第19話「再会、そして再起」

 いぶかしげに思いつつも、アレヴィは大昔に警視庁と呼ばれていた建物を歩く。見送る警官達の視線を背に、玄関に向かうと……エントランスには見知った顔が待っていた。

 どうやら二人も、解放されたようだ。

 リンとダリウスは、アレヴィに振り返って驚きん声をあげる。


「おい、アレヴィ! 現実はどうなんだ、どうだった! ……駄目、なのか?」

「無事だったか、アレヴィ」


 恐らく、アレヴィが現実へログアウトしてから過ごしていた時間、二人は拘束されていたのだろう。しかし、無罪放免むざいほうめんというのはどういうことだろうか? 確か、リンは恋人を消されたと言っていた。このニートピアで、秘密を暴露して騒乱を引き起こすことは、排除対象になるのでは?

 その疑問が、また一つ……カチリとパズルのピースを心に埋めてゆく。

 まだ、描かれた絵の全体像は見えない。

 それでも、アレヴィは出迎えてくれる二人と合流して、まずは安堵感を分かち合った。


「やあ、久しぶり……って訳でもないよなあ。でも、随分久しぶりに思える」

「馬鹿野郎っ! あたしたちの平成オンラインは、現実と時間が同期してんだ。一日しか経ってねえよ! けど、けどっ……」

「とにかく、ここを出よう。色々と話したいこともある。それと」


 まぶたをこするリンの肩に、そっと手を置く。

 華奢きゃしゃな少女の身体が、服の下の確かな柔らかさと暖かさを伝えてきた。

 大きくうなずくダリウスも、険しい表情を幾分和らげる。

 そんな二人に、どうしてもアレヴィは確認することがあった。


「二人共、あのあと……ウェルがどうなったか、知らないか?」

「ウェル……ああ! あんたの相棒の、あの女か」

「ああ。平成太郎タイラセイタロウと同じ車に乗せられてたはずだけど」


 そう言いつつ、アレヴィは肩越しに振り返る。警官たちは一定の距離を取りつつ、ずっとアレヴィたち三人を監視している。その視線から逃れるように、先をうながしてアレヴィは歩き出した。自然とリンとダリウスも、玄関を出る。

 仮想現実バーチャルリアリティとは思えぬ外の空気が、閉塞感に潰れそうだった肺腑はいふへなだれ込んできた。

 肌で感じる風も、それが運ぶ騒がしい都会の雑踏と騒音も、懐かしい。

 五感の全てが感じた解放感の中で、アレヴィは歩きつつ話す。


「俺はまず、このニートピアの真相を暴いて、成太郎の行為をやめさせなければいけない」

「ニートピア……それだ、それ! 確かに、時々そんな言葉を聞いてた! ……あたしの、恋人天、だった人も言ってた」

「この平成オンラインの、裏の顔……あるべき姿がねじれて歪んだ楽園の名だ。ダリウスは? 聞いたことあるかい?」

「……ああ。よく知っている。お前と同等か、それ以上にな」


 その時、不意にダリウスの表情に僅かな変化があった。それは、猛禽類もうきんるいのように精悍な彼の顔に、一種の疲れを滲ませる。

 だが、それ以上は彼が語らないので、アレヴィは話を続ける。

 以前乗ってた黒いライトバンは、警官たちの手ですぐ側の道路に運ばれてきていた。その受け取りの手続きを終えて、書類にサインをする。紙媒体の書類に改めて、ここが平成という100年前の時代だとアレヴィは思い知らされた。

 警官たちは書類を確認してから、最後に笑いかけて去ってゆく。


「では、引き渡しを終わります。もう二度と、我々の世話になるようなことにならないように。いいね?」

「これも公務、市民の平和と街の治安を守るためだ。君たちもしっかりと、市民としての義務を遂行し、この街で……ニートピアで、楽しく過ごすんだぞ?」


 それだけ言うと、警官たちは行ってしまった。

 なにかを言いかけて身を乗り出したリンを、ダリウスが止める。

 市民としての義務、そして楽しく過ごすこと。

 やはり、アレヴィはなにかに気付けそうな気がするのだが、まだまだ霞がかかったように真相が見えてこない。見えないまでも感じるそれは、確かに近付いている、そういう感触だけは確かだった。

 ダリウスはなにも言わずに運転席へと回る。

 不満気味に大股で歩くリンに続いて、アレヴィは後部座席に収まった。

 車が走り出すのを確認してから、アレヴィは話の続きを再び語り出す。


「まず、情報を整理した上で共有したい。改めて言うが、俺は2098年の日本から来た。国際電脳保安機構こくさいでんのうほあんきょく娯楽虚構対策課ごらくきょこうたいさくかに所属する捜査官だ。そして……俺等の30年程前、この平成オンラインに……ニートピアに、10,000人のニートが集められ、閉じ込められた」


 その一人が自分だと、リンは口を挟んだ。

 アレヴィはつい、自分を救って逃してくれた男のことを思い出す。ウェルは毛嫌いしていたが、イットーに対して無関心だったアレヴィも同じだ。

 好きの反対は嫌いではなく、無関心。

 現実世界でのアレヴィは、必要最小限の人間にしか関心がなかったのだ。

 反論する労力も惜しみ、言われるままに言わせていた……ただ、イットーが愛娘まなむすめを仮想現実に飲み込まれて失ったことも知っていた。そういう傷を抱えた人の歪みが、自分に向いてるだけだと思った。

 そして、一度助けられたあとでの短い時間で、少し考えが改まった。

 イットーは今も、愛娘を大切に想って戦っていたのだ。

 同じ過ちを繰り返さぬためだと、今は思える。


「リン、リン・ヤマグチ……君は30年前、ニートの社会復帰プログラムみたいなことを行政から言われて、そのテスターとして平成オンラインに来た。そうだね?」

「そ、そうだけど……そこまであたし、言ったっけ?」

「現実世界へ戻った短い時間で、そのことを知った。正確には、この平成オンライン、ニートピアを包む裏の事情を知って、わかったんだ」


 一度言葉を切って、落ち着いてアレヴィは話し出す。

 自分でも整理しながら、運転するダリウスのためにもゆっくりと言葉を選んだ。


「ずっと昔から、世界各地の先進国は多くの諸問題に悩まされていた。紛争やテロ、経済格差に難民問題。そうしたものの根源を、生産性の低い人間……不稼働市民ふかどうしみんと定義して、その処分を考え始めたんだ。その結果……エクソダス計画という悪魔の所業しょぎょうが生まれたんだ」


 その続きを話そうとした時だった。

 意外なところから、アレヴィの話を引き継いで喋り出す声が響く。


「そう、エクソダス計画……仮想現実に作った、現実世界と完全に同期しながらも、永遠に同じ時を繰り返す平成時代の再現。その中へと、次々と不稼働市民を送り込む大規模棄民政策だいきぼいみんせいさくだ」

「ダリウス? あんた……」


 驚きに目も口も丸く開けたまま、リンが固まる。

 ダリウスは前だけを見て運転しながら、激することもなく静かに語る。その声音には、冷静さではなく、ある種の諦観ていかんの念が感じられた。


「アレヴィの言うことは本当だ。世界の名だたる大国がそろって結託し、エクソダス計画は生まれ……そして実行に移された。手始めにまず、日本の10,000人のニート……就労も就学もせず、する意思も見せない者たちを放り込んだ。その一人がリン、お前だ」

「あたしが……そりゃ、確かに。でもっ!」


 アレヴィが現実での短い時間の中で知った、あまりにも無慈悲で残酷な世界の裏側。それをダリウスは、まるで見てきたかのように語る。

 アレヴィは黙って聴き入りながら、リンの肩をそっと抱き寄せる。

 震えて涙ぐむ少女に寄り添い、今は辛くとも話を聞くように無言でうながした。そうすることをよくゲームや漫画で見るが、やってみたのは初めてだ。嫌がられるかと想ったが、リンは一度だけアレヴィを見上げてから、静かになった。

 そして、ダリウスの話はアレヴィの知識をなぞるように真相を語る。


「エクソダス計画は成功した。10,000人のニートたちを平成オンラインに閉じ込め、そして……一定の満足を与えたまま、幽閉し続けた。そして現実では……そうした若者達を持て余していた保護者たちは解放された。政府が表向きは事故として処理し、十分な保証を行い肉体を引き取ると……社会的に後ろめたいニートの束縛から解放されたのだ」

「……そうだ。リン、君はその最初の10,000人の一人だ。思い出してみて……この30年を」


 辛い話だと思ったが、真実を認識して受け止め、共有することは必要だった。

 アレヴィが抱き寄せ見下ろす中で、リンは涙ぐみながら呟く。


「あたしは、そう……オヤジはずっと仕事でほとんど家にいないし、お母さんは……学校に行かなくなった、行けなくなったあたしの世話で疲れていって」

「俺も経験がある、わかるよ。走るべきレールを踏み外してしまうと、子供には自分でレールに戻ることも、別のレールを探すことも難しい。そういう子供を、全ての親が受け止められるとは限らないんだ」

「そうだ、30年……あたしはもう、30年以上ここにいるんだ。現実と同じで、与えられた衣食住と小遣いが満ちてて、何不自由がない暮らし……ただ遊んで、消費して、思うままに生きてるストレスのない世界」

「でも、君は気付いた。そして今、戦ってる。君の父親と同じように」

「オヤジが?」

「イットー・ヤマグチ一査いっさは同じ国際電脳保安機構の捜査官……俺の、仲間だ。さっきも会って来たよ。イットーさんは、まだ戦ってる。ずっと、今も戦ってるんだ」


 そのことを伝えたら、リンのまぶたが決壊した。

 彼女は大粒の涙を零しながら、それを拭いもせずにううつむいてしまう。小刻みに震える肩を強く抱き寄せて、アレヴィは胸の中でリンを泣かせてやった。

 そうして黙って言葉を待つと、ダリウスが喋り出す。


「こうして現実世界は、不稼働市民とレッテルを貼られた、生産性がないに等しい人間達を処分する手段を得た。だが……エクソダス計画は突然、頓挫とんざした」

「……その原因が、平成太郎なのか? ダリウス、君はいったい」

「平成オンラインを統括し管理運営するAIが、突然暴走したのだ。彼は……そう、便宜上彼と呼ぶが、彼は平成太郎を名乗り、突然ニートピアを宣言……エクソダス計画側からの接続を一方的に全て拒否し始めたのだ」


 ダリウスの話をまとめると、こうだ。

 実験の成功で、世界は10,000人のニートを現実から葬ることに成功した。続けて、重犯罪者やテロリスト、重度の障害者といった多くの不稼働市民が送り込まれた。仮想現実で何不自由ない生活を与えたら、不思議と彼らは人生を満喫し、暴力も不満も忘れていった。

 将来への不安なき、永遠のニート……それは、幸福の一つの形だった。

 格差による貧困も、競争も勝敗もない世界。そこでは犯罪もテロリズムも、必要ない。仮想現実に再構成された肉体は健康な健常者のもので、現実以上に金銭的に恵まれているのだ。

 生産性のない人間が、現実以上に裕福な、現実と変わらぬ世界に移送された。

 そのことをダリウスは語り、その続きへ……核心へといたる。


「エクソダス計画では、順次平成オンラインの中で幸福を享受したまま……皆が天寿を全うして、減ってゆく筈だった。現実から送り込む不稼働市民と、寿命で消えて電子の藻屑となる人間……それは、十分なキャパの中で完全なサイクルを構成するかに思えた。だが」

「……突然、平成オンラインの全てを司る人工知能が反乱、暴走した。違うか?」


 アレヴィの言葉に、ダリウスは重々しくうなずいた。

 そして、彼自身の正体と共に、その顛末を詳しく話してくれる。


「突然、人工知能は平成太郎を名乗り……この平成オンラインをニートピアとして切り離した。あらゆるアクセス権を失ったエクソダス計画を嘲笑あざわらうかのように……奴は正規の合法アプリケーションとして、全世界に平成オンラインを配信した。エクソダス計画の者達は……、無力だった。下手に介入すれば、全地球規模の陰謀が暴かれてしまうからな」

「私達? ま、まさかダリウス、君は」

「そうだ、私はダリウス・ライゼンシュタイン。エクソダス計画の創始者の一人だ」


 衝撃が沈黙を連れてきた。

 目の前に今、恐るべき計画を立案し、実行した人間がいた。

 悪魔の所業にも等しい陰謀が、謎の暴走で独り歩きを始めた中に……その真っ只中に、悪魔そのものと思えた人間がいたのだ。

 ダリウスは、さらに言葉を続ける。


「私達エクソダス計画の人間は、焦りつつも慎重にならざるを得なかった。保身故に、エクソダス計画の全貌が公開されることをこそ、私達は恐れた。そして、それを平成太郎は知っていた」

「それで……?」

「現状把握のためにも、ニートピアを宣言して独立したに等しいこのゲームへと、私が送り込まれた。だが……私もまた、それっきり現実へのログオフを封じられた」


 車中を重い沈黙が包んだ。

 その中で、泣きじゃくるリンの嗚咽おえつだけが響く。

 アレヴィは、際限なく沈んでゆく重苦しい雰囲気の中で、口を開く。


「俺が現実で得てきた話と、ほぼ一致する。それに……ダリウス。今は一人でも多くの仲間が必要だと俺は思う。その力と知識を、貸して欲しい」

「私は、エクソダス計画の」

つぐなう気持ちがあるなら、今だ。頼めないか? 現実の世界で、リンの父親は……イットーさんは言ったんだ。現実でなら、平成オンラインも、ニートピアも巨大なサーバという物理的な機械でしかない。決着は現実で……だから」


 バックミラーの中で、ダリウスがうなずく。

 それでアレヴィは、意外に過ぎた彼の正体を許せた。許したいと思って、そのことに素直になれただけで、許せてはいないかもしれない。だが、そんな彼を仲間と思って、共に現実へ復帰する道を模索するという、揺らがずぶれない決意だけは同じだった。

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