第13話「タイムアップ」

 ウェルの指定した建物までの道中、アレヴィは多くの事実を知った。

 先日の騒動を起こしたリンには、恋人がいた。やはり、30年前の事件でこの平成オンラインに閉じ込められた男だ。ダリウスのような外国人も数百名程度、犠牲になっていて、その中の一人だったという。

 リンが付き合っていた男は、警察に連行されて……戻ってこなかった。

 誰もがまだ、この平成オンラインの裏へ追いやられた人間の消息を知らない。

 丁度ちょうど、現実の世界から消えた人間の消息を知らないように。

 そう、平成オンラインは密かに30年以上前から、多くの人間の精神と意識だけを飲み込み、ゲーム内の世界に縛り付けていたのだ。

 何故なぜ? どんな目的で? それもこれから明かされるだろう。


「ほら、着いたぜ? ここが指定された場所だけどよ……マジで行くのか?」


 東京都千代田区に、その建造物はあった。

 ウィルが具体的に言わなかったのは、恐らく彼女のデータベースにもないのだろう。100年近く前の平成の時代、この場所になにがあったのかを。

 実際、アレヴィも初めて見る。

 今は跡形もなくなって、機能だけが別の場所に移転していた。

 その施設とは、だ。

 日本警察の中枢であり、最もセキュリティの高い場所の一つである。事件の謎を吸い込む先では、警察そのものさえ操る人物がいるということだ。そもそも、この平成オンラインを掌握している存在であれば、その中で警察を自由にすることも可能だ。

 そして、ユーザーの多くは平成へのあこがれと望郷ぼうきょうがあっても、自分の過ごし方以外に興味はない。巧妙に警察を使って、何者かが健全なネットゲーム運営を装っているのだ。

 敵の巨大さを知りつつ、ちらりとアレヴィは携帯電話の表示に目を落とす。

 昨日の今頃ログインしてから、既に丸一日が経とうとしてる。

 24時間で一度ログアウトせねばならぬので、そろそろタイムリミットだ。


「……とりあえず、今はウェルと合流して一度現実に戻る。思った以上に時間がなかったし、敵が強大に過ぎる。でも、忘れないで欲しい。リン、そしてダリウスも。必ず救いに来る。あの日の事件をまだ、忘れてない人間だっているしな」


 路肩ろかたに停車したライトバンの中から、アレヴィは改めて警視庁を見上げる。

 確かに、古いの映画やなんかで出て来る。独特の形で角地を占領するあの建物だ。

 怪しまれぬように注意しつつも、開けた窓の隙間に目を凝らすアレヴィ。その隣では、頭の後ろで組んだ手を枕にして、リンがぼんやりと呟いた。


「この場所に、警視庁に関わって、帰ってきた奴はいない。まるで、この牢獄ろうごくのようなゲームの中のブラックホールさ。……あいつも、帰ってこなかった」

「……恋人かい?」

「そうだと、思う」

「そうか」

「この30年で絶望なんて味わい尽くした、絶望し尽くしたと思ってたのにさ。最後に暴れて馬鹿やって、それで終わりにしようとも思った。そしたら、あんたらが来たんだ」


 昨日の秋葉原での事件だ。

 確かに、あの日のリンは異常だった。

 それも今は理解できる……尋常ならざる異変で、彼女はもう30年以上もログインしっぱなしなのだ。それはダリウスも同じで、あの10,000人の電脳失踪者がここにいる。

 いったい、平成オンラインとはなんなのか?

 全世界で700,000人の、つい最近の電脳失踪者たちもここにいるのか?

 その謎に対する答は、いずれ明かされる。

 アレヴィがウェルと人々を解放して助ける過程で、おのずと知れることだろう。

 だから、今の率直な気持ちでアレヴィはリンを励ました。

 気休めだとわかっていても、なにかを言わずにはいられない。


「大丈夫だ、俺を信じてくれ……っていうのは、難しいと思う。初対面だし。でも、この国を……君が敵だと言った日本を、まだ信じていてくれ。そこでは今も、多くの人たちがよかれと思ってベストを尽くしている。一部の人間にいいようにされるだけじゃないさ」


 リンはさびしげに笑って、なにも言わなかった。

 彼女の閉ざされ凍りついた30年は、どんなものだったろうか?

 歳を取る肉体も持たず、停滞した空虚な瞬間の連続となったゲーム内の日本……誰もが一番豊かな時代だったと言う、平成の1コマ。無限に続く明日の中で、死なないだけでは生きてるとは言えないと思い知らされたはずだ。

 空腹を感じて食事で満たされても、それが肉体を循環して栄養分となることもないし、排泄されることもない。肉体にその機能がないから、他者と愛を育むことだって難しいのだ。

 そんな中で恋人を失ってなお、リンは戦っている。

 そういう人がたくさんいて、閉じ込められてると教えてくれた。

 彼女は、それでも照れくさそうにはにかんだ。

 やっぱり寂しげな表情で、そうさせている自分がアレヴィには切ない。


「なにさ、よく知らないくせに……でも、でもね。ちょっと元気、出たぞ? くっさい台詞……うちのオヤジじゃあるまいし」

「お父さん?」

「そ、クソオヤジ。仕事しか考えてなくて、毎日ヤクザや犯罪者とドンパチやってたんだ。そうして、家のこともお母さんのことも、あたしのことも忘れてるんだと思う。あたしの時代にはさ、まだあったから……社畜ちゃちくとかワーカーホリックとか、そういうの」

「もしかして、君のお父さんは――」


 珍しくない名字だからと、心のどこかで可能性を否定していた。

 だが、彼女の正体に気付いた瞬間、事件の真相と真実味が信憑性を増す。

 驚くべき運命の皮肉にアレヴィが固まっていると、また携帯電話の着信が鳴った。

 着メロはウェルからのもので、すぐに電話に出る。

 だが、期待を裏切る声が冷たく響いた。


『あー、もしもし? えっと……どこの誰かは知らないけど、こんにちは』


 男の声だ。

 突然、身に覚えのない軽妙な声が響く。

 酷く落ち着いていて、軽やかな声音だった。


『あれ、驚いちゃったかな? 僕もね、驚いてるよ。まさか、たった一日でぎつけてここまで来るなんて』


 アレヴィが黙って聞いていると、相手はぺらぺら喋り出す。

 緊張感に欠く声色は、どこか弾んで楽しそうですらある。


『……もしもし? あれ、間違ったかな。この番号は、ウェルのパートナーでいいんだよね? 彼女はさっき、そう言ったけど』

「お前は、誰だ」

『あ、よかった。繋がってるね。うんうん、最初の質問としてはもっともな、実にいい質問だよ。僕の名は……平成太郎タイラセイタロウ

「タイラ……セイタロウ? ふざけているのか?」

『いいや、ちっとも。地球規模の巨大な計画を任された者さ。……正確には、任されていた者、か。君たちが言うように、この平成オンラインの裏には、国家の陰謀とでも言うべき計画がある。あった、かな? 過去形でいいさ、君たちのつかんだ情報を元にするならば』


 言ってる意味がよくわからない。

 隣でリンが声をあげそうになるので、アレヴィは自分のくちびるに人差し指を立てる。

 異常事態と知ってダリウスが無言でエンジンをかけたが、すでに遅かった。知らぬ間に、ライトバンの周囲には警官たちが集まり始めていた。

 完全に包囲された中で、平成太郎と名乗る男の言葉は続く。


『そうだ、僕は名乗ったんだから、君の名前も教えて欲しいな。所属と、あれば階級も』

「……国際電脳保安機構こくさいでんのうほあんきこう娯楽虚構対策課ごらくきょこうたいさくかのアレヴィ・ハートン三査さんさだ」

『オッケー、アレヴィ。シンプルに行こう。シンプルに。まず、君がにらむ通り……この平成オンラインは、30年前と現在と、二度の電脳失踪事件に関与している。ご想像通り、現実から消えた人間たちは、ここにいるよ』

「何故、そんなことをする? 目的と背後関係を聞きたい」

『そうだね……まず、僕達に関わってる組織だけど、もう知ってるんじゃないかな? 日本を中心とした世界各国の先進国。関わっていた、と言うか……僕達を生み出した者達だね』


 何故、成太郎は過去形で言い直すのだろうか?

 その疑問ももっともだと、受話器の向こうで彼は小さく笑った。

 余裕たっぷりな声は、瑞々みずみずしい少年のようでもあり、老獪ろうかい好々爺こうこうやのようでもある。

 人物像がつかめないまま、焦りだけがアレヴィの胸中を支配していた。

 車の中では、リンがダリウスになにかをまくしたてているが、今にも泣き出しそうだ。そして、こんな中でも落ち着いた状態のダリウスの、その平常心と冷静な対応が光る。

 彼は無言でリンに安心させるように、携帯電話に打った文字を見せた。

 今度はリンにも、声を出さずに携帯電話のメモ帳機能を使うように伝える。

 その間も、アレヴィは謎の人物との対話を続けていた。


「何故、過去形で言い直す? ……既にもう、お前たちは国家の管理下にないということか? お前たちはなんだ……何者なんだ」

『非常にいい質問だね。そして、哲学的な永遠の命題でもある。自分が何者か……その答を知っている人間はいるんだろうか? 人間ならば、悩み続けることにこそ意義を見出すと思うけどね』

「……つまり、お前は人間ではないと?」

『人間の定義にもよるけども、そんな言葉遊びを続けたい訳じゃないよね。いいよ……窓を開けてみて』


 突然の言葉に、アレヴィはリンとダリウスとを見る。

 既に最大音量で受信している通話は、二人にも聴こえていた。

 二人の携帯が差し出され、その画面に肯定を示す短文が走っている。

 意を決して、アレヴィはドアの窓を開いた。

 パワーウィンドウの作動音と共に、スモークガラスが塗りつぶしてた景色が色彩を取り戻す。すると……広い片側三車線道路の向こう側、対向車線に一台のリムジンが止まっている。その後部座席に、白いスーツ姿の男が携帯電話を握っていた。

 間違いない、ウェルがゲーム内で持ち歩いていた二つ折りの古い携帯だ。

 そして、男の向こうにアレヴィは過酷な現実を確認した。


「ウェル!」

『はは、ご対面だね。ちょっと待ってね、声を聴かせて上げる。なんだか僕、悪役っぽいや。まあ、要求と提案は後々建設的にさせてもらうとして、だ。はい、なにかしゃべって』


 向かいのリムジンの中で、成太郎はウェルへと携帯電話を差し出す。

 拘束されている様子はないのに、ウェルは持ち前の身体能力を発揮しようとしない。その意味が、逼迫した声音で伝えられてきた。


『アレヴィ、ごめんなさい! わたし、あの……不自然にならない程度に身を隠して、待機してたんですけど。その、突然この人に、平成太郎さんに』

「いいんだ、無事だね? 自力での脱出はできそう?」

『それが、変なんです。わたしの力が……このゲーム内でも再現されていた身体能力が、突然失われました。まるでそう、上位のシステム権限でデータを書き換えられたような感じです。ジャマーも効きません……恐らく、もっと強力な能力がないと』

「なるほど……わかった。気にしなくていいよ、失敗は誰にでもある。そして、これはウェルのミスじゃない。俺のミス、痛恨のミスってやつだ。もう一度成太郎に代わってくれるかい?」

『はい……本当にごめんなさい』

「大丈夫さ、待ってて。すぐにとはいかないかもしれないけど、絶対に助ける。その時は、君との約束を必ず守るよ。また、今度はもっと穏便で面白いゲームの中で会おう」


 涙声のウェルが受話器を渡す気配がして、その声が遠ざかる。

 代わって響くのは、先程と同じ余裕たっぷりの達観した声だ。


『泣かせるね、いいじゃないか。彼女は幸せだろうね……持ち主にして運用責任者が、なかなかどうして話せる人間だ。物の扱い方がわかってる感じ、いいね』

「……ウェルは物じゃないさ。例え幼稚なセンチメンタルだったとしても、俺はずっと彼女を機械だなんて思ってなかった。その名を与えて、受け取ってもらえた時から……ウェルは俺の大事な相棒で、それ以上の存在だ」


 いつわらざる素直な言葉だった。

 同時に、隣でリンが止めるのも無視して、車を降りる。

 遠巻きに包囲を狭めてくる警官たちに威嚇されながら、アレヴィは中央分離帯を飛び越えた。そのまま、黒いリムジンの成太郎へと歩み寄る。

 奥で声を張り上げるウェルを無視して、成太郎は余裕の笑みでアレヴィを迎えた。

 手を伸ばせば届く距離に成太郎を見下ろし、それでも受話器と通してアレヴィは呼びかける。いかなる返事も期待せぬまま、宣言する。


「俺は口下手でね、人と接するのが苦手なんだ。でも、電話機を挟むと不思議と落ち着く……だから、この際ハッキリと言っておく。今すぐ、平成オンラインに不当に閉じ込められた人間たちを解放するんだ。その上で出頭し、罪をつぐなえ。さもなくば――」


 決意を高らかにうたった、その時だった。

 徐々に光りだしたアレヴィの肉体が、仮想現実の世界から溶け始めた。

 タイムリミットが過ぎて、24時間の接続制限を超えたのだ。

 そんな彼を見上げたまま、成太郎は穏やかに微笑ほほえむ。


『タイムアップ、かな? 君が望めば、今のウェルのようにくだらない規制から解き放ってあげるけど……どう? 勿論もちろん、それは僕の協力者になってくれるということだけど』


 消え入る中で、意識が肉体に戻ろうとしている。

 全てが朦朧もうろうとしてゆく中で、アレヴィははっきりと言ってやった。


「そんなもん、クソクラエだ! このクソゲーを、お前ごと潰してやる。お前が例えGMゲームマスターでも、それ以上の権限を持つ者でも……現実世界じゃ、お寒い部屋で唸りを上げてる演算装置サーバの中にしか居場所はない。そのことを忘れるな……必ず、必ずお前を潰してやる!」

『面白いね、アレヴィ。僕と保護者会ほごしゃかいは待ってるよ……また、会える日を』


 嬉しそうに微笑み頷く成太郎の姿さえ、既に視認できない。

 まるで自分にしか聴こえない声を叫ぶような感覚で、アレヴィは現実世界へと吸い戻されていった。ただ一人、大切な人間で、彼女が人間かどうかを問題としない仲のウェルを置いたまま。

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