第2話「国際電脳保安機構」
――
ネットワーク社会の急激な発展と共に生まれた、国境なき
人種や民族、国家といった価値観が
過激なグローバル化の
そんな中で、新たなフロンティアとなった仮想現実を守るのが、国際電脳保安機構の仕事である。
その一員であると同時に備品として、ウェルは任務を誇らしく思っていた。
「ふぁ……眠い。久々の現実で
アジア支部の庁舎内を歩くウェルは、大きなあくびを噛み殺した。彼女は
だが、彼女はその名を、名付け親ごと好きだった。
「あ、コーヒー買ってかなきゃ」
職員が制服姿で行き来する中、私服のウェルは目立つ。
部署の都合で私服姿なのだが、行き交う同僚たちの視線は冷たい。
それでも気にせず、自動販売機の前で携帯端末をかざす。財布と身分証を兼ねたデータが、即座に飲み物の代金を決済した。アンドロイドの消化器にも優しい、ノンミルクを選択。機械の身体でも飲食は可能だが、自然と内容は限られてくる。
カタンと紙コップがトレイの中に置かれて、コーヒーが注がれ始めた。
その間ずっと、ウェルは自動販売機のディスプレイに流れる広告を見詰める。
その中にぼんやりと映り込む、自分の顔を凝視してしまう。
アンドロイドにとって、容姿というのはあまり気にならない。彼女たちが気にするのは性能と機能であって、見た者の数だけ生まれる印象というものに、マニュアルに沿った形以外で関係したいと思わないのだ。
それでも、ウィルは自分の
放熱ファイバーを兼ねた銀髪は、サラサラと不思議な光沢で背に
青い瞳は大きくて、整った顔立ちも手伝って美少女だと思えた。
人類が好ましいと
「オフィサーは、やっぱり胸の大きい
実際的な問題として、人間たちはアンドロイドに多くの制約を設けた。特に女性型アンドロイドに関しては、過度とも思えるくらいの規制で縛っている。生殖機能は
だから、ウェルでも眠くなった時には、あくびが出るのだ。
無駄な機能だと思うが、休眠時のメモリー整理に過負荷がかかると、夢だって見る。そういう風に『人間のための人間らしさ』として、負荷による消耗の報告があくびによって行われるのだ。
くだらないと思う反面、そんなに嫌ではない。
人間にとって好ましいと思われたいのは、人間もアンドロイドも同じなのだ。
そう思って、出来上がったコーヒーを取り出そうとした、その時だった。
突然背後から、バン! と自動販売機に手が伸びる。
振り返って見上げると、小さなウェルを
「よぉ、お嬢ちゃん。眠そうだなあ? あんまし
「……おはようございます、ヤマグチ
「おーおー、そういう顔するんだなあ? ラッキョの
「丁稚では、ないです」
彼の名は、イットー・ヤマグチ一査。ウェルが
イットーはいつも、ウェルたち場末の部署を見下し、ちょっかいを出してくるのだ。
だから、絶壁のように迫る胸板を押しやりつつ、ウェルは
「わたしたちはラッキョではありません。
「略してラッキョだろ? どうだ、ファミコンばっかやって給料もらってる気分は。その給料で飲むコーヒーは、ロボットにも美味いのか?」
「ファミコンは前世紀、百年も前に発売されたゲーム機の固有名です! それと、わたしロボットじゃありません! わたしにもロボットにも、失礼です!」
ウェルは、イットーが苦手だ。
時々酒臭いし、どういう訳か娯楽虚構対策課を目の敵にしている。元は警察の刑事で、腕は確かだ。現場で実績の数々を築いてきた叩き上げの捜査官なのだが、好きになれない。
困りながらもウェルは、ニヤニヤと笑うイットーの
その時、廊下の向こうで声があがる。
「えと、おはよう……ございます。あの、ヤマグチ一査。彼女……いいですか?」
イットーが振り返った、その先を視線で追ってウェルが笑顔になる。
そこには、ボサボサの髪からヘッドホンを外す、冴えない男が立っていた。よれよれのシャツにジーンズ、そして眠そうなジト目。
ようやくイットーは、ウェルを解放すると同時に向き直る。
「いい気なもんだな、ラッキョは。ええ? アレヴィ・ハートン三査殿? こちとら、朝からロシアンマフィアのアジトでドンパチやってきた帰りだ。連中のサーバを抑えた、物理的にだ。結局ネットだなんだと言っても、現実世界で端末を抑えちまえば勝ちってことよ」
アレヴィ・ハートン……それが、ウェルの相棒で上司、オフィサーの呼び名に親しみを込める唯一の相手だ。本当に見た目は、うだつの上がらない青年で、全く覇気がない。
それでも、ウェルが全幅の信頼を寄せる相手で、それ以上の存在だった。
アレヴィは非礼な挑発にも動じた様子がなく、歩き出す。
「はあ、それは……お疲れ様です。んじゃ、そういうことで。ウェル、行こう」
「は、はい。えと、じゃあ……失礼、します」
内心、ウェルはいつも思うのだ。
少しくらい、言い返してもいい。
ラッキョだなんて
例えば、某人気アプリの不当に操作されたガチャを検証、摘発する。これが大変だった、巧妙に仕組まれた確率は暴くのに三日三晩を費やした。
不正なSNSへの潜入捜査、これも過酷だったのを覚えている。宇宙語としか思えぬ会話を華麗にイキイキとこなすアレヴィを、素直に尊敬できなかったのもいい思い出である。
昨夜など、ウェルは巨大な竜になって、美貌の女魔導師アレヴィと共に事件を追っていたのだ。
娯楽虚構対策課は、文字通りネット社会の娯楽コンテンツを取り締まる部署だった。
舌打ちを零すイットーを背に、ウェルはアレヴィを追いかける。
だが、突然アレヴィは立ち止まって、振り向いた。
「それと……ヤマグチ一査。一つ、一つだけ、訂正してください」
「あ? なんだ、俺ぁ謝らねえぞ! ……どうして上は、ロボットなんかを俺らの仕事に押し付けやがる。ロボットの癖に弾除けにも特攻にも使うなと来てやがる」
「当然でしょう。まあ、それはいいとして」
よくない。
よくはないのだが、黙ってウェルは見守る。
ぼんやりとしているが、アレヴィの目は純然たる怒りに燃えていた。
ように、見えた。
ちょっと、自信ないけど。
だが、
アレヴィの声は小さく
「俺らはファミコンばっかりって、そういうの……やめてくれませんか」
「……チッ、悪かったよ!」
「ファミコンばっかりって、心外です……」
「悪かったって言ってんだろ! さっさと行っちまえ! ったく」
「ファミコン以外にも、素晴らしいハードが沢山あるでしょう。メガドライブとか、セガサターンとか。プレイステーションは、あれは一桁ナンバーの頃はよかったですよね。プレステ12あたりからちょっと、なんか。あとは、非電源系……カードゲームやボードゲームもいいものですよ。この間なんか、ウェルにHANNIBAL《ハンニバル》でコテンパンに……一査?」
これはいけないと、慌ててウェルはアレヴィの腕を片手で抱く。
そのまま引きずって歩き出す。
「しっ、失礼します! さ、行きましょうオフィサー!」
「ま、待って、ウェル。俺はね、ゲームと見ればファミコンって言う世代が……正確には、そういう人間が
今にも怒りで爆発寸前のイットーが、背後でなにか
それでもウェルは、内心ほくそ笑みながら歩いた。
やはり、オフィサーには、アレヴィには誰も敵わないのだ。
彼が、彼こそが、このアジア支部で一番の捜査官だとウェルは思っていた。一世紀を経ても変わらず、常に世界の電脳娯楽の最先端を走る国……日本。その中で、人知れず娯楽の妥当性や健全さを守っているのは、アレヴィなのだ。
そのアレヴィだが、ずるずる引っ張られながらも振り返る。
「そ、そうだ、最後に一つ……ヤマグチ一査」
「なんだ、ラッキョ!」
「ニートピア、って知りませんか? なんでもいいんです、心当たりがあれば」
「なんだそりゃ? 新手のバーチャルキャバクラか?」
「なにか心当たりがあったら、娯楽虚構対策課へ。どんな
ニートピア。
それが昨夜、とある事件を追う二人に残された唯一の手がかり。
巨大な大規模電脳失踪事件を追う中、金の流れを調べる先で見つけた、小さな希望の光だ。それを口にした瞬間、まるで口封じをするように関係者の一人が消えた。ウェルがジャマーで周囲から電子的に遮断していたにもかかわらず、いずこかへ転送されたのだ。
ネットの世界は今、あらゆる感覚を投影して精神そのものを没入させることが可能だ。
仮想現実空間はもう一つの現実で、人によっては現実以上の価値がある。
一方で、肉体を現実に置いたままのため、仮想現実空間には厳しい法が存在する。24時間以上は滞在できず、連続しての利用も不可能だ。それでも、現実に肉体を捨てる者たちは後を絶たない。
そして……ついにその事件は、起こるべくして起こった。
全世界規模で、700,000人以上の人間が
「オフィサー、それ部外秘です! 課長に口止めされたでしょう!」
「え、だから、ほら……ヤマグチ一査は同じアジア支部の仲間だし。関係者、でしょ」
「向こうはそうは思ってません!」
「え、そうなの?」
「……いいから行きますよ、今日も忙しいんですから!」
背後では、イットーが腕組み苦虫を噛み潰したような顔だ。
それをちらりと
日の当たらぬ庁舎の
「あ、そうだウェル。昨日のあれ」
「はい、その後の処理ですね。課長にもあとで報告しますが、肉体を保護しました。まだ生命維持を継続中ですが、当然のように抜け殻になってますね。都内のマンションの一室で……オフィサー?」
「いやあ、昨日のあれなんだけど、あのあと別の
「こっ、ここ、こんや……どう!? オフィサー! ときめかせないでください! わたし、昨日のアカウントはもう消しちゃいました!」
「なんで……もったいない。格好よかったのに、銀翼の星竜ライトウェル」
周囲の視線もちょっと恥ずかしくて、ウェルは急ぎ足で自分たちの部署へと向かった。
だが、ウェルは思う……こんなにも人間から好かれるように、好ましい相棒として作られてるのに。それなのに、どうしてアレヴィは振り向いてくれないのだろう。
やはり機械で、相棒というよりは仕事道具みたいな感覚なのだろうか?
なら、そういう風に造ってくれればよかったのに。
本気でそう思うウェルは、歩調も強く廊下を歩くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます