5:ご飯を食べよう

 ジュードが起こされたのは、すっかりと日が落ちてからだった。


「ジュードー、ねー、起きてよー」


 ぼんやりと見える外は、とっくに暗くなっている。寝たのは確か昼前。やはりとても疲れていたようだ。


「起きた?」


 頬を突かれながら、のろのろと起き上がる。起こした相手はそれで安心したのか、ほっと一息ついていた。


「やっと起きた。もう、人間が何年寝るのか知らないから困ってたんだよ?」

「……人間は年単位で寝たりしねえよ」


 ガリガリと頭を掻きながらあくびを一つ。

 隣を見れば、やはり銀髪の少年がいる。悲しいことに、今日の出来事は夢ではなかったようだ。

 少年、カルスは何やら困り顔でジュードの服を引っ張った。何か言いたげで、しかし戸惑っていて言葉にならないのか、


「えーっと、あの、ね?」


 と、なんともはっきりしない。落ち着かない様子だった。


「なんだ、どうした?」


 ため息交じりに聞いてやると、カルスはもにょもにょと小声で言ってきた。


「なんか、体の調子がおかしいの」

「体の?」

「うん」


 言いながらカルスは胸や腹のあたりを撫で始めた。


「なんかね、ここら辺がもやもやっていうか、ムズムズするんだ。なんでかな?」


 そう言われても、ジュードに思いつくものはない。そもそも龍族ドラゴンの体の作りなど、専門の学者ですら知っているか怪しい。

 何かの予兆だろうか。長とやらにかけられた術が解けようとしているのかもしれない。

 そうなると大変だ。こんな街中で龍族ドラゴンが現れたらパニックが起きる。王都のように精鋭の法術師ウィザードがいるわけでもない。カルスが息をするだけで街が吹き飛んでしまう。

 最悪の想像をして、ジュードは体が強張った。想像が正しければ、最初に吹き飛ぶのはジュード本人である。

 ゆっくりと、カルスから距離を取る。離れれば、少しは生存確率が上がるはずだ。

 そう考え、ジリジリと下がっていると、奇妙な音が聞こえてきた。


「あっ、まただ」


 カルスが腹を押さえる。ジュードはいよいよかと防御の法術を使おうとして、


「ねえ、ジュード。さっきからお腹が変な音を出すんだよー。なにこれ? なんなのかなあ?」


 青い瞳に涙を浮かべながら、カルスは、うう、と唸る。

 腹、音、と言われて、ジュードはふと思いついた。


「……もしかしてお前、腹が減ってるのか?」

「えっ、なにそれ?」


 指摘しても、カルスはきょとんとしていた。


「いや、腹が鳴るってことは、そうじゃねえの? お前、ずっと寝てたって言うし飯を食ってないんじゃ……」

「めし? くうって、なに?」

「だから、飯だよ、食い物」


 そこまで言うと、カルスはケラケラと笑い出した。


「やだなあ、ジュード。ボクらは食べ物なんていらないよお。空気と法力マナがあれば、それで充分さ!」


 と、さも当然のように言ってきた。

 銀龍族シルバードラゴンの食生活など知る由もない。もしかしたら本当に何も食べずに生きているのかもしれない。

 しかし、今のカルスは人間の姿をしている。ならば、腹が減っている可能性も捨てきれないのではなかろうか。

 また、カルスの腹が鳴った。するとまた腹を撫で、


「やだなあ、これ。初めてだよ、お腹がこんなに変なの……」


 本人に自覚はないらしい。首を捻るばかりで、あーでもないこーでもないとつぶやくばかりだ。

 このまま問答していても、埒が明かない。なんとなく意識がはっきりとしてくると、ジュード自身も空腹を感じ始めた。

 昼前に寝たので、昼食も取っていない。朝も、カルスの様子を見ていたため、軽くつまんだ程度だった。


「とりあえず、俺は飯にする。お前も来い」

「別にいいけど……」


 未だに納得しかねているカルスを連れ、ジュードは宿の食堂兼酒場へと降りた。

 酒場はそれなりに繁盛していた。昼間は見かけなかったウエイトレスが数人、荒っぽい男たちの隙間を縫うようにして給仕に励んでいる。

 ジュードは適当な席を見つけて座り込んだ。カルスもそれを見習って、ちょこんと椅子に腰かけた。

 ウエイトレスを呼んで、食事と酒を頼んだ。ウエイトレスは急な注文に渋ったが、チップをはずんでやると、笑顔で小走りで厨房へと向かって行った。


「ジュード、ここってなに?」


 きょろきょろとあたりを見回すのは、もはやカルスのお約束。


「飯を食う所だよ」


 短く返事をして、そのまま黙って食事が来るのを待つ。

 カルスもジュードの様子を察したらしく、ふーん、と曖昧に返してきた。あたりを見回すのは止めなかったが。


「なんか、おかしな気分。人間がこんなにいて、にぎやかだなんて」


 服を買いに行った時も、似たようなことをつぶやいていた。人間の生活を全く知らないのだろう。千年を生きるほど長寿であるとはいえ、人間と関わったことはほとんど無いということか。

 カルスの呟きを聞いていると、ほどなくして温かい食事が運ばれてきた。早めに来たのはチップの効果だ。

 パンと牛のステーキとスープとワイン。ジュードのお決まりのメニューである。

 一応、カルスにも同じものを頼んでやった。見た目がお子様なので、ワインは果実のジュースに変えておいたが。


「わあ、なんだかいい匂いがするね! それで、これをどうするの?」


 食べ物を前にしても、カルスは食事という概念が分からないらしい。仕方が無いのでステーキを切り分け、


「食え」

「もがっ!?」


 口の中に突っ込んでやった。

 もにゅもにゅ言いながらカルスはステーキを食べ、飲み込むと、これまでにないくらい瞳を輝かせた。


「なにこれなにこれ! 美味しいよ、ジュード!」


 初めての食べ物は気に入ってもらえたらしい。


「そっちはお前の分だ。好きに食ってくれ」

「うんっ!」


 ナイフとフォークの使い方を教えてやると、カルスはたどたどしくもジュードを見習って食べ始めた。

 うわあ、やら、すごい、やら言いながら、かなりのハイペースで食事を平らげていく。ジュードがちびちびとワインを飲んでいる間に、カルスの皿は空っぽになっていった。


「ジュード、ジュード! もっと食べてみたい! あれとか、あっちのとか!」


 口の周りをソースで汚しながら、カルスは目についたものをあれこれと食べたがった。

 渋々頼んでやると、どこにそんなスペースがあるのか、次々と腹の中へ納めていく。


「美味しい美味しい!」


 パンも肉も野菜も、カルスは何でも食べた。よほど感動したのか、皿まで食べようとしたのでそれは止めたが。

 結局、ジュードが自分の分を食べ終わるまでに、五人前くらいは食べきっただろうか。カルスは満足したらしく、ジュースを飲んでから、


「ぷはーっ、美味しかったあ。お腹のむずむずもなくなったし。これが食べるってことなんだね、ジュード!」

「あ、ああ、そうだよ」


 あまりにも嬉しそうなので、ジュードも食べ過ぎを注意できなかった。むしろ、カルスはまだ食べ足りないのかメニュー表を見て、うんうんと唸っている。

 文字が読めていたなら、片っ端から頼みそうな勢いだ。


「もういいだろ。行くぞ」

「う? うー……」


 代金を払って、席を立つ。カルスはまだメニューに未練があったようだが、首根っこを捕まえて部屋へと引きずっていった。

 部屋に入って、吐息。ややこしい一日が、やっと終わりそうだ。問題はまだまだ片付いていないが、一区切りついたと思いたい。


「ねえ、ジュード、これからどうするの?」


 なんとも答えづらい問いである。実家からはカルスを家に帰せとはあったが、銀龍族シルバードラゴンの家などどこにあるやら分からない。もしかすれば、分かったとしても地の果てだということもある。

 考えが浮かばなかった。見捨てるという選択肢を潰された以上はカルスの面倒を見なければならないものの、そこまでしか考えが及ばない。

 本当に、どうしたものだろうか。


「なあ、カルス。お前、ホントに群れの居場所は分からないのか? 最後に置き去りにされた場所とか、その近くだったりしねえのか?」


 んー、とカルスは考え込み、すぐに、


「分からないや」


 と答えた。

 まあそうだろうな、とは予想していた。群れの場所が分かっていれば、自分で追いかけていくだろう。銀龍族シルバードラゴンの事情は分からないけれど、カルスも一人で置いていかれたら心細くもなるに違いない。

 今は人間への好奇心が勝っているようだが、すぐに帰りたくなるはずだ。

 実家にカルスの存在が知られている以上は、群れに直接帰せずとも、帰るための手掛かりくらいは見つけなければならない。

 あいにくと、ジュードには知識が無かった。専門家にでも聞くか、最悪自分で調べる必要がある。


「となると、どっかの街の法術学院にでも行かなきゃならねえか……」


 残念ながら、セラゼールには法術学院どころか資料館すら無い。

 ジュードは頭の片隅から、近隣の地図を引っ張り出す。セラゼールから近く、法術学院のある街、もしくは都市となると候補はほとんどない。


「ここからだとヒュースが一番か」


 思いだしたのは、馬車で二日ほどの距離にある都市だった。近くはないが、それなりに大きな法術学院がある。調べ物をするなら、まずはそこからだろう。

 さすがに今日はもう夜遅い。行動するなら、明日からだ。

 ジュードは服を脱ぎ、身軽な服装になるとベッドで横になった。天井を見ながらゆっくりとこれからの行動を考える。


「また寝るの?」


 ひょい、とカルスが顔をのぞきこんでくる。銀色の髪がこぼれ、ジュードの頬をくすぐった。


「ああ。今日はもうどうしようもないからな。なんかするにしても、明日にならないと、はじまらねえ」

「そっか。じゃあ、ボクも寝ようかな」


 ころん、とカルスはジュードの隣に寝転んだ。


「……いや、お前、一緒に寝るのかよ」

「うん。だって、床だと寝づらいし」

「あー……」


 あまり長居をするつもりがなかったので、部屋は一人部屋だった。ベッドは一つ。寝るならばここしかない。


「じゃあ、せめてお前服を脱げ。せっかくのがしわくちゃになっちまうだろ」

「人間はいつも服を着ているんじゃないの? ジュードだって、服を着たままじゃない」

「寝る時は違うんだよ」


 そっか、と素早く納得すると、カルスは服を脱ぎ捨てた。床に放り投げられた服を見て、ジュードはため息。


「もっと丁寧に扱え。これだって安くなかったんだぞ」

「もう、ジュードってば注文が多いんだから」


 しょうがない、とジュードはベッドから降りて、服をたたんでやった。服は、手触りの良い生地で上品に作られている。さすが宿代半月分するだけのことはあった。

 価値観が違うとはいえ、カルスはあまりにも人間の常識を知らない。同行させるにあたって、そのあたりも教えていかねばならないだろう。

 服をたたみ、ポイポイと投げられる下着を見て、ジュードは固まった。なにせ、


「なあ……」

「う? なに?」

「お前、下着まで女物なのかよ……」


 服屋の店員は、完全にカルスの性別を勘違いしたらしい。カルスもカルスで、渡されたものに疑問を持たなかったようで、


「えっ? あそこの人間が渡してきたのを着たんだけど、何かおかしかった?」


 もはや頭痛もため息も忘れて、ジュードはカルスの服一式をたたんだ。

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