第3話 火祭夢花

『『サフェ・カゲーム』を開始します、並びにこれより4時間№1火祭夢花の持ち時間となります。』


 先ほどの『セーブを完了しました』という声と同じ声が耳元で囁く。内容は全く違ったが。

 それと同時に、目の前……と言っても数メートル離れたところだったがぽとりと最初は一滴。次にはまるでシャワーでも流しているかのような勢いで雨が降る。

 なんで雨? と見上げた空は青い。雨なんてまるで知りませんよと言わんばかりに雲もかかっていないのになぜ? と思ったところできゃあああああああ!! わあああああああ!! とあがった悲鳴に視線を雨が降った場所に戻してみれば。


 溶けていた。

 なにが? たぶん、人が。たぶんという解釈がつくのは仕方がない。だってもう顔は溶けきっていて、首から下しかなかったのだから。びくびくと震え神経を肉を骨を見せながらどしゃりと足元の脳汁のように黄色い液体に倒れ込んだ最初に服が溶けたのだろう素肌の身体も降り続く「雨」によって溶けていく。ひつぎの周りだけ降り、ひつぎには一滴もかからない雨。ひつぎを避けるようにまあるくまあるく降り注ぐそれに悲鳴を上げながら逃げていく人々。それは人間だけにとどまらずアスファルトもうっすら溶かしていく。


 やがて誰もいなくなりあ……あ……と表情を凍りつかせてその恐ろしい光景をへたりこんで見ていることしかできないひつぎに、周囲の人々がいなくなるといつのまにか雨はやみとんとんとんとんっとなにかがビルの屋上から屋上を伝って、あるいは窓枠に足をひっかけて軽い足取りで降りてきた。まるで曲芸でもしているかのような、重力なんて知りませんと言わんばかりの身軽さに目を丸くするひつぎの前に、彼は降り立った。

 太陽の光に透ける茶髪に茶色い目、そばかすの散った活発そうな幼い顔はさっき写真で見ていた少年そのものだった。服装は囚人服ではなく、白いTシャツに黒いカーディガンと青い煤けたジーンズというラフな格好だったがその片手にはじょうろを持っている。名前は確か……。


「火祭……夢花く、ん?」

「わあ、おれの名前知っててくれたんだ! そうだよ、お姫様! おれの名前は火祭夢花! ああ、大丈夫そんなに怯えないで。おれはただ……とろける君がみてみたいだけなんだ」

「……と?」

「そう!」


 不思議そうにへたり込みながら首を傾げるひつぎに、夢花は本当に嬉しそうにくるりと一回転すると跪いて熱っぽい瞳で手を差し伸べながら。大げさに演説でも繰り広げるようにじょうろを持った手を頭の高さまで持ち上げる。


「アイスだって溶けるから美味しい、雪ウサギだって溶けてしまうから可愛い。一瞬の美って言うのかなあ? おれの美意識をどうしようもなく刺激するそれらがとんでもなく愛おしいんだ! だからね、お姫様。こんなにも溶かしてあげたいって思うのは君だけで、この感情は一目惚れって呼ぶんだと思うよ? ねえ、だからどうか。おれを受け入れて?」

「メルト……マニアって……溶けるのを見るのが好きなの?」

「ううん、好きなんて軽い言葉じゃすまないんだ! 愛してるんだよ! だからお姫様、受け入れるって言って?」

「それ……痛い?」

「大丈夫、ちょっとだけだよ。だから、受け入れるって言って」

「痛いのは……い」

「受け入れるって言ってよおおおおお!!」


 やだ。ひつぎがそう言いきる前に。夢花が豹変した。

 叫びながらじょうろを傾けて、先端についたノズル、シャワー型のそれをひつぎにかけようとする。しかし中身が少なくなっていたのかぴちょんと一滴もれただけでも落下してアスファルトへと落ちたその一滴は白い煙を上げてアスファルトを溶かしてみるみる間に5センチほどの穴をあけた。

 それを見て、写真の裏※の前に書いてあった「武器:水質変化のじょうろ」という言葉を思い出した。水質変化、それは水の性質を変えられるということで、つまり強酸にも強アルカリにも変えられるということ。

 先ほどの人々はこのじょうろの中の水? によって溶かされたのだと、これから自分も同じ目に合うかもしれないのだと思った瞬間、ひつぎの中に恐怖が芽生えた。


(痛いのはいや……どうせ死ぬなら痛くなく死にたい)


 ひどい我儘だがそう思った途端にふと体が軽くなって、ひつぎは膝をついて立ち上がり駆けだした。もうすっかりがらんどうとしたビルの間を走る。まるで風になっているように自分では速く感じられた。周囲の景色が流れていって、だんだん走るのが楽しくなってきたころ。それでも終わらないビルの間の道におかしいな? とおもいつつも後ろを見ると。


 誰もいなかった。

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