第8話 君継あゆり

「やあ」


 高くも低くもない、中性的というにふさわしい声がした。声をかけられているのが自分だとは気づかずにそのままブレイクの背中を見続けているひつぎに、今度は困ったような声色で中性的な声は続けた。


「あのさ、一応キミに話しかけているんだけど。ごめん、名前がわからないんだ。君が贄だろう?」

「え……!? ご、ごめんなさい。有山ひつぎです?」

「いや気にしないでくれ。はじめまして、有山ひつぎちゃん。ボクの名前は君継あゆり」


 一般人には見えないはずなのに、なぜ自分に声をかけてくるのだろうかと不思議に思ったところで、名乗られた名前にはっとする。そうだ、それは次の4時間を有する殺人鬼の名前だ。はっと振り向くと、茶色のショートカットのどこか王子様のような雰囲気を漂わせる人がいままでブレイクが座っていたところの背もたれに腕をかけて立っていた。

 顔では男女の区別がつきにくく胸の大きさもひつぎと変わらない、声も高くも低くもないアルトだ。しかも格好は木漏れ日の中に似合わない……でもないが白いシャツに黒いスラックス、その上には適当に左袖だけをまくった白衣を羽織っただけというなんとも判別しにくい姿をしていた。

 見かけは20代前半くらいだろう。ブレイクがそうしていたように時間になるまで会ってはいけないのではないのだろうかと思ったところで、その疑問が顔に出ていたのだろうあゆりが答える。


「別に次の時間になるまで会ってはいけないということはないんだよ? ただ殺してはいけないというだけでさ」

「そう……なんですか」

「ボクとブレイクは何回かこの『神の作った箱庭』に来ていてね。そのたびにあいつは贄のことを知ろうともしないですぐに殺そうとするんだ。まったく。ところでなんだがね? 質問いいかな?」

「え……ど、どうぞ?」

「ボクって何歳に見える?」


 ぱちんと可愛らしくウインクしながら、あゆりはひつぎに尋ねた。その仕草に女の人なのだろうかと思ったがその質問に無表情のまま、心の中は混乱に満ちるひつぎ。そう、この人物こそが一番わからなかった人なのだから。※の後に現代に生きる魔法使いと書かれていた人物。しかも年齢がとんでもないことになっていた。正直バグってるのではないかと思うほどに。


「えっと……20代前半に見えます、けど。本当は345さ」

「ああ……、やっぱり知ってるんだね。あの狂った神にも困ったものだ」

「……あの?」


 かぶせ気味に遮ったあゆり。憂鬱とでも言いたげばその顔に困惑しながらも無表情のままひつぎが問う。すると苦笑に顔を変えて、答えた。


「ああ、ごめんね。うん、今のでわかったよ。ボクの年齢を知っている人には全員死んでもらうことにしてるんだ。だからね」

「あ」

「キミには必ず死んでもらうよ、ひつぎちゃん」


 あゆりの腕まくりされた白衣よりも色のついた左腕に黒い幾何学模様が現れる……というのはおかしい。滲み出すようにあゆりの細い腕に模様を刻む。前触れもなく突然に。するとそれは太陽の下にあるにもかかわらず青く輝くとその幾何学模様の中から青い水晶の三又鉾が一瞬で現れる。その三又に裂けた鉾先をひつぎの首に当てながら、あゆりは嫣然と微笑んだ。

 正直、ひつぎは今殺されるのかもしれないと思ったがその時。

 ずぱんと鉄のベンチが、ブレイクの座っていたところが斬られて真っ二つになった。ばっくり包丁で切ったかのようなそれに、沈み込む崩壊に巻き込まれないように目を丸くして、まだパンの入った紙袋を抱えて立ちあがりすくむことしかできなかったひつぎの後ろから声がした。


「てめえ何やってんだ」

「おやおや、なんだいキミも今回ばかりは殺される側に回ってしまったじゃないか、ブレイク」

「うるせえな、どうでもいいだろうが。そのガキから今すぐ離れろ」

「なんだ、騎士ナイト気取りなのかい? ……殺人数100人越えの数いるシリアルキラーの中でもトップクラスに立つキミが、笑わせるね。ああ、1番はさっきキミが殺したから実質トップか」

「うっとーしいんだよ、ナイト? が何かは知らねえが、俺の邪魔したら『弱いもの』以外は殺すぞ」

「おお怖い怖い。じゃあボクは逃げるとするかな」


 ぞっとするような冷たい空気がブレイクから発せられる。冬の冷気とは違うそれを人は殺気というのだろうなと思いながら。わずかに後ずさるひつぎを気にした様子もなくひつぎの前に焦らすようにゆっくりと歩いて行きまるでかばうみたいに立ったブレイクの背中をまぶしげに見つめるひつぎとブレイクの両方に皮肉気に笑ってから。とっさの瞬間に引っ込めたのだろう無事な三又鉾をまた左腕にしまいながらあゆりの姿が陽炎のように揺らめくと消えた。

 もともとおかしかったのだ。ひつぎは人の気配に鈍感なほうではない、それなのに話しかけられるまでその存在に気付かなかったということが。たぶん、現代に生きる魔法使いということで、陽炎のように消えたのも現れたのも魔法というものだろう。あれをもし4時間の中で使われたら厄介だなと思ったひつぎの思考を読むように、どこからかあゆりの声がした。


『安心していいよ、ひつぎちゃん。魔法はボクの持ち時間の中では使えないことになっているからね』

「うるせえ!! さっさと消えやがれクソが!」


 罵るブレイクの言葉が聞こえたわけでもないだろうが、それ以降ぷつりと途切れたようにあゆりの声は聞こえなくなった。


「おい、大丈夫か。ひつぎ」

「……うん、平気。助けてくれてありがとう」

「はっ! 別に助けたわけじゃねえよ。名前の書き方、まだ教わってねえからな」

「うん……それでも。ありがとう」


 素直に礼を言うひつぎに、むずがゆそうな顔をしたブレイクは一回公園の地面の砂を蹴り上げると。別のベンチを探し始めた。ひつぎもそれに倣いながら、公園に立っている時計を見上げた。あゆりの時間まで、あと4時間35分だった。

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