第14話「覚醒、再び現実へ」
アレヴィの意識が覚醒すると、真っ白な
天井だけではない、四方の壁が白く塗られ、白いベッドの上に寝かされている。上手く働かない頭でも、霞む視界の焦点が定まり出すと、次第に知覚も鮮明になってくる。
アレヴィは今、医療施設らしき一室に寝かされているのだ。
あれからどれくらい時間が経ったのだろう? 窓のない部屋では、時間を知る手立てがない。24時間の接続制限に達したため、強制的にログアウトさせられたのだが……現実の肉体に戻った記憶が、アレヴィには不鮮明だった。
そんな中で、すぐ枕元で声が響く。
「アレヴィ・ハートン
枕元には、黒いスーツにサングラスの男が立っている。
白い密室に黒い男、モノクロームの世界で空気は重く沈殿していた。
どうやらアレヴィの生還した現実も、思わしくない状況のようだ。
そうこうしていると、電話を終えた男が携帯端末を内ポケットにしまい、再び不動の姿勢で立つ。護衛というよりは、監視、番人のような雰囲気だ。
無駄とわかっていても、アレヴィはおずおずと口を開く。
「あの……今は何月何日の何時ですか?」
「君との会話は許可されていない」
「ええと、ウェルは……YEM0037Vは無事でしょうか」
「質問も許可しない。今、事情の説明にアジア支部長が来る。待ち
にべもない言葉で、とりつくしまもない。
そうこうしていると、部屋のドアが開かれ一人の女性が入ってきた。こちらも黒のスーツだが、神経質そうな
アレヴィたち
リツコは黒服の男に退室するように言って、アレヴィを
ようするに、
アレヴィとしてはベストな選択を積み重ねて、効率よく法的な捜査をしているつもりだが。そして恐らく、従い支えてくれるウェルも同じはずだ。
リツコは開口一番、溜息を
「すぐに本部から監察官が来て、事情聴取が始まるわ。……また、派手にやってくれたわね、アレヴィ。相応の処分があるから、覚悟して
「ウェルはどうしてますか? ここ、現実世界ですよね?」
「……アンドロイドより自分のことを考えなさい。
心底うんざりと言った様子で、そのことを隠しもしない。リツコは腕組み見下ろしながら、きつい目元をさらに険しくする。アレヴィは上体を起こしながら、詳しい状況の説明を求めた。
「まず、貴方が平成オンラインからログアウトしてから、6時間が経過しているわ。電算室で意識を取り戻した貴方は、自我と精神が完全に肉体へ戻ったことを確認したあと、眠らされてここに運ばれたの」
「酷いなあ、言ってくれれば自分の足で歩いてきたのに」
「減らず口を叩かないで頂戴。……見て、知ったんでしょう? 平成オンラインの本当の姿を。30年前と今と、大規模な電脳失踪事件の全容を」
「全容って程は……おぼろげながらです。ただ、主犯格らしい人間には会いました。彼が人間であれば、ですけどね」
その言葉にリツコは、
なにかを言おうと試みたが、周囲を見渡し
それだけでアレヴィには、この部屋が盗聴されていることがわかった。ならば、自分も不用意な発言を控えた方がいいだろう。そして、今はあの男……
リツコは
「返事をしないで、求められたらイェスかノーかで答えて。いい? そして、話を聞いて」
「イェス、マム」
「……貴方の母親になった覚えはないわ。貴方は友人の
「いや、冗談は通じないかあ……あ、すみません。イェスです」
若干イライラしているが、リツコは順序立てて説明してくれる。
その内容は、
国家が、それも複数の国家が加担した、全地球規模の犯罪が姿を現す。
「
「歴史の教科書に載ってますね。あ、すみません……どうぞ、続けてください」
「……同時に、世界に名だたる先進国だった日本も、ゆっくりと
「耳の痛い話です、最後のとこだけ」
それは、平成と呼ばれる時代の末期に本当に起こった、この日本の衰退の歴史だ。だが、それから東京大震災があったあと、急激な復興に歩調を合わせるように、ネガティブな要素が一つ一つ
最近ではもう、ニートなどという言葉は死語だ。
出生率も回復傾向で、労働者の環境も劇的に改善された。
難民のニュースも世界中で聞かなくなり、紛争地域も話題にならない。
人類が真の豊かさを得た、黄金の時代の到来だと誰もが
だが、その影で……世界は負の面を全て、とある場所へと投げ込んでいたのだ。
「……平成オンライン。古くは半世紀前からあり、発案者はこう呼んでいたわ。エクソダス計画、と」
「脱出、逃避行……どこへ? って、平成オンラインにか」
「簡単に言うと、エクソダス計画の本質は……ネット
――ネット棄民。
棄民とは、国家やそれに類する統治機構から放逐され、生命や財産の社会的な保証を受けられなくなった民のことである。文字通り、
「計画は秘密裏に、そして静かに行われたわ。世界各国が苦しんでいる諸問題は、その根源は人間だったのよ。テロリスト、難民、長寿の老人……そして、ニート」
「なるほど、それでニートピア、か」
「それはこちらで名付けた名前ではないわ。ただ、30年前……非公式に日本政府は、ごくごく初期型の仮想現実による全感覚投入型のネットゲームを公開、テストプレイを開始した。ユーザーに選ばれたのは……日本中で部屋に引きこもってる無職無就学の若年者よ」
「まさか、政府は」
「そう……表向きは社会に上手く適応できない若者の支援を
恐るべき話だ。
世界は、持て余した多くの人間を、意にそぐわぬからといって捨て始めたのだ。
それも、人類が新たなフロンティアとして生み出した、電脳世界の仮想現実に。
リツコはさらに、驚くべき
「当時、事件の発覚が遅れたのを覚えているかしら? ……って、貴方はまだ生まれていなかったわね。被害者は肉体だけを残して、平成オンラインに閉じ込められた。収監されたに等しいわ。そして、保護者たちは……内心、ホッとしたの。生産性がないどころか、それを得ようともしない我が子を、誰もが持て余してたわ」
「……一歩間違えば、俺もニートピア行きでしたね」
「そして、政府はダミー企業であるマインドスフィア社と共に、保証を始めた。順次、抜け殻となった肉体を希望があれば引き取り、望むならば延命を続けた」
「コスト、かかりません? そんなことをしても、生きた死体を量産するだけだ」
「呼吸と鼓動を促すだけなら、人間の生命維持は安いものよ。そして、処分相当になった生きた死体には利用価値がある。人権も自我もない健康体は、世界各地で引く手あまただったわ」
「精神はネットに閉じ込められて、肉体は実験材料や臓器売買か。酷い話だ、そんじょそこらのゲームやマンガが
そして世界は、合理的に効率よく不都合な人間を大量に消す方法を獲得した。
重犯罪者や難民、高齢者や障害者……そしてニートたちが次々と各国から姿を消す。
「それらの人間をエクソダス計画が、今も使われてる『
「人権とか考えないんですかね」
「厳密には死んでる訳ではないわ。肉体を失っても、仮想現実で彼らは今も生きている。複雑にリージョンを細かく分けた、平成オンラインの中で、この瞬間も」
昔、人間が生きているという意味に精神性を追求した者たちがいた。ただ息をして心臓が動いているだけでは、それは死んでないだけだと言うのだ。そして、高度な精神性と、それを支える建設的な活動こそが生きている
皮肉にも、過去の人間性の定義だけ、それだけしか残らない状態の人間が大勢いる。
ネット棄民として
この話は続きがあるはずだし、まだ肝心のことを聞いていない。
相棒のウェルの無事が確認されていないのだ。
「計画は順調に進み、初の実験で10,000人をスムーズに消し去ったシステムは、
「なるほど、コンピューターの反乱ですか。随分とまあ、古典的ですね」
「ことを
「
「それはわからないわ。それと……質問は許してないと言ったわ。だから、さっさと貴方の知りたいことも教えてあげる。ウェルは、YEM0037Vはもう戻ってこない」
最悪の事態として想定してたことが、現実になった。
やはり、ウェルはログアウトしていない。
そして、彼女の精神が戻ってこない限り……彼女の肉体、躯体は機械でしかない。そのことを痛感させられる事実を、リツコは端的に述べてくる。
「YEM0037Vのフォーマット処分が決定したわ。初期化して新しい……といっても、元と同じバージョンの人格等をインストールするの。すぐにまた使えるようになるわ」
「……それはもう、ウェルであってウェルじゃない」
「アジア支部の機材としては問題もないし、なにも変わらないわ。これは決定です」
絶望的な状況で、アレヴィは自分の
初めて相棒が、相棒以上に思えた時間。
体温も鼓動もある、柔らかな彼女でいてくれた空間。
その全てが今、アレヴィから大事だと思え始めたものを根こそぎ奪ってゆく。
そしてあとに残るのは、永遠に消え去った者と全く同じ姿の、新しい相棒だ。
「ニートピアに関しては各支部でも追ってるわ。勿論、貴方たちが平成オンラインに接触したこともわかってる。よくまあ、
アレヴィが現実の中で現実感を失いかけた、その時だった。
廊下の方が騒がしくなり、響く声が怒声となって叫ばれる。次の瞬間には鈍い打撃音とともに短く悲鳴が連鎖して、ドアが開け離れた。
そこには意外な人物が立っていた。
相変わらず、くたびれたスーツによれよれのトレンチコートだ。
その男は、リツコを無視してアレヴィのベッドへと歩み寄ってくる。
「目が覚めたか、ラッキョ! ……よし、行くぞ」
「えっ、行くって、どこへ」
「決まってるだろうが! 犯罪者を捕まえるのが俺らの仕事だ。違うか?」
狼狽するリツコの手を振り払い、その男は……イットー・ヤマグチは、アレヴィの
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