第3話「娯楽虚構対策課」

 娯楽虚構対策課ごらくきょこうたいさくかの詰め所は、アジア支部庁舎の片隅にある。構成員は三名、日陰者ひかげものが集う場末の部署らしい。とどのつまり、ウェルもその一人として、ここに居場所を得るまでには一悶着ひともんちゃくあったのだ。

 いまだ人間たちは、職場にアンドロイドを迎え入れる難しさに、向き合わない。

 お客様扱いも腫れ物扱いも慣れたが、お茶汲みと帳簿整理のためだけにウェルは造られた訳ではなかった。勿論もちろん、アフターファイブの個人的な残業強要などもっての他だ。

 そんな訳で、最新鋭アンドロイドが娯楽虚構対策室に追放された訳である。

 その詰め所へ入るなり、ウェルはようやくアレヴィを解放した。


「はい、つきました! 手早く仕事を始めましょう、オフィサー」

「……なに怒ってるの?」

「怒ってません!」

「怒ってるじゃないのよ」

「怒ってませんってば! ……オフィサーは甘すぎます」


 アレヴィを彼の机に押し込むようにして座らせ、ウェルも向かいの机へと収まる。手早くデスクトップタイプの端末を起動させれば、静かな室内に唸るようなモーター音が響く。

 コーヒーを一口すすって、ウェルが仕事を始めようとした、その時だった。

 アレヴィは端末でメールのチェックをしつつ、ぼそぼそとつぶやく。


「ウェルさ……あんましヤマグチ一査のこと、嫌うもんじゃないよ」


 意外な言葉に、正直ムッとしてしまうウェル。

 彼女は浮かび上がる光学ディスプレイの向こうに、アレヴィを見やりながらも仕事を続ける。あっちからからんでくるので、どうしてもああいう対応にならざるを得ないのだ。それに、普段から助け舟を出してくれるのはアレヴィで、少し嬉しいのもある。

 そのアレヴィを軽んじ侮蔑ぶべつしているイットーが、ウェルは好きになれない。


「お言葉ですが、オフィサー! どうしてあの人、わたしを……わたしたちを目のかたきにするんですか? 娯楽虚構対策課だって、立派な一部署、ライトスタッフです!」

「……それ、自分で言っちゃう? ま、いいけど……あのね、ウェル」


 アレヴィの机では、やはり同じ光学ディスプレイが立ち上がり、二人の間に光の壁が屹立きつりつしている。淡い緑色の中で、大小様々なウィンドウの中を文字列がスクロールしていた。

 アレヴィはその一つ一つを目で追いつつ、キーボードを叩いている。

 その動きに妙な不自然感があって、思わずウェルは表情がフラットになった。

 アレヴィは言葉を続けつつ、手を休めない。


「ヤマグチ一査は、30年前のあの事件の被害者遺族でね。……ちょっと、まだ被害者の中には延命措置を受けてる人もいるから、遺族かどうかはわからないけど」

「30年前、ですか?」

「そ。この国で30年前、なにがあったか……知ってる?」

「……データでは一応」


 今からさかのぼること、30年と少し……西暦2066年、夏。突如とつじょとして日本中から、一斉に10,000人の若者が消えた。若者ばかりが、仮想現実バーチャルリアリティのどこかへ精神だけを飛ばしたまま、戻ってこなくなったのだ。

 この事件を契機に、国際的な仮想現実法の整備が行われた。

 仮想現実への接続時間の制限等を設けたのである。


「今回の事件と同じですね、オフィサー」

「そう、しかし奇妙なことに……30年前の事件には不可解なことが多い。まず、発覚した時にはすでに、10,000人の犠牲者が

「事件として表沙汰おもてざたになったころには、なにもかもが手遅れだったと聞きましたが」

「次に、被害者は全員が日本人、そして……その多くに共通項があった」

「それは……すみません、そこまでは」

「15歳から34歳までの、家事や進学、就業をせず、職業訓練や学業をしていない人間。多くが引きこもりで、社会との接点はほぼ全てがネット環境のみだった」

「Not in Education, Employment or Training……この頭文字を取って、ニートと。……あ! ニート……ニートピア?」


 ウェルの中で、回路という回路に電気が走るイメージが弾ける。古典的だが、そうした思考ルーチンや発想力の方向性を決めたのは人間たちだ。そして、奇妙な一致に驚くあまり、ウェルは思わず椅子いすを蹴る。


「オフィサー、もしかして30年前の事件は……今回の事件と」

「ニートピア……多分、ユートピアをもじった造語だと思う。ユートピア、楽園のことだね。イギリスの思想家トマス・モアが16世紀に出版した風刺小説に登場する」

「確かギリシャ語で、『素晴らしい場所』『どこにもない場所』……そして、その実態は作中ではディストピアとして描かれていると聞いています」

「ウェル、読んだことは?」

「すみません、まだ……」

「それは残念だ」

「ごめんなさい、オフィサー」

「実は俺も読んだことがないんだ」

「……ぶちますよ? オフィサー。なんか今、凄くイラッとしました」


 だが、気にした様子もなくアレヴィはキーボードを叩き続ける。

 ウェルはすぐにわかった。

 今、仕事とは関係ないことをアレヴィはしている。しかも、凄く熱心に。光学ウィンドウの光は文字を投影し、それが鏡写しに向かい側のウェルからは見える。だが、その不自然な処理内容表示は、アレヴィの操作と一致していない。

 ダミー画像を流して、アレヴィはなにかをやっている。

 

 だが、うまくだませてると思っているのか、アレヴィは話を続けた。


「ヤマグチ一査の娘さんもね、30年前にネット空間のどこかに行って……帰ってこなかった。当時はまだ、24時間の接続制限等、法の整備が不完全だったからね」

「……でも、人の仕事を侮辱ぶじょくしていい訳がありません」

「丁度ウェルくらいの見た目なんじゃないかな……娘さんは14歳だと言ってたから」

「そんなの、理由になりませんっ! それと、オフィサー!」


 ウェルは手を伸べ、アレヴィの見詰める光学ディスプレイへと突っ込む。光の波が波紋を広げた。そのままウェルは前屈みに上体を乗り出すと、アレヴィのキーボードに素早くタッチする。

 あっという間にダミー画像が消えて、全く関係なさそうな映像が浮かび上がった。


「……オフィサー、これはなんですか?」

「え? ああ、仕事。次の」

「まずは昨日の報告書が先ですよね? わかります?」

「それはウェルがやってくれそうだなあ、って。適材適所っていうしさ」


 アレヴィはどうやら、出勤早々からゲームにきょうじていたらしい。ダミー画面を流してその影でこそこそというのが、まず仕事ではないことを物語っていた。

 アレヴィの見ていた画面には、彼が作成したらしきキャラクターが浮かんでいる。

 また、巨乳だ。

 ウェルは思わず、女の子がしてはいけない表情に眉根まゆねを釣り上げる。


「オフィサー、ちょっといいですか……これはなんです?」

「えっと……俺のキャラ、というか……アバター?」

「どうしていつも女の子なんですか! しかも、こんな扇情的せんじょうてき蠱惑的こわくてきな! 破廉恥はれんちです、不潔です!」

「いや、どうせやるならかわいい女の子がいいじゃないの。あ、ウェルもやるでしょ? アカウント、早く作成しなさいよ」

「やりません! ……はぁ、やだもぉ……あれ? オフィサー、このゲームって」


 アレヴィが始めようとしているゲームは、違和感があった。

 これからゲーム内でプレイヤーの分身となるキャラクターが表示されている。アレヴィが慎重にキーボードを叩けば、重力に逆らう胸の起伏が、ミリ単位で微妙に大きくなったり小さくなったり。そして、おおむね大きいままで微調整されていた。

 だが、他にはなにもない。

 ゲームのキャラクター、仮想現実でのアバターとして設定されるべき、数値が存在しないのだ。攻撃力や守備力など、ゲーム内で有利不利を決めるパラメーターが見当たらない。


「オフィサー、これ……なんです?」

「いや、仕事だってば。ホントよ、ホント……信用してない?」

「ええ、全然。でも、変なゲームですね」

「でしょ。俺もそう思う」


 腕を引っこ抜いたウェルは、すぐにアレヴィの机の方へと回り込む。

 アレヴィの背中に張り付くようにして、顔を並べてウェルは画面をにらんだ。

 やはり、妙だ。

 服装や顔立ち、体格に髪型と、容姿に関する設定は細かに登録できる。しかし、それだけだ。作中でのキャラクターの職業を選ぶ欄もないし、そもそも数字が全く存在しない。


「……ファンタジーやスペースオペラ的な世界観じゃなさそうですね。これは?」

「これはね、セーラー服。旧世紀の日本の学校で、制服として最も使われたものだね。どう?」

「どう、と言われても……わ、わたしにはちょっと、似合わないかな?」

「いや、そんなことは聞いてないんだけど。って、なんでぶつの、痛いよ」

「なんか、随分とレトロな服ばかりですね。あ、これはかわいいかも。で、こっちは、この靴下くつしたはなんです? なんか、だらしない感じ……」

「ルーズソックス、って書いてあるね。なんだろう、昔の流行なのかな?」

「なんのゲームなんですか、これ」


 仮想現実空間での体感型ゲームも、昨今はあらゆるジャンルが存在し、その数は多岐たきにわたる。人はだれも、24時間の間だけ別人になれるのだ。巨大ロボットのパイロットから、異世界の魔法使い、中世の騎士に大戦中の海軍提督ていとく、そしてリアルな東京をダンジョンにした妖怪退治。年齢制限があるが、高校生活をやり直して恋人を作ることだって可能だ。

 そんな中で、アレヴィはぽつりとつぶやく。


「これは、マインドスフィア社の……

「平成、オンライン?」

「今から約百年前、元号が平成だったころの日本を体験するゲームみたいだよ。正直、あまり流行はやっていない。人気もない。懐古主義ノスタルジーな老人向けソフトなんだと思うけど」

「どこで見つけてきたんですか、こんなマイナーゲーム」

「……仕事で」


 まだ言うか、と思ったが、ウェルは黙って画面を見詰める。

 見るからにかわいい感じで、ちょっと生意気そうな少女が浮かんでいた。銀色の髪が長くて、瞳の色は青。……どこかでみたような配色だけに、無駄にスタイルが抜群なのがいらただしい。

 そして、アレヴィは仕事と言い張る理由をようやく説明してくれた。


「今回の事件、被害にあった700,000人のデータに……ある共通点があった」

「全員がニートだったんですね!」

「……いんや、全然? むしろ、高年収のエリートたちの方が多い。ほぼ全員が学生か労働者、経営者、とにかく社会的な地位にある富裕層ばかりだった。それでだね」

「それで?」

「もれなく全員が、なんらかの形で仮想現実空間を利用している。ヘヴィなゲーマーから週末ショッピングを楽しむ女性まで。接続時間や時期もばらばらだけど」


 それはそうだと、ウェルは溜息を零す。

 21世紀も世紀末、夢見た未来そのものが今である。誰でもスナック感覚でネットに接続し、その中に己の全てを投入して自由を謳歌おうかしていた。今の御時世ごじせい、ネット環境と仮想現実を使っていない人間など、いない。いるとしたらその人物は、徹底して俗世から放れた世捨て人なのだろう。そして、手軽に世捨て人をやるためのアプリがあるので、そうした人間のほとんどは仮想現実の中で一時的な世捨て人を満喫まんきつしていた。

 だが、アレヴィは言葉を続ける。


「この、平成オンラインっていうゲームだけが……700,000人の被害者が、。遊んでいた形跡も確認できなかったんだ」

「それは……でも、世界中に何万種のアプリがあると思うんですか、オフィサー」

「今年の三月の時点で、2,000,000種前後かな?」

「個人開発の非営利アプリも含めれば、もっとあるはずですよね? その中で、どうしてこれ……平成オンラインなんですか?」

「接続数さ、ウェル。常時接続数、いわゆるアクティブなユーザー数だね」


 アレヴィは説明してくれた。例の世界規模の大量失踪事件は、世界に衝撃をもたらした。追体験原理主義者ついたいけんげんりしゅぎしゃが、バーチャル脳で子供が死ぬと流布るふし始め、匿名掲示板とくめいBBSを政府の陰謀説が駆け巡る。そんな中で、あらゆるアプリケーションが影響を受けていた。

 はずだった。

 ただ一つ、酷くマイナーで地味なネットゲームを除いで。


「この平成オンラインだけが、事件後も全く接続数が動いていない。減っていないし、増えてもいないんだ。まるで、世の中から切り離されてるようで……ダミーのデータばかりの実態がないゲームかなと思ったけど……キャラ、作れたんだよねえ」

「……午後から電算室の接続環境を抑えます。二人分」

「ん、お願い。書類作成等もよろしく。課長にもメールしといて。さて……大きいのはいいことなんだけど、形や張り、つやも大事だぞ。ドット単位のバランスが要求されるもんだから、いやはや」

「わたしも行きますからね? ……そのキャラ、わたしが使います!」

「えっ? ……なんで?」

「なんででもです! オフィサーのキャラはわたしが作ってあげます。いいですね?」

「いや、それは」

「いい、です、ねっ!」

「……ハイ」


 ウェルは机に戻ると、急いでキーボードを叩き始める。

 キャラクターの作成や手続きは端末でもできるが、実際の接続となれば大型の装置が必要だ。普通は仮想現実へのダイブ、五感の全てをともなう意識の全接続には、専用の設備がいる。ヘッドギアサイズの端末をかぶるだけという訳にはいかない。

 早速、アジア支部の電算室の使用許可を取ると、ウェルもキャラクターを制作する。

 目の前のアレヴィをチラチラ見ながら、画面の中に彼女はスマートな美青年を構築していった。

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