第22話「ただいまを言うために」

 アレヴィの部屋に何度目かの夕日が差し込む。

 ここ数日、リンやダリウスと共に部屋にこもりっきりだった。食事も一緒だったし、短い仮眠を重ねてここまで辿り着いた。

 勿論もちろん、熱心に支えてくれるママの存在もあった。

 そして、改めて久々の引きこもり生活をして、わかったことがある。

 目的を持って自主的に引きこもる、自分のリソースを自分だけのために消費するニート生活というのは……。この平成オンラインの中では、モラルやマナーに対して高説をたれる者もなく、家族の将来や世間体を気にする者もいない。

 はからずもアレヴィは、この平成オンラインを堪能たんのうしてしまった。

 だが、それがこのゲームをニートピアとして存続させていい意味にはならない。

 全ての作業が終わった今、彼はそれを強く感じていた。


「あーっ! アレヴィ、消えた……拡散してたあたしの漫画が、全部」

「ま、平成太郎タイラセイタロウはこのゲームじゃ神にも等しい存在だ。それくらいやるだろうさ」

「……結局、無駄だったの?」

「まさか。ダリウス、そっちはどう?」


 パソコンを前にしょげるリンの頭をでつつ、アレヴィは背後の巨漢を振り返る。そこには、三人分の携帯電話を操るダリウスの姿があった。

 彼は今、三つの回線でネット上に情報を流布るふしている。

 顔をあげると、珍しくダリウスが笑った。


「仲間たちにも協力してもらっている。面白いように上手くいった。なに、エクソダス計画にいた頃から私の専門はスケジュール管理と人事でね。人心掌握じんしんしょうあくはお手の物だ」

「そうか、首尾は上々だね」

「すぐにわかる。さっき、成太郎の介入でこの世界のネット上から、拡散されていたリンの漫画が全て削除された。全部、同時に。しかし、削除した次の瞬間にはもう」

「そういことだ」


 そして、成否を机の前のリンが伝えてくる。

 彼女はしょげていたのも束の間で、再び活性化して広がり始めたムーブメントに歓声を叫んだ。

 今、リンが昔の恋人ロウと描いていた漫画の、その続きが始まったのだ。

 原作はアレヴィが引き継ぎ、慣れない作劇に苦労しながらも完成させた。

 単純明快、愉快痛快なバトルアクションで、コメディで、SFで。

 そうした中に散りばめられた風刺ふうしは、この平成オンラインがニートピアという名の牢獄、絵に描いたようなディストピアであることを雄弁に語っている。

 読んだ誰もが、この平成オンラインのことだと気付くはずだ。

 そんな者たちにダリウスが火を着け、一気に炎が燃え広がる。

 今頃、警視庁では警官たちが躍起になってネット上を削除して回っているだろう。勿論、この世界を統べる力を持った成太郎なら、一瞬で現在アップされた全てを消すことも可能だ。

 しかし、未来の、これからのアップデータを消すことは不可能だ。

 最も恐ろしい手段の実行も考えられるが、心配するリンにアレヴィは断言する。


「なあ、アレヴィ……広がって、一瞬で全部消えて、また広がる。イタチごっこじゃないかな? それに」

「大丈夫だよ。ネット上に拡散した数が問題なんじゃない。目に触れた人間が何人いて、それがどうなるかだ。それと、リンが心配しているのは、成太郎の実力行使だろう?」

「うん……だって、あいつは恋人のロウを消しちゃったんだ。あいつの掌握する平成オンラインの中のデータである限り……あたしたちは」

「その気になれば、この瞬間にも成太郎は俺らを消せる。……でも、消さない。消せないんだ。それが俺にはわかるんだよ、リン」


 リンは不思議そうな顔で小首をかしげ、ダリウスも説明を求める視線を投じてくる。

 そうしている間も、アレヴィたち三人はこの世界で生きていた。

 目的を持って行動し、自分で選択し、その中で成太郎に消されてもいない。

 やはり、アレヴィが思った通り……成太郎が消せる人間には条件がある。

 そのことを説明したくなるのは、アレヴィみたいな人種……平たく言えばオタク気質に特有の性格だったが。だが、今はそれを証明するより行動の時だった。


「さて、リン。ダリウスも。まずはここを脱出しよう。最後の戦いってやつさ。成太郎に一泡吹かせて、このくだらないクソゲーを終わらせよう」

「うんっ! でも、アレヴィ……あ、あのっ!」

「よそう、リン。今はアレヴィを信じて、行動する時だ。それに、お前はベストを尽くした。最終話までアップし、それが広がって、この世界を満たす。それでなにかが始まり、この世界は終わる。先のことは、それから考えよう」


 ダリウスの言葉に、大きくリンはうなずいた。

 リンは睡眠不足で憔悴しょうすいしきっていたが、目にはまだ力がある。

 そんな彼女と一緒に、ダリウスは部屋を出ようとした。アレヴィも手早く支度したくを整え、後に続く。最後に振り返ったが、電源が点きっぱなしのパソコンの画面で、表示されるブラウザが自動的に更新とスクロールを繰り返してゆく。


「……いいぞ、反響がある。喜べよ、成太郎。お前のニートピアは……その中の人たちに受けている。バカ受けさ。それで、お前の茶番に誰もが気付く」


 アレヴィがリンと描いた漫画は、ありのままの話だった。

 主人公たちが、とあるオンラインゲームの裏の顔に気付く。ニートピアと呼ばれるそこには、現実世界のあらゆる不要な人間、不稼働市民ふかどうしみんと呼ばれる存在が放り込まれていた。そして、彼らを管理して束縛する、平成太郎なる存在……最終話で主人公たちは、たった三人で平成太郎へと対峙たいじする。

 平成太郎は、一人で決戦の地である東京タワーへと姿を現すのだ。

 そのシナリオ通りになるとは、アレヴィは思っていない。

 しかし、そういうラストを平成オンラインの全ての人間に流布したのだ。ただのゲームだと思って参加している、ログインもログアウトも自由な一般ユーザーにも。エクソダス計画で放り込まれた者たちや、アレヴィの時代に全世界規模で吸い込まれてしまった者たちにも、全て。

 拡散と消滅を繰り返す中で、そうした人たちに真実は触れてゆく。

 消されれば消されるほど、拡散の規模と速さが増すのは自明の理だ。いわゆる炎上というやつで、娯楽虚構対策課ごらくきょこうたいさくかの捜査官であるアレヴィにはお馴染みの現象だ。


「さて、東京タワーまでひとっ走りだ」


 部屋を出ると、丁度玄関をダリウスとリンが出るところだった。

 急いで続こうとするアレヴィを、呼び止める声。

 肩越しに振り返るとそこには、エプロン姿のママがいた。

 リンがなにかを言いかけたが、ダリウスは黙って彼女を連れて先に外へ出る。

 アレヴィはママに向き直ると、うるんで揺れる目を真っ直ぐに見詰めた。


「アレヴィちゃん、どこへ……? もうすぐ夕ご飯なのよ? お友達も一緒に、ほら。今日は、なべを――」

「ママ、ありがとう」

「アレヴィちゃん?」


 ママはこの平成オンラインの一部、NPCである。そして、保護者会というニート管理組織の一員だ。必定、成太郎の力の末端であると考えてもいい。

 しかし、アレヴィにはママが特別な存在のように感じられた。

 本物の母親から得られなかった全てが、この短い期間で体験できた気がする。

 仮想現実バーチャルリアリティでの体験に過ぎなくとも、それが貴重で尊いもののように感じていた。


「ママ、俺は現実の世界に帰らなきゃいけない。俺だけじゃないんだ。みんな、仮想現実での一時を追えたら、現実に向き合わなきゃいけない。楽園ユートピアは、それ自体は一種のテーマパークのようなものでなきゃいけないんだ」

「アレヴィちゃん、なにを言ってるの……あなたの家はここなのよ?」

「この世界では、ね。こういう世界もあったんだと思えたら、少し、いや……凄く楽になったよ。だから、ママ。ありがとう」


 誰かが世話を焼いてくれるという体験は、本当に久しぶりだった。

 幼少期の頃の記憶が蘇って、それが豊かだったことを思い出させてくれた。

 このまま成太郎の世界で、エクソダス計画を忘れたまま生きていけることもできただろう。だが、それを選ばなかったのは……幼い頃の幸せを思い出せたからだ。

 あの思い出が生まれた場所へと、アレヴィは帰らなければいけない。

 帰りたいと思えたのは、仲間とママのおかげなのだ。

 そのことを告げたら、ママがしばし戸惑った後で、笑顔になった。


「そう。アレヴィちゃんがそう言うなら、しかたないわね」

「うん、ごめん」

「お小遣いは足りてるのかしら? 大丈夫?」

「平気さ。……ここだけだよ、なにもしなくてもお金に不自由しないのは。お金は、それだけが全てじゃないと知ってても、大抵のことを解決してくれるからね」

「そうよ、金は天下の回りもの、っていうでしょう?」

「うん。じゃあ……もう行くよ」

「気をつけてね、アレヴィちゃん。……いつでも帰ってきていいんだからね?」

「ああ、考えておくよ。こんなクソゲーでも、それがクソゲーとわかるまで……俺とまた来たい、時々でいいからこうして過ごしたいって言ってくれたがいる。彼女も、助けなきゃ」


 それだけ言って、アレヴィはママに背を向ける。

 慈母の笑みで見送るママは、惜別の表情ではなく、笑顔だった。

 それもまた、実母が見せてくれなかった顔だ。

 ママはママ、当たり障りのないようにデザインされたゲームのキャラクター、NPCだ。それでも、アレヴィの母親がしてくれなかったことで、思い出させてくれた。

 遠い昔、まだ家族が家族でいられた時代……母は笑っていたかもしれない。

 そう思えるだけでも、アレヴィは心穏やかでいられた。

 そのまま部屋を出てドアを閉めると、エレベーターへ向かう。

 リンとダリウスは待っていてくれた。


「へへ、アレヴィもまだまだだな! あれはゲームのキャラ、人間じゃない」

「よせ、リン。子供の方が真実しか見えないこともある」

「なんだよ、ダリウス。そりゃどういう――」


 エレベーターに乗り込みボタンを押すと、三人だけの密室になる。

 それでもアレヴィは、天井にあるであろうカメラを見詰めて小さく零した。


「いいんだよ、リン。君に比べれば俺は幸せで、ダリウスに対してもそうかもしれない。そして、そのことを現実で……また三人で話したい」

「そ、そっか……うん、ごめん。その、あたしもちょっと、言い過ぎた、かも」

「いいさ。気にしちゃいないよ。それより、これからのことだけど」

「東京タワーだろ?」

「ああ」


 やがて、チン! と小さな音を立ててエレベーターが一階に停止する。

 人気のないエントランスを足早に出れば、既に外は暗かった。

 空には今、大きな月が丸い姿を浮かべている。

 光を湛えた蒼月に、浮かぶ面影。

 ウェルの顔を思い出して、昂る気持ちを今は胸の奥へとアレヴィは押さえつける。あと少し、もう少しで決着がつく。筈だ。その先のことはわからないし、そこへたどり着けるかどうかもわからない。

 だが、向かうこと、進むことだけは明らかだ。

 改めてリンとダリウスを交互に見て、頷きを拾う。

 夜風は遠くから、サイレンの音を連れてきた。

 恐らくもう、成太郎の指示で警察が動いているのだろう。


「よし、急ごう。ここから先は、三人別行動だ。東京タワーで会おう。……会えればだけど」

「こっ、こら! アレヴィ、なんでそういうこと言うんだよ!」

「はは、いや……少し危険だけど携帯もあるし、連絡もまだ取れる。それにね……もう会えなくなるなんて言ってないさ。ただ、これは確信してる。成太郎は……必ず来る。俺と会う」

「……どうしてそう言い切れるんだ?」

「ウェルが一緒だと思うからね。だから、リンが描いた通りの結末が訪れるよ。それ以上のものになるかもしれない」


 それだけ言うと、最後にニ、三の確認をしてから、アレヴィは二人と別れた。

 三人で固まっていると目立つし、道中で警官たちに止められるかもしれない。

 リンのことはダリウスに頼んだし、最悪のケースも想定している。それでも、アレヴィの中に奇妙な確信があって、勝利を疑うことができない。

 それは恐らく、彼が娯楽虚構対策課の捜査官であるまえに、ただの人間だから。

 ただのオタク青年だからにほかならないのだった。

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