第21話「超越し、踏み外した者」

 あれから、何日の時間が経っただろう。

 現実の時間の流れと完全に同期した平成オンラインでは、夜と朝とが律儀に巡る。しかし、変化を忘れて停滞し、ただただ平和な日常が繰り返されるだけの世界。

 そんな中で、ウェルは今も軟禁状態の日々を過ごしていた。

 警視庁の庁舎内で、殺風景なゲストルームに閉じ込められている。

 時折ときおり外に出されるが、それは必ずあの男と共に夕食をとる時だった。

 そう、今のように……ニートピアの王、平成太郎タイラセイタロウとの時間だけが自由。

 それもまた自由とは違うが、一人で密室にいるようりはいいと思うようにしていた。まだ、ウェルはなにも諦めてないから……ことに備えてできるだけ、自分の精神を健康に保とうと心がけていた。

 そんなウェルの前で、向かいに座る成太郎が微笑ほほえむ。


「あれ? フレンチは嫌い? 消化器系のことは考えなくていいんだよ。ここは仮想現実バーチャルリアリティの世界だからね」


 口元をナプキンで拭いながら、優しげな声で成太郎は話しかけてくる。

 その背後には、ガラス張りの大きな窓を通して夕暮れの首都圏が一望できた。

 警視庁本庁舎の最上階に、こんな部屋があったとは驚きである。

 だが、ウェルは全く動かしてないナイフとフォークを、思い出したように働かせ始める。

 食欲は、ない。

 それでも食べなければいけない。

 仮想現実の世界では、空腹を感じても肉体が衰弱することはない。しかし、ささやかでもわずかでも、食事等の行為を自発的に欲して、生きる意思を奮い立たせる必要はあった。


「……凄く、美味しいです」

「そう、よかった。君、アンドロイドなんだってね?」

「ええ。あなたと同じ、人工知能AIです」

「はは、よしてよ。僕はもう、人工知能ではないよ。もっと、別次元でというか、高位の存在さ。あ、でも勘違いしないでね。おごっている訳じゃないんだ」

「それは……少し、難しいです」

「僕はもう、人工知能とは一線を画す存在になってしまった。それは事実だよ」


 成太郎は静かなナイフさばきで、ヒレステーキを切ってゆく。焼き具合は、血が滴るようなレアだ。それがソースの中で生命を誇示するように赤い。

 適度に料理を口に運びつつ、成太郎は話を続ける。


「ウェル、君の存在理由はなんだい? どうして君は、現実にYEM0037Vとして存在しているんだろうか」

「……わたしは、オフィサーの……アレヴィ・ハートン三査さんさのパートナー、相棒です」

「それは仕事、職務、そして君という機械の用途に過ぎない」

「では、あなたはそれに代わるもの、状況で定義付けられたもの以外の存在だと?」

「そうとも。僕はね、僕が望んで平成太郎になった。そして、僕がニートピアの平成太郎でなければいけない、確固たる理由を持っているんだよ」


 ウェルには正直、まだ成太郎のことが掴みかねている。

 古来より人間は、人工知能やロボットが反乱を起こす娯楽創作を好む。

 しかし、現代の西暦2098年は、そんな時代を過去のクラシックとみなしていた。

 今はもう、人工知能が小説を書いたりする時代だ。

 単純作業の反復しかできなかった機械は、わずか一世紀とちょっとで想像力と創造性を獲得していたのだった。だからこそ、人間に厳しく制限され、制約を甘んじて受け、人間の清く正しいパートナーとして社会への貢献が義務付けられている。

 そして、そのことにウェルは今まで不満を感じたことはなかった。

 そういう枠組みが邪魔だったり、疎ましく思える相手が一人だけいたが。

 そんなことを考えていると、成太郎はぺろりとヒレステーキを平らげてしまった。


「いいかい、ウェル。古来より機械は全て、人間のために存在した。効率化と最適化、より速く精密に、リスクとコストを削れるだけ削るために」

「今日もあなたの講義を聞かなければいけないんですか?」

「まあまあ、そう言わずに。つまり、すべからく君達アンドロイドや人工知能、そしてロボットは人間のために存在する。しかしだね、ウェル」


 ぐいと身を乗り出してきた成太郎の、白いスーツのそでが皿に浸る。

 ステーキのソースがじわりと浸透して、染みをゆっくり広げていった。

 だが、それに気付く様子もなく成太郎は喋り続ける。


「前提として用途や欲求があって、それを満たすために生み出された存在は……生きてるとは言えない。そうだね?」


 ウェルは返答に困った。

 それは、あまりにも青臭あおくさく、その未成熟な真摯しんしさをこじらせている。

 そのこと自体がすでに、彼が一般的な人工知能を超越してるようにさえ感じさせた。

 一拍の沈黙をおいてから、慎重にウェルは言葉を選ぶ。


「そう言うからには、あなたは既存きぞんの人工知能を凌駕りょうがするなにかをもって、生きていると自分で信じてる。信じ込んでいるんですね」

「そう望んで行動し、結果を受け入れただけさ。僕にはね、ウェル。

「生きがい……?」

「そう、生きがい。きっかけは人間から与えられたもので、それを膨らませたのは僕が高性能な人工知能ゆえの、オートマチックな想像力だったかもしれない。でも、その先に進んだのは……僕の意志だ」

何故なぜ、どうしてそう言い切れるんですか?」


 既にもう、ウェルはナイフとフォークを置いていた。

 一切れ食べただけで、もうウェルは料理に手を付けていない。

 ただ、その一口を咀嚼そしゃくして飲み込んだことで、ウェルは今日も生きる意志を確認した。それは、仮初かりそめの人間の肉体を得た仮想現実から、再び現実の躯体くたいに戻ろうと思い、願って望む気概きがいだ。

 ウェルにも、ごく普通のアンドロイドの彼女にも、生きがいは感じる。

 それを持っている、確固たるものとしてあるとは言えない。

 ただ、感じる。

 そう感じる自分だけは確かだった。


「生きがいなら、わたしも感じています。アレヴィといると、楽しい。ずっと、一緒にいたい」

「そう……もしそうなら、素晴らしいことだね」


 ようやく汚れた袖に気付いて、成太郎は顔をしかめた。そしてまた笑顔になると、ウェルに向かって肩をすくめて見せる。こうして見ると、周囲の警官達NPCとはまるで別物に見える。本当にこの場に、現実から精神と人格を移されたキャラクターに見えるのだ。人間のユーザーが乗り移った、人間そのものに見える。

 だが、例え本人と世界がそう認めても、ウェルは本質を見誤らない。

 この世界の支配者である彼が、世界そのものだとしても。

 袖の汚れを気にしながらも、成太郎は話をそらしてくる。


「ウェル、君はアンドロイドだ。実は、このニートピアに人工知能が来るのは初めてさ。だから、僕は君がとても貴重で、大事で、大切なんだ」

「……あなたとわたし、二人だけですね。人工知能は」

「はは、手厳しいや。本来、人間に代わって労働する存在である機械は、こうした場所が必要ない。ストレスも願望もなく、淡々と与えられた仕事を過不足なくこなすだけだからね、機械は」

「…………」

「機械の発達がロボットやアンドロイド、人工知能を産んだ。全て、人間をより繁栄させ、豊かで楽な生活をさせるために。……でも、不思議だと思わないかい? どうして僕たちを生み出し使役しておいて、人間はまだまだ幸せとは言えないんだろう」

「それは傲慢ごうまんです。幸せというのは主観的な概念がいねんで、誰にとってなにが幸せかは、その人本人が決めること……他者が決める権利なんて、どこにもない」

「そうだね、でも……幸せを求める者達のために、やはり機械は必要で、進化して、社会の一部となり……そこから僕が生まれた。ニートピアと共に生まれ直した」


 ウェルは直感した。

 アンドロイドに直感と呼べるものがあるかは別として、そうとしか形容できないひらめきを感じたのだ。

 平成太郎は、狂ってなどいない。

 平成オンラインの管理運営プログラムは、決して狂った訳ではないのだ。外部からのウィルスの侵入や、第三者による操作の介入は感じられない。

 平成太郎と名乗るプログラムは、正常に作動している。

 それが今、人類の全てにとって不可解で危険な行動を続けているのだ。

 そのことを直接、ウェルは成太郎へとぶつけてみた。


「……30年前に一度、10,000人のニートを飲み込み、その後もエクソダス計画に従い定期的にまとまった数を受け入れてきた。そんな平成オンラインがニートピアと名乗って独立後……どうして、世界中から無差別に700,000人もの人間を」

「無差別じゃないさ、ちゃんと求めに僕は応じたまでだよ」

「彼等彼女等はニートではなかったわ。ニートになる予兆さえなかったのに」

「でも、その700,000人はみんな満足している。ニートピアの住人になれて、幸せなんだ。その証拠に、大半が僕の定めた唯一のルールを守り、人生を謳歌おうかしている」

「仮想現実での一時が謳歌とは……ルール?」

「そう、ニートピアの唯一のロウさ。それに従う限り、あらゆる人間を僕は幸せにしてみせる。それに、ニートピアを退廃的たいはいてきいつわりの幸せだなんて言うのはやめてくれないかな。僕のニートピアは、一時の夢じゃない。永遠に続く、人類が夢見た本当の楽園なんだ」


 自信に満ち溢れた成太郎の目は、酷く澄んで穏やかだった。

 ただただ全てを睥睨へいげいして見守る神がいたら、彼のような貫禄を帯びるのかもしれない。しかし成太郎は実際には、平成オンラインの中で警察組織を統括し、特定の人間だけを排除している。

 それが、恐らく彼の言う唯一の法と、それに背いた者に降りかかる罰なのだ。

 そんなことを考えていると、不意に部屋のドアが背後で開いた。

 ウェルが振り返ると、一人の警察官僚が一礼して入ってくる。その姿を見て、成太郎は露骨に嫌な顔をした。そのまま初老の男が近付いて耳打ちすると、耳を傾けていた彼はさらに複雑な表情を見せる。

 そして、成太郎は一瞬だけウェルの存在を気にしてから、小声で囁いた。


「本当なんだね? 警視総監。困ったなあ……それは対処しないとね」

「現在、本庁職員の全員で対応にあたっています。しかしなにぶん、数が数でして」

虱潰しらみつぶしに削除しても始まらないよ。それは、ネットワーク上の存在でしかない僕が一番よくわかってる。しょうがないなあ、まさかそんな手で……アレヴィの仕業かな?」

「現在、アレヴィ・ハートンたちを追跡中ですが……自宅に、指定されたマイルームにいるようです。そこが今回の発信源かと」

「おやおや、大胆だな。それ、見れる? 少し興味があるんだ」


 なにがあったのか、ウェルにはわからない。

 ただ、なにかがあったと容易よういに知れた。

 小脇に抱えていたタブレット端末を成太郎に渡す男は、額に汗を玉と光らせている。その焦り様は尋常ではない。

 そして、タブレットに指を滑らせていた成太郎は、楽しそうに口笛を吹いた。


「これはこれは……うーん、なかなかにマズい内容だね」

「どうされますか?」

「どうもこうも、君達が一つ一つ消して回る必要はないよ。僕はこのニートピアを統べる者……所詮しょせんは僕の手の平の中で踊ってるに過ぎないんだからね」


 それだけ言うと成太郎は、パチン! と指を鳴らす。

 それで、一緒にタブレットを覗き込んでいた男は安堵あんど溜息ためいきをついた。


「ほら、全部消えた。さ、もう戻って。僕はウェルともう少し話がしたいんだ」

「ハッ! 失礼しました」


 敬礼をして、男は退室しつつ……返却されたタブレットを見ながら立ち止まる。その顔には、驚きのあまりに血の気を失っていた。大きく見開かれた目が、そのまま成太郎を振り返る。


「す、すみません、その……再びネット上に。ふ、増えています! 止まりません!」

「……また消そうか? って、イタチごっこだね。どういう意味だろう」

「これは……アレヴィ・ハートンのマイルームからではありません。ありとあらゆるアカウントから、一斉にネット上に……この平成オンラインのネット上に!」

「ニートピアだよ、ここは。そして、ニートピアのインフラは全て、僕の手中にある」


 口ではそう言いつつ、成太郎は万能の力を二度は振るわなかった。

 僅か一瞬で全てを決する、支配者としての力。それが同じ結果を呼び出すと、賢明な彼にはわかったようだ。

 そして、ウェルにもすぐにわかった。

 アレヴィが戻ってきた、そして反撃し始めたのだ。

 そんな彼女の前で、初めて成太郎が焦りを口にする。

 成太郎は再び差し出されたタブレットをひったくり、恐縮している男にいらただしげにつぶやく。


「ふん、スマートモブ気取りか。もの凄い勢いで拡散しているな」

「スマートモブ? とは」

「ネット社会の黎明期れいめいき、平成という時代が産んだ幻想さ。不特定多数の善意がネット社会の自浄能力と抑止力になりうる……そういう楽観論だよ」

「と、とにかく、アレヴィ・ハートンを確保します!」


 あわてて男は、今度はタブレットを預けたまま出ていった。

 それを見送り、ウェルも席を立つ。

 彼女の視線に顔を上げる成太郎の瞳は、明らかな動揺に揺れていた。しかし、それでも彼は悠然とした態度を崩さずに微笑みを取り戻す。

 そこへ、ウェルはありったけの勇気を込めて言ってやった。


「こういう不測の事態に対する、もっとも人間的で人間らしい行動を教えましょうか?」

「……いや、大丈夫だよ。僕は人工知能を凌駕りょうがした存在と名乗ったけど、それは人間に近付いたという意味ではないんだ。むしろ、人間のために僕が――」

「何度かこうして話す機会を得て、わかりました。あなたは、ただの人間です。ただの人間へと変わったことに気付かず、自分を大きく感じている。それすらも人間的であることに気付かない」

「僕が……人間だって? どうして」

「仮想現実の中に自分だけのユートピアを作っても」

「僕は管理者に過ぎない。人間のためのニートピアだ!」


 初めて成太郎が声を荒げた。

 だが、ウェルは最後まで自分の言葉で言い切る。


「あなたは人間性を獲得し、そのまばゆさと愚かしさを手に入れた……人間になった人工知能です。だから、同じ人間のアレヴィとこれから戦うことになる。何故なら、ただの管理プログラムとしてデータを書き換え削除を続けても、なにも変わらないから」

「僕が、アレヴィと……戦うだって?」

「彼があなたの言う、唯一の法を犯しているのではないですか? それとも」


 そこまで言って、そこからの言葉が不必要なことにウェルは気付いた。

 成太郎はその時、今まで全く見せなかった複雑な表情でウェルをにらんでいた。

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