第16話 椎名陽乃子
『これより4時間№4椎名陽乃子の持ち時間となります』
「あらあらぁ、はじまってしまいましたわねぇ」
「よーやくてめえと敵同士だってこった。飯の礼にナンバーくらいは覚えといてやるよ」
「ブレイク……悪役みたい」
フリルのついたエプロンを脱いで、カウンターの中の外套掛けにかけると。陽乃子はカウンターの外に出てきて、ウッドチェアから立ち上がって距離をとり構えたひつぎと斧を向けたブレイクに対してふんわり広がったスカートの端を持ち綺麗なカテーシーを披露してみせた。
「改めましてぇ、わたくし椎名陽乃子と申しますわぁ。わたくしの持ち時間内はこの店から出られないようになっているのでぇ、お気を付けくださいましぃ」
「オムライス、おいしかったです」
「卵サンドのがうまいな」
「殺しましてよぉ? 厨二ぃ」
にっこりと微笑みつつ、左手は頬に当てて。右手でいくつかの宝石のようなビーズのついたマチ針を指の間に挟みながら、脅す陽乃子にとりあえず1回は死んでもいいから相手の手を読まなくてはとひつぎが思った瞬間。
「戻ってくださいましぃ、意中貫通の針」
どっくん。心臓が大きく跳ねた。それと同時に食堂を傷つけて口からせりあがってくるものがあって、喉を押さえて木でできた古めかしい床にそれを吐き出せば。フローリングを汚したそれは血の塊だった。いや、違う。あれはひつぎの臓器だ。それに無数の短針が刺さっている。
「あ……ぁっかっはあ……」
「ひつぎ!?」
燃える火を抱くような、それでいてちくちくと全身を縫われているかのような痛みがひつぎの全身を襲う。思わず身体を抱いてうずくまったひつぎをかばうように前に出たそんな中で、ブレイクの足の隙間から見えた先ほどとは変わらないはずの陽乃子の笑みが、妙に歪んで見えた。
ブーツの音を響かせてゆっくり近づいてきた陽乃子は床に吐いたひつぎの臓器を無造作に拾い上げると、顔の近くまで持ち上げぐちゃりと片手でつぶした。同時に臓器の中に通っていた血が陽乃子の顔にかかる。
無造作に拾い上げた臓器をこれまた無造作にカウンターへと放り投げて、その血をうっとりと肌に塗り込む。恍惚としか言いようのないその顔はどこまでもとろけていて、しかし狂気を催した。すっと屈んでブレイクがひつぎを俵抱きにしながらおぞましいものを見てしまったような顔で問う。
「てめえ……なにやってんだ?」
「あああああああああああああぁ、これでぇ、これでぇ。2歳は若返ったわぁ。若い子どもの血はやっぱり若返らせる力があると思いますのよぉ? だから、もっともっと、血を下さいなぁ?」
「……狂ってやがる」
※血の伯爵夫人。その言葉を思い出したときにふと何かを思いだした。バートリー・エリザベート。史上名高い連続殺人者であり、吸血鬼伝説のモデルとされた人物。
なぜ自分がこんな知識を持っているのかはわからないが彼女は確か若い女性の血で浴槽を満たし、その中に入ることで自身の美が保たれると信じていた。ならば狙われるのは当然ひつぎで、ブレイクは狙われない。
そして、先ほど陽乃子は「戻ってくださいましぃ、意中貫通の針」と言った。ということは、ひつぎの体内にもう針はあったということで。ならば先ほどの食事しか思いつかなくて、ひつぎは「いれませんわぁ」といった陽乃子の言葉が嘘だったことを知る。
たぶん針を粉末にして入れたのだろうとあたりをつけた。それならばひつぎに悟られず食事の中に混入することは可能だからだ。
ブレイクにそのことを伝えると叫ぶように高笑いをする陽乃子を完全に軽蔑したものを見る目で見て、ひつぎを抱きなおし片手で斧を構えた。
「ま、とりあえあいつみたいに首落としゃいいっつーことだな」
「……う、ん。あゆりさん、みたいに」
「あ、ゆ、り。あああああああ、あのあの、あの君継あゆりですのぉ? うふふふ、そうなんですのぉ。首を切られて、さぞかしたくさんの血が流れたでしょうねぇ。あぁ、わたくしもあびたかったですぅ、あの魔女の血、いつまでも老いない不老の血。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい、ああああ、でももうないんですのよねぇ? ならひつぎちゃんの血で少しでも若返らなくてはぁ」
「きめえ」
見開かれた目は焦点が定まっていなくぐらぐらと首も左右に揺れてマチ針を自身の服に刺し、両手で血を顔へと塗りたくる陽乃子にはブレイクは見えていないらしかった。ただけたけた笑い声を響かせながらゆっくりと近づいてくる陽乃子に、ブレイクは扉の近くまで後退するとひつぎを自身の後ろへと座らせると勢いよく斧を振る。
それが頬をかすった瞬間。改めてブレイクのことを認識したように不快そうに笑顔をひっこめて眉をひそめると。
「いってくださいましぃ、意中貫通の針」
「知るかおらあ!!」
不愛想に、不機嫌そうに。服に刺したマチ針を何本か抜くとブレイクに向かって投げつける。それを不錆不壊の斧で振り払おうとするも、1本、たった1本だけすり抜けてしまう。それに気づかず斧を振り終わったときには、それは問題なくそこに刺さっていた。ブレイクの碧色の左目に。
「がああああああああ!!」
「ブレイク……!!」
「ああ、これでやっとぉ。邪魔ものが消えましたのよぉ? ほら早く、ひつぎちゃんを血を差し出してくださいなぁ」
碧色のそこに赤の装飾がついた銀の残像が刺さるのを、ひつぎはただ自身の身を焼くような痛みに耐えながら見ていることしかできなかった。だから。
だから、だから。考える。ひつぎにはそれしかできないから。ひつぎを褒めてくれたブレイクのために、守ると言ってくれたブレイクのために、ひつぎは一生懸命考えた。
そして。
斧を取り落とし床に、痛みに蹲ったブレイクにそっと囁く。こつんこつんと恐怖をあおるようにゆっくりと、陽乃子が近づいてきていた。
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