第5話「エンカウント」

 おだやかな週末の午後が、戦慄せんりつに凍りつく。

 悲鳴が輪唱をかなでて、ざわめきが電気街に広がっていた。

 アレヴィは自然と足が向いて、声のする方へと走る。日頃から運動不足ですぐに息があがったが、その横を走るウェルは涼しい顔をしていた。

 出入りする空気が肺腑はいふに走らせる痛み熱も、本物だ。

 アレヴィの身体的な能力すら、仮想現実空間バーチャルリアリティは忠実に再現し、意識へと投影してくる。

 どよめきの爆心地へと走りながら、アレヴィはかろうじて声を絞り出した。


「ウェル! 先行して……事態を観察、情報収集。状況によっては、っはあ、はあ、独自の判断で行動! 頼ん、だ……ッ!」

「了解、オフィサー! じゃない、アレヴィ! 先行します!」


 次の瞬間、ウェルが身体能力を完全に解放する。

 強固な機械の身体に驚異的な身体能力、それは全てこの平成オンラインでも再現されているようだ。それは平成と呼ばれた100年前の時代に、存在し得ない科学の申し子。人の夢が夢見た、その結晶だ。

 あっという間にウェルは、人混みをすり抜け見えなくなった。

 周囲の者たちはこの混乱で、ウェルの異常な加速に疑問を持つ余裕すらない。

 だが、そのあとをのろくさと追うアレヴィの耳に、他のユーザーたちの声が飛び込んでくる。


「おいおい、なんだ? 事件か?」

「あー、これってあれかも。テロ? みたいな? ほら、平成ってそういうの多かった時代じゃない。あと、通り魔とか」

「誰でもよかった、ってやつだろ? それで殺されちゃたまんないよな」

「仮想現実でも、全感覚投影型だと死ぬのはやだなあ。痛いのも再現されっからさ」


 心の中で同意するが、だからといって傍観ぼうかんできないのがアレヴィである。そもそも、この平成オンラインの中になにかがある、臭いと踏んでの潜入なのだから。なにか異変があれば、そこから手がかりを探るのも仕事だ。

 頭の中からはすでに、美少女フィギュアのことはすっかり消えていた。

 そして、全力疾走のアレヴィの前で視界が開ける。

 そこには、言葉を失う光景が広がっていた。

 ナイフを持った一人の少女が、逃げ惑う人たちを散らかしている。まるで、彼女の見えない制空権から全てが追い出されているようだ。

 そして、ナイフを振り回す少女の前に、ウェルがいた。

 どうやらユーザーたちがささやいていた通り、異常事態の原因は彼女のようだ。


「ったく、平成ってやつは……ウェル! 取り押さえろ!」

「了解!」


 娯楽虚構対策課ごらくきょこうたいさくかに追いやられていても、ウェルは最新鋭の人工知能AIを搭載したアンドロイドである。そして、この平成オンラインでは現実の身体能力や感覚の鋭敏さ、超人的な筋力が再現されているのだ。

 ウェルは無防備に、身構えることなく少女に近付いてゆく。

 彼女は凶刃を前に、落ち着いた声音で語りかけた。


「今すぐ凶器を手放し、両手を頭の後ろに。仮想現実とはいえ、平成オンラインは全感覚投入型のゲームです。五感がフル接続された状態で、痛覚への過剰な刺激を与えれば……最悪、現実世界の肉体への影響もないとは言い切れません!」


 今、この場にいるユーザーたちは肉体から精神と意識を切り離され、仮想現実空間に用意されたデータの肉体へと宿っている。つまり、現実の肉体は空っぽなのだ。だが、ゲーム内で例えば腕を切られると、そのデータ処理が肉体へフィードバックされることがある。

 突発的に急激かつ不意の衝撃は、時として肉体へ貫通するのだ。

 警告を与えたウェルは、そのまま近付いてゆく。

 少女は震える切っ先を両手で向けて、激昂げきこうに声を張り上げた。


「なにさ……なんなのさ! 正義の味方気取りって訳? なら、あたしを助けなさいよ!」

「どんな理由にせよ、暴力は肯定できません。なにかしらの言い分があるなら、正式な手続きを経て、然るべき場所へ申し出るのがすじです。……ね、やめましょう。それ、わたし以外を刺したら死んじゃうかもしれないんですよ?」

「うっ、うるさい! ……あんた、変ね。妙だわ。何者なの? どうして関わってくるの! 警察でもないのに、どうして。死ぬわよ……こんなつまらないゲームで死ぬ気?」

「それはないです、けど。でも、ゲームとはいえ死傷者が出る可能性は見過ごせません」

「……もしかして、あんた……外の警察? 現実世界の」

「そのようなものですが」


 少女は一瞬、顔色を変えた。

 その揺れて怯えたひとみが、瞳孔どうこうを大きく萎縮いしゅくさせる。

 驚きの表情で彼女は、ウェルに刃を突きつけたまま喋り続ける。


「やっと、来たのね。遅いわよ! なによ、何年経ったと思ってるの!」

「え……?」

「知ってるわ、せいせいしたんでしょ? 厄介払いできたって。それで、誰も探しに来なかった! そうなんでしょ!」

「言ってる意味が……っと、アレヴィ! 危ないです、近付かないでください!」


 ウェルの制止を無視して、アレヴィは人の輪から歩み出た。

 すでに騒然としてた周囲に、人はまばらだ。

 安全圏まで逃げおおせた者たちが、遠巻きに見守りながら携帯電話を向けている。確か、この時代の携帯電話にはカメラがついていたはずだ。アレヴィたちの時代では個人の人権保護の観点から、カメラを許可なく他者へ向ける行為は犯罪だ。だが、平成の世ではまだ携帯電話も、それに付属するカメラも生まれたてなのだ。

 カメラのシャッター音に変わるメロディを無数に聴きつつ、アレヴィは少女に近付く。


「……詳しく話を聞かせてもらえないかな? 俺は、俺らは敵じゃない」

「あんた、誰よっ! この女の仲間!? ……2人共、連中じゃ……じゃないの?」

「保護者会? それは――」


 その時だった。

 サイレンの音が近付き、警察がやってくる。

 同時に、少女は舌打ちを零して周囲を見渡した。血走る目が殺気立った視線を放ち、周囲の誰彼を構わず無言ででてゆく。

 程なくして、警官たちが現れた。

 無責任なユーザーたちが口笛を吹いて、喝采かっさいがあがる。


「そこの人、下がって!」

「御協力に感謝します、さあ! 危険ですから!」


 警官たちはすぐに銃を抜いた。

 相手が凶器を手にして、それをすぐ目の前のウェルに向けているのだ。

 アレヴィの少ない知識でも、当時の治安はよかったと記憶している。現に、あっという間に警察が駆けつけてくれた。世界でも有数の治安有料国家、日本。その首都である東京では、こうした通り魔事件に関しても迅速な対応がとられている。

 現実でそうだったから、あくまで雰囲気を損なわぬように警察が出てくるのだ。

 GMが出てきて強制ログアウトというのは、ユーザーの見えないところでやるつもりだろう。

 そう思って見守っていると、警官たちが包囲の輪を狭めてくる。

 やはり、取り巻くユーザーたちに先程のような緊張感はない。異変の正体が知れてしまえば、それもアトラクションやイベントの一つだと思っているのだろう。この場にいる誰もが、仮想現実で傷つけられれば血を流し、痛みが走る。それは度が過ぎれば、現実で戻るべき肉体さえも殺してしまうというのに。

 そうこうしていると、ナイフを持つ少女が再び叫ぶ。

 その言葉が、瞬時にアレヴィとウェルを突き動かした。


「ふざけやがって! ニートなめんなよ、何年ニートやってると思ってんのさ! ……なにが楽園だ、何がだっ! 飼い殺しなんざもう、まっぴらゴメンだよ!」


 少女の言葉に、アレヴィとウェルだけが反応した。

 周囲では、失笑に近い声が連鎖してゆく。

 その声が連なりながら耳の奥へなだれ込んできた。


「ニートだって、ニートって確か」

「知ってる! 昔は不稼働市民ふかどうしみんのことをニートって言ってたの」

「ああ……職業訓練等の矯正きょうせいプログラムがまだないんだっけ? 平成って」


 クスクスと笑う者たちの、嘲笑ちょうしょうめいた声。

 それがアレヴィに、幼少期の記憶を思い出させた。

 物言わぬ創作物だけが語る世界での、他者の存在しない日常。常に知識は無限にあって、そのどれにも感情は宿っていなかった。それでも、アレヴィは大人の形にかろうじてなれたし、幸運なことに技能を活かす仕事にも巡り会えた。

 だが、そうでなかった時の自分は、目の前の少女と同じ姿だったかもしれない。

 私情を挟むほどのセンチメンタルもなく、アレヴィは単純にそう思った。

 そして、次の瞬間には小さく叫ぶ。

 それは、既に動いていた相棒の背を押す格好になった。


「ウェル、その少女を保護するんだ! 彼女はなにかを知っている!」

「了解!」

「周囲のユーザーや警察官には手を出さないでよ? ……さて、どう切り抜けるか」

「任せてください、アレヴィ!」


 言うが早いか、ウェルが素早く少女へ踏み込む。

 それは、人間の常識を凌駕りょうがする瞬発力だった。

 そのままウェルはナイフを握る少女の手を掴む。

 そして、白刃をそのまま自分の首へと突きつけた。


「警察の皆さん、動かないでください! 動くとわたしを殺します!」


 背が高く、すらりと細身のウェルが少女を抱き寄せる。そして、目を丸くしている少女のナイフを、自分へと向けて密着した。

 瞬時に周囲で、警官たちに動揺が走った。

 恐らく、警官は全てNPC……ノンプレイヤーキャラクターだ。ユーザーが演じているアバターではなく、ゲームの運営サイドが用意した、要するに村人Aのようなものだ。平成の世を遊んで過ごすためのゲームで、彼らはワクチンであり白血球として、病気の予防や駆除を行っている。

 だが、不思議と徹底して、運営サイドの動きは見えない。

 あくまでここが100年前の日本である、その範疇はんちゅうを超えない対処だった。

 警官たちは拳銃を構えたまま、口々に叫び出す。


「きっ、君! いいから離れなさい! 危ないから!」

「本部に応援を……いいから早く! 保護者会にも連絡だ」

「みなさん、落ち着いてください! 犯人を刺激すると危険です! 下がってください!」


 膠着状態こうちゃくじょうたいが生まれた。

 その中でアレヴィも、少女とウェルから引き剥がされてしまう。警官たちに押されて人混みへ埋められながらも、アレヴィは視線でウェルへと意識を飛ばす。

 横目にアレヴィを見やって、小さくウェルはうなずいた。

 不思議と回線やネットを介さずとも、意思の疎通ができた。完璧とは言わないし、互いにできたと思っているだけかもしれない。だが、そう思えるだけで二人には十分だった。

 近付くサイレンの音が増える中で、ざわめきに包まれアレヴィは見守るしかできない。

 そんな時……突然、外からなにかが投げ込まれた。

 それは、アスファルトに転がると同時に白い煙を勢い良く吹き出す。

 落ち着き始めていた野次馬の中から、絶叫が走った。


「ガスだ! 生物兵器によるテロかもしれない! 逃げろ、逃げろ!」


 テロの一言で、秋葉原の一角が阿鼻叫喚あびきょうかん地獄絵図じごくえずと化した。

 そして、充満し始めた煙が広がり続ける。

 二個三個と煙の発生源が続けて投げ込まれた時には、咄嗟とっさにアレヴィは走り出していた。警官たちの制止を振り切り、白い闇の中に沈んだウェルの元へ向かう。

 白い煙はただの煙幕、有害なものではなさそうだ。

 確証はなかったが、そう判断したから飛び込んだ。

 この撹乱かくらんが、少女を助けるために行われているなら……少女の生命を危険にさらすガスではない。何らかの理由で少女を始末するなら、こんな手を使わず狙撃でもすればいいのだ。つまり、このガスは視界を奪うためだけのもの……断言はできないが、自分で証明する理由としては十分だった。

 咳き込みながらもアレヴィが向かうと、その中で既にことは片付いていた。

 そこかしこで警官が倒れているが、生きている。往来に伸びて転がる彼らの何人かは、苦しげにうめいていた。

 そして、ウェルが身構える先に一人の男が立っている。

 肩に先程の少女をかつぎ上げた、たくましい体躯の巨漢だ。

 アレヴィの接近に振り向きもせず、ウェルが声をとがらせる。


「アレヴィ、危険です! 下がってください。この人……強いです!」


 半身に構えて、ウェルがズシャリと腰を落とす。

 だが、構わずアレヴィは叫んだ。


「君は……君らはなにか知ってるのか? 教えてくれ、ニートピアとはいったい」


 巨漢の影はなにも言わずに、少女を抱えたまま煙幕の向こう側へと消えた。

 こうしてアレヴィとウェルの平成体験は、波乱の幕開けとなった。煙を風が徐々に晴らす中で、気付けばアレヴィはウェルと一緒に警官たちに囲まれていたのだった。

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