3:銀龍族(シルバードラゴン)の少年

 しばしの間、二人を重苦しい空気が包んでいた。

 ジュードは杖を構えたまま動かず、対する銀龍族シルバードラゴンだという少年は無防備に全身をさらしている。

 角と翼は、確かに銀色の輝きを放っていた。人間の姿には酷く不似合いで、しかしてその美しさは作り物には見えなかった。

 幻覚、幻影のたぐいかと疑ってみるが、ジュードとてそこいらにいる凡百の法術師ウィザードではない。自分に異常があれば、すぐに気が付く。


「……もう一度聞く」

「なにかな?」


 状況を受け入れつつ、再度、尋ねる。


「なんで、龍族ドラゴンが人間の姿なんかしてるんだ?」


 腑に落ちないことだらけの中で、そこが一番の疑問だった。

 目の前の少年が人間以外の存在であることは、もう疑わない。だからこそ、なぜ人間の姿をしているのかが分からない。


「うんっとね、それはちょっと話すと長いんだけど……」

「言え」

「もう、強引だなあ」


 少年は器用に翼を折り畳み、ベッドの縁に腰かけた。


「ボク、群れから追い出されたんだ」


 肘を膝に乗せ、頬杖をつきながら少年は言う。


「理由は分からないんだけど、いきなり。ほら、これ見て」


 言いながら指さすのは、少年の首にはまった輪である。少年はそれをつつきながら、


「いきなりボクの力を封じ込めて、置き去りにされたの。酷いと思わない? 理由も教えてくれないんだよ?」


 ぷうっと頬を膨らませる姿は、まさに見た目相応の子供といった風だった。そこにいくらか毒気を抜かれて、ジュードは息を吐く。


「悪さでもしたのか?」

「してないよお。思い当たることなんて、なんにもないってば」

「ならなんで……、龍族ドラゴンが仲間を追い出すんだ」


 銀龍族シルバードラゴンが、とは言い切れなかった。まだ疑念は晴れていない。それでも龍族ドラゴンであるとは譲歩しつつ、ジュードは尋ねる。


「分かんない。ボクが群れで一番若かったからかなあ。気に食わなかったのかも」

「若い?」

「うん。えーっと、人間でいうと、千と百歳くらい?」


 千とは大きく出たものである。今は王国歴八〇九年。歳が本当ならば、王国誕生以前から生きていることになる。


「長はボクの百倍は生きているよ」


 千の百倍となると、もはや人間が誕生していたかどうかすら怪しくなってくる。

 ジュードの知る龍族ドラゴンの噂でも、数百年生きるのがせいぜいだと聞いていた。その上位種、銀龍族シルバードラゴンともなると、文字通りに桁が違うということなのか。

 考えて、次第に少年の話に引きずり込まれていることにジュードは気が付いた。杖を構えたまま、余計な考えを振り払おうとする。

 そこへ、扉からの音がやってきた。ノックだ。


「あのお、お客さん? 何かあったんですかい?」


 外から聞こえるのは、宿の店主の声だった。

 そういえば、先ほどから何度も大きな音を立てていると今更ながらに気が付いた。

 マズイと思うと、すぐにジュードはローブを投げた、少年へと。


「それをかぶってろ。あと、角と翼は隠せ」

「へっ? なんで?」

「いいから早くしろ」


 身振り手振りと小声を合わせて、少年をベッドへと押し込める。杖を壁へ、最低限の身なりを整えつつ、ジュードは部屋の扉を開けた。

 やはり立っていたのは、宿の主人である。怪訝な顔をジュードに向け、ちらちらと部屋の奥を覗いていた。


「どうかしたのか?」


 努めて平静を装い、ジュードは応対する。


「いえ、大きな音がするもんですから、何かあったのかと思いましてね……」

「さっきの音か。悪いな、寝ぼけて椅子を蹴り倒しちまってな」

「椅子を、ですか?」

「ああ。驚かせて悪かったな」

「へえ……。ところで、お連れさんは……?」


 愛想笑いを浮かべてはいても、主人はジュードの言うことを完全には信じてくれてはいないようだった。

 仕方がないので、ジュードはふところから金貨を一枚取り出し握らせてやる。

 ここの宿代でいえば、一か月分くらいか。チップとして渡すには十分すぎる額だろう。

 主人はそれで察したらしく、部屋の奥へとやっていた視線を戻した。


「連れはまだ調子が悪いらしくて寝てるよ」

「……分かりました。あの、うちはしがない宿屋ですので、あまりご法に触れることは……」

「安心してくれ。迷惑はかけないさ」


 背後でフガフガと唸る声を聞きつつ、ジュードは愛想笑いを浮かべる。気にはなったが、ここで振り返るわけにはいかない。

 宿の主人は改めて渡されたチップを見て、これ以上の追及はしてこなかった。

 それでは、と引き下がる主人の背を見送ってから、ゆっくりと扉を閉め、


「おい」

「ふえっ?」


 少年にかぶせてあったローブを取り上げた。

 一応言いつけを守ったらしく、角と翼は引っ込んでいた。しかし、少年は状況を察していないらしく、


「ねえ、今のは他の人間?」


 などと、気楽に聞いてくる。


「ああ、そうだよ」


 なんとなく頭痛を感じながら答えてやると、少年は瞳を輝かせて身を乗り出してきた。先ほどの対峙は、全く気になっていないらしい。


「うわあ、人間ってやっぱりたくさんいるんだね。ねえねえ、やっぱりボクとかジュードみたいな姿なの?」

「そうそう。作りは似たようなもんだ。見た目は全然違うけどな」

「違うの? わあ、見てみたい!」


 気のせいだと思っていた頭痛をしっかりと感じ始めて、ジュードは少年の額を突いた。


「わっ、何?」

「いいか、俺はお前の言うことを全部信じたわけじゃない。お前が龍族ドラゴンかどうかは、まあ、気にしないでおいてやる。ただし、これ以上お前と関わるのはごめんだ」

「えっ、どういうこと?」


 突かれた額を押さえながら、少年は聞き返してくる。


「さようならってことだ。とっとと群れに帰れ」

「えっ、それは無理だよ」


 こめかみを押さえるジュードに対して、少年は首輪を見せ、


「これがあるから、ボクは元の姿に戻れないんだ。感覚も、とても鈍くなってる。群れを探すのは無理だよ」

「んじゃ、外せ。さっきみたいに」

「んー、たぶん、それも無理。だってこれ、長のウロコで作ったみたいなんだもん。ボクじゃ壊せないよ」

「同じ銀龍族シルバードラゴンなんだろうが」

「種族は同じだけど、長はボクより何百倍も強いんだよ?」


 だから無理、と言外に言われ、


「じゃあ、どうするんだよ、お前」


 なんとも漠然とした疑問しか出せなかった。

 少年は、うーん、と唸り、


「分かんない」


 と、笑いながら言った。


「人間の姿じゃ、何もできないし」

「さっきの角と翼はどうした。あれで飛んで行けよ」

「無理無理、ボクらは風に乗って飛んでるわけじゃないんだよ? 鳥じゃないんだから。翼は法力マナの流れに乗るためにあるの。今の小さな翼じゃ、すぐにおっこちちゃうよ」


 どうにも、少年には焦燥感や危機感というものが無いらしい。

 ジュードがいくら指摘しても、結局は、


「無理だよー」


 の一言で締めくくられてしまう。


「お前、何もできないんじゃねえか?」

「うん」

「うん、じゃねえだろ……」

「元に戻れないと何もできないもん」

「もん、でもねえよ……」


 もはや何とも言う気力を無くしてしまう。まさに、言うだけ無駄である。


「ねえねえ、ジュード」

「あん?」

「ジュードのことも教えてよ。さっきから、ボクばっかり答えてる。ボクだって人間のことが知りたいよー」


 なんとも好奇心が旺盛なことだ。

 断っても無駄だろうと感じ、蹴倒した椅子に座ると、ジュードは身の上をかいつまんで話してやった。

 家の事情、旅の目的、今まで行ってきたクエストのいくつか。

 話を進めるごとに、少年の瞳が輝きを増してくる。最終的に少年を拾ったいきさつまで話し終えると、何をどう感動したのかぱちぱちと拍手を送って来た。


「ボクはそのとーぞくとかいうのに捕まっていたんだね。知らなかったよ!」

「……そんなことも知らなかったのか?」

「うん。だってボク、ずーっと寝てたから。人間の姿になってからお話したのって、ジュードが初めてだよ。ボクが最後に覚えてるのは、どこかの岩穴に置いていかれたところまで。そこからは何にも知らないんだ」


 盗賊どもは少年のことをどこかの令嬢などと言っていたが、完全に嘘だったということか。まさか、令嬢が洞窟で寝ているはずがない。おおよそ、奴隷市で売ろうとでも考えていたのだろう。

 もう一度、盗賊どもを殴りに行きたくなってきた。そもそも性別からして間違っていたではないか。

 ただの令嬢でも扱いには苦労しただろうに、それが銀龍族シルバードラゴンとなってはジュードにもどうしようがない。


「話は終わりだ。こっから先はお前が自分で決めて、好きにやってくれ。ここの宿代くらいは出しておいてやる。けどな……」


 それでお別れだと言おうとしたところに、


「じゃあ、ボクはジュードと一緒がいいな!」


 と、今までの説明と空気を全く読まぬ返事が来た。


「……お前、俺の話を聞いてたか?」

「うんっ! ボクが決めて好きにやっていいんだよね?」

「都合のいい所だけ切り抜くんじゃねえ。俺はお前とさよならしたいって言っただろうが」


 なるべく声を荒げぬように言う。大声を出して、また宿の主人に来られてはたまらない。


「俺の関わらないところで好きにやれって話だよ」

「でも、ジュードはボクを助けてくれたんでしょ?」

「成り行きだ。お前が人間じゃないってわかってたら助けなかった」

「それでも、ボクは助けてもらって嬉しいよ?」


 少年は屈託のない笑みをジュードに向ける。


「ボク、人間のことはよく分からないし、ジュードと一緒だと、とても助かるんだけどなあ」


 おそらく、この少年は素直にそう思っているのだろう。嫌味な気配は全く無い。


「でも、ジュードがそんなに嫌なら仕方ないかな。残念だけど」


 とんっと軽い足音と共に、少年は床に下りた。銀色の髪が、ふわりと宙を舞い、ゆっくりと少年の足取りについていく。


「じゃあね、ジュード。助けてくれてありがとう。会えて嬉しかったよ」


 少年はそれだけ言い残して扉を出ようとし、


「待て」


 ジュードは即座に止めに入った。


「ん? なに?」

「お前、その格好のまま外に出るのか?」

「へ?」


 少年が、自分の体を見る。一糸まとわぬ姿を。


「変かな?」

「変だろ」

「どこが?」

「服を着ろ!」


 人間の常識を知らぬ自称・銀龍族シルバードラゴンの少年にローブを投げつけながら、ジュードはまたもや椅子を蹴って立ち上がった。

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