にこの景色を一緒に見れたことは……本当に、嬉しかったぞ」


「……?」



 言葉の意図を図りかねた霧咲が、王太郎に聞き返そうとした──そのとき、こちらへ近付いてくるような複数の足音が、それまでの静けさを一気に吹き飛ばす。

 喧騒の正体は警官隊だった。彼らは人集りをかき分けて王太郎たちの方へやってくると、そのうちの一人が警察手帳を見せながら問いかけてくる。



「霧咲ざくろだな」


「……ええ、そうですが何か」


「貴方には鋼城不知火さんの誘拐容疑で逮捕状がかけられている。署までご同行してもらえますね?」



 そう訊ねられた霧咲は一瞬、自分が今なにを言われているのか理解できなかっただろう。

 (表情にこそ出さないものの)内心では心底動揺しているであろう彼女に、王太郎は横からそっと真相を明かす。



「昨日の晩、お前の服には発信機を付けさせてもらっていたのだ」


「……!」


「夜中に家出したヌイの行方を捜しに行こうとしていた様子だったからな。もっとも、お前の真意は彼女を保護することではなかったようだが」


「……その様子ですと、どうやら私の生い立ちについても既に知っていたようですね。一杯食わされた、とでも言うべきでしょうか」



 いさぎよく自分の敗北を認めたのか、霧咲は目を閉じて一歩前へ出る。

 だが次の瞬間、彼女はきびすを返すと同時に懐から拳銃を取り出した。騒然とする群衆や警官たちをもろともせず、その銃口をまっすぐに王太郎へと突きつける。



「やはり私は、運命というものに愛されなかった存在だったようですね」


(それは違うぞ、霧咲)


「だから、ここで終わりです。私も、貴方も……」


(勝手に決めるな)



 警官たちはすぐに霧咲を取り押さえようとしたが、それでも彼女の暴走が止まることはない。

 トリガーに添えられている細長く流麗な指先に、ぎゅっと力が込められていき──


 そして直後、とっさに身を乗り出した王太郎によって、霧咲はそのくちびるを塞がれた。



「んん…………んっ……」



 ──撃ちたいのなら撃てばいい。


 いっそ霧咲と心中することもいとわない覚悟で、王太郎は自身に拳銃を突きつけている相手と何秒間も唇を重ね続ける。

 すると左胸に当てられていた拳銃は、やがて霧咲の手からそっとこぼれ落ちた。しばらく静止していた時の歯車が再び動き出したのを悟り、抱き寄せていたからだをゆっくり離す。



「勝手に決めるな、馬鹿者。貴様から退職願を受け取った覚えもなければ、解雇するつもりも毛頭ないのだが?」


「坊ちゃん……」


「懲役は10年か、はたまた15年くらいか……ともかくオレはいつまでも待ってやるつもりだ。一応言っておくが、拒否権はないぞ」



 こんな状況下でもなお自分勝手な物言いをする王太郎に、霧咲は思わず苦笑を浮かべずにはいられなかった。

 彼女は自分でも気付かないうちに流していた大粒の涙を指で拭うと、鉄が砕けたような柔らかい微笑みを王太郎へと向ける。



「……本当に貴方は、傍若無人ジャイアニズムを絵に描いたような御人ですね。まるで本物のブラック企業の社長のようです」


生憎あいにくオレはこのいろが好きでな。万劫末代まんごうまつだい未来永劫みらいえいごう、何者にも染まるつもりはない。……だから、またいつでもオレの元へ帰ってこい。オレが中心として君臨する世界に、お前の存在は必要にして不可欠だ」



 一方的な要求を突きつけられた霧咲は、満更でもない様子で踵を返した。

 彼女の手首に手錠がかけられ、大きくも寂しげな背中が離れていく。そして警官たちに連行されながらパトカーに乗り込む直前、霧咲は一瞬だけ王太郎のほうを振り向いて告げる。



「また会いましょう、坊ちゃん。それまで不知火様のこと、どうかよろしくお願いします」



 王太郎は何も言わず、決意を固めたように深々と頷いた。

 それを見た霧咲はどこか安堵したような表情を浮かべると、警官たちに抵抗することなく車両の後部座席へと乗せられる。


 2021年で自分が果たすべき課題ミッションをすべて完了した王太郎は、遠くなっていくパトカーの後ろ姿を見届けてから、ただ静かに広場を去っていった。

 何も知らずに平和を謳歌している街中を一人で歩き続け、やがて彼は人気ひとけのない場所にたどり着く。そこでしばらく立ち尽くしていると、迎えの方舟はすぐにやってきた。


 かくして歴史が辿る順路ルートは確定された。

 男の“観測”した事象を軸として、夜空を覆う星々は再び目紛しく廻り始める。


 時計の針は、また未来あしたに向かって刻まれていく──
















「──さん……兄さん」


「う……ん……?」


「兄さん、起きてください。朝ですよ」



 月曜日の朝。

 耳元で誰かが自分を呼んでいる声が聞こえ、深淵に沈んでいた男の意識はようやく現実世界への回帰を果たした。



(なにか、とても長い夢を見ていた気がする……)



 そんなことを思いながら、まだ重いまぶたをゆっくりとこじ開けると、真っ白な日差しの光が網膜へと飛び込んでくる。

 しばらくして目が光に慣れてくると、こちらをベッドのかたわらから見下ろしてくる妹の姿がはっきりと見えてきた。


 彼女は目覚めたばかりであるこちらの寝起き顔をのぞきこむと、まるで天使のように微笑みかけてくる。その笑顔で眠気がいっきに吹き飛んだ男は、慌ててベッドカバーに包まれている自分の半身を起こした。


 10年分の成長を遂げた不知火いもうとの姿が、そこにはあった。



「あ……あぁ…………」



 不思議そうにこちらの顔を覗き込んでくる彼女に、王太郎はすっかり見惚れたまましばらく硬直してしまう。

 その容姿の可憐さはやはり千言万語を費やしても表現し得ない美しさだったが──それでもあえて言語化するならば、すでに14歳の頃から人知れず光を放っていた美貌の原石が、10年という年月を経ることで宝石へと昇華されているようだった。


 かねてより大人びていた雰囲気は健在で、年齢がそれに追いついたことでより自然な佇まいになっているようにも見える。

 雪のように真っ白な肌は以前よりもいくらか健康的であり、セーター越しの胸元を盛り上げている体つきも、心なしかだいぶ女性らしくなっているような気がした。腰まで届いている濡烏ぬれがらすの長髪も相変わらずで、手入れの行き届いたキューティクルの艶感が、妹の女性としての成長を王太郎に実感させた。



「……? 兄さん、私の顔に何かついてますか?」


「い、いや……昨日は遅くまで仕事だったのでな、少し寝ぼけていただけだ」



 慌てて平静さを装いつつも、しかし王太郎の内心はとても冷静ではいられなかった。

 彼がそのような反応を示してしまうのも無理はない。あれほどまでに手を伸ばし、渇望し続けてきた未来が、触れられるほどすぐ近くにあるのだから。


 妹は今、確かにここにいる。

 彼女が死ぬ結末は、無事に回避されたのだ。 



「今朝も早いんでしたよね。よければ朝ごはんを作りますけど……兄さん、なにか食べたいものはありますか?」



 心のどこかで欠け落ちていたピースが、ようやくピタリとはまってくれたような心地に浸りながら──王太郎は、着飾らない素直な言葉を妹に返す。



「ああ……オムライスが、食べたいかな」



 たった二言程度の短いやり取りを経て、王太郎は確信に至る。

 ここに辿り着くまでの長くけわしい道程や試練も、全てはこの一瞬を迎えるためだったのだと──。


 彼が妹と引き換えに破壊した“時の牢獄ディストピア”は、言わば絶望の可能性を封じ込めたパンドラの箱である。

 それが開け放たれた今、未来がどのような方向に向かっていくのかは、彼自身にもわからない。それこそ箱の中からあふれ出した厄災によって、明日にでも世界が滅びを迎えてしまうことだって否定はできない。


 それでも、今だけは。

 箱の底に残っていた最後の希望を、もう二度と手放したくはなかった。


 たとえ、刹那の夢であろうとも──このときを永遠にするために、目覚めを迎えた男は今日を戦う決意を抱く。

 すべてが満ち足りたような朝。

 王太郎はやっと、青の月曜日ブルーマンデーも乗り越えることができそうだった。

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