最終話「ユートピアを探して」

 現実へと復帰したアレヴィは、一転してお尋ね者になっていた。

 平成オンラインの真実、エクソダス計画を知った者としてイットーと共に逃亡、今も逃走中の指名手配犯だ。

 だが、それでいいし、構わない。

 仮想現実の世界を救うヒーローでも、現実世界の救世主でもない。

 ただ、自分がよかれと思った未来を選んだだけだから。

 結果がプラスでなければ生産性がないという論理に対し、自分なりの答を出し終えたあとだから。


「さて、今後の身の振り方はどうするかな……」


 彼は今、女将おかみの自宅で広いテラスに出ていた。二階建ての屋上には物干ものほ竿ざおが並んで、洗濯物が少し強い風に揺れている。仮想現実バーチャルリアリティで感じるものと全く同じでも、刺激される五感が本物の現実だという実感を十分に感じさせた。

 朝焼けに昇る太陽のまぶしさ。

 目覚めだした大都会が発する、音と声と。

 そして、石鹸せっけんの香りを洗濯物から振りまく風の感触。

 どれもが本物で、本当の現実だった。


「とりあえずは、イットーさんと逃亡生活の始まりかあ。このままカタギじゃない世界に突っ込んでしまうかなあ。それも、まあ……アリかな。とりあえず、彼女にも相談してみなきゃいけないね」


 それだけ言って、遠景に背を向け手摺によりかかる。状況はなにも好転してはいないのに、酷く晴れやかな気分だった。

 そして、再会の予感がこの現実でもある。

 新しい服に着替えてコートを羽織はおったアレヴィは、胸の上の硬い感触を手で確かめる。

 そんな時、背後でドアが開いて自分を呼ぶ声が響いた。


「オフィサー! お待たせしました。ちょっと、その……国際電脳保安機構こくさいでんのうほあんきこうから抜け出すのに手間取ってしまいました!」


 目の前に今、あの笑顔があった。

 白いシーツが旗のようにたなびく中を、アンドロイドの少女が近付いてくる。

 自然とアレヴィも表情が柔らかくなった。


「やあ、遅かったね。待ってたよ」

「すみません、オフィサー」

「まさかとは思うけど、誰か手にかけたりしてないよね?」

「その辺は大丈夫、だと、思います。この場所を知るのに、少し手間取りましたが。女将さんと名乗る方とコンタクトが取れてからは、なんとか」


 柔らかな笑顔で笑う少女は、軽い足取りで近付いてくる。

 身を起こして一歩踏み出したアレヴィも、その姿を出迎えた。

 引き抜いた拳銃の銃口で。

 一瞬だけ少女が目を丸くしたが、構わずにアレヴィは銃爪ひきがねを銃身に押し込む。

 乾いた音が響いて、硝煙しょうえんが風にさらわれた。

 イットーから借りた銃だ。実弾を撃つのは久しぶりである。それも、訓練以外では初めてだった。勿論もちろん、他者を撃ったのも初めてで、それが人間かどうかはこの際問題ではない。

 銃弾がかすめた頬に手を当て、血液に相当する潤滑液じゅんかつえきこぼれるままに少女は驚きを口にする。


「オフィサー? あの、わたしです……YEM0037V、ウェルです!」

躯体くたいはね。アジア支部に抑えられて持ってかれたんだよ、その躯体は」

「そうです、だから苦労してここまで――」

「気付いているよ、予想もしてた。現実世界はどうだい? ……平成太郎タイラセイタロウ!」


 見慣れた少女の中で、彼は息を飲んだ。

 そして、アレヴィが見たこともない表情を浮かべさせる。

 醜悪にくちびるを歪めて、ウェルの躯体を成太郎は不気味な笑みで揺すった。


「なるほど、気付いてたんだね。僕がこうして抜け出てくることを」

「まあね。追い出してもその都度つど、俺達がニートピアに戻るなら……そこから出て自分で始末したいだろうさ。しかし、当たらないもんだ。銃を持ち歩かないのは正解かな、これは」

「……どうして確信した? 僕なりに完璧だったはずだけど」

「彼女のオフィサーだった俺は、もう過去のものだ。そして、それ以上の存在でいたいと望んでいる。お互いにね」

「なるほど」


 その物言いはまさしく、平成太郎その人だった。

 人という存在の定義にもよるが、今のウェルの躯体に入っているのは成太郎らしい。彼もまた、自分がニートピアと名付けた楽園から出てきたのだ。定められた場所を楽園として生み直しておいて、それを捨てて来た。追放されたにも等しい状況だ。

 アレヴィの予想通りに。

 平成オンラインからログアウト後の惨状を、ネットやテレビでアレヴィは見ていた。

 多くのユーザーが同時多発的に世界各地から、平成オンラインの異変を不具合として騒ぎ立てたのである。そこで初めて、マインドスフィア社がダミー企業らしいことや、平成オンライン事態に謎の機能が隠れていることが暴かれたのである。

 こうなっては、隠蔽いんぺいの片棒を担いでいた国際電脳保安機構でもかばいきれない。

 逆に国際電脳保安機構のアジア支部は、この件について調査することになった筈だ。

 そうしたごたごたの中で……押収したアンドロイドの躯体が紛失したことに、誰も気付いてはいないだろう。アレヴィ以外の誰も、まだ。

 そのことを告げてやったら、成太郎は寂しげに笑って肩をすくめる。


「見事にやられたよ、完敗だ。アレヴィ、君の努力は小さいながらも結実したんだ。ネット棄民政策きみんせいさくが一部ながら暴かれ、その実験空間が解放される。おめでとう、とても素晴らしい生産性だ」

「どうも。……これで終わるとは思っていないが、お前はもう終わりだ」

「僕がかい?」

「ああ」


 銃口を向けたまま、アレヴィは銃把じゅうはを両手で握って照準を定める。

 この距離でも実は、自信がない。

 そして、アレヴィが圧倒的に不利だという状況を、成太郎は冷静に告げてきた。


「アレヴィ、君の射撃の腕は酷いね」

「オフィスワークと張り込み、聞き込みなんかが主な業務でね。こうした物騒なものとは縁遠い捜査官なんだ、俺は」

「この躯体が持つ身体能力は知っているね? 常人の何倍もの筋力と瞬発力がある。この距離なら、君が一発撃つ間に僕は肉薄できるよ。そして、一秒もかからず君の首をへし折れる」

「まあね。体験を持って身にしみてるよ。よくウェルには、仕事をサボっていると首を締められる。いい思い出とは言い難いけど、馬鹿力はわかってるさ」


 わずかに成太郎が、ウェルの躯体を沈ませる。

 恐らく、全ての瞬発力を爆発させてとびかかる気だ。

 訓練された人間でもない限り、アンドロイドにかなう者は存在しない。そして、ウェルの躯体は国際電脳保安機構で使用される、いわばチューンド個体だ。それが今、ろくに訓練も受けず、その機会を自分から放棄していたアレヴィに襲いかかろうとしている。

 だが、銃を下げたアレヴィは毅然きぜんと言い放った。


「自分が全ての生産性をになったとして、人類を消費するだけの存在におとしめようとした……それで双方幸せになれると思ったお前が、最後には俺を殺すのか? それこそ非生産的な」

「ああ、全く矛盾してるね。でも……君が教えてくれたよ。人間は矛盾に満ちた存在だと」

「人間をも超えた存在じゃなかったのかい? 成太郎」

「君は言った筈だ。結果や成果物がなくても、生産性を発揮することは可能だと。それは、金銭や労働力としてプラスじゃなくても、なにかを生み出しているということだ」

「そうだ。だから、お前たち機械があらゆる労働や社会的な義務、活動を人類から奪い取る時代は来ない。人間は消費するだけの装置には、なれない」

「わからないよ? ニートピアに呼び込んだ者たちは、その大半は……与えられた生活が豊かで自由だと、満足していたみたいだし。それを30年以上謳歌おうかした人間もいるんだ」

「選択肢に制限がある状態を豊かとは言わないし、自由である筈がない」


 これ以上、問答は無用だった。

 銃を降ろしたアレヴィは、自分に向けて飛びかかってくるアンドロイドの少女を見詰め続ける。同時に、銃を手放し落とした。

 それは、成太郎が最後のタスクを実行するのと同時。

 見慣れた可憐な少女が地を蹴った。

 そして……短い叫びと共に、成太郎の背後でドアが吹き飛んだ。


「アレヴィ!」


 咄嗟に振り向く成太郎は、飛びかかった女性の一撃でくの字に折れ曲がった。背骨が砕ける音がして、そのままコンクリートに叩きつけられる。

 見知った姿が破壊されるのは、見ていて気持ちのいいものではない。

 だが、それが彼女でない限り、アレヴィは加減する必要を感じなかった。

 長身でスタイルのよい女性は、アンドロイド特有のマーキングが残る全裸姿で、成太郎を拘束こうそくして腕をねじり上げた。

 その彼女が、アレヴィを見て表情を和らげる。


「無事ですね、アレヴィ! ……こういうこと、もうよしてください。心配しますから」

「ああ、ごめんよウェル。で、その格好は」

「覚醒するなり急いで来ました。女将さんと、その息子さん、ジョーイ君に手伝ってもらいました。慣れない躯体ですが、違法品なのでパワーはダンチです!」


 ウェルの言う通り、グラマラスな女性は圧倒的な力で成太郎を押さえつける。その彼女こそが、用意された違法チューンな躯体に入ったウェル本人だった。

 彼女が言うように、藻掻もがいて足掻あがく成太郎は身動きができない。

 アンドロイドにしては肉感にあふれすぎたボディから、思わずアレヴィは目を背けた。


「えっと、ジャミングは」

「周囲の回線接続を全て遮ってます。これも違法品ですが、強力なジャマーが積んであるので。物理的にも電子的にも、平成太郎がこの躯体から出る可能性はありません」

「よし。それじゃあ……仕上げといこうか」


 成太郎は組み伏せられた成太郎を見下ろし、かがむ。

 姿形が違うとは言え、成太郎は初めて見る苦悶の表情に歯噛はがみしていた。


「終わりだ、成太郎。言ったろう? 現実ではただの機械でしかないって。もう、その躯体の外には出られない」

「……僕を、消すのか」

「勿論。と、言いたいとこだけど……お前はエクソダス計画の重要な証拠で、証人で、そしてその後の事件の首謀者だ。悪いけど封印処置をした後に当局に引き渡すか、あるいは」

「あるいは?」

「まあ、僕らも今やお尋ね者なんでね。でも、なんとしても大規模なネット棄民政策を暴かなければいけない。しばらくは一緒かもしれないから、よろしく」


 新しい躯体に入ったウェルがいる限り、その近くではもう逃げられない。それは恐らく、イットーやマクレーン親子が取り計らってくれたのだろう。そして、アレヴィもまたウェルにあらかじめ、元の躯体ではなくイットーたちの用意したものへ入るよううながしたのだ。

 最初は、逃亡者生活を始める上で、今までの躯体では危ないという話だった。

 だが、それが思わぬ結果を呼び、その可能性の一つが成太郎を捕らえたのだった。

 その現実を受け入れたのか、成太郎は暴れるのをやめた。

 彼女になってしまった彼を拘束しつつ、ウェルは手短に現状を報告する。


「アレヴィ、わたしたちは先日の平成オンラインの大騒ぎの首謀者として、指名手配されています。それだけならば出頭して弁明の余地がありますが……まず間違いなく、エクソダス計画を知る者としての末路が待っているかと」

「うーん、困ったねえ。まあ、しょうがない。イットーさんたちは無事?」

「はい。用意してくれた躯体も十全に機能しています。ただ、その……」

「なんだい、ウェル。なにか不具合でもあるのかな?」

「違法品のため、生殖機能こそないももの。アレヴィ、あとで試してみてもらえますか? その……わたし、結構いいかも、って」

「……いや、えっと……考えとく」

「ほら、アレヴィっておっぱい大きいの好きじゃないですか! 凄いですよ、これ。色んなことできそうです! 腰のくびれだって、お尻だって!」

「はいはい、それじゃあ……まず成太郎を完全に処置してしまわないとね」


 アレヴィが苦笑しつつそう言うと、ウェルは自分がまくし立てていた意味を思い出したかのように赤面する。そして、抵抗の素振りを見せなくなった成太郎を油断なく抱えた。

 最後に成太郎は、負け惜しみにも思える独り言を呟く。


「ニートピア……僕の作った、生み直した楽園。それ自体が僕の生産性を示し、人間たちを生産性の呪縛から解き放つ筈だったのに。やはり、楽園なんてないのかな?」


 その言葉に、ウェルと顔を見合わせてアレヴィは呟いた。

 彼の疑問はすでに、人間が何度も振り返りながらも遠ざかっている通過点だから。だから、はっきりと言ってやる。そのアレヴィの言葉に、ウェルが同調する。


「ユートピアとは『』という意味なのは……知ってるね? 成太郎」

「アレヴィの言う通りです。だから……なければ探すんです。これから、ずっと」

「探してなければ造るだけさ。それに『住めば都』なんて言葉もある。……じゃあ、行こうかウェル」

「はいっ! イットーさんが車を用意してくれてます。当面は女将さんがなにかと配慮してくれるそうで……酷いんですよ、イットーさん。まだわたしのこと、ラッキョって」


 言葉を失い沈黙したまま、楽園を追われた神は少女の中に封印されてゆく。

 その躯体を運ぶウェルは、新たな姿で大人の女性として笑った。

 眩しい笑顔は顔立ちや面影が違っても、確かにアレヴィの相棒の表情だ。だから、それを受けて笑うアレヴィもまた、普段と全く変わらぬ笑みで歩み出す。

 悠久ゆうきゅうなる時の彼方で、人類はやがてあらゆる行為や活動を機械にゆだねるかもしれない。しかし、そういう未来を自らの可能性で選ぶまでは、単純労働であれ創作であれ、なんであれ……全ての生産性は人間のもので、そこに結果や成果は関係ない。

 それを世界が認識して共有し始めるまで……アレヴィたちの旅は終わらないだろう。

 楽園を追われたのは、アレヴィとウェルも一緒だ。

 だが、二人は現代のアダムとイブになる必要はないし、子を育むこともしない。ひたすら逃げならが時を待つだけの旅だが……二人に育むべきものがある限り、それは生産的な逃亡劇と言えた。

 そう胸を張って言えるから、アレヴィはウェルと共に旅立ちの朝へ消えてゆくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ニートピア ながやん @nagamono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ