第20話「突破口」

 解放されたアレヴィたちは、完全に自由な身ではない。

 そもそも、この平成オンラインの中にいる限り、平成太郎タイラセイタロウの目からは逃れられない。彼はこの仮想現実空間バーチャルリアリティをニートピアと呼び、その神として君臨しているに等しいのだから。

 そんな中で、逃亡生活も無駄だとアレヴィは思った。

 だから、こんなにも大胆なことを考えてしまうのだ。

 ダリウスとリンを連れて彼は、迷わず以前のマンションに戻った。

 勿論もちろん、出迎えてくれたのはママだった。


「あらあら、アレヴィちゃん。おかえりなさい。お友達も一緒なのね」

「ま、まあ。その、ただいま……」

「ふふ、あとでおやつを持ってくわ。さあ、お二人さんも入って入って」


 変わらぬ笑顔のママは、巨体のダリウスと中学生のようなリンを見ても、なにも言わなかった。アレヴィたちのいる時代の現実では、高度に発達したネット社会が年齢や地位、性別を超えたコミュニティを形成している。

 だが、平成と呼ばれた100年前はどうなのだろう?

 生活に必要なあらゆる仕事をまかない、衣食住を不自由なく供給してくれるママに聞いても、それは詮無いことだろう。彼女はNPCノンプレイヤーキャラクター、あの成太郎がゲームの進行上必要と認めて配置したロジックなのだから。

 それでも、母親というロールをこなす彼女の前では、アレヴィは緊張してしまう。

 自分の母親と、まるで別物だからだ。

 部屋へ上がり込むと、リンが脇腹を突いてくる。


「なあ、おい! ……お前、変だぞ? あれはゲームのキャラ、NPCだって」

「知ってるよ。でも……なんていうか、その」

「……アレヴィさ、マザコン?」

「違う! それは違うぞ、リン。ええと、その……母親が苦手なんだ。なのに、こういう母親だったらと、つい考えてしまう」


 それだけ言って、アレヴィは会話を打ち切る。

 寝室を兼ねた部屋に戻ると、清掃が行き届いていた。あの日、ウェルと一緒に寝たベッドもシーツが新品だ。それは、彼女の残り香どころか、一緒だったという確固たる事実さえ失われたかのようで切ない。

 それでも、ママがお茶を持ってきたのを受け取り追い出して、早速今後を話し合う。

 まず最初に、アレヴィはダリウスに再度確認する。


「ダリウス、知ってる範囲で教えてくれ。エクソダス計画の者たちは、どこまで情報をつかんでいる? 平成太郎のことを、俺の上司は知ってたみたいだけど」

「うむ……平成オンラインの中枢であるメインフレーム、それが突然平成太郎を名乗りだしたこと。そして、ニートピアと称したこのゲームを乗っ取ったことまではわかっている」

「その先は? 成太郎の動機や目的は」

「そこまではわからない。それも探るために私はここへ来たが、閉じ込められたまま連絡不能になっている。そして恐らく、エクソダス計画は真実の発覚を恐れて動けていないだろう。だから平成オンラインは、今も通常のアプリケーションとしてオープンになっている」

「そして、俺やウェルが来た訳だ。他にも、一般人が少なからず出入りはしている」


 ダリウスは重々しくうなずいて、ママが出してくれた紅茶に口をつけた。

 そうこうしているうちに、リンは部屋を見渡し立ち上がると、パソコンの電源を入れる。デスクトップタイプの古いデザインで、当時を忍ばせる雰囲気が感じられた。

 そして、リンは机に座ってキーボードやマウスをいじり出す。

 その姿に目を細めて、ダリウスは紅茶を飲み干し立ち上がった。


「私も一度、部屋に帰ってみるとしよう。今のところ、害意は感じない。私やリンは一度や二度ではないし、この平成オンラインの中では逃げも隠れもできはしない」

「そ、そうか」

「……こんな私でも、現実と違って妻がいる。そのことにもけじめをつけてこなければ、私の決意が鈍る。保護者会というただのプログラムなのに、おかしな話だがな」

「いや、ちっとも。ここは誰にも優しすぎる世界だからな。たっぷり甘やかしてくれるから、そのまま甘えて暮らすことだって選べるはずなんだ。でも、それは生きているとは言えない」

「私もそう思う」


 それだけ言うと、ダリウスは出ていった。

 ドアが閉まると、外でママとの挨拶のやり取りが小さく耳に入ってくる。

 それでつい、アレヴィはリンにも家のこと、この世界での部屋のことを聞きそうになった。だが、口から出ようとした言葉をかろうじて飲み込む。彼女にも勿論もちろん、あてがわれた部屋に家族が待っているはずだ。仮初かりそめというには長過ぎる時を共にした、NPCの家族が。

 だが、そんなことよりもアレヴィは知っている。

 リンは、恋人をあの成太郎に消されたのだ。

 それを思い出していると、視線に気付いたのかリンは振り返った。


「なに? 今日の作戦会議、終わり?」

「ああ、いや……ちょっと、家族のことを考えてた」

「ウェルって女のこと? それ、アレヴィの彼女?」

「なんというか……前は職場の相棒だった。今もだけど、ちょっと意味合いは変わったかな」

「ふーん」

「彼女はアンドロイドなんだ、現実では。君がここに来た30年前は、まだ普及率も低く、特殊な環境にしかいなかったと思うけどね。俺の時代では、街中でも頻繁に見るし、どんな業種にもアンドロイドが働いてるんだ」

「……なんか、不潔だ」


 リンは嫌悪感を表情に作って見せて、再びパソコンのモニターに向いてしまう。

 彼女はどうやら、ネットでニュースをチェックしているようだ。横から覗き込んで見るが、アレヴィも予想通りの内容に溜息ためいきこぼすしかない。

 アレヴィやリン、ダリウスのことはニュースになっていない。

 当たり障りのないゴシップやスキャンダル、そして犬や猫のニュースばかりだ。まるで事件性が感じられない話題だけで、とても平和な一日が伝えられている。そして、それが永遠に続くことをもうアレヴィは知っていた。

 そのまま、リンの視線に視線を重ねつつ、身もせずに尋ねる。

 このニートピアと成太郎の謎を解くには、必要だと自分に言い聞かせて。


「リン、君の、その……恋人のことを聞いていいかな?」

「ロウのこと?」

「ロウ君って言うのか」

「そ、ロウ・スルール。アメリカ人だって言ってた。あたしとはネットで……平成オンラインの中のネットで知り合ったんだ。変な話だけど、ネットの中のネットでね」


 リンは、こっちを見ずに画面をスクロールさせながらつぶやく。

 きっと、彼女にとっては思い出すのがまだ辛い話だと思う。だが、それでもアレヴィは考えなければいけない。GMゲームマスターを超えた存在である成太郎に歯向かったり、往来で刃物を振り回したりと、事件性の高い行動を取っても……アレヴィたちはこうして自由を許されている。

 その一方で、なにかが犯罪として取り締まられているのだ。

 そして、リンの恋人ロウのように、消えてしまうこともあるらしい。

 そのことの詳細が知りたいアレヴィに、リンは独白する。


「ロウは、あたしたちのあとに来た人間だった。えっと、アメリカの……活動家? そういうやつ。あたしたち10,000人のニートのあとも、小規模ながら断続的にまとまった数の人が来たよ。そして、その多くはこの平成オンラインに満足してる」

「活動家、というのは」

「アメリカで、少数民族たちのために戦ってるって言ってた。多分、アメリカにとって面倒な人間だから放り込まれたんだと思う。でも、優しくて面白くて、曲がったことが大嫌いで……とにかく、いい奴だったよ」


 僅かにリンの言葉が湿しめを帯びる。

 だが、アレヴィはロウという人間の人柄や現実での過去より、知りたいことがあった。


「なにをして、彼は、その……消されてしまったんだい?」

「漫画、売ったんだ。ほら、コミケって知ってるか? コミックマーケット」

「ああ、同人誌か。それで消されたのか? ……そんなにエッチな本だったのか?」


 アレヴィは先日の渋谷と、その後のウェルとの電話を思い出す。

 渋谷では、洋服をデザインして売ってた男が逮捕された。

 そして、ウェルが連絡をくれたのは、成人向けの漫画の話だった。

 この奇妙な符号、共通点はそう多くはない筈だ。

 そう思っていたら、とつぜんリンが立ち上がった。

 彼女は声を張り上げ、叫んだ。


「あたしはそんなのっ、描かない! あたし、エッチなのは苦手だし! それに……それにっ、ロウはそういう内容の話は作らなかったよ。……そりゃ、そういうシーンが、なくも、ないけど……恋人同士のすること、する時、するし、キスくらいは描くけど」

「あたしは? 描かない?」

「……あたしの描いた漫画だったの! 原作はロウ! ……真っ当な話だったよ? 普通に、ごくごくありふれた話。二次創作とかじゃなくて、オリジナルなものだった」


 ウェルが目撃して追ったのは、成人向けというか、いわゆる実用度も大事なたぐいの漫画だったと思う。謎は深まった……単に、未成年に向けてのレーティングが重要ではないことは、渋谷の洋服デザイナーの時点でわかっている。

 では、やはり創作関連全般が??

 そう思ったら、一つの答えしかアレヴィの中に残らなかった。

 そのことを慎重に考えていたら、上目遣いにリンがにらんでくる。


「あたしは話したぞ! つっ、次は……アレヴィの番だかんな!」

「へ? 俺?」

「……話、聞きたい」

「いや、話と言ってもだな。俺とウェルは、まだ一緒に寝ただけで。いやほんと、そのままの意味で寝ただけで」

「寝た!? ふっ、ふふ、不潔だ! お前、ロボットと!」

「アインドロイドだってば」

「同じようなもんだろう! ロボットと……そんなに、お前、お前は……こ、こじらせてるんだな!? なんかあたし、もっと優しくてやらなきゃ駄目なのかな」

「なにを言ってるんだ、リン。まったく……そういうとこは父親に似たのか?」


 リンの父親は、先日アレヴィを助けてくれたイットーだ。

 そのことを口にしたら、リンは反論の代わりに笑顔を迎える。


「そ、そうか? 似てるかな、あたし。そう、そうだよ……バカ。あたしはオヤジの話が聞きたいんだ。なあ、一緒に働いてるんだろ? ここに戻ってきた時も、ちょっと前まで一緒だって言ってた」

「あ、ああ」

「ん、でも言っておくぞ! あたしはオヤジは嫌いだ! 仕事ばかりで家にずっといなくて……会いたくても、会えなくて。でも、気になるから」

「んー、そうだな。いや、そういうもんだよ、親子って。イットーさんは警察を辞めて国際電脳保安機構こくさいでんのうほあんきこうに来た。荒事専門あらごとせんもんの壊し屋って言われてるけど、ガンガン事件を解決してる。……物理的に。腕力で」

「そっか。そうだな……ふふ、変わってないんだ」


 口ではなんとでも言えるが、リンは父親のイットーが気になるようだ。だから、アレヴィはできるだけ好ましい部分だけを伝えた。勿論もちろん、以前はともかく今は好ましく思ってることも付け加えた。

 ただ、言えなかったことがある。

 すでに現実世界で、リンの肉体は30年も前に処分されていること。

 これだけは今は言えないし、自分からは伝えられないと思った。

 それでつい、普段よりわざとらしく多弁になってしまう。


「いい父親、とはがたいけどね、リン。でも、イットーさんはいい人だよ。そして、今なら家族にもいい人として素直に向き合える人だと思う」

「はは、なにそれ? なにも知らないくせに……でも、嬉しいよ」

「だろ? リンはまだいいさ、俺の父さんなんかいつも貧乏してた。毎日が楽しそうで、よく遊んでくれたけど……小さい頃に両親が別れてね」

「離婚したんだ」

「そ。それで、俺の養育権を勝ち取った母さんとの、筆舌ひつぜつし難い日々が始まったのさ。母さんはなにかに取り憑かれるように言っていた……ッ!? あ、ああ……そうだ、言ってた」

「ん? アレヴィ、どしたの」


 その時、アレヴィの頭の中でなにかがぜた。

 根拠もないのに、パズルの最後のピースを手に入れた気分だ。そしてそれは、ずっと彼の中にあったのだ。以前から感じていた違和感や予感は、全てそこから来ていたのだ。

 そう、アレヴィは確信に近い気持ちで核心に触れた気がした。

 その時、成太郎の言動の全てに辻褄つじつまが合う。

 この平成オンライン、いな……ニートピアの絶対の法。

 閉じた楽園で自堕落じだらくに暮らす中で、決して犯してはならないあやまちがわかった気がした。


「……リン、戦いの準備をしよう」

「へ? あ、ああ、いいけど。なにがあったんだよ、アレヴィ。お前、おかしいぞ?」

「いや、おかしいだろうな。変かもしれない。でも、なんだろう……あまりにシンプルなことで、わからなかったんだ。


 そう、就労も就学もせず、その意思もなく予定もない者達。

 そうした人間を不稼働市民ふかどうしみんと呼んだことが、そもそもの始まりだったのだ。

 現実でそうではなくても、そうだったらと望んだ者たちにとっても、ここは楽園。


「リン、頼みがあるんだ。まず、ダリウスに連絡を取ってくれ。今すぐ合流しよう」

「ああ、そんなのお安い御用だけど」

「それと……リン。もう一度、漫画を描いてくれないか?」


 アレヴィの言葉に、リンは固まった。

 しかし、アレヴィは彼女が首を縦に振るまで、じっと言葉を待ち続ける。

 首肯しゅこうを返すリンの複雑な笑みを見て、アレヴィの戦いが始まる。あの成太郎との戦い方が、わかった気がするから。

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