2:龍族(ドラゴン)の子供

 街の名はセラゼールといった。

 街とはいっても大したものではない。小さな城壁で周囲を囲んだだけの少し大きな村といったところである。

 ジュードは、そんな街の宿の一室を借りて、盗賊から助けた子供を眺めていた。

 子供はベッドで眠っていた。盗賊が言うには、さらった時からずっと眠ったままだという。


「どこのお嬢さまだっていうんだろうな、ったく」


 ぼやいてみても、起きる気配はない。

 見たところ、歳は十とちょっと。長い銀髪が特徴的で、布越しではあるが、見るに体の線は細いと思われる。

 さらわれていたというのに、見た目はとても美しかった。白い肌にくすみは見当たらず、銀髪は自ら光を放っているのではないかというくらいに輝いている。

 安宿には似つかわしくない姿である。法具マテリアルを解いて、適当な服を着せれば、それこそ簡単に名家のご令嬢が出来上がりそうだ。

 盗賊の言ったことを全て信じたわけではない。ただ、この子の存在だけで説得力があるのは確かだ。

 しばらく、ぼうっと見とれていた。あと数年もすれば、ジュード好みの女性になるだろう。出会うのがもう少し遅かったならばと、ぼんやり考えてしまう。

 だが、見ているばかりでは状況は動かない。何はともあれ起きてもらわなければ、どこの誰かすら分からないのである。

 穏やかに眠っているところにも申し訳ないと思いながら、ジュードは相手の頬を軽く叩いてみた。

 反応はない。


「おーい、起きてくれよ」


 言いながら頬をつねってみても、やはり起きない。鼻をつまんでも変わらない。コップの水を垂らしてみても、すやすやと寝息を立てているだけだった。

 あらかじめ探っておいたが、法具マテリアルのせいというわけではないようだった。となれば、よほど寝起きが悪いらしい。


「どうしたもんかな」


 頭を掻きながら改めて様子を見る。まさかたたき起こすわけにもいかない。何とかして、自分から目を覚まして欲しい。

 と、ジュードの目に小さな光が見えた。

 銀髪の隙間から、何やら見えるものがあった。そっと髪をよけて見ると、不思議な光沢をもつ首輪が白い細首にはめられていた。

 銀色のそれは、銀そのものではなかった。白金とも違う。法力マナを感じるものの、魔鉱石ミスリル飛行石オリハルコンといった法術鉱石でもない。

 これが、目覚めない原因だろうか。

 髪の毛一本すら通しそうにないほど密着している首輪に、そっと触れてみる。

 すると、触ると同時に、


「!?」


 がばっと、子供が起き上がった。

 突然の覚醒に、魔物の襲撃よりも驚かされた。


「え? あれ? ふぇ?」


 可愛らしい声が、疑問にならぬ疑問を投げかけている。あちらこちらを見回して、青い瞳がジュードを捉えるにはしばらくかかった。


「君は、誰?」


 サファイアよりも美しい瞳が、ジュードを見つめていた。軽く首を傾げ、小動物のように無邪気な視線を送ってくる。

 ジュードはしばらくあっけにとられていたが、なんとか言葉を取り戻し、


「あー、えっと。俺は、ジュード=リーヴィス」

「じゅーどりー……?」


 答えても、あまり伝わらなかったらしい。


「ジュードが名前で、リーヴィスが家名だよ。知らないか? リーヴィス」


 再度名乗っても、


「……リーヴィス? ごめん、知らないや」

「……そうか」


 自分では有名だと思っていたが、意外とリーヴィスの家名は知られていなかったようだ。

 少しばかり家名に情けなさを感じつつ、ジュードもまた同じ問いを返してみた。


「んで、君は? 盗賊たちは、どこかのお嬢さんだなんて言ってたが……」

「おじょうさん……? おじょうさんって、何? それも名前?」


 まだ寝ぼけているのだろうか。ジュードを見つめる瞳は、困惑の色を浮かべていた。


「いや、お嬢さんってのは君のことだよ」

「ボクはおじょうさんなんて名前じゃないよ?」

「あー、お嬢さんってのは女の子ってことで……」


 女の子、と言われてやっと合点がいったのか、子供はうなずき、


「女の子って、人間のメスのことだよね!」


 何気ない言葉で、瞬時に、ジュードは動いた。

 壁に立てかけてあった杖を取り、すぐさま法力マナを練る。ローブをひっつかむと乱暴に肩にかけ、


「なんだ、お前?」


 一片の油断も無く、子供らしき何かに問いかけた。


「え? え? なに、どうしたの?」


 相手は、ジュードの変化に戸惑っていた。何が悪かったのか気づいていないらしい。

 ジュードは子供の疑問に、慎重に答える。


「わざわざ、人間の、なんて言う奴は、自分が人間じゃないって言っているようなもんだ」


 さすがに一年半も旅をしていれば、人間らしき何か別のものに出会った事もある。

 屍人族ゾンビ骸骨族スケルトン首無族デュラハン、相手の様子からすればこれらには当てはまらないが、人間に敵意を持つ種族は多い。見た目がただの子供でも、中身はとてつもない化け物である可能性もある。

 ジュードの敵意ある視線を受けても、相手に動じた様子はない。驚いたように、ぱちぱちとまばたきするだけだ。


「えーっと……」


 相手は困り顔で、迷っている様子を隠さずに口を開いた。


「ボクはカルス※〇×△◆□……」


 聞き覚えのない音が、混じっていた。


「あれっ、うまく言えないな。カルス※〇×△◆□……、うぅ、ダメだ。この姿だからかな」


 酷く残念そうに落ち込んでいる。見た目だけなら愛らしく見えるが、


「名前を聞いているんじゃない。お前は何だ? 幽霊族ゴーストか? 妖精族フェアリーか? 森人族エルフじゃないようだが、それとも……」


 ああ、とここまで言って、やっと相手は理解したらしい。あはは、と気の抜けた笑みを浮かべつつ、困ったように返事をした。


「ボクは龍族ドラゴンだよ。えっと、君たち風に言うなら、銀龍族シルバードラゴンっていうのになるのかな」


 突然の自己紹介には突拍子もない話が混じっていた。

 龍族ドラゴンといえば、人間をはるかに超える持つ上位種だ。数百年の単位で生き、知性も法力マナも人間よりもはるかに優れている。存在するだけで自然が変わるとまで言われている。

 しかも銀龍族シルバードラゴンとなると、ただの龍族ドラゴンをすら超えるという最上級の種族である。伝説、おとぎ話の世界でしかジュードは聞いたことがない。


龍族ドラゴン……? しかも、銀龍族シルバードラゴンだと? バカ言え。龍族ドラゴンがなんで人間の姿なんかしてやがる」


 もしも相手が本当に龍族ドラゴンだったとしたら、ジュードはその吐息だけで消し飛ばされているはずだ。いくら法力マナを封じる法具マテリアルで縛られているとはいえ、いや、縛ること自体が無駄だろう。

 いるだけで圧倒される、そんな相手であるはずだ。だが、目の前の子供からは強い気配など感じない。法力マナもせいぜいでそこいらの平凡な法術師ウィザード程度。見た目と相まって、恐ろしさなど微塵もない。


「んしょっと……。うう、動きづらいなあ。ねえ、これ外してもいい?」

「動くな、頭を撃ち抜くぞ」


 ジュードの殺気を受けても、子供は困り顔で笑うだけ。状況が分かっていないのか、それとも余裕があるのか。

 どちらにしても、ジュードは敵を舐めたりはしない。妙な動きをするなら、一撃で殺すだけの覚悟がある。


「んー、信じてない?」

「当たり前だ」


 当然だ、と言い放つ。

 すると、


「あはは……。じゃあ、証拠を見せるよ」


 軽い調子で言うと、相手はもぞもぞと動き出した。


「動くなと……」


 ジュードが言い終える前に、子供を包んでいた法具マテリアルが砕けた。


「なっ!?」


 法具マテリアルは厳重すぎるほどに巻かれていたというのに、まるで紙細工を破るようにあっさりと剥がれ落ちた。

 鎖がほどけ、布が崩れる。ベッドの上に、破片が飛び散った。

 露わになったのは白磁ですら敵わないだろう白い肌と、


「名前が上手く言えなくてゴメンね」


 銀色の光を放つ翼と、


「人間の姿をしているけど、ボクは銀龍族シルバードラゴンで」


 天に向かって伸びる銀色の双角と、


「それと、オスなんだ」


 確かに男ならばあるはずのそれが、しっかりと付いていた。

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