7:嫌な臭い
老婆に茶の片づけを頼むと、ジュードはすぐに寝室へと向かった。
寝ているカルスに、事情を説明しなければならない。呪い、と言ってどこまで理解されるか分からないが、下手に誤魔化す方が手間だった。
どうやってカルスを起こすか考えながら寝室に入ると、神妙な顔をして、カルスは起き上がっていた。
「なんだ、起きてたのか」
ジュードが声をかけても、カルスはしばらく動かなかった。怪訝そうな顔で、何も言い返してこない。
昼間の様子とは、真逆である。楽しそうにはしゃいでいたのが嘘のようだ。
宿とは違う部屋に驚いているのかとも思ったが、カルスの気配は妙に固い。まるで感覚を研ぎ澄ませているかのように静かだった。
「ん……。あれ? ジュード?」
カルスがこちらに気づくまで、五分はかかっただろうか。落ち込んだとも思える顔を向けてくる。
「どうした?」
出会ってからまだ一日程度とはいえ、神妙なカルスの顔を見るのは初めてだ。何かあったのかと心配になる。
尋ねると、カルスは鼻をひくつかせた。どことは言わず、必死に周囲を探っているようだった。
「なんかね、ここ嫌な臭いがするんだ」
「臭い?」
そう言われて、ジュードも臭いをかいでみる。
家の建材である古い木の臭いがする。しかし、それだけで、他に感じられるものはない。
カルスの鼻が鋭敏なのだろうか。ジュードは諦め、直接聞いてみた。
「どんな臭いがするんだ? 俺にはこの家の臭いくらいしか分からないんだが……」
カルスはしばらくうんうんと唸っていた。どう説明したらいいのか言葉が出ないといった様子だ。
「分からないのか?」
「うー……」
促してみるものの、カルスの反応は鈍い。
「とにかく、なんか嫌な感じがするの。ここら辺全部。すごく鼻が痛くなる、嫌な臭い」
要領を得ない返事だったが、カルスはいたって真面目だった。冗談や嘘を言っているわけではなさそうだ。
「ジュード、嫌だよここ。早く別のところに行こうよー」
次第に涙すら浮かべ始めた瞳を見て、ジュードは慌てながら事情を説明する。
今日、目的の村には着いたこと、村には変な噂があるということ、村人が変な死に方をするという呪いのこと。
カルスからすれば、知らない単語の連続だっただろう。わかんない、無理、そんな言葉が返ってくるとジュードは思っていた。
だが、カルスは、ふうん、と納得したそぶりを見せた。
「この嫌な臭い、そののろいとかいうやつのことかも。この家だけじゃないもん。この辺全部から、嫌な臭いがするもん」
「……そんなことが分かるのか?」
「うん。だって、前のとこじゃ、こんな臭いしなかったよ。ここに来るまでも、とってもいい匂いばかりだった。でも、ここら辺だけ全然違う」
人ならざる身だからこその感覚なのだろうか。
「臭いがどこからするか、分かるか?」
「ちょっと待ってね」
ジュードは、老婆に声をかけてから、カルスを連れて外に出た。
日は完全に落ちきり、空は暗闇で覆われている。家々から漏れる光がちらほらとあるだけで、村は静かなものだった。
活気がない。呪いが流行っているとなれば、当然か。
だが、それが今は都合がいい。カルスは一生懸命に鼻を動かしている。邪魔になるものが無い。
一歩、また一歩と、カルスが歩みを進める。ジュードは何が起きてもいいように杖を構えて、カルスの後へと続いた。
やがて村のはずれへと近づくと、カルスが、う、と呻いた。
「鼻が痛いよお。これ以上は無理かも」
鼻をつまんで、カルスが呟く。
「でも、ここの臭いが一番強いー。たぶん、ここら辺」
指さされたのは、村のはずれ、何もない平地だった。
畑でもなければ、牧場でもなく、もしかしたらと予想していた集団墓地ですらない。
ぽつんと大木が一本立つだけの、野原である。
カルスが抱き着いてきた。何かが出たのかと、すぐさま杖を向ける。
「どうした、何がいた」
使うべき法術を選びながら問いかける。
「臭いが強くなったー。ジュードの匂いで誤魔化さないと、鼻が曲がるよー……」
半ば冗談のようだが、カルスの様子はふざけているようには見えなかった。
そればかりではない。見た目にもはっきりと異変が感じられた。ふところに入れてあった、
肌があわ立つ。ジュード自身も、嫌な気配が感じとれた。
「こりゃ、冗談抜きのマジもんじゃねえか……」
人ではなく、魔物の気配がした。それも、なかなか出遭えない大物の気配だ。
村のはずれとはいえ、人家が近い。派手に暴れるにはいささか不便な場所だ。使う法術を間違えると、村人を巻き込んでしまう。
抱き着いてくるカルスをローブでくるんでやりながら、ジュードは
カルスの言う嫌な臭い、自分の感じる大物の気配を必死で探り出す。敵は近い。油断すれば、次に死ぬのはジュードかもしれない。
空気がぬめりを帯びてきたように感じる。ただの草原にいながら、泥沼の中にいるかのような不快さがある。
ジュードが構えてからどれほどたっただろうか。一秒が一時間にも長く感じられる中、背中の方から、大きな音が聞こえた。
悲鳴だ。声の高さからして、おそらく子供。場所はそう遠くない。
慌てて駆けだそうとして、
「ダメっ! そっちじゃないよ!」
カルスに抱き止められた。
「おい、カルス! 何を」
「ジュード、待って! あれだよ!」
カルスが指さした先には、一本の広葉樹があった。野原に唯一あったシンボル、大木だ。
それがざわめいていた。風もないのに、葉がゆらゆらと揺れている。そればかりか、徐々にではあるが、大木全体が大きくなっているようだった。
「あれかよっ!」
ジュードは準備していた風切りの法術を解き放った。
空気の刃が、何重ともなって、大木に向かう。触れれば普通の金属くらい簡単に引き裂く威力がある。
しかし、空気の刃は大木へと届くことなくかき消された。
「結界!? あんな木にか!」
もはや敵は確定した。
ジュードはカルスを置いて、駆け出した。
「ジュード!」
「黙って見てろ!」
大木へと走りながら、ジュードは新たに練り上げた法術を放つ。風切りよりもさらに威力のある、火炎弾である。
もはや、周囲のことなど気にしていられない。悲鳴はまだ聞こえてくる。原因を消し飛ばせば、まだ助けられるかもしれない。
十数発の火炎弾が、結界にぶつかった。いくつかは阻まれたが、威力を増しただけあって数発が大木へと届いた。
葉が燃え上がり、枝が揺れる。
大木が苦み悶えるかのように震えた。手ごたえを感じて、ジュードはさらに竜巻の法術を打ち込んだ。
竜巻が火炎をさらに巻き上げる。もはや炎が大木全体を覆いつくし、黒々とした煙を上げ始めた。
ただの煙ではない。呪詛をたっぷりと含んだ毒のある煙だ。
杖を指で回す。風壁の法術で村への侵入を防いだ。ジュード自身にも、風の加護で盾を作る。
まだ、ジュードの加速は止まらない。炎を気にせず、煙を意に介さず、大木の幹へと杖をぶち当てた。
「吹っ飛べ、このヤロウ!」
手加減無しの一発、得意中の得意である、爆破の法術をお見舞いしてやった。
爆破は相手に近ければ近いほど威力を増す。ジュードの危機を何度と救ってきた、信頼のある一撃だ。
聞きなれた轟音がジュードの体を揺さぶる。風の盾越しでも、音は耳をつんざいた。
杖から放たれた衝撃は、木の根ごと大地をえぐる。周囲への被害など考えている暇はなかった。やるならば徹底的にがモットーでもある。
炎と風と煙ごと空間を吹き飛ばして、ジュードの法術は徐々におさまっていった。
「ジュードー!」
カルスが背中から抱き着いてきた。何故か、えぐえぐと泣いている。
「あん? どうした、カルス」
「うー! ボクを置いていくから心配したじゃないかー!」
「心配なんかいらねえよ。こっちは手慣れたもんだからな」
ゆっくりと土煙が晴れてきた。
真夜中の爆音に驚いたらしい村人が、家から出てきていた。皆が目を丸くして、こちらの方を見ている。
それもそうだろう。村の一角が、きれいさっぱり無くなっているのだから。
ジュードは、ふう、と一息。元凶がただの木で助かった。まさか墓地が原因だったならば、さすがに吹き飛ばすのをためらっていたところだ。
泣いているカルスの頭を撫でてやる。銀髪は絡みながらも、すっと指の間を通り抜けた。
「おい、カルス。どうだ、臭いは消えたか?」
「う?」
涙と鼻水で顔をべたべたにしたカルスが、あたりを見回す。その顔に、不快感は見受けられなかった。
「大丈夫っぽい」
「そうか」
ぽふっとジュードの服に顔をうずめて、カルスはまた泣き出した。この服は、明日一番に洗濯しなければならないだろう。
「これで一件落着か?」
カルスの様子に苦笑しながら、ジュードは煙の晴れた中、村へと戻る。
先ほどまでの空気が嘘のように爽やかだった。夜風はジュードの頬をくすぐってから、微かに残る土ぼこりを吹き消していった。
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