9:カルスの想い

「降りるぞ、カルス」

「うんっ」


 先にジュードが降り、カルスの手を引いて下ろしてやる。それだけで、馬車待ちの列からはため息が漏れた。

 大半がカルスに見とれていたのだろう。ジュードも女性の目を引く自信はあるが、カルスの美しさにはさすがに敵わないと理解している。

 これ以上目を引かぬように、カルスの手を引いて、さっさと列から離れた。

 ヒュースの街は広いが、構造としては難しくはない。領主の城を中心に置いた円形の都市で、東西南北に四つの大通りがある。覚えるのはそれだけでいい。

 細かい道は、住人のみが知る私道じみたものばかり。兵士の巡回こそあるものの、ジュードには用事の無い場所だ。

 さっそく、ジュードとカルスは南の関所から北へと向かう大通りを歩いていた。前を見れば、遠くに領主の城がある。


「おー……。おおー!」


 カルスは、すぐさま露店に興味を惹かれていた。服、食べ物、生活雑貨に、武器や防具なども売っている。法術師ウィザード向けの細工屋もあった。


「ねえねえ、ジュードジュード!」

「はいはい、とりあえず宿に行くぞ」


 はぐれぬように手をつなぎ、ジュードはカルスを半ば引きずっていく。観光よりも先に、拠点を構えて目的の法術学院に行かねばならない。

 ジュードたちは、大通りに面した宿へと入った。扉を開けると、すぐさま従業員の声がやってくる。


「はーい、いらっしゃいませー。お二人様ですかー?」


 はつらつとした、まだ若い女性の声だった。

 声の主は、カルスよりも見た目年齢で五歳程度上。ジュードよりも一つ二つ下というところか。宿屋の従業員にしては若い。

 店主の娘だろうかと、軽く考える。さらりとした黒髪が特徴的だった。


「ああ、二人だ。部屋は空いているか?」

「はい、空いてます。お二人で一部屋でよろしいですか?」


 尋ねられて一瞬悩んだが、ジュードはうなずいた。カルスを別部屋で一人にすると、確実に問題が起きるだろう。


「えーっと、法術師ウィザード様と、そのお子さんが一人、と」


 宿娘が何やら間違ったことを書きそうだったので、慌てて訂正する。


「違う、子供じゃない」

「あら? 失礼しました。妹さんでしたか?」

「それも違う。弟子だ、弟子」

「あらあら」


 宿娘は笑顔だったが、視線で、本当かしら、と尋ねてくる。

 ジュードは首を縦に振る。本当のことを言うつもりはなく、言ったところで誰も信じないと理解している。ならば多少の嘘は強引に通すのが良い。

 宿娘はあっさりと折れた。宿帳に記入し直し、


「何泊ですか?」

「とりあえず、一週間だ」


 宿代を渡すと、宿娘は素早く部屋へと通してくれた。

 想像よりも豪華な部屋だった。柔らかそうなベッドが二つに、完備された水道。食事こそ別室だったが、文句の付け所は無い。


「いかがですか?」

「問題無い」

「わはー!」


 今までとは格の違う宿に興奮したらしく、カルスはベッドに飛び込んだ。


「ねえジュード! ふかふかだよ、ふかふか!」


 ベッドの上ではしゃぎまわる子供はさておいて、ジュードには聞いておくことがあった。


「ここの学院に入るのに、必要なものが何か分かるか?」

「学院? あら、もしかして生徒さんでしたか?」

「いや、調べ物があるんだ。それで研究者に会いたい。話を通せる人か、物か、あれば教えてくれ」

「いきなりですね」


 言葉では戸惑いながら宿娘は笑みを浮かべる。心当たりはあるらしい。

 清楚な見た目に反して、街の宿屋としてしたたかなところもあるようだ。ジュードとしては、嫌いではない。カルスがいなければ口説いていたかもしれない。


「ジュードー?」


 なんとも気の抜ける声が後ろから来る。

 ジュードは半ば保護者のような気苦労を感じつつ、宿娘にチップを渡した。

 宿娘は微笑み、


「うちの店、食事が評判なんです。週末になると、生徒さんとか、教授の皆さんが来ることもあるんですよ」


 本当にしたたかな娘だった。これにはもう苦笑いするしかない。


「じゃあ、それっぽいのが来たら教えてくれ。できれば女性が良いが、今は急ぎなんでね。誰でもいいさ」


 もう一つチップを渡すと、宿娘はニコリと微笑みうなずいた。


「やーれやれ」


 するりと出ていった宿娘を見送りながら、ジュードは肩を回す。

 軽いやり取りで、なんとなく昔を思い出してしまった。昔と言っても、たかだか一か月前かその程度。カルスと会うまでは、小遣いを稼いでは、女性と密かに遊んだものだ。

 それが今は、保護者まがいのことをしている。人生というのは何が起きるかわかったものではない。

 と、胸の中で達観したようなふりをしながら、ジュードは杖を壁に立てかけてローブを脱いだ。

 宿娘は、週末と言っていた。今日はまだ第四の日。週末である六の日と七の日までは間がある。

 あの様子からすると、頼み事はきちんとやってくれそうだ。ならば一日くらいはのんびり過ごしてもいい。

 ソド村で過ごした数日は穏やかで楽しかった。が、街での一日となると、楽しみ方もだいぶ変わる。


「ジュード、なんか楽しそう」


 思わず顔に出ていたらしい。咳払いで誤魔化し、ジュードは部屋を見渡した。

 先ほども思ったが、良い部屋である。家具や調度品は質素ながら、部屋は子供が走り回れるくらいに広い。ベッドの質も良いようで、カルスがポンポンと飛び跳ねて喜んでいる。

 風呂場もきちんと掃除されており清潔だ。水道もしっかりと作られているので湯あみもできそうだった。


「ん?」


 そういえば、湯あみは久しぶりだった。セラゼールでは落ち着けなかったし、ソド村には公衆浴場などなかった。湯にゆっくりと浸かれるのは一週間ぶりかもしれない。

 風呂に入ろう。そう決め、すぐさま支度する。法術回路は問題なく動き、湯はすぐに出てきた。

 せっせと準備をしていると、カルスが風呂場にやってきた。湯の出る蛇口を不思議そうに眺め、


「ジュード、これなに? お湯?」

「あ? ああ、そうだけど、どうした?」

「人間もお湯に入るの?」


 人間も、とは意外な一言だった。


龍族ドラゴンも風呂に入るのか?」

「フロ、っていうのはわからないけど、ボクらもお湯には入るよ」


 龍族ドラゴンにも入浴の風習があるらしい。研究家に教えれば、新たな発見として感謝されるかもしれない。


「火山の近くにあるよね、お湯。たまに見つけたら、ボクも入ったよ!」

「そうなのか」

「うんっ、溶岩と混ざったところが良い感じなんだよねー」


 訂正。龍族ドラゴンの入浴は、やはり人間とは異なるようだ。


「ねえねえ、ボクもお湯に入りたい! いいかな?」

「別にいいけど、お前、風呂の使い方分かるのか?」

「わかんない!」

「じゃ、ダメじゃねえか!」


 えー、と残念がるカルス。人間は溶岩を気持ち良いとは思えない。龍族ドラゴン感覚で下手な使い方をされて、風呂場を壊されては困る。


「じゃあ、ジュードも一緒に入ってよ。それならいいでしょ?」

「あー、まあ、それならいいか……」


 ジュードも湯あみをしたいところだった。一緒ならば、風呂場を壊されることもないだろう。

 実家では、妹の面倒を見て共に風呂に入ったこともある。カルスも似たようなものだ。大して手間はかかるまい。

 わーい、と喜ぶカルスが湯船に飛び込みそうになったので、ジュートはすぐさま首根っこをひっつかんだ。


「どうしたの?」

「どうしたのじゃない。服を脱げ。濡らす気か?」

「え、でもボクらは気にしたことないよ?」

「そりゃお前らが龍族ドラゴンだったからだろうが……」

「うー……。ジュードって変なところで注文が多いよね」


 常識の違いを思いだして、ジュードは心で涙した。つい油断していた。

 カルスはまたいつぞやのように、服を脱ぎ散らかした。

 ソド村で面倒を見てくれた老婆の顔を思い出す。ありがとう、カルスがとてもお世話になりました、と。


「ねえ、ジュード、これでいい?」


 裸になった姿を見せつけて、カルスはジュードの袖を引っ張ってくる。散らかされた服を拾いつつ、渋々了承した。


「わーい」


 改めて喜びながら、カルスは湯船に飛び込んだ。湯が跳ねて、服にかかりそうになる。ジュードはすぐさま風呂場を出て、自分も服を脱いだ。

 タオルを掴んで風呂場に入りなおすと、カルスは湯船の底に沈んでいた。


「おい」


 早速過ぎる。

 引き上げてやると、カルスは湯なのか涙なのか分からぬものを流しながら、


「おかしいよジュード! 苦しい!」

「お前もお前で、人間のことを理解してないよな」

「だって、いつもはお湯の中に入っても、苦しくなんてなかったもん!」

「だからそれは、お前が龍族ドラゴンの姿だったからだろうがっ」


 ジュードはカルスを湯船から引っ張り上げて、端に置かれていた椅子に座らせた。よくよく考えれば、この子供、体を洗ってすらいない。


「なにするの?」

「お前の体を洗うんだよ」


 タオルで石鹸を泡立ててから、カルスの細い体をぬぐっていく。パッと見はくすみのない肌も、白いタオルで拭くと汚れを浮かせていた。


「わっ、わっ、ジュード、くすぐったいよお」

「黙って座ってろ」

「ひゃあ!」


 体が終われば、次は頭だ。本来は順番が逆だが、そこは気にしないことにする。

 風呂場には、髪の毛用の石鹸もあった。それを今度は手だけで泡立て、カルスの頭をわしづかみにする。


「うわああ、今度は痛い、痛いー」


 輝きの消えない銀髪も、細かなホコリで汚れていた。長いだけあって手間ではあったが、ジュードは念入りに洗ってやった。

 全身泡だらけにしてやってから、ジュードは満足し、


「んじゃ、湯をかけるぞ。目を閉じてろ」

「え、なんでぷわー!?」


 返事を待たず、確認もせずに頭から湯を流しかけてやる。案の定カルスは目を押さえて悶え始めた。


「痛いー、痛いー! なんでー!?」

「それが人間の体ってもんだからだよ」

「ジュードのいじわるー!」


 泡を流し、青い瞳を湯で洗い直してから、ジュードはカルスを湯船に戻した。

 湯船には新しい湯を入れっぱなしにする。汚れた湯を流し出すために。


「うー……」


 湯に入る前とは真逆の顔で、カルスは恨めしそうにジュードをにらんでいた。


「いじわるだ。ジュードはいじわるだ」

「へいへい」


 自分もさっさと頭、体を洗う。湯船に早く浸かりたい。

 カルスとは違い、十八年付き合った自分の体は、すぐに洗い終えた。

 湯船の端にカルスをやりこめ、ジュードも湯に入る。

 なんとなくだが、疲れがじんわりと抜けていく気がする。カルスの視線も気にならない。


「ジュード、せまい」


 向かい合うような格好で、二人は顔を合わせる。

 子供と、一応は大人に入りかけの男。風呂を占領するには、ジュードの方が圧倒的に有利だった。

 はははと余裕の笑いを見せると、カルスは、


「いいもん。じゃあ、こうするもん」

「なにっ!?」


 するするっと湯船を泳ぎ、ジュードの腕の中におさまって来た。

 背をこちらの胸に預け、勝ち誇るかのように、腕を伸ばしていた。ふうっ、と吐息し、遠慮なくジュードにもたれかかってくる。


「えっへっへー。これならボクもせまくないもんね」


 なんとも得意げな声だった。銀色のかたまりが鼻先にあるせいで表情までは見えないが、おそらくにんまりと笑っていることだろう。


「カルス、重い」

「ふーん、重くても知らないもんね。いじわるするジュードが悪いんだ」


 なんと言っても、カルスは場所を譲らない。そればかりか、もっと背中を押し付けてくる。


「いや、マジで苦しいんだが」

「ゆるしてほしい?」

「いや別に俺は何もしてないててて止めろ」

「ボクの言うことを聞いてくれたらゆるしてあげる」


 腹を圧迫され、冗談なしに苦しくなってきたので、ジュードは仕方なく両手を上げた。


「わかったわかった。何をして欲しいんだ?」


 ふふーん、というわざとらしい笑みに妹を思い出しつつ、ジュードはカルスの望みを聞いてやる。


「えっと、ジュードにやってほしいんじゃなくて、ボクがやりたいの?」

「何を?」


 間髪入れずに聞くと、カルスは恥ずかし気に背を見せた。


「えっとね、翼、出したいんだ。あと、角も。なんか、出さないと、きゅうくつなんだ」

「……ああ」


 そう言われてみれば、カルスは一度、証拠だと言ってジュードに翼と角を見せていた。

 ほんの数日前の話だというのに、すっかり忘れていた。

 汚れを拭った肌は、あの時よりも白く輝いて見えた。触れば、きっと絹より素晴らしい手触りを返してくれるだろう。

 カルスの背は、今まで見た誰のものよりも美しい。


「ジュード?」


 ジュードはしばし見とれた。それを誤魔化しながら、


「ん、ああ、まあ、いいだろ。ここなら誰も見てないし」

「やった」


 頼みを許すと、カルスの背が光を放った。そしてすぐに銀色の翼が現れ、


「おー、おー、っていてぇ! 刺さる! 鱗とかなんとか、色々刺さる!」


 狭い湯船では、さらには背を目の前に見せられては避けようがない。


「えっ? うわあ、ごめんー!」


 嘘偽りなく刺さっていた翼をなんとかしようと、カルスは慌てて飛びのいた。しかしそれも大して効果を生まず、むしろジュードの顔を下から打ち上げる。


「カルス、とりあえず、ぐあ、こっち向け、こっち」

「う、うん!」


 湯船の中で格闘しながら、なんとか落ち着けた。つい先ほどとは逆に、カルスはまた真正面からジュードを見て、


「近いなオイ」

「えっ、ご、ごめんね、ジュード……」


 鼻先が触れ合うような距離で、見つめ合う格好になった。

 さすがに、なんとなく気恥ずかしくなってくる。視線をそらそうにも、カルスの顔以外、何も見えない。青い瞳と、銀色の髪。額に触れるなめらかな感触は、もしかして角だろうか。


「うー……」


 さしものカルスも、顔を赤くしている。


「角、ごめんね。いたくない?」

「ん、ああ、さっきに比べれば大分マシだ。ただ、まあ」

「あはは、迷惑だよね……」

「そこまでは言わねえけど……」


 どちらともなく、言葉を失ってしまう。カルスも翼が大きくて身動きできないようで、ジュードの顔を見詰めたままだった。

 やがて口を開いたのは、カルスが先だった。


「あのね、ボク、ジュードに会えてよかったと思ってるんだ」

「そうか?」


 まるで少女の告白のように、カルスはこぼす。


「だって、ボクを怖がらずにちゃんと相手してくれるんだもん」

「まあ、お前は怖いっていうか、ただ危なっかしいだけというか」

「昔ね、ボク、一度だけ人間に姿を見せたことがあったんだ。あの時は、とても怖がられた。人間たちは、剣とか、槍とか持って、ボクのことを追い払おうとしたんだ」


 昔、というのはカルスが銀龍族シルバードラゴンの姿をしていた時だろうか。


「だからね、ボクはそれから人間に姿を見せたことはなかった。たまにちょっと遠くから眺めるくらいで、それだけ。あの時は、こんな目の前に人間が来てくれるなんて思えなかったよ」

「それはまあ、そうだろうな。普通の人間が龍族ドラゴンを見たら、普通に驚く」

「だよね。でも、ジュードはボクのこと、あんまり怖がってない」

「見た目が人間だからな。翼と角はあるみたいだけど。お前の本当の姿を見たわけじゃねえし」

「じゃあ、これから、ボクがホントの姿になれたら、怖がって離れちゃうかな?」

「あー、まあ、大丈夫じゃねえか? 何も知らないならともかく、お前の性格っていうか、本性を知ったからな」

「そう? もしそうなら、ボクはとても嬉しいな」


 カルスが、ゆっくりと顔を近づけてきた。ジュードが動けないでいると、カルスはそっと頬をすり寄せ、こちらを抱きしめた。


「ありがとうね、ジュード」

「お、おう」


 なんとも気恥ずかしい時間が流れる。ジュードもカルスも動けずに、ただ湯の流れる音だけを聞いていた。

 そんな二人の穏やかな時間を打ち砕いたのは、遠慮のないノックの音だった。

 扉越しのくぐもった声が、若干のいら立ちを含ませ、


「あのー、お客さん、一応他のお客さんもいるので、あまり騒がれるとちょっと迷惑でして……」


 先ほどの宿娘である。


「お弟子さんが可愛いのは分かりますけど、できればそういうのはもうちょっと静かにお願いしますー」

「ちげぇよ!?」


 ジュードはバスローブをはおり、慌てて訂正のための言葉を放った。

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