第4話「平成オンライン」

 時刻はすでに、二時を回っていた。

 アレヴィは一人、秋葉原あきはばらの電気街にいた。現実の世界では再開発が進んだ街も、100年前の平成の時代は雑然としている。


 ここはネットワークゲームの世界、平成オンライン。


 行き来する人たちは皆、100年前の雰囲気をまとっている。

 服装や格好、ヘアスタイル等に大きな変化は見られない。だが、明らかに現実とはかけ離れた空気がそこにはあった。それが、西暦2098年を生きるアレヴィにははっきりとわかる。


「……脳天気な時代にしては、どこか陰鬱いんうつとした、よどんだような。まあ、そういう混沌こんとんとした時代だったんだろうねえ」


 待ち合わせの時間までまだ少しあるが、自分で指定した場所にアレヴィは到着していた。秋葉原駅の電気街口を出てすぐの通りには、見慣れた高層ビル群はない。アレヴィが好きで週末に繰り出す秋葉原は、空を奪い合う尖塔せんとうのようにビルが屹立きつりつしていた。その足元は怪しげな店が軒を連ね、陽の光も届かぬ地下ではさらに闇が深くなる。

 だが、平成の世を再現したその場所には、大きなバスケットボールのコートがあった。アレヴィとそう歳も変わらぬ若者たちが、ボールをはずませ汗を流している。


「……もう少し、詳しく調べておこう。平成元年は確か、西暦1989年からだったかな?」


 ポケットの中に端末を探して、当時の最先端の携帯電話を取り出す。

 ここ100年の間でのモバイルのハード的な進化は、ゆるやかなものだ。取り出したのはスマートフォン、平成の後期あたりから普及した小型液晶タブレットを兼ねた携帯電話である。液晶にタッチすることで操作するのだが、形はアレヴィたちが現実で使っているものとそう変わらない。

 ただ、光学投影式こうがくとうえいしきのインターフェイスがないため、物理的に触る必要がある。

 アレヴィは慣れない手つきで、液晶画面をタッチしていった。


「ふむ……どうも慣れないね。えっと、なに? ふむ……おっ? おお……随分再現度にこだわってるんだな。当時のソーシャルネットワークゲームが沢山ダウンロードできるぞ」


 平成という時代を調べていたはずが、気付けばアレヴィはゲームのダウンロード画面へ指を滑らせていた。話にしか聞いたことがないが、この時代はソーシャルネットワークゲームの黎明期れいめいきである。無数のジャンルが混在した中で、無限に近いゲームが生まれては消えていった。

 それは今の現代も変わらないが、とにかく数の分母が違う。

 そして、平成の人間は五感と意識の全てを投入せずとも、虚構の娯楽作品を楽しむ術を心得ていたのである。

 アレヴィが夢中でゲームを選んでいると、背後で声がした。


「お待たせしました、オフィサー! ……この格好、変じゃないですか?」


 振り向くとそこには、一人の少女が立っていた。

 見た目こそ少し大人びているが、相棒のウェルだ。彼女は今、アレヴィが作ったアバターを完全に着こなしている。それも当然だ……本人には言っていないが、ウェルをモデルにしているのだから。

 アレヴィは架空の非実在美少女にのみ造詣ぞうしが深いが、現実世界ではウェルしか異性を知らないのだ。仕事の仲間であると同時に組織の備品で、性別以前に人間でないことは理解している。理解しているが、実感をともなうかどうかはまた別の話だ。

 アレヴィの前に、ホットパンツに大きめのパーカーを着た少女が笑っている。


「ああ、いいんじゃないの?」

「あ! なにしてるんですか、オフィサー! ゲームの中でゲームするなんて……信じられないです。もっ、そんなにゲームばっかりしてて、面白いんですか?」

「いや、面白い、筈だよ。今、ダウンロードしてるけど。例えばこれはアイドルゲームで、昔流行った音ゲーと呼ばれる……ウェル?」

「知ってます! お金を払ってガチャを回すゲームですよね!」

「いや、そうでもあるけど、違うんだよ。そもそもだね、アイドルという存在自体が」

「それより、オフィサー! 早く行きましょう……し、仕事ですからね? 聞き込みとか、するんですよね?」


 ガシッ、とウェルが腕に抱きつき、引っ張り出す。

 慌ててアレヴィは、スマホをしまいつつ歩いた。

 現実世界と時間がリンクしているようで、ゲームの中も金曜の午後だ。秋葉原は人混みで賑わっており、活気に満ちている。アジア有数のサブカルチャー文化の発信地にして、メッカ。外国人の姿も多く見られ、平和そのものに感じられた。

 だが、普段から秋葉原を知らないウェルは、目を丸くしている。


「あの、オフィサー……今日はなにかのお祭りなんですか?」

「うん? ああ、秋葉原は毎日こんな感じだよ」

「えっと、皆さん仕事は……」

「平日が休みの仕事って、沢山あるでしょう。俺らだって、非番の日が土日や祝日とは限らないし」

「でもでもっ、えーっ……なんだか混乱してきました。オフィサー、秋葉原って電気街なんですよね? 冷蔵庫や洗濯機が安い街なんですよね?」

「今はどうかなあ……どこの企業も自社で独自にネット販売市場を形成してるから。あ、でもダイオードやコンデンサ等、細々こまごまとした部品を買うにはまだまだ便利かな。あとはまあ、アニメやゲームのグッズは痛み具合や塗装の良し悪し、保存状況とか見たいし……秋葉原で直接買うのが無難だね」


 ウェルは「ほえー」と周囲を見渡し、ますますアレヴィに身を寄せてくる。

 彼女のこういう無自覚なスキンシップも、アレヴィにはあまりピンとこない。なんとなく、飼い猫になつかれてるような気分で、それ以上のことが想像できないのだ。

 人とアンドロイドであることより、男と女であることの方に壁を感じる。

 アレヴィは幼少期から雑多な創作物に囲まれつつ、それを他者と共有したことがない人間だった。情緒はある程度豊かに育ったが、それは経験ではなく知識で積み上げられたものである。


「とりあえず、ウェル」

「はい? ああ、すみません! オフィサー、今のは、その、あれです」


 ぱっとアレヴィの腕を放すと、ウェルは顔を赤らめた。

 普段から見せる、アンドロイドの躯体くたいが持つ機能ではない。

 仮想現実空間バーチャルリアリティに再現された一人の女の子として、ウィルは赤面にうつむいたのだ。

 だが、それはアレヴィが知覚している擬似的ぎじてきな光景でしかない。

 かわいいとは思うし、愛らしいのもわかる。

 アレヴィにとってそれは、無数の前例との比較でしかない。

 アレヴィ・ハートンは、心の底から良し悪しや好ましさを感じたことがなかった。そして、そのことに対して全く引け目も負い目も感じず、コンプレックにすら思っていないのである。だから、咳払せきばらいを一つしてウェルに言葉を選ぶ。


「その、オフィサーというのをまずよそう。俺らはここでは、平成時代を体験したくて飛び込んだただのユーザーなんだから」

「は、はい。じゃあ、その、なんとお呼びすれば……」

「アレヴィでいいよ」

「はい、アレヴィ様」

「様はいらないって、変でしょう? ……あ、いや、秋葉原ではこれがまた、変には見えないこともないというか。うーんでも、呼び捨てで呼んでよね」

「了解です! ええと、ア、アッ、アレヴィ」

「うん、いいね。じゃあ、行こう」


 歩き出すアレヴィの後ろを、とてとてとウェルがついてくる。

 周囲はまだ日も高いのに、どこか休日のように華やいでいる。グッズを満載した紙袋を手に、友人同士連れ立って歩く若者。ツアー客だろうか、カートに買い物のダンボールを満載した外国人もいる。路上ではメイド姿の女性が客引きをしていて、ウェルが興味津々きょうみしんしんに見ていたらティッシュをもらったようだ。

 この雑多なごった煮感、間違いなく百年前も秋葉原特有の空気がある。

 そうこうしていると、追いついてきたウェルが隣から覗き込んでくる。


「アレヴィ、大変です! 路上での客引きは違法では……」

「うん、俺たちの時代ではね。平成ではどうだったのかなあ……一口に平成と言っても、30年近くあるからね」

「そ、そうなんですか。見てください! いかがわしいティッシュをもらってしまいました! メイドさんとなにをするお店なんでしょう」

「お茶して、お話して、ご飯を食べるだけだと思うけど」

「……それだけなんですか?」

「それだけなんですよ、っと。お、おお? ちょっと待ってウェル!」


 不意にアレヴィは脚を止めた。

 ブツブツ言っていたウェルも、気付いて立ち止まる。

 2人は、通りに面したショーウィンドウへと向き直った。アレヴィはその中に飾られた、無数のフィギュアを視線ででてゆく。どれも100年前のアンティークで、今でも根強い人気を誇るキャラクターもいる。当時の平成人は思いもよらなかっただろう……もともと権威とは無縁なサブカルチャーから生まれたものが、100年後にはクラシックなムーブメントとして愛されていることを。平成デモクラシーやサブカル・ルネッサンスなどと称して、当時を知らない者たち程、平成時代のあらゆるものを欲しがった。

 無論むろん、アレヴィにとっても興味をかれるものが多い時代である。


「……やばい、やばいよウェル。給料日前だというのに、なんてやばいことになったんだ」

「どしたんですか? アレヴィ」

「見てご覧、あそこ……沢山のフィギュアが並んでるだろう? そう、その一番右端のやつだ」

「……もぉ、オフィサー! じゃない、えと、アレヴィ! あんなのが欲しいんですか? わたしがこの間もお願いして、仕事机の上から撤去してもらったじゃないですか!」

「あれはあれ、これはこれ……そしてこれは、当時大人気だったアニメ『魔法少女ラジカル☆はるか』の主人公、はるかちゃんだよ。ええと、原型師は確か――」

「どれも同じに見えますけど。ほら、あっちのと一緒ですよね?」

「ちっ、違うよウェル。なにを言ってるんだ、あっちのは『魔法処女と童貞王』に出てくるヒロイン、レヴィール・ファルトゥリムでしょうって。ああ、現実世界ではプレミア値段で買えないフィギュアが、ここでは」

「3万円、ですよ? 高くないですか、オモチャの人形が」

「高くないっ! 高く、ないんだ……現実の20分の1の値段だよ? 当時の相場そのままの値段だ」


 取り乱してしまったが、べたりとウィンドウに両手をついてひたいを寄せつつ、アレヴィは理解した。

 恐らくこれが、平成オンラインの楽しみ方なのだ。

 仮想現実空間に完全再現された、100年前の平成の日本。戦後という時代の忘却と同時に、戦争を知らない世代たちによる平和な時代。そして、グローバル化の波が世界を包み込む中、不安定な政情と経済ながらも安定した日常が閉じ込められている。

 ここには、自由で気ままな当時の日本だ。

 まだまだ世界が物理的な人と人との繋がりで動いていた、その末期なのだ。

 美少女フィギュアを見詰めていたアレヴィは、ごくりとのどを鳴らす。


「……よし、買おう」

「え? アレヴィ、待ってください。お金、あるんですか?」

「ある、はず。なければ稼ぐ」

「稼ぐ、って……えっと、モンスターを倒すとかじゃないですよね? このゲーム、お金ってどうやって……ええーっ!?」


 自分の手の甲を見ていたウェルが、突然素っ頓狂な声をあげた。

 そして、彼女はショウウィンドウから放れたアレヴィに手を向けてくる。


「みっ、みみ、見てください! アレヴィ、この金額!」

「……なにこれ」

「わかりません! でもっ、ごっ、ごご、50万円! 微妙に大金です!」

「ログインボーナス、的な? これで買い物したり遊べってことなんですよね、ふむ……」

「あれ、アレヴィがアカウント作成時になにかしたんじゃないんですか?」

「いや? キャラの作成はしたけど、あとは全部ウェルがやったでしょう。電算室側で」


 平成オンラインとは、文字通り仮想現実の中に再現された平成の世を謳歌おうかする、それだけのゲームである。その中では勿論もちろん、食事や行楽、ショッピングなどでお金を使うはずだ。

 アレヴィも手の甲に視線で念じて、デジタル表示の数字を呼び出す。

 確かにウェルの言う通り、ちょっとした大金が持たされていた。

 このままでは使えないが、ゲーム内の銀行から引き出せる筈である。

 とりあえず、アレヴィは深く考えるのはやめることにした。


「ウェル、聞き込みや情報収集は明日から当たるとして……銀行、どこかな?」

「もーっ、アレヴィ! こんなの買ってどうするんですか! なにする気です!」

「眺めて、で回して、飾る。それともなにかい? 俺がなにをするかって、君は」

「……そ、そこまで言ってないです。でも、どうせ捜査が終われば消すアカウントですよね? 一応、接続料とかは公費なんですけど」

「まあまあ。ウェルはなにか欲しいものはないの? 買ってあげるけど」

「っ! そっ、そそそ、そんなこと言って! ……渋谷とか、行けるんですか?」

「あとで行ってみる? ちょっと待って、まず銀行に――」


 その時だった。

 秋葉原の往来に悲鳴がこだまする。

 楽しい懐古的かいこてきな旧世紀のひとときが、あっという間に緊張で凍った。次の瞬間には既に、アレヴィはウェルと共に走り出していた。

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