第11話「渋谷での再会」

 首都東京は当時、総人口の一割程が集中して住む巨大都市だった。

 その中でも活動場所を変えると、東京は全く別の顔を見せる。

 それは、昨日が秋葉原で今日が渋谷だから、極端でもあった。

 小一時間ほどアレヴィは、ウェルと別行動で調査を進めてそれを実感した。二手ふたてに分かれたのは、効率を重視したのもある。多くの人間に聞き込みをして、ユーザーからもNPCからも情報を集めるのだ。

 人と話すのが苦手でも、しょうがない。

 昨夜あんなことがあったので、どうしてもウェルと一緒だと意識してしまう。

 アレヴィはオクテな上にうぶで、その上どうしようもなく純情をこじらせていた。


「ふう、大した情報は得られないな……予想通りというか、ありきたりな話ばかりだ」


 温かな日差しの中で、アレヴィは歩き疲れて自動販売機へとたどり着く。

 現実の世界とはまるで違うので、少し戸惑ったが、どうやら硬貨を直接入れないと駄目らしい。そもそも現金を持ち歩くというのが、アレヴィたちの世代には信じられなかった。落としたらどうするのだろう? それは携帯端末も同じだが、電子的な金銭はすぐに凍結して流出を防ぐことができる。いくら日本が、当時の世界で一番の治安大国だといっても、落とした財布が必ず戻ってくるとは限らないのだ。

 また、平成の日本では落とした財布が高確率で戻ってくると知って驚く。

 アレヴィは先程銀行から降ろしたお金を、それで真っ先に買った財布から取り出す。

 硬貨を飲み込んでようやく、自動販売機は飲み物を選択するボタンを光らせた。

 冷たい缶コーヒーを手に、路上の隅に腰掛けるアレヴィ。


「……しかし、人が多いなあ。そういえばこの時代はもう、土曜日が休日なんだっけか」


 道玄坂を行き来する若者たちは皆、当時の最先端のファッションに身を固めている。

 平成と一口に言っても、30近い期間があって幅広い。

 だから、この場所を行き交う服装も様々だ。

 さながら、平成時代のファッション博覧会である。

 アレヴィは服装に頓着がなく、清潔でさえあればなんでもいいと思うタイプの人間だ。そして時々、清潔感すらどうでもよくなる、これは自分でもよくないと思うがしかたがない。稀に、どうしようもなく実生活の自分への興味を失ってしまうのだ。

 アレヴィは少し戸惑とまどい首をひねったが、プルトップをようやく理解して缶コーヒーを開封する。一口すすって溜息ためいきこぼすと、携帯電話を取り出した。

 今頃ウェルは、買い物を満喫しつつ聞き込みをしてくれているだろう。

 そして多分、アレヴィと同じ結果に終わっているはずだった。

 ダイヤルをプッシュして通話を待つ間、アレヴィは思考を巡らせる。あれからというもの、変にウェルを意識してしまう自分がおかしかった。

 しばらく呼び出し音が続いてから、回線がウェルの携帯電話へと繋がる。


『もしもし? アレヴィですか?』

「うん、そう。どう? そっちは」

『すっごくかわいい服ばかりです! 映画でしか見られないような服も沢山売ってて……アレヴィにも早く見せたいです。……ちょっと、買い過ぎたかもしれません』

「いや、そういう話もいいけど……捜査状況、報告」

『あ、はいっ! す、すみません。ええと、接触した全てのユーザーが、ニートピアについてなにも知りませんでした。それどころか、世界規模の大量電脳失踪事件すら知らない人がいて』

「ニュースでは意図的にぼかして隠してるからね。もはや仮想現実バーチャルリアリティのネット環境がないと、俺らの世界はなりたたない。なによりも重要なインフラと化したネットが、正体不明の危険にさらされてるなんて……とてもじゃないけど公表できないよ。政治や経済がパニックになる」

『はい。それでですね、保護者会なるものについても聞いてみたんですけど、みんな判で押したような答ばかりです。ようするに、この平成オンラインで楽しく遊んで過ごすための、資金的なバックアップ。他には、料理や洗濯等もしてくれて、便利に使う存在のことらしいです』


 予想通りというか、ウェルの方でも有力な情報はつかめていないらしい。

 それはアレヴィも同じで、ユーザーは深くは考えずにオフを満喫している。オフをオンラインで過ごすというのも変だが、平成オンラインというゲームの仕様に忠実とも言えた。ここでは誰もが、全てを許され甘えた生活を享受きょうじゅする。

 ある意味でここは、生産性の呪縛から解放された世界なのだ。

 それが、ニートピアの本当の意味かもしれない。

 一つの時代、日本という国家の歴史のほんの一瞬……平成という30年前後の一時ひととき。そこでは、自分にも他人にも、勿論もちろん社会にも貢献しない人間の存在が許されていたのだ。

 そんなことを考えつつ、アレヴィは言葉を続ける。


「ウェル、詳しくは合流して昼食でも食べながら話そう。こっちも似たようなもので、収穫はないんだ。つまり、この平成オンラインはシロ……例の事件とは関係がないのかもしれない。ただ、昨日の秋葉原の一件が気になる」

『はい。平成という時代の特徴として、ああした刹那的な刃傷沙汰にんじょうざた、無差別殺傷事件が多かったみたいです。犯罪の検挙率が上がり、犯罪総数が全体で減少傾向な中、事件の一つ一つは凶悪化し、時には理解不能なケースを生むこともまれではありません』

「誰でもよかった、って奴だね。そういう意味では、昨日の事件もまた平成の再現とも言える。でも、妙だと思わないかい?」

『と、言いますと……?』

「このゲームは、完全に平成時代を満喫するために、ある程度ストレスフリー……わずらわしい手間やネガティブな要素を切り捨ててる。その最たるものが、ママじゃないか。なんでもしてくれて、資金源でもある。このゲームには資金稼ぎもレベル上げもなく、なんでも最初から手に入るようにできてるのさ」

『あっ! アレヴィの言いたいことがわかりました。つまり……そうした中で何故なぜ、平成特有のまわしい事件を再現する必要があるのか。そういうことですね? 確かに、疑問の余地があります。すでに当時を知るユーザーはいないですし、平成の負の面は見せる必要を感じませんね』

「だろ? さて、これをどう解釈して解決するべきか」


 のどかな休日の風景に目を細めつつ、アレヴィは脳味噌に負荷を与え続ける。やけに甘い缶コーヒーを飲めば、消費される糖分が即座に補充されるような錯覚さえ感じた。

 平成オンラインは、健全かどうかは別として、怪しい点は見当たらない。

 どんな些細ささいなことにも、合理と論理の説明がつくようになっている。

 だが、そんなあたりさわりのない完璧さが、逆に怪しい。

 想定された質問に対して、あらかじめ答が用意されているかのようだ。

 そう思っていると、視界の隅で異変が発生した。ウェルの声を聴いていたアレヴィは、彼女が報告を雑談に切り替えつつある中で、その言葉を遮る。


「ごめん、ウェル。あとでまたかけ直すよ。お昼、なにが食べたいか考えておいて。ちょっと、トラブルみたいだ……またすぐに連絡する。じゃあ」


 それだけ一方的に言って、アレヴィは回線を切るや立ち上がる。

 その頃にはもう、ユーザーやNPCの別なく、往来の誰もが脚を止めて一点を見ていた。その視線の先で、悲鳴があがる。

 叫んでいるのは、若い男だ。

 その声が妙に切実な響きで、晴れ渡る青空に吸い込まれる。


「なっ、なにが駄目なんだ! 僕の夢だったんだよ……若い頃から、過ぎ去りし平成の世に憧れてたんだ! でも、現実の僕は……だからこそ、ここでなら!」


 わめき散らす男は、地面にへたり込みながらも後ずさる。

 自分を引きずるようにして、彼は逃げていた。

 それは、追う者たちが現れて、よりはっきりとアレヴィの中に警鐘を鳴らし始める。尋常ならざる雰囲気の中、なにかが始まった。限りなく白に近い、グレーでしかないこの世界が、黒く澱んでゆくような錯覚。

 正気を失いかけている男を、すぐに複数の警官たちが取り巻いた。

 警官の一人は、周囲に振り返って声を張り上げる。


「お騒がせしております、ご心配には及びません! 違法店の摘発です、ご協力ください」


 それで群衆はそれぞれに納得し、囲まれ怯える男を一瞥いちべつして歩き出す。

 多くの者たちが休日へと戻ってゆく中で、アレヴィは慎重に事態の推移すいいを見守った。

 警官たちはどうやら、男を連行するようだ。

 だが、やりとりの節々には不穏な言葉が浮かび、警官たちと男で奇妙な温度差がある。


「さあ、立って! 詳しくは署で聞かせてもらうからね」

「クソッ、なんでだ……どうしてなんだ! たかがゲームだろ、どうして僕がこんな目に。店ぐらい開いたっていいじゃないか! 親父からもらった金だし、課金もしてるんだぞ!」

「保護者会にも連絡させてもらうよ。全く……君の行為は、厳しく制限されて禁止されている。いいから来るんだ」

「僕のデザインした服だぞっ! ずっと、ずっとやってみたかったんだ。食ってけないレベルなのはわかる、センスがないのもわかってる! でも、でも僕は――」


 なかば拘束されるようにして、男は引きずりあげられ立たされた。そのまま両側を警官に支えられて、連れていかれそうになる。

 表向きはどうやら、違法操業の店舗を摘発したということになっているらしい。

 だが、男の狼狽うろたえようは尋常ではなかった。

 そして、警官が発した言葉もまた、アレヴィの中で疑問を呼ぶ。


「彼の夢、みたいなものが……禁止されているだって? 規約には特別難しい話はなにも……あ、いや、待てよ。それより今は」


 咄嗟に手の甲へと視線を落とせば、デジタル表示で光の文字が浮かぶ。

 完全にゲームの世界が本物の現実に取って代わってるため、仮想現実の中では現実とのあらゆる接触が絶たれている。ここでは職場からの電話やメールも届かないし、緊急の要件だって特別な設定を施さない限り通じない。

 そんなゲーム内で、唯一この世界がゲームだと思い出させるのが、手の甲の表示だ。

 視線を重ねて念じるだけで、あらゆるシステム的な操作が可能になる。

 ログアウトだってできるのだが、アレヴィが呼び出そうとしたのはゲーム上での規約だ。昨夜ウェルが言った通り、わからなくなってから読めばいいと普段は豪語していたアレヴィ。そして今、本当にわからなくなった……このゲーム内に、禁止事項としてそんな項目が設定してあるなんて。そして、それに抵触した際に、GMではなく本物の警官が飛んでくるなんて。

 だが、アレヴィはもどかしげに点滅する手の甲を引っ込める。

 同時に、去ろうとする警官たちに向かって歩き出した。

 やはり、このゲームにはなにかある……見えぬ闇が深くよどんでいる。

 それが見え始めたと思った瞬間、不意にアレヴィは二の腕をつかまれた。

 同時に、とがった声が耳に静かに飛び込んでくる。


「待てよ、あんた……行かない方がいい。知らないふりをするんだ」


 それは、十代の少女を思わせる声だった。

 そして、振り向くとすぐ横に、ポニーテイルの女の子が立っている。ミニスカートに革ジャン姿だ。その顔立ち、そして声に覚えがあって、アレヴィは思わず驚きを声に出してしまった。


「き、君は! 昨日の秋葉原の――」

「しっ! 声がでかいよ、あんたはさ。……一般のプレイヤーなんだろ? なにも見なかったことにして行っちまえよ。忘れた方がいい」


 有無を言わさぬ言葉だった。

 そして、少女の瞳には暗い炎が燃えているのが見える。

 失われた時代で様々な青春を謳歌おうかする、老若男女様々なユーザーとはまるで違う。虚構の現実で過ごす者たち特有の開放感が、ない。

 少女はカミソリが光るような目で、去りゆく警官たちをにらんでいた。

 その迫力に気圧されながらも、アレヴィはかろうじてつぶやく。


「君は、昨日の秋葉原でナイフを振り回してただね?」

「……チッ、見てたのかよ。鬼の霍乱かくらん、ってのかな。……キレちまったんだよ。危なかったけど妙な女と仲間に助けられた。クソッ、でも! でも、あたしは!」


 少女の言う妙な女とは、恐らくウェルのことだ。

 となると、煙幕に紛れて彼女を助けた大男は、仲間なのだろうか?

 どういった類の者たちかは、わからない。

 だが、この平成オンラインという世界に対して、非合法な存在であることは明らかだ。それは、恐らくGMの代行者として現れる警官たちの言動でも明らかである。

 そんな彼女が止めてくれたので、アレヴィは警官たちに連行される男をただただ黙って見送った。完全に周囲が普段の渋谷を取り戻した頃、ようやく少女は手を放す。

 アレヴィも自分を落ち着かせて、改めて震える声を絞り出した。


「君は、君たちはどういう存在なんだい? 俺は国際電脳保安機構こくさいでんのうほあんきこう娯楽虚構対策課ごらくきょこうたいさくかに所属する捜査官、アレヴィ・ハートン三査さんさだ」

「なにそれ? 国際、電脳……えっと、警察? と、違うの?」

「警察機構とは別に、国際的に統一されたネット社会の治安維持組織だよ。主に、仮想現実空間内の犯罪の予防と抑止、検挙や摘発を行っている」

「じゃ、じゃあ……もしかしてあんた! そっか、やっと……やっと外も気付いたんだ」


 少女がぱっと表情を明るくした。

 その言葉にアレヴィも、ようやく平成オンラインの見えない闇を確信する。


「あたしの名はリン。リン・ヤマグチだ。あんた、一緒に来てくれない? 仲間に会わせる……頼むよ、あたしたちを助けてくれ!」


 少女の名は、リン・ヤマグチ。

 その名字が自然と、アレヴィに同じ組織でウェルをいつもいじってからかう男を思い出させる。いい印象を持ってはいなかったが、今は偶然だと思う他はなかった。

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