FIRST TRAVEL/誘拐殺人事件 その③

#19『それは、陸の果てを見た鯨の物語』

 西暦2131年。

 22世紀もようやく中期と呼べる時代に差しかかった頃、世界は“図書館”によって支配されていた。


 ただし支配とは言っても、なにも表立って世界に君臨していたわけではない。

 歴史の影たる彼らが行なっていたのは、権力による統治などではなく──その世界が所属する時間軸タイムラインそのものを対象とした、徹底的なまでの“管理”と“監視”だった。


 タイムマシンおよび時間跳躍の技術を秘密裏に独占していた“図書館”は、過去から現在……そして未来に至るまですべての人物や出来事を観測・記録し、それらの集合体である総蔵書数ビッグデータを恐るべき勢いで蓄積させていく。

 また時には歴史上における重要な分岐点ターニングポイントへと実働部隊を派遣・介入させることで、“人類全体にとって都合がよい未来”へと繋がるように暗躍していた。


 そのような体制システムのもとで秩序は保たれ、かくして人類は長年の悲願であった『永遠平和の夢ユートピア』を享受していたのだった。



 ──違う、そんなものはすべて嘘っぱちだった。



 10億の民間人を救うために、100人単位の洗脳された少年兵たちをアジトごと機関砲ガトリングガンでなぎ払った。

 極秘裏に新世代型爆弾の開発を行っていた技術者たちを、施設内に神経ガスを放つことで毒殺した。


 火炎放射器で村を焼いた。チェーンソーで群衆を横薙ぎに引き裂いた。投擲槍ジャベリンで旅客機を撃ち落とした。ミサイルで軍事施設を爆撃した。スナイパーライフルで要人を暗殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。見捨てた。殺した。



 “より善い未来”を選び取るということは、裏を返せば“望ましくない未来”を切り捨てることと同義である。

 そもそも善悪という概念さえ、結局は人々の曖昧な価値観でしかなく、損得勘定もまた立ち位置によってオモテにもウラにも入れ替わるものだ。



 ──ならば、“図書館”が振りかざしているものとはなんだ?


 ──いったい何の権限があって、“図書館”は勝手に人々を支配している?



 正義、あるいは秩序のためだと創設者はうたっていた。


 違う、所詮しょせんそんなものは支配者側の方便でしかない。人という生き物は正義の名を借りれば、同じ人間に対して残酷な行いをしても許されるのか。


 あるとき少女は、ずっと“正しい”とされていたその思想が、結局はただの傲慢ごうまんでしかないことに気付く。……だが、遅過ぎた。

 彼女がそれを自覚したとき、すでにその手は多くの血で汚れきってしまっていたのだから。


 いくつもの命。

 いくつもの未来。

 いくつもの世界が持つ可能性を、この手でほうむり去ってきた。



 少女の名は、自立学習型発明用ジーニアス・アーキテクチャーシステム“くじら”。

 人に扱われるだけの単なる道具ツールではなく、自らの考えと意志を持ち、発想する能力を備えた──極めて人間的クリエイティブな性質を持つ人工知能。


 彼女の誕生は、それまで『ヒトと違って問題を解決することはできても、全く新しい概念を創造することはできない』とされてきたコンピュータの常識を大きく覆したのと同時に、人類を理想郷ユートピアとは名ばかりの管理社会ディストピアへと導く引き金トリガーともなってしまう。



 ──きっと私という存在は、造られるべきではなかった。



 一度は陸に上がった鯨の祖先が、魚類に退化することも許されぬまま哺乳類として海へと還っていったように……。


 人類の進化を担う存在として生み出された彼女が、ようやく辿り着いた未来りくの果てで絶望し、原初うみへの回帰を望んでしまった──それはあまりにも皮肉であり、悲劇的な物語だった。





「とどのつまり、世界を“図書館”が支配するディストピアに変えてしまったのも、それによって多くの犠牲を生み出してしまったのも……元を辿れば全部、私のせいなんです」



 ここまでの話の総括を簡潔にべながら、くじらは薄ら笑いを浮かべる。

 なにも犠牲者たちを侮辱しているのではない。その軽蔑は、他ならぬ彼女自身へと向けられていた。



「本っ当……バカですよね、天才なのに。ちょっと計算すればああなることくらいスグにわかったはずなのに、実際にこの目で見るまで気付けなかったんですから……“自立学習型発明用ジーニアス・アーキテクチャーシステム“なんて呼ばれてますけど、結局はただの知的好奇心を抑えきれない子供なんでしょうね」


「……ずいぶんと自分を卑下ひげするのだな。お前らしくもない」


「意外でしたか? こう見えても私って、けっこうヘコみやすいんですよ?」



 くじらは何気なく言うが、21世紀に生きる王太郎からすれば『自分の性格に悩んでいるAI』という絵面そのものが摩訶不思議に思えた。

 ……いや、彼女ほど自我を確立している人工知能というのは、もはや人間ともさして変わらない存在なのだろう。


 王太郎の経営している海神グループにも“DRY-ADドライアド”というAIアシスタントが存在しているが、あれはあくまで人々の生活を豊かにする目的で作られた道具ツールにすぎない。

 だが、鋼城くじら──自立学習型発明用ジーニアス・アーキテクチャーシステム“鯨”は、おそらく根本的な設計思想そのものがドライアドとは大きく異なるのだ。


 両者の違い、それは無から有を生み出せること……すなわち『発明』をすることができる点にある。

 機械的な計算能力と人間的な創造性。その両方を併せ持つくじらは、言わば生きた技術的特異点シンギュラリティだった。



「だからお前は“図書館”に反旗はんきひるがえしていたのか。自分が発端となって引き起こされた悲劇の、ツケを払うために……」


「いえ。この反逆行為も、私の望みを果たすための過程的な目的ミッションに過ぎません」



 くじらはそう前置きしてから、ここに至るまでずっと抱えて続けてきた真意を告げる。



「“私が造られる”という出来事そのものを歴史から抹消し、タイムマシンが存在しない未来に変えること。この宇宙からタイムマシンによって起こされた全ての悲劇を消し去る……それが私の最終目標です」



 もはやそれは、読んで字のごとくだった。

 前にくじらは親殺しのパラドックス(子供が過去に飛んで親を殺した場合、子供が生まれたという事実そのものも消えてしまうという解釈)の実在を否定していたが、その子供がはじめから心中するつもりなら話は別だ。


 おそらく彼女は全ての“因果”を排除したあとで、自爆など何らかの方法で自身の存在も消すつもりなのだろう。

 そのような考えに思い至ってしまったことには同情もしたが──それ以上に聞き捨てならない発言をしていたことを、王太郎は聞き逃さなかった。



「それが本当なら、オレはこれ以上おまえに協力することができなくなるな。オレはどんな手段を使ってもヌイを救ってみせる……たとえタイムマシンが作られた先に、ディストピアとなる未来が待っていたとしてもだ」



 もとより世界の行く末になど興味はない。

 ただ、妹がいてくれさえいればそれでいい。


 決して揺らぐことのない自らの方針を示した王太郎だったが、そんな彼に対してくじらは試すように訊き返した。



「そうなった場合、私たちの契約は破棄されると?」


「ああ。生憎だが、このオレに世界を守るなどという正義感は期待するな」


「では、不知火ちゃんの死を回避することが、結果的に“図書館”の支配を阻止するための鍵となるかもしれない……と言ってもですか?」


「なに……?」



 もしもそれが本当なら、先ほど王太郎が指摘した利害関係の不一致についての問題もなくなることになる。

 くじらは続けた。



「前にも少し話しましたが、“図書館”のデータベースで閲覧できる彼女の情報には不可解な箇所が多いんです。事件の概要そのものは、霧咲ざくろさんが起こした身代金誘拐事件でしたけど……の出来事が歴史影響度パラドクスレベルAと見なされることは、やはり普通ならありえません」


「どういうことだ」


「そもそもこの“パラドクスレベル”って、誰がどうやって付けてるのか知ってますか? 並行世界が成立しないガトラベルのタイムトラベルで、どうして歴史への影響度なんて測れると思いますか?」


「うむ……」



 言われてみれば、確かに奇妙な話である。

 いくら“図書館”が過去から未来に至るまで全ての出来事を記録しているからといって、同時にも知っていなければ、そこから分岐した未来の差異など判定できるはずがないからだ。



「……まさか、このタイムライン自体がとでも言うのか」


「ええ、それもおそらく一度や二度ではないでしょう。仮にいま私たちのいるタイムラインを“標準化後の世界スタンダード”とした場合、それよりも以前には別のタイムラインが存在していた……と考えるのが妥当です。そして歴史影響度パラドクスレベルを設定した存在は、その時間軸を何らかの方法でしていたということになります」


「タイムトラベル……つまり其奴そいつは元々いたタイムラインを都合がいいように改変し、また歴史影響度パラドクスレベルというボーダーラインを設けることで、“スタンダード”をこれ以上改変されないように体制を整えていたと」


「そこまでは私も同じ考えです。そしてそんな大がかりな歴史改変行為は、本来なら“時の番人タイムキーパー”の執行対象となって当然のはず。だけどそうはなっていない……それどころか、、“図書館”の実働部隊は動いて……いいえ、きっとそういう風にいるんでしょうね」



 要するに世界を“スタンダード”に書き換えたと思われるその存在は、“図書館”に対しても相応の実権を握った人物だと予想できる。

 いや、おそらくはこの順序さえも逆なのだろう。“スタンダード”を不変のタイムラインとして確立させるために、それを守るための“図書館”や“時の番人タイムキーパー”が生み出された……そう考えたほうが遥かに自然だ。


 つまり、その人物というのは──



「“図書館”という組織を設立した館長ボス──そいつが黒幕なのだな」


「ええ、そして私やオルカくんにとっては直属の上司……“お父様”でもあります。もっとも組織にも一切顔を出さない用心深さから、その素性を知る者は私も含めてほとんど居ませんが」



 くじらの語った断片的な情報を聞いただけでも、その“お父様”という人物は相当に慎重な性格の持ち主であると推測することができた。

 決して表舞台に立つことなく、そればかりか自身の正体を悟られないための仕掛けを何重にも張り巡らせている──その計算し尽くされた立ち回りは、もはや影の支配者フィクサーと呼ぶに匹敵する。


 しかしくじらはその人物の正体について、どうやら完全に心当たりがないというわけでもないらしい。

 彼女はバラバラのジクソーパズルを一気に組み上げていくように、これまで提示したあらゆる情報の欠片を一つにまとめはじめる。王太郎もそれに続いた。



「歴史上に点在する不自然な“歪み”……言い換えればそれらは、過去・現在・未来の何時どこかに潜んでいる“お父様”の正体を暴くための手がかりでもあります」


「この場合は、“ヌイの死”という出来事イベントがそのか。では黒幕の正体というも……」


「鋼城不知火と直接的、あるいは間接的に関わりのある人物と予想されます。そして“図書館”の設立を可能とするほどの財と地位を持った者ともなれば、さらにその対象は絞られてくる。……この時点で組織設立の母体となったと推測されるのは、十中八九」


「! “海神グループ”だというのか……!?」


「そう判断してまず間違いないでしょう。現に海神グループはサクラニウムの採掘権を早期に独占し、タイムマシン開発にもいち早く着手していましたから」



 あるいは“図書館”の設立と同じように『海神グループがサクラニウムや時流タービンに誰よりも早く目をつけた』という史実そのものが、タイムトラベラーによっての結果なのだとしたら。

 鋼城不知火が死ぬことによる歴史影響度パラドクスレベルを知っていた上で、人物がいたとしたら。


 それら全ての条件が当てはまる人間など、王太郎にはたった一人しか思い浮かばない。



鋼城かねしろ……海神わだつみ……」



 他ならぬ王太郎自身の父親であるその人物の名を口にした途端──彼の中で、最後のパズルピースが綺麗に当てはまった。

 ただの偶然だ、と一言で片付けることもできる。だが、そうするにはあまりにも辻褄が合い過ぎているのもまた事実だった。

 それと同時に、これまで疑問だったくじらからの呼び名についても自然と解消される。



「……なるほどな。オレの親父とお前の“お父様”とやらは、おそらく同一人物と見て間違いない──それでか」


「ズルい、ですよね……私。本当の兄妹でもないくせに、お兄様を利用したいがために妹のフリをして、近づいて……私とおんなじ怪物ひとでなしに変えたんですから」



 どうやらくじらは王太郎に無断でナノマシンを移植してしまったことを、まだ根に持っているようだった。

 所詮はただの独り善がりでしかないくじらのエゴは、しかし彼女の善性によるものに他ならない。

 細かな息遣いや仕草からそれを悟った王太郎は、義理の兄として落ち込んでいる義妹くじらへと強かに問いかける。



「『なにを持って“生命の死”を定義するのか』……と、お前は前にそう聞いてきたな」


「えっ? は、はい」


「知ってるか。ヒトの持つ細胞は、1日にして約1兆個も入れ替わるそうだ。全身の細胞も、6年ほどの周期ですべて更新されると言われている……“自分”を構成している物質なんぞ、時が経てば全くの別物に成り果てているものだ」


「そっ、その論述は全くもって誤りです! 細胞よっては一生入れ替わらない種類もありま──」


「野暮なツッコミはよさんか天才娘、オレはいま“イイ話”をしてやっているのだ。……まあ、つまりオレが言いたいのはだな」



 王太郎はほんの僅かにだが動かせるようになった手を、くじらの頭の上にポンっと乗せる。

 そして戸惑っている彼女の髪をくしゃくしゃと撫でながら、王太郎は自信ありげに微笑みかけた。



「たとえどんな身体に生まれ変わろうが、この妹を愛おしく想う気持ちは間違いなく“本物”だ。それだけは誰にも否定させん」


「お兄様……」


「ゆえにオレは始めから。魂を容れた器が別物になろうと、オレがオレで在り続ける限り、オレはのだ。だからお前が気に病む必要などない……


 ……そうだろう? 我が妹よ」


「……!」



 普段は傲慢ごうまんかつ自己中心的な王太郎にさとされたことがよほど予想外だったのか、くじらはしばらく目をぱちくりさせたまま固まってしまっていた。

 そして彼女は撫でられたばかりの頭を手でさすりながら、照れ臭そうに小声で呟く。



「えへへ……妹ごっこも、案外悪くないかもしれませんね」


「それでいい。どうしても兄を利用する必要があったというなら、構わずに好きなだけ利用しろ。妹の望みに応えてやるのが、兄であるオレの役目だからな」



 『その代わり』と、王太郎はやや強張った表情になりながらも続ける。



「あのオルカというヤツとお前が、どれだけ親しい関係なのかは知らん。それでもオレは、オレの望みを叶えるために運命あいつと戦うつもりだ。たとえ義妹くじらの同胞であろうと、実妹しらぬいの命を狙うものはオレが必ず殺す……それを受け止める覚悟をしろ」


「……フフフ、いいでしょう。それが契約の条件だと言うなら、くじらも幾らだって痛みに耐えてみせますよ……! 私も私の望みを叶えるために、もう手段を選んでなんて要られませんからっ」


「クフハハハッ! それでいい、それでこそ我が妹だ……義兄妹の契りを交わした者同士、世界を相手取ってみせようではないか」



 微笑ましい……と呼ぶにはあまりにも物騒な暗い笑みを浮かべながら、二人はこれまで以上に固い絆で結びついていることをお互いに実感する。

 決して綺麗とは言いがたい両者の関係性は、ともすれば“共犯者”とさえ呼べるかもしれない。だが共に『ときの秩序を犯す覚悟』をした二人だからこそ、彼らが同じ方向を向いていられるというのもまた事実だった。


 兄は、実の妹が殺されてしまう運命を変えるために。

 妹は、世界をタイムマシンが存在しない“本来あるべき姿”へと戻すために。


 まずは最初にして最大の障害──ガトラベル・ツヴァイを撃ち破る。

 そうすることでしか、きっと二人の時間は永遠に前へと進めないのだから。

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