22:龍族(ドラゴン)の来たりて
手の中の杖は砕け、砂のようになって消え去った。
ジュードの視界に、青の色が広がる。全力の一撃は、壁といわず、向かいの部屋全てを吹き飛ばして城に大穴をあけていた。
気だるさを感じる。全身から力が抜けていきそうだ。痛みも、左腕におさまらず、体全体に及んでいた。
それでもジュードは気力だけで立った。逃げ出す商人の尻を見送り、落ちていた剣を拾い上げて、領主の前に立つ。
「よお、領主さんよ。まだやるかい?」
領主は言葉ではなく、視線で答えた。
ジュードの投げた剣は、領主の肩をかすめるにとどまったらしい。浅く衣服を裂いただけだった。
領主の、憤怒の目が、ジュードに向けられている。
それも、今のジュードには涼しいものだ。カルスを背に立ち、ジュードはまだやる気を失ってはいない。
引けぬのではなく、引かぬ気持ちで立ちふさがる。
領主は怒りをあらわにジュードを睨み付けていた、が、
「ふん、まあいい」
そう短く言うと、自分の椅子に腰かけた。
表情は、また引き締められ、静かになっていた。何故か余裕すら感じられる。
「テメェのやったことは、ギルドに報告する。
ジュードが言い放っても、領主は態度を崩さない。
まだ何かある、と感じるには十分な姿だった。
カルスは無事。ドネリーも致命傷は負っていない。ジュードは満身創痍だが心は折れていない。
となれば、まだ一戦交えるのみと、覚悟した時だった。
地響きが城を襲った。大きな揺れが、崩れた壁面をさらに揺さぶる。領主の部屋も、無事だった調度品、本棚が暴れて倒れていった。
「な、なになに?」
カルスが、背にしがみついてくる。ジュードもさすがに気を取られた。
「なにしやがった、テメェ!」
何が起きたかはともかく、起こしたのは目の前にいる男だろう。
領主は揺れを気にした風もなく、静かに椅子に座り込んでいた。
しかし、揺れが収まるにつれて、次第に領主の表情がゆがんだ。
恐れや不安ではなく、喜びに。今にも腹を抱えて笑いだしそうなくらいに。
「は、はははは、王都に伝わる? それがどうした。王国など、すぐに潰してやる!」
領主は感情を隠さず、高らかに言った。
「リーヴィスだろうとなんだろうと知ったことか! 王とてこれからいなくなる。王国八百年の歴史も、間もなく消えてしまうとも!」
はたから見れば、妄言を言っているだけにしか思えない。だが、領主は決して虚勢を張っているようにも見えなかった。
領主は、楽しそうに肩を震わせながら、問うてきた。
「貴様、
「あん?」
言われて、すぐにジュードは周囲を見回した。それらしい甲冑、人形は見えない。
どこかに隠してあるのかと念入りに気配を探っても、辺りに人影も気配も無かった。
領主は、ジュードの様子をあざ笑いながら、
「ここにはいない。だが、あそこには用意できるだけ全部を投入した」
「なんの話だよ?」
「あそこだよ、あそこ」
領主が指さしたのは、ジュードがあけた城の大穴。さらにその眼下に広がる平原だった。
何もない、ただの平原だった。それが、急に落ちくぼんだ。
「は?」
大きさにして、ヒュースの半分くらいだろうか。下手な湖よりも、穴は広く、深く見えた。
舞い上がる土ぼこりが見えた。まさかあの穴をあけるために、
ジュードが真意をつかみかねていると、カルスがふと、あ、とこぼした。
「どうした、カルス?」
「く、来るよ、ジュード!」
「何が?」
返事はカルスではなく、平原から聞こえた。
先ほどの揺れとは違う、大きな振動だった。臓腑の奥をえぐられるようなそれに合わせ、耳をつんざく大咆哮がとどろいた。
「来たぞ、来た!」
領主が、感極まって叫ぶ。
何が、と見やると、平原の穴に覆いかぶさるような大きな影が見えた。
巨体と、それに見合った翼、頭らしき場所からは炎を吐き、怒りを表すかのようにぶるぶると震えている。
再び、咆哮が耳を刺す。それで、土煙が晴れた。
「マジかよ」
赤黒い鱗で全身を覆い、
「っはははは、やはり来た!
「テメェ、
「違う、逆だよ逆! 人間が
正気を疑う発言だった。人間が
「特製の
いつか、学院で老人に聞いた話を思いだした。
大地は
「まさか、本当に本当だってのか……」
全身を覆っていた不快感を全て忘れる光景だった。
「
地表からの法術も苛烈だった。頭にこそ届かないものの、
徐々に、
「化石になった
それを使って、王国と戦うというのか。
領主は喜悦に富んだ声で、
あ、とカルスが呟く。
「おい、カルス、見るな!」
「あ、ダメ、ダメだよ、そんなことしたら!」
カルスの前に立ち、視界をふさぐ。それでもカルスは気配を完全に察しているようだった。
「カルス!」
「来ちゃう、来ちゃうってばぁ!」
カルスが叫ぶと、ついに
「っ!」
ジュードは、迷わず領主に斬りかかった。
元凶であるこの男を斬り捨てればなんとかなると、残る力全てを振り絞って剣を振るった。
「きかんよ」
だというのに、ジュードの剣は、いともたやすく弾かれた。
「貴族のたしなみくらいは修めている。杖の無い、しかもボロ雑巾のような
逆に剣を向けられて、ジュードは歯噛みする。戦いなれているとはいっても、杖が無ければジュードも全力が出せない。さらには疲れ切った体には、もう力が残っていない。
「王ともども、貴様の家も滅ぼしてやる。滅亡の栄えある一番目は、貴様だ」
今度こそ、ジュードの心臓に切っ先が向いた。
ジュードの持つ最後の武器は、視線だけだった。力に入らぬ体で、唯一、目だけが力を失わなかった。
領主は何も語らず剣を突き刺す。せめて死のうと目はそらすまいと瞳に力を込め、
「……来た」
ぽつりと呟かれた一言を耳にして、
「!?」
領主がいきなり横に吹き飛ばされた。
「……は?」
三度、城が震えた。遅れて、轟風がジュードをも吹き飛ばす。
「ジュードッ!」
壁に叩きつけられる寸前で、カルスが飛びついて来た。重みで床を転がることになったが、衝撃は分散してくれた。壁に直接激突するよりマシだ。
動かぬ体に鞭打って、ジュードはカルスをかばう。もう痛みに気を失う余裕もない。
やがて風が落ち着くと、ジュードは空の色が変わっていると気づいた。
それは、土煙でも、雲でも、まして夕闇でもなかった。
「銀……?」
目もくらむような、まばゆい銀色の光が、空を覆いつくしていた。
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