第2話「国際電脳保安機構」

 ――国際電脳保安機構こくさいでんのうほあんきこう

 ネットワーク社会の急激な発展と共に生まれた、国境なき仮想世界バーチャルリアリティの警察組織である。その捜査権は、仮想現実の世界ではあらゆる権力、国家、企業の制約を受けない。

 人種や民族、国家といった価値観がすでに弱まって久しい、世は正に大電脳時代サイバーエイジ

 過激なグローバル化の弊害へいがいで、現実世界は急激に色あせていった。

 そんな中で、新たなフロンティアとなった仮想現実を守るのが、国際電脳保安機構の仕事である。

 その一員であると同時に備品として、ウェルは任務を誇らしく思っていた。


「ふぁ……眠い。久々の現実で躯体くたいが重いよ。もう帰りたい」


 アジア支部の庁舎内を歩くウェルは、大きなあくびを噛み殺した。彼女は人工知能AI、そしてその身体は機械でできた専用躯体である。いわば、彼女はアンドロイドだ。正式名称はYEM0037V、ウェルというのは仕事仲間がつけてくれた愛称である。

 だが、彼女はその名を、名付け親ごと好きだった。


「あ、コーヒー買ってかなきゃ」


 職員が制服姿で行き来する中、私服のウェルは目立つ。

 部署の都合で私服姿なのだが、行き交う同僚たちの視線は冷たい。

 それでも気にせず、自動販売機の前で携帯端末をかざす。財布と身分証を兼ねたデータが、即座に飲み物の代金を決済した。アンドロイドの消化器にも優しい、ノンミルクを選択。機械の身体でも飲食は可能だが、自然と内容は限られてくる。

 カタンと紙コップがトレイの中に置かれて、コーヒーが注がれ始めた。

 その間ずっと、ウェルは自動販売機のディスプレイに流れる広告を見詰める。

 その中にぼんやりと映り込む、自分の顔を凝視してしまう。

 アンドロイドにとって、容姿というのはあまり気にならない。彼女たちが気にするのは性能と機能であって、見た者の数だけ生まれる印象というものに、マニュアルに沿った形以外で関係したいと思わないのだ。

 それでも、ウィルは自分の童顔どうがんをそんなに悪いと思ったことはない。

 放熱ファイバーを兼ねた銀髪は、サラサラと不思議な光沢で背に棚引たなびいている。

 青い瞳は大きくて、整った顔立ちも手伝って美少女だと思えた。

 人類が好ましいとしるした、数万件もの美少女に関する文献を精査しての結論なので、自分でも納得がいくつもりだ。それでも……ささやかな胸の膨らみに両手を当てて、彼女は溜息ためいきこぼす。


「オフィサーは、やっぱり胸の大きいがいいのかなあ」


 実際的な問題として、人間たちはアンドロイドに多くの制約を設けた。特に女性型アンドロイドに関しては、過度とも思えるくらいの規制で縛っている。生殖機能は勿論もちろんないし、性交渉にしか必要のない機能も与えられていない。その上で『どうせ一緒に働くなら』という、人間たちにとって都合のいい範囲での愛らしさ、美しさは推奨すいしょうされた。

 だから、ウェルでも眠くなった時には、あくびが出るのだ。

 無駄な機能だと思うが、休眠時のメモリー整理に過負荷がかかると、夢だって見る。そういう風に『人間のための人間らしさ』として、負荷による消耗の報告があくびによって行われるのだ。

 くだらないと思う反面、そんなに嫌ではない。

 人間にとって好ましいと思われたいのは、人間もアンドロイドも同じなのだ。

 そう思って、出来上がったコーヒーを取り出そうとした、その時だった。

 突然背後から、バン! と自動販売機に手が伸びる。

 振り返って見上げると、小さなウェルを巨漢きょかんが見下ろしていた。


「よぉ、お嬢ちゃん。眠そうだなあ? あんましひまだと眠くなるもんな」

「……おはようございます、ヤマグチ一査いっさ。暇ではないですが、眠いのは確かですね」

「おーおー、そういう顔するんだなあ? ラッキョの丁稚でっちが」

「丁稚では、ないです」


 彼の名は、イットー・ヤマグチ一査。ウェルが准査じゅんさで、そのオフィサーたる相棒が三査さんさだから、上官にあたる。定年を控えた老齢ながら、たくましい体躯たいくの大男で、アジア支部では敏腕捜査官びんわんそうさかんとして有名だ。少し捜査が強引なところや、旧態然とした差別と偏見の持ち主であることの方が、ウェルには印象深い。

 イットーはいつも、ウェルたち場末の部署を見下し、ちょっかいを出してくるのだ。

 だから、絶壁のように迫る胸板を押しやりつつ、ウェルはくちびるとがらせる。


「わたしたちはラッキョではありません。娯楽虚構対策課ごらくきょこうたいさくかです!」

「略してラッキョだろ? どうだ、ファミコンばっかやって給料もらってる気分は。その給料で飲むコーヒーは、ロボットにも美味いのか?」

「ファミコンは前世紀、百年も前に発売されたゲーム機の固有名です! それと、わたしロボットじゃありません! わたしにもロボットにも、失礼です!」


 ウェルは、イットーが苦手だ。

 時々酒臭いし、どういう訳か娯楽虚構対策課を目の敵にしている。元は警察の刑事で、腕は確かだ。現場で実績の数々を築いてきた叩き上げの捜査官なのだが、好きになれない。

 困りながらもウェルは、ニヤニヤと笑うイットーのいかつい顔を見上げていた。

 その時、廊下の向こうで声があがる。


「えと、おはよう……ございます。あの、ヤマグチ一査。彼女……いいですか?」


 イットーが振り返った、その先を視線で追ってウェルが笑顔になる。

 そこには、ボサボサの髪からヘッドホンを外す、冴えない男が立っていた。よれよれのシャツにジーンズ、そして眠そうなジト目。無精髭ぶしょうひげが少し目立ち始めた顔は、瞳だけが奇妙な圧迫感を放っていた。

 ようやくイットーは、ウェルを解放すると同時に向き直る。


「いい気なもんだな、ラッキョは。ええ? アレヴィ・ハートン三査殿? こちとら、朝からロシアンマフィアのアジトでドンパチやってきた帰りだ。連中のサーバを抑えた、物理的にだ。結局ネットだなんだと言っても、現実世界で端末を抑えちまえば勝ちってことよ」


 アレヴィ・ハートン……それが、ウェルの相棒で上司、オフィサーの呼び名に親しみを込める唯一の相手だ。本当に見た目は、うだつの上がらない青年で、全く覇気がない。

 それでも、ウェルが全幅の信頼を寄せる相手で、それ以上の存在だった。

 アレヴィは非礼な挑発にも動じた様子がなく、歩き出す。


「はあ、それは……お疲れ様です。んじゃ、そういうことで。ウェル、行こう」

「は、はい。えと、じゃあ……失礼、します」


 内心、ウェルはいつも思うのだ。

 少しくらい、言い返してもいい。

 ラッキョだなんて侮蔑ぶべつは、心外だ。まるで自分たちがカレーライスで、同じ捜査官でもウェルたちは付け合せの薬味やくみえ物だとでも言いたげな態度。ロシアンマフィアに四十口径マグナムをブッ放すのも大仕事だろうけど、ウェルたちだって毎日忙しく働いているのだ。

 例えば、某人気アプリの不当に操作されたガチャを検証、摘発する。これが大変だった、巧妙に仕組まれた確率は暴くのに三日三晩を費やした。

 不正なSNSへの潜入捜査、これも過酷だったのを覚えている。宇宙語としか思えぬ会話を華麗にイキイキとこなすアレヴィを、素直に尊敬できなかったのもいい思い出である。

 昨夜など、ウェルは巨大な竜になって、美貌の女魔導師アレヴィと共に事件を追っていたのだ。

 娯楽虚構対策課は、文字通りネット社会の娯楽コンテンツを取り締まる部署だった。

 舌打ちを零すイットーを背に、ウェルはアレヴィを追いかける。

 だが、突然アレヴィは立ち止まって、振り向いた。


「それと……ヤマグチ一査。一つ、一つだけ、訂正してください」

「あ? なんだ、俺ぁ謝らねえぞ! ……どうして上は、ロボットなんかを俺らの仕事に押し付けやがる。ロボットの癖に弾除けにも特攻にも使うなと来てやがる」

「当然でしょう。まあ、それはいいとして」


 よくない。

 よくはないのだが、黙ってウェルは見守る。

 ぼんやりとしているが、アレヴィの目は純然たる怒りに燃えていた。

 ように、見えた。

 ちょっと、自信ないけど。

 だが、奈落アビスの深淵にも似た、あのにごりきった瞳の闇に覗かれると……どうやら多くの人間は不快感を覚えるらしい。それは逆説的に、いつもウェルにアンドロイドでよかったと思わせてくれた。世話が焼けるが嫌ではない仲間、それがアレヴィだ。

 アレヴィの声は小さくつぶやかれるのに、不思議と耳に響いてくる。


「俺らはファミコンばっかりって、そういうの……やめてくれませんか」

「……チッ、悪かったよ!」

「ファミコンばっかりって、心外です……」

「悪かったって言ってんだろ! さっさと行っちまえ! ったく」

「ファミコン以外にも、素晴らしいハードが沢山あるでしょう。メガドライブとか、セガサターンとか。プレイステーションは、あれは一桁ナンバーの頃はよかったですよね。プレステ12あたりからちょっと、なんか。あとは、非電源系……カードゲームやボードゲームもいいものですよ。この間なんか、ウェルにHANNIBAL《ハンニバル》でコテンパンに……一査?」


 これはいけないと、慌ててウェルはアレヴィの腕を片手で抱く。

 そのまま引きずって歩き出す。


「しっ、失礼します! さ、行きましょうオフィサー!」

「ま、待って、ウェル。俺はね、ゲームと見ればファミコンって言う世代が……正確には、そういう人間がすでにいないのに、まだそう言って特定のコンテンツを蔑視べっししてる世代が、ちょ、ちょっと、ウェル」


 今にも怒りで爆発寸前のイットーが、背後でなにかうなっている。

 それでもウェルは、内心ほくそ笑みながら歩いた。

 やはり、オフィサーには、アレヴィには誰も敵わないのだ。

 彼が、彼こそが、このアジア支部で一番の捜査官だとウェルは思っていた。一世紀を経ても変わらず、常に世界の電脳娯楽の最先端を走る国……日本。その中で、人知れず娯楽の妥当性や健全さを守っているのは、アレヴィなのだ。

 そのアレヴィだが、ずるずる引っ張られながらも振り返る。


「そ、そうだ、最後に一つ……ヤマグチ一査」

「なんだ、ラッキョ!」

、って知りませんか? なんでもいいんです、心当たりがあれば」

「なんだそりゃ? 新手のバーチャルキャバクラか?」

「なにか心当たりがあったら、娯楽虚構対策課へ。どんな些細ささいなことでも、いいですから」


 ニートピア。

 それが昨夜、とある事件を追う二人に残された唯一の手がかり。

 巨大な大規模電脳失踪事件を追う中、金の流れを調べる先で見つけた、小さな希望の光だ。それを口にした瞬間、まるで口封じをするように関係者の一人が消えた。ウェルがジャマーで周囲から電子的に遮断していたにもかかわらず、いずこかへ転送されたのだ。

 ネットの世界は今、あらゆる感覚を投影して精神そのものを没入させることが可能だ。

 仮想現実空間はもう一つの現実で、人によっては現実以上の価値がある。

 一方で、肉体を現実に置いたままのため、仮想現実空間には厳しい法が存在する。24時間以上は滞在できず、連続しての利用も不可能だ。それでも、現実に肉体を捨てる者たちは後を絶たない。

 そして……ついにその事件は、起こるべくして起こった。

 全世界規模で、700,000人以上の人間が忽然こつぜんと消えたのだ。肉体だけを残して、ネット社会の何処かへ消えてしまったのだ。それを今、ウェルたちは追っている。


「オフィサー、それ部外秘です! 課長に口止めされたでしょう!」

「え、だから、ほら……ヤマグチ一査は同じアジア支部の仲間だし。関係者、でしょ」

「向こうはそうは思ってません!」

「え、そうなの?」

「……いいから行きますよ、今日も忙しいんですから!」


 背後では、イットーが腕組み苦虫を噛み潰したような顔だ。

 それをちらりと一瞥いちべつして、ウェルは急いで廊下を奥へ急ぐ。

 日の当たらぬ庁舎のすみには、娯楽虚構対策課の小さな小さな詰め所がある。

 勿論もちろん、イットーが言うような日もある。どんな仕事でも時として『ただ待つだけの時間』が存在するからだ。そういう時、ウェルはウキウキとしたアレヴィに付き合わされて、ファミコンをやったり、その他雑多なゲーム機で遊びの相手をさせられる。

 なかば無理矢理で、苦笑と失笑の日々だが……そうやって付き合うのが嫌いではない。


「あ、そうだウェル。昨日のあれ」

「はい、その後の処理ですね。課長にもあとで報告しますが、肉体を保護しました。まだ生命維持を継続中ですが、当然のように抜け殻になってますね。都内のマンションの一室で……オフィサー?」

「いやあ、昨日のあれなんだけど、あのあと別のサーバに顔出したら一人で盛り上がっちゃって。結構稼げる場所をね、見つけたんだけど……今夜、どう? ウェル」

「こっ、ここ、こんや……どう!? オフィサー! ときめかせないでください! わたし、昨日のアカウントはもう消しちゃいました!」

「なんで……もったいない。格好よかったのに、銀翼の星竜ライトウェル」


 周囲の視線もちょっと恥ずかしくて、ウェルは急ぎ足で自分たちの部署へと向かった。

 ほおが熱いのは赤くなってるからで、これも人間側が押し付けてきた機能だ。

 だが、ウェルは思う……こんなにも人間から好かれるように、好ましい相棒として作られてるのに。それなのに、どうしてアレヴィは振り向いてくれないのだろう。

 やはり機械で、相棒というよりは仕事道具みたいな感覚なのだろうか?

 なら、そういう風に造ってくれればよかったのに。

 本気でそう思うウェルは、歩調も強く廊下を歩くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る