第15話「大脱出」
連れ出されて初めて、自分が国立の大学病院にいたとアレヴィは知った。
病院から車で出るまで、イットーは次々と黒服を暴力でねじ伏せた。
とても、今年で定年退職する初老の男とは思えない。
そんなイットーの運転で、車は走る。
外は真っ暗な深夜、漆黒の空からは強い雨が降り注いでいた。
沈黙に耐えられなくなり、アレヴィはようやく口を開く。
「どうして、あの場所が? っていうか、
「助けた訳じゃねえ。お前さんにはこれから働いてもらう……歳を取るとな、バーチャルだのなんだの、難しくていけねえ」
「はあ……でも、俺はもう」
「……ふん。ふぬけてやがるな、ラッキョ。ただのファミコン小僧じゃないとは思ってたが、違うのか?」
再び沈黙が、二人の間に重くのしかかる。
それでも、バリバリと短く刈り込んだ頭をかきむしって、イットーは喋り出した。
「電算室で騒ぎがあったのが、土曜の午後。つまり、昨日だ。それから日付を
「何故?」
「
「ああ、確かヤマグチ
「イットーでいい。……俺も、ラッキョ呼ばわりはやめてやらあ。悪かったな」
「いえ、別に」
法定速度を無視する勢いで、二人を乗せたセダンは闇夜を切り裂き走る。
滝のように雨が流れて落ちるフロントガラスには、なんの表示も浮かんでいなかった。この時代の車ならば、道路上のナビゲーションや簡単なニュース番組、企業の広告等が映るはずだ。そういったものを全てキャンセルしてるところがまた、イットーらしい。
イットーは片手で
「ま、半分は勘だが……ずっと俺ぁ、ある事件を追ってた」
「30年前の、10,000人のニート失踪事件」
「そうだ。
「確か、イットーさんは娘さんを」
そして、アレヴィは思い出す。
平成オンラインの中で出会った、一人の少女を。
30年前、まだ若くて働き盛りだったイットーの、
リン・ヤマグチは恐らく、イットー・ヤマグチの実の娘だ。
数奇な運命に改めて驚いていると、イットーの言葉が僅かに湿り気を帯びる。普段の粗野で下品な雰囲気が一変して、
「……俺ぁ、仕事ばかりで妻と娘の思い出がほとんどねえ。だから……娘が学校に行かなくなっても、全て妻に任せっきりだった」
「それで、娘さんが平成オンラインに?」
「ああ。当時はゲームの名前もなにもかもが秘密でな。個人情報にうるさい時代だったし、それは今も変わらねえ。そして……世間体を気にするあまり、妻は俺に真実を隠した。全国規模で、被害者の家族が被害自体を
「それは……」
「若ぇのが働きもせず、学校にも行かず、ぶらぶらしてる。下手すりゃ部屋から出てこねえ。ニートってやつは、本人以上に家族も恥ずかしいって思っちまう。そういう家庭が意外と多かったんだよ」
イットーが事態に気付いたのは、事件が起こって半年後だった。ようやく10,000人の失踪が明らかになった時、
そして、世界規模で
イットーはそれを、仕事の張り込み中に新聞で知ったという。
事件自体を知ってから初めて、自分の娘が被害者の一人だとわかったのだ。
その頃にはもう、疲れ果てて人形のようになった妻だけが、家で彼を待っていた。
「……娘さんの肉体は、どうなったんです?」
「とっくにさ。遺族扱いして保証金だなんだをちらつかされてな。俺も、ちょいと心を病んじまった妻もあって、
次第にイットーの運転する車は、豪雨の中を郊外へ走る。
強い雨も手伝って、どこをどう走っているのかもアレヴィにはわからない。
だが、確実に追手から逃げ、安全と思われる場所へ向かっている。それだけは確信していたし、信じられた。これはもしかしたら、ストックホルム症候群の予兆かもしれない。あのまま当局の人間として取り調べを受け、全てを話した上で組織に残る。そうして、組織の中でベストを尽くすやりかたもあった
それでも、後悔はない。
複数の国家が共犯者として仕組んだ、全世界規模のネット
そんな無数の疑問の中で、一つだけはっきりしていることがある。
それは願望であり、目標であり、絶対尊守の約束だ。
「俺は……ウェルを助けたい。彼女はまだ、あの中に……平成オンラインの中に」
「そうか。俺と同じだな。お前さんはお嬢ちゃんを助ける。俺は……助けきれないまでも、探し出して、そして……謝りたいのかもな。インターネットの世界に娘を引きずりこんだのが連中なら、その背を無自覚に押してたのは、俺だろうしよ」
イットーの車は、遂に
どうやら港の近くらしく、岸壁には無数の倉庫が並んでいた。その一角へと車は吸い込まれ、無個性な倉庫の一つへと入る。真っ暗な中でヘッドライトを消して、イットーは一拍の間を置いて何度か規則的なリズムでハザードを点滅させた。
やがて、暗がりの中から一人の女性が姿を現す。
場違いなチャイナドレスは、際どいスリットから白く細い脚を闇に浮かべていた。女の顔立ちは東洋人だが、日本人ではない。独特のほっそりとした輪郭に、切れ長の目が
車を降りるように
どう見てもカタギに見えない女は、イットーの儀礼的な握手に応じて話し出す。
酷く
「お待ちしてましたわ、ヤマさん。突然のことで手配が大変でしたけど……ふふ」
「いつも悪いな、
「お安い御用よ。それと……携帯を出して頂戴。彼は? そう、持ってないのね」
イットーが出した携帯電話を受け取り……女将と呼ばれた女性はそれを地面へ落とす。乾いた音を立てて転がった携帯は、ハイヒールで踏み抜かれて木っ端微塵になった。
「ヤマさんもまだまだ甘いのね……こっちの新しいのを使って」
「尾行対策か?」
「そういうこと。尾行だけじゃないわ。今の世は携帯を持ち歩くことは、自己主張を叫んで過ごすのと一緒よ?」
「インターネットと機械の話は苦手なんだよ」
涼しげに笑う女将は、そのままアレヴィへと向き直る。
酷く冷たい、まるで氷河の万年雪のような瞳がアレヴィを射抜いた。
「ふぅん、君がアレヴィ君ね? しばらく一緒だけど、よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
「まず、少しの休息と……そう、食事と睡眠。そのあとで、情報を整理させてもらうわ。ああ、善意の協力者じゃないのよ? 私はヤマさんと利害で繋がってるの。本当はこわーいお姉さんなの? いいこと?」
「はぁ」
それだけ言うと、女将は背後を振り向いた。
すぐに厳つい強面の男たちが出てきて、イットーとアレヴィが乘ってきた車をどこかへ持ち去ってしまう。エンジン音が遠ざかると、女将が歩む先へとイットーと共にアレヴィは続いた。暗がりの奥底では、二台の車が用意されている。
「ヤマさんはそっちの車を使って頂戴。アレヴィ君はこっち。それと……そろそろ話してくれないかしら? ギブ・アンド・テイクの基本は情報共有でしょ?」
「……詳しくはまだ言えねえ。まあ、このボウズから聞いてくれ。話せる範囲で話すだろうし、俺が口を挟むことじゃねえ……俺は口を挟むより、手を出す方だからな」
「あら、怖い。まあ、おいおい聞かせてもらうわ。……大きな仕事になりそうね、ふふ」
イットーは二台ある車の片方に乗り込み、早速エンジンをかける。
その音が静寂に響く中で、アレヴィは最後に言い忘れていたことを全てぶちまけた。
「イットーさん! 今日は、その、ありがとうございます」
「助けた訳じゃねえって言ってるだろ」
「あと、俺……多分、イットーさんの娘さんに会ってます。娘さんの名前は、リン・ヤマグチですよね?」
「……どうして、それを」
「まだ、あの世界で、平成オンラインで娘さんは生きてます。そして……あのゲームには、敵がいます。恐らく、作った人間たちが想定していなかった、敵が」
「チッ……べらべら喋りやがって」
それだけ吐き捨てると、イットーは運転席に消えた。彼が運転するハッチバックの軽自動車は、吹かし気味にエンジン音を響かせ出ていってしまう。そのブレーキランプを倉庫の外に見送り、アレヴィは心の中にはっきりと自分の意志を結んだ。
必ず、ウェルを助ける。
そして、イットーにもリンを助けてもらう。
例え戻るべき肉体を失ったとしても、それが仮想現実に閉じ込められていい理由にはならない。そして、そう思って行動できる人間は今、自分たちしかいないのだ。
そんなことを考えてると、背後でもう一つのエンジン音が響く。
運転席の開いたドアにもたれかかりながら、女将がにんまりと笑っていた。
「さ、私たちも行きましょう。道中、色々と聞かせてもらうわ。ふふ……楽しい夜になりそうね」
「よろしくお願いします、ええと」
「みんな、女将って呼ぶわよ? それでいいし、本名は知らないほうがいい。それが、私と男たちのシンプルなルール。私は利害が一致する限り、男たちに手を貸し、手を出し、手ほどきして手助けする。それも私の実益を兼ねた趣味だから」
「はあ」
危ない雰囲気が鼻につくのに、美貌はアレヴィの目を奪ってくる。
特に、谷間がはっきりと見えるデザインのチャイナ服は、見事な胸の双丘が盛り上がっている。自然と喉がゴクリと鳴って、脳裏にふくれっ面のウェルが浮かんだ。
この非常時にと頭を振って、アレヴィも助手席側に回ってドアを開く。
運転席に収まった女将は、すぐに豪快なスピンターンで車を翻して、倉庫の外へと走り出す。やはり、危険な匂いが香る女性で、それ自体が彼女を飾るアクセサリーのようだ。
思わず見詰めてしまったのに気付いてか、女将は静かに冷たく笑う。
「なぁに? 私、ボウヤみたいな子だって食べちゃう女だけど……疲れてないなら、それでもいいわよ? ヤマさんには、ちょっと怒られるかもしれないけど」
「い、いえっ! 遠慮、しときます」
「そうね、それがいいわ。……さ、説明して頂戴」
言われるままにアレヴィは、語れる範囲で事件のあらましを語った。30年前の10,000人失踪事件、そして今回の70,000万人失踪事件。両者を繋ぐ国家の陰謀と、そのために作られ隠蔽されながら運営される、平成オンライン。
イットーより何倍もネットワーク関係に賢しい女将は、すぐに全てを理解した。
一を聞いて十を知るとは、このことだ。
「そう、漫画みたいな話ね。日本もそうだけど、娯楽作品に出てくるコンピューターって、どうして反乱を起こしたがるのかしら」
「それは……多分、機械が人間の進歩の象徴であると同時に、人間を超える可能性を秘めてるからだと思います。それを恐れつつも、もしかしたらという可能性を想像してしまう」
「でも、機械に子供は産めないでしょう?」
「物理的には。ただ、仮想現実の世界なら話は別です。単純に元データからコピーを作り、バージョンアップした別物をも生み出す。それは、データ化された人間の人格と精神にも、同じことが言える気がしますけど」
「なるほどねえ……でも、継続性のある生産ができたからって、人間を超えてるとは限らないわ。女も知らずに人生を
「それは、まあ……否定、しがたい話です」
外の雨はいくらか小降りになって、その中で二人を載せた車は倉庫街を抜けてゆく。
ふと、女将の言葉が気になって、アレヴィは思考を巡らせる。
何故、エクソダス計画で生まれた平成オンラインが、その中のなにかが人間たちの意思を振り切ったのだろうか? もし、人類に
それを考えているうちに、疲労感が瞼を重くしてゆく。
気付けばアレヴィは、激動の一日の終りに、静かな眠りへと落ちてゆくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます