#02『ゆえに、兄は幻想を追い求める』

「坊ちゃん。気分がすぐれないようですが、朝食はきちんとられましたか?」



 大企業の若き社長、鋼城かねしろ王太郎おうたろうの朝は早い。

 運転手つきの車で毎朝出勤する彼は、今日もいつもと同じように後部座席リアシートのまんなかで長い足を組みながら、移動中の習慣となっている読書をたしなんでいた。

 文庫本の文章を目で追いつつも、前の座席にいる人物へと生返事をする。



「……いいや、今朝は抜いてきた。あまり時間もなかったのでな」


「はぁ。昨夜ゆうべはお楽しみだったようですが、翌日の仕事に支障が出てしまうようでは困りますね。少しは社の最高責任者としての自覚を持っていただかないと」


「ほう、出歯亀でばかめとはあまり感心しないな。それともこのオレに夜の相手をして欲しかったのか? ン?」


「黙りなさい脳みそチ◯ポ野郎。なんなら今すぐ『IT社長、未成年と援助交際』という大スクープを週刊誌に送りつけてやりましょうか」



 眉ひとつ動かさずに淡々たんたん罵倒ばとうを口にする女性──霧咲きりさきざくろ。

 社長を相手にしてもまったく物怖ものおじしていない彼女は、こう見えても王太郎のれっきとしたメイドけんボディガードである。


 年齢は王太郎より1つ上。長身で日本人離れした容姿をしており、西洋風のエプロンドレスを違和感なく着こなしている。

 そして“イケメン社長”と持てはやされる王太郎と並んでもまったく引けを取らない美貌びぼうの持ち主でもあったが、その表情は常に鉄の仮面を被っているかのごとく無感動であり、無反応。


 そんな霧咲が(使用人という身分でありながら)主人である王太郎に対しても罵倒ばとうを浴びせられるのは、2人がまだ幼少の頃からずっと行動を共にしてきたからである。

 ゆえに王太郎も主従をこえた信頼を彼女に寄せているつもりだし、辛辣しんらつ冗談じょうだんを冗談で返せるくらいには応対も手馴れていた。



「フッ、安心しろ霧咲。もとよりオレは妹以外には欲情などしない」


「なにをどう安心すればよいのか理解に苦しみますが。


 ……ドン引きついでに申し上げますが、大のオトナがブックカバーすら付けずにライトノベルを読んでいるのも如何いかがなものかと」



 霧咲はルームミラー越しに、読書にきょうじている王太郎をチラリと見やる。

 彼が手にしている文庫本の表紙は、マンガ風にデフォルメされた少女のイラストが大々的にえがかれているものだった。

 ぞくにいう“萌え系”であり、世間からの風当たりも決していいものではない。しかし王太郎は羞恥しゅうちを感じるどころか、かえって堂々とした笑みを霧咲へと返すのだった。



「なあ霧咲。我が社のリリースしたAIアシスタントが、業界で高いシェアをめるようになった要因はなんだ」


「あらゆるタスクを遂行できる汎用性の高さと、自然な会話をこなせるハイレベルな人工知能……でしょうか。それとあなたの個人的嗜好せいへきになんの関係が」


「フッ、大アリだともさ──“Heyヘイ, DRY-ADドライアド”!」



 王太郎はパタンと本を閉じると、とつぜん“運転席”に向かって呼びかける。

 なお彼が座っているのは後部座席であり、付き人である霧咲は前の助手席にいる。そして車内には2人以外に乗っている者はいない。

 つまり本来運転手がいるはずのその席には、なんと誰も座っていなかった。


 ──が、たとえ運転席は無人でも、そこにはたしかに存在していた。

 たったいま王太郎の発したボイスコマンドによって待機状態スリープモードかれ、運転席にそなえ付けられたモニターが点灯する。

 そして間髪をれず、精巧なポリゴンにテクスチャーを張り巡らせた電子の妖精AIアシスタントがそこに映し出された。



《はいはーい! ボクになにか用かい、マスターくん?》



 屈託くったくない笑顔をみせるそのAIアシスタントは、17歳くらいの少女の姿をしていた。

 やや幼い顔立ちとは不釣り合いな、健康的に細く引き締まった体躯たいく。美麗なグラデーションのかかったコバルトブルーの髪は腰のあたりまで伸びており、頭の両側には群青色のリボン、こめかみの辺りには近未来的な衣装の髪飾りがそれぞれあしらわれている。


 衣装は白地に青と紫の差し色が入った巫女服風のミニスカート。ヘソと太ももが露出しており、ほどよく筋肉のついた脚をガーターベルト付きのストッキングが包み込んでいる。


 商品名なまえDRY-ADドライアド

 言うまでもないが実在する人物ではなく、バーチャル空間上にのみ存在する架空のキャラクターであった。



「ドライアド、目的地への到着まではあとどれくらいだ?」


《いつものルートはトンネル事故の影響で道が混んでるから、だいたい20分ってところかな。あっ迂回ルートを通れば2分30秒の時短になるけど、マスターくんはどっちがいい?》


「オススメのほうで頼む」


《りょーかいっ! それじゃあ自動運転をルートBに更新するね》



 ドライアドが軽快に返事をした次の瞬間、それまで直進していた車がひとりでに車線を変更しはじめた。

 自然体の少女のように振る舞っている彼女ではあるが、見かけによらず主人マスターとの会話内容から瞬時に必要な情報を収集・分析、そして自ら提案したタスクを実際にこなせるだけの高度な演算処理能力と柔軟性を持ち合わせているのである。



「──と、このように我が社のほこるAIアシスタント“ドライアド”は徹底したキャラクター化をすることよって、あたかも実在する人間と話している時のような親しみやすさを生んでいるのだよ」


「誰に対して説明しているのですか」


「もはやラノベをキモオタ小説などと小馬鹿こばかにするのは前時代的な考えだと言わざるを得ないな。いまや日本のサブカルチャーもビジネスとなる時代、オタクは市場を支える大事なお客様なのだ。キモオタ様をあがめよ、いいな?」


「金持ちのイケメンが言うと妙に嫌味ったらしいセリフですね」



 一席ぶってみせた王太郎にあきれ返る霧咲だったが、彼の語るビジネスが成功を収めているのも事実だった。


 王太郎自身が代表取締役社長COOを務める巨大企業複合体コングロマリット──“海神わだつみグループ”。

 そのイメージキャラクターとして生み出されたドライアドは、いまや世界中を席巻せっけんするほどの人気バーチャルアイドルとしての地位を不動のものとしている。ライブイベントの開催やグッズ販売なども頻繁ひんぱんに行われており、メディアミックスを含む全体的な売上高は数千億を超えるなど、いち大企業を支える主力IPとなっていた。



「ともかくオレがこのような文献を手にしているのだって、市場調査リサーチのようなものだ。じゃなきゃオレが28にもなって、こんな中高生向けの娯楽小説など読むと思うか?」


「表紙にデカデカと『お兄ちゃんだけど本気で好きになってもいいよね?』というタイトルが書かれている時点で言い逃れは難しいかと」


「なにかね、まるでオレが妹属性のキャラクターに欲情しているかのような言い草だな」


「先ほど自分でそうおっしゃっていたではありませんか」


「オレはただ純粋に想いをせているだけだ。こんな風だったかもしれない……とな」



 王太郎が物憂ものうげに吐き捨てると、なにかをさっした霧咲もそれ以上に深く追及することはしなかった。

 そうして車内にしばらくの沈黙ちんもくが流れたのち、彼らを乗せた車はいつの間にか目的地である立体駐車場へと到着していた。


 先に霧咲が降りてドアを開け、次いで後部座席から社長である王太郎が降車する。

 そして重要な書類の入ったアタッシュケースを霧咲より受け取ってから、2人はオフィスビルの入り口に向かって歩き始めた。



「坊ちゃん」


「ここでは社長と呼べ。……なんだ?」



 歩く足を止めぬまま、かれた霧咲は言葉を続ける。



「ネクタイを締め忘れております。時期的にクールビズにはまだ早いかと」


「フッ……よいか、霧咲」



 すれ違う社員たちに挨拶をしつつ、ビル最上階の社長室まで続くエレベーターへと乗り込む。

 ガラス張りのシャフト越しに見える景色まちを心ゆくまで見渡してから、王太郎は自信たっぷりな笑みを浮かべて霧咲へと振り返った。



。オレをしばれる者は誰もいない」


「はぁ、いつもの自己陶酔ナルシシズムまみれたポエムですか。はっきり言って痛々しいですね」


自惚うぬぼれなものか、せめて信念のあらわれと言いたまえ」



 霧咲がいた悪態あくたいを強引にくるめていると、ちょうどそこでエレベーターの上昇が止まった。

 開いたドアをくぐって数歩ほど歩くと、すぐにだだっ広い社長室しごとばへとたどり着く。その最奥にどっしりと構える椅子は、選ばれし者だけが座れる神聖な座具──王太郎にとっては、いわば玉座ぎょくざである。



(ああ、そうだ。王たるオレがのぞみさえすれば、欲しいものは手に入るのだ)



 社長専用のデスクへと腰かけると、さっそく机の上に置いたアタッシュケースを開封する。

 その中に入っていた紙資料を手に取ると、王太郎はいつになく真剣な眼差まなざしでそれを睨んだ。



(ならばオレは、すべての財を投げ打ってでも手にしてみせる。たとえそれが、ただ過ぎ去りゆくだけの時間かこだったとしてもな……)



 じっと見つめている文字列が、彼のかけている眼鏡にぼんやりと反射する。

 そこにははっきりと太字で──『海神わだつみグループ:タイムマシン極秘開発計画プロジェクト』という表題がしるされていた。

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