#17『月明かりは、霧の中に消えていく』

 次に気がついたときには、廃工場と思わしき場所にいた。

 いたんだコンクリートの上に座らせられ、両腕を真後ろの鉄柱に結び付けられている。自分が誘拐されてしまったのだという事実を王太郎が自覚するまで、そう長い時間はかからなかった。



「ようやくお目覚めになりましたか、坊ちゃん」



 冷淡な声とともに暗がりから姿を現したのは、やはり霧咲ざくろだった。

 とても『助けにきた』などという雰囲気ではない。すべて夢であってほしいと願っていた王太郎の期待は、バラバラと音を立てて砕け散っていく。



「お目覚めの気分は?」


「……今まさに今世紀最低を記録したぞ。連休明けの平日の朝のほうがまだマシだ」


「一応お伝えしておきますが、携帯を探しているようなら無駄ですよ。GPSは切ったうえで没収させていただきましたので」


(チッ、このエスパーめ……)



 彼女の察しの良さにはどれだけ助けられたかわからない程だが、今はかえってそれがキツい。

 それでも王太郎は必死に冷静さを取りつくろいつつ、次なる一手で揺さぶりをかけに挑む。



「ククク……オレがタイムリープしてきたと知って急遽標的ターゲットを変更したようだが、焦りで判断を誤ったな。今ごろ家族はきっと、血眼ちまなこになってオレを捜しているぞ?」



 誘拐されたのが不知火であったなら、彼女に無関心だった家族は、帰宅が遅いことを気にかけることさえなかっただろう。

 現にそれが原因で、オリジナルのタイムラインにおいては事件の発覚が大幅に遅れてしまったのだから。


 しかしさらわれたのが王太郎であれば、話もまた違ってくる。

 とくに母親はこの日、出たばかりの模試の結果をとても楽しみにしている様子だった。息子への偏愛っぷりも考慮すれば、日付けが変わる頃には捜索願を出していてもおかしくないだろう。



(しかも足として使われたのは、借り物とはいえ霧咲の車だった。ここまで犯行を裏付ける証拠を残してしまっているのだから、特定されるのも時間の──)


「特定されるのも時間の問題でしょうね。では少し予定を変更して、ことにしましょうか」


「なっ……」


「ちなみに例の車でしたら、すでに乗り捨てさせていただきました。坊ちゃんはグッスリお眠りになられていましたが、ここへ到着するまでさらに2台ほど乗り継いだのですよ?」



 駄目だ。

 いくら渾身の刃を突きつけようとしても、ひらりと身をかわされてしまう。


 たしかに王太郎と行動を共にしている時間が多い霧咲なら、誘拐に巻き込まれたとしても何ら不自然ではない。

 むしろ被害者ともなれば、容疑者として浮上する可能性も低くなる。その場しのぎの判断とは思えないほどに、霧咲は逃走ルートを瞬間的に閃いてみせた。



(思えばDNA鑑定によって吾妻君彦あづまきみひこが容疑者として浮上したのも、逆に言えばそれくらいしか犯行を裏付ける証拠が現場には残されていなかったからだ。犯人ヤツはまるで去りゆく霧のように、事件の痕跡をほとんど残さなかった)



 遺体の下着類に付着していたという体液も、例えばゴミ袋のティッシュペーパーなどから十分容易に採取することができる。

 またそれは吾妻君彦をダミーの犯人として仕立て上げると同時に、女性である霧咲自身を容疑者リストから外させる狙いもあったのだろう。


 そして、霧咲はおそらく今回もあらゆる手段を駆使して逃げ延びる。

 少なくとも王太郎には、その確信があった。



 ──だがオレが代わりに捕らえられたことで、結果的にヌイは助かったのではないか?



 ふとそんな甘い考えが頭を過ぎったが、そうではないとしてすぐに取り下げる。

 たとえ目先の誘拐事件を回避したところで、彼女が死ぬという結末ゴールは運命付けられているのだ。


 時の番人タイムキーパー──オルカをこの手で倒さない限り、その運命は永久に変わらないのだから。



「どういうつもりだ。まさかお前ともあろう女が、金欲しさにこんな真似をするわけでもあるまい」



 誘拐の目的が単なる身代金でないことだけは、誰よりもわかっていた。

 仮に彼女がの人間であるならば、そもそも王太郎がここまで信頼を寄せることもなかったからである。


 霧咲の“真意”は別にある──そう判断した王太郎は彼女を責めるわけでもなく、ただ純粋かつ真摯に問い質す。



「なにが目的だ」


「……“真相”をあばくこと」



 そう口火を切り、霧咲は淡々と語り出した。



「坊ちゃんは、“霧咲”という姓に秘められた本当の意味はご存知ですか」


「いいや……」


「この姓そのものは、単に私の母親の旧姓というだけですが。重要なのは、父の死をきっかけに私と母が本当の名前を奪われた……ということです」


「本当の名前、だと……?」


















ざくろ。それが私が出生時に授かった、本当の名です」



 初耳だった。

 その告白の裏に隠された意味を王太郎が頭で理解するには、さらに数秒の時間を要することとなる。



「お前の父というのは……まさか」


鋼城かねしろ万里ばんり。冴子様の兄であり、坊ちゃんにとっては叔父にあたる人物です。まだ小さかったので覚えていないかもしれませんが、実際に会ったこともあるはずですよ」


「つ、つまり……オレとお前は……」


「……従姉弟いとこ、ということになります」



 嘘だ──と、反射的に叫びたくなった。

 なぜそのように思ったのかは王太郎自身でさえわからなかったが……とにかく心の奥底で、その事実を受け止めたくないと感じている自分がいた。



海神わだつみ様……坊ちゃんのお父様が、鋼城家の婿養子むこようしであることはご存知ですね」


「……ああ、知っている」


「我々の祖父が亡くなられた後、鋼城家の後継ぎは本来、長男である私の父になるはずでした。しかし海神様が家に婿入むこりされてから、少しずつ何かがおかしくなっていったのです」



 とどのつまり原因の発端となったのは、10年以上前に起きた相続をめぐる騒動とのことだった。

 こと鋼城家においてそれは、単なる遺産分与を決めるだけの儀式ではない。


 世界経済の中心を担っており──のちに巨大企業複合体コングロマリット“海神グループ”へと名を変えることとなる企業。

 そのトップの座は、祖父が後継者と認めた者に対してのみ継承される。



「殺した、のか……? オレの親父が、お前の父を……」


「表向きには事件ではなく事故として処理されてしまいましたが、少なくとも私と私の母はそのように捉えています。もっとも父を殺されたことを嘆きながら自殺した母と違って、私の場合は半信半疑ですが……」


「……半分は疑っているからこそ、お前は人質を取ることで鋼城海神を誘き出し、父の死の“真相”を直接聞き出そうとした……そういうことだな?」



 王太郎が問いかけると、霧咲は小さく首を縦に振った。

 これで事件の全貌についてはおおよそ把握することができた──だが、まだ不可解に思える点が残っている。



「なぜ、を……お前はまだ引きっているのだ?」


「この状況で喧嘩を売っているのですか?」


「そうじゃない……しかし事件があった当時は、オレもお前もせいぜい3つか4つの頃だったはずだろ。そのときの記憶が残っているとは到底思えん」



 現に王太郎は、そんな騒動が実際にあったことさえ覚えていなかった。

 彼がそのような感想を抱くのも無理はなく、この件については完全に親世代の問題である。

 いくら父親が亡くなっているとはいえ──子の世代である霧咲が、こんな大がかりな誘拐事件を起こすほどの動機としては、やや説得力に乏しいような気がしてならなかったのだ。



「言ったでしょう。世界の中心に立っている坊ちゃんには、私の痛みなどわからないと……」



 霧咲はどこか自嘲じちょう気味な笑みをたたえながら、唐突にエプロンドレスの結び目を解きはじめた。

 フリルのあしらわれたエプロンが、そしてリボンが脱ぎ捨てられては床に落ちる。やがて霧咲は胸元を隠しながら上半身をはだけさせると、背中を王太郎へと見せるように体を後ろへ向けた。



「……っ!」



 そこには、生々しいまでの傷跡が無数に刻まれていた。

 打撲痕だぼくこん腫脹しゅちょう、さらにひどい箇所には火傷の跡まで生々しく残っている。それが日常的な暴力行為を受けていた証であることは、もはや確認するまでもなかった。



「これはまだ私が坊ちゃんの付き人として、鋼城家に住み込むよりも前に付けられた傷……永遠に消えない、過去のくさびです」



 霧咲はまたすぐに傷を覆い隠すと、脱いだエプロンドレスに再び袖を通しはじめる。

 その横顔はあまりにも寂しげで、少しでも触れようものなら簡単に崩れてしまいそうだった。それでも彼女は無表情の仮面でボロボロの本心をひた隠しながら、いつもの淡々とした口調で告げる。



「同族嫌悪というやつでしょうか。不知火様のことを見ていると、胸がひどく苦しくなるんです。……私も、でしたから」


「やはり、その傷を付けたのは……」


「……きっと母も辛かったのでしょう。だから……それをわかっていたから、私はただ受け止めることしかできなかった。痛みを私が受け止めて済むのなら、それでよかった」



 そんな考えは自己犠牲的だ、などとはとても言えなかった。

 虐待されていた当時の心境を打ち明けた霧咲に、王太郎は不知火の姿を重ねてしまったからである。



「やがて心を病んだ母はみずから命を絶ち、身寄りを失った私は鋼城家にメイドとして引き取られることとなります。それは同時に、母の暴力からもようやく解放されることを意味していました」


(その時から、お前はざくろに……)


「ですが、この家へ来て目の当たりにしたのは、“愛された者”と“そうでない者”の明確な線引き。まるで難易度の異なるゲームのように、貴方たち血を分けた兄妹の人生はあまりにも違いすぎました」



 兄──王太郎は海神グループの後継者となる未来が約束されており、その器となるべく両親から様々な形の愛情を捧げられた。


 妹──不知火はそんな優秀すぎる兄と比べられてしまったがために、不出来な娘という烙印を押され、家族から“いないもの”として扱われていた。


 彼女に対して無関心だったのは、2021年当時の高校生だった王太郎とて例外ではない。

 霧咲だけが、この家の異常性にはじめから気付いていたのだ。



「坊ちゃん、私はただ真実を知りたいだけなのです。私や不知火様のような子供は、本当に愛される資格すらなかったのか……そしてなぜ私たちだけが、こんな痛みを背負わなければならなかったのかと」


「だから、身代金誘拐などという回りくどい手をあえて選んだのか。親父がどれだけヌイを想っているのか、試すために……!」


「はい。それが私の求めていた、もう一つの“真相”です。……しかし、どうやらは私の望んだようにはならなかったようですね」


「……っ!」



 タイムリープしてきた王太郎から説明を受けたことによって、すでに霧咲はこの誘拐事件の結末を知っている。

 またそれを回避するために、王太郎が同じ時間を繰り返していることも、当然知っている。


 つまり妹の死を悔やんだ王太郎が未来から跳んできた時点で、霧咲の目的がほとんど達成されないまま終わることは明白になったようなものだ。

 表情にこそ最後までかたくなに出さなかったものの、それでも彼女の絶望は想像に難くなかった。



「だから坊ちゃん、残念ですがここで終わりです。貴方も、私も……」



 霧咲はゆっくりとこちらへ近づいてくると、冬の冷気にあてられた氷のような指先で王太郎の喉元を押さえつけた。

 女性とは思えない力で気道を圧迫され、気を抜くとすぐに溺れてしまいそうになる。



 ──私に、未来なんて必要ありませんから。



 物言わぬ霧咲の瞳が、そう言っていた。

 彼女は過去に縛られている。それは逃れられぬ鎖。

 だからこそ迷いもない。たとえ相手がそれなりに気心の知れた主人であろうとも、彼女は本当に人を殺せてしまうだろう。



(お……オレは……)



 暗い海底へと沈みゆく意識の中で、それでも王太郎はおかに上がろうと必死にもがく。

 このままでは自分も妹も死ぬことになるだろう。そして霧咲も、もう今まで通りの生活になど戻れるはずがない。


 未来が、閉ざされてしまう。



(オレは、こんな結末は嫌だ……ッ!!)



 だから、力を貸せ。

 “未来を選ぶ権利ガトラベル・アインス”──オレはまだ、ここで終わるつもりなどないのだから!


 胸の奥底で、王太郎は力強く叫んだ。

 するとその声に呼応こおうしたかのように、霧咲の肩越しに見える虚空が突如として歪み始める。

 やがてそれは半獣人型のシルエットを形作るように収束していき……かくして廃工場内に空間転移ワープアウトしてきた鋼鉄の人型タイムマシンは、床を踏みしめて立ち上がるのだった。


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