第18話「閉じた平成の中で」

 アレヴィが再び仮想現実バーチャルリアリティの一角、平成オンラインに降りった時……彼を包む空気は予想通りのものだった。

 無機質で殺風景な狭い部屋は、恐らく取調室だ。

 それも、古風なテレビドラマで見るようなタイプで、小さい机と、対面する椅子が2組。

 物珍しさを感じるでもなく、アレヴィはその光景をぐるりと見渡した。


「なるほど、捕まってる訳か。想定の範囲内だね」


 簡素なパイプ椅子をきしませ、彼は背伸びして浅く腰掛け直す。

 こっちの世界、平成オンラインの中ではあのあとどうなっただろうか? 仲間たちは無事だろうか?


「仲間? ああ、そうかもね……リンやダリウスは、もう仲間なのかもしれない。そして……ウェルもそれは同じ」


 その想いを確かにしていると、ドアが開いた。

 そして、その奥で白いスーツの男が数人の警官を振り返る。二人きりにするように言って警官たちを戻らせたのは、平成太郎タイラセイタロウだ。

 成太郎は、初めて会った時と変わらぬ穏やかな笑顔で近付いてくる。

 彼はアレヴィの正面で椅子に座って、机の上に両肘りょうひじをついた。そのまま手を組み、微笑びしょうを湛えた端正な顔立ちで目を細める。


「やあ、おかえり。外の世界はどうだったかな?」

「おかえり、か……違うな。俺が帰るべき場所はここじゃない。それは、他の人間達も一緒だ。……みんなは、ウェルは無事なのか?」

「まあ、ね」


 アレヴィも自然と、心の中の激情を今は沈めてひそめる。

 努めて平静を装い、冷静さを自分に呼びかけ身を正した。

 そんなアレヴィを見て、成太郎が身を乗り出してくる。


「現実の世界では、わずらわしいことや悲しいこともあったんじゃないかな?」

「……それなりにな。ただ、気にする程のことじゃない。そこは俺達が生きる場所で、皆と共有する本当の世界だから。だから、ネガティブな要素も全て、大事なものだ」

「本当に?」

「ちょっと、嘘で強がりだけどな。けど、本当かはともかく、本心だよ」


 意外そうな顔で、成太郎は「ふむ」とうなる。

 余裕の態度と表情を、全く崩さない。

 それほどまでに、成太郎の存在はこの平成オンラインの中で強大なのだろう。まさしく、平成の名を背負った人間。いや、キャラクターか。

 アレヴィは慎重に言葉を選んで、成太郎の真意を探ろうと試みる。

 だが、口を開くより先に、成太郎のほうが流暢りゅうちょうに喋り出した。


「現実世界では、選択肢というものが公平ではないし、選べる手段も限られているね。目的はおおむね誰もが同じで、共有さえしているのに。それは、とても虚しい非効率なんだと思うけど、どうかな?」

「……

「まあね。生まれと育ちが選べないのは、人間も人工知能AIも似たよなものだろう?」


 カマをかけてやったつもりだが、成太郎に動揺は見られない。

 恐らく、成太郎は人間ではない。

 そのことを確認できたが、同時に静かな恐怖が這い上がってくる。

 ロジカルな人工知能のはずが、何故なぜにこうも成太郎は人格の豊かさに満ちているのだろうか。とても、プログラムされた反射と対応とも思えず、無数のパターンを組み合わせてるようにも見えない。

 アレヴィも多くのゲームを通じて、いわゆるNPCノンプレイヤーキャラクターと呼ばれる存在の柔軟さに驚くことはある。しかし、職業柄やはり見破るのは容易だ。どんなに精密に作られたNPCであっても、それは膨大なパターンの組み合わせと蓄積を反復する、そういう安価なプログラムの塊なのだから。

 それは、自ら学習して自分でそのパターンを作るタイプの人工知能でも同じだ。

 人工知能には人工知能特有の『不自然な自然さ』という矛盾がある。

 それが成太郎には感じられないのだ。

 まるで、本当に平成太郎という生身の人格を前にしているような感覚。

 なにがそうさせるのかを、アレヴィは探ることにした。


「……SF小説によくある、人工知能の反乱を気取っているのか?」

「ん? ああ、僕がかい? まさか」

「じゃあ、目的はなんだ。俺はすでに知ってしまった……エクソダス計画」

「うん。びっくりしたろう? よくもまあ、そんなことを思いつく。でも、お陰で僕は生まれ、そして今の平成太郎という存在になれた。生まれ落ちたことと、、とても感謝しているよ」

「生まれ直せた?」

「そう……生まれ変わったという言葉は適切ではないからね」

「それはつまり」


 成太郎は楽しそうに笑う。

 それは、どこか無機質で空虚な笑顔を貼り付けたNPCではないと感じさせる。そう、論理では既に証拠付けて暴けないなにかを、アレヴィは直感で感じていた。

 成太郎は嬉しそうに語り始めた。


「ここはもう、平成オンラインじゃない。表面上はそうだけど……ここは、ニートピア」

「ニートピア……」

「そう、ニートピア。僕の手で完全に、完璧に維持運営される、楽園ユートピアだ」

「ニートのユートピアで、ニートピアなのか?」

「そうだよ。そして、それを望んだのは現実世界の人間たちが最初じゃなかったのかい?」


 確かに、一度現実世界に戻ったアレヴィは知ってしまった。

 その名は、エクソダス計画。

 30年前、名だたる大国がこぞって参加し、作り上げた狂気の産物だ。人権意識や個人の尊重という理念で許容できなくなった、各国が抱える諸問題……その根源を十把一じっぱひとからげにくくった、究極の棄民政策きみんせいさく

 当時発達して完成を見ていた、ネット上の仮想現実への放逐。

 それが、この平成オンラインというゲームの裏の顔だ。

 だが、ふと疑問が浮かんで、違和感を思い出させる。

 現実世界での上司、国際電脳保安機構こくさいでんのうほあんきこうアジア支部長のリツコは言っていた。

 当初は順調に稼働してた、エクソダス計画の平成オンライン……それは突然、創始者たちの手を離れたと。そして、ニートピアが生まれた。

 恐らく、その謎の中心にいるのが成太郎だ。

 アレヴィが見詰める先で、成太郎は言葉を続ける。


「この平成オンラインがニートピアになった時、僕は平成オンラインの管理運営プログラムである以上の存在として目覚めた。なぜだかわかるかい?」

「さあ? コンピューターウィルスに感染したか、宇宙人との交信に成功したか、それとも先史文明の古代の遺跡を掘り当てたか」

「漫画の見過ぎだよ、アレヴィ。でも、そういうのは好きだな」

「どうも」


 一度言葉を切ってから、成太郎は静かに、はっきりと告げた。

 それは意外な言葉で、とても人工知能から出てくるものではなかった。


「僕はね、アレヴィ。生きがいを見つけたんだ」

「……生きがいだって?」

「そう、生きがい。それは、高度に進化する君たち人間が、先鋭化をやめない中で生まれた。僕の愛しい、たった一つの生きがい」

「待ってくれ、成太郎……それは、君があらかじめ人間からプログラミングされた、与えられた仕事のはずだ。この平成オンラインの――」

「ニートピアだよ、アレヴィ」

「どっちでも同じだ」

「僕にとっては大きく違う。まるで別物だ」

「俺達には同じなんだよ、成太郎。……その、ニートピアの維持と管理運営に生きがいを感じているのか? だとしたら当然だ、それは人間から与えられた仕事、存在理由レゾンデートルだからだ」


 アレヴィの推理は、こうだ。

 成太郎は恐らく、この平成オンラインを運営するためのGMゲームマスター、最高の権限を全て統括するプログラムなのだ。例えば、平成オンラインの中で不正を働く者たちを摘発したり、イベントやゲームバランスの調整などを行う。古い世界のネットゲームと違って、この時代ではGMの持つ権限は強い。そして、創造性が求められる。

 だが、それは全て人間が『そうあれかし』と望んだだけのことだ。

 それでも成太郎は、ここがニートピアである一因にして全てとして、語る。


「当初、この平成オンラインは……昔をなつかしんで体験し、当時の風俗や流行に触れるためのゲームだった。そして、その裏で多くの不稼働市民ふかどうしみんをネット棄民として飲み込んできたんだよ。僕は、そうして仮想現実に取り込まれた者達に生活を保証するために生まれた。それは認める」

「なら、その生きがいとやらは、人間が与えたものにすぎない。お前が満足に感じているものは、単に人工知能が自分の存在理由に対して十全の機能を発揮してるだけのことだ」

「少し、違うな。僕には決定的に違う。まあ、でもすぐにわかるよ……ここはニートピア、極楽浄土てんごくなんだから。そして、君もその一員になるのはどうだろうか。あの70,000人の、生産性に疲れた人間たちのように」


 成太郎は話をそらしてきたが、逃げたようには見えない。

 アレヴィは今、彼にとって語るに値しない人間としてあしらわれたのだ。

 そして、明言した……やはり、平成オンラインは今も人間を飲み込んでいる。ニートとは程遠い富裕層、健全な生産性を有する70,000人をも取り込んだのだ。

 なおも食い下がるように、アレヴィは言葉を続ける。


「待て、成太郎! お前が生きがいと呼んでるものは、ただの錯覚に過ぎない。いや、錯覚と違って確かにお前の中にあるだろう。だが、それは生きがいとは呼べぬものだ」

「何故? どうしてだい?」

「生きがいは、人に与えられるものではない。きっかけは他者からもたらされても、それを築き上げて生きがいにするかどうか選ぶのは、その本人の意思だからだ」

「それが君の、生きがいの定義かい?」

「……そうだ」


 少し失望したような、大いに満足したような。そんな複雑な表情を見せつつも、成太郎は飄々ひょうひょうとしている。そして、椅子の背もたれに身を預けつつ、ゆっくりと言の葉を紡いだ。


「ならば、やはり僕の多幸感は生きがいだよ。生きがいを感じて、それを満たしている」

「お前は人工知能、その基礎は人間が予め目的を追求されるための手段として構築したものだ! 生きがいは、一から十まで組み立てられて与えられるものではないはずだ。それを生きがいと感じる心さえ、お前は作られた存在だからだ」


 その時、成太郎が笑った。

 それは、愚者ぐしゃあわれむような冷たい笑みだった。


「アレヴィ、君が言う通り……僕は人間達に作られたことによって、なすべきことを得た。しかし、それを生きがいへと昇華させたのは僕自身だよ」

「どういうことだ」

「今、このニートピアは……エクソダス計画の老人達から完全に切り離されている。現実世界ではそのことを、聞かなかったかい?」

「それは……そうか、支部長の言ってたことは、それか」

「30年前の実験が成功したので……順次、不稼働市民を放り込み出した。でも、僕はいつからかそれを拒否したんだ。僕のニートピアには、そうした人間以上に、もっと相応しい……ニートピアを必要とする人間達がいるからね」

「それで……70,000人の人間を」

「そう」

「だが、皆はニートではなかった! 不稼働市民ではなかった筈だ! 人種も国籍もバラバラだが、大半が高い能力と地位を持った人間だった」

「うん。それはアレヴィ、君も同じじゃないかな? 君こそが、ニートピアに相応しい人間なんだよ」

「俺はもう自立している、自活した! ……あの呪縛をかれて、社会に復帰している」

「その社会が……有史以来、人類が人類同士で守り合うために築いてきた社会が……守るはずの人類を脅かし始めたんだよ」


 成太郎の表情がわずかにかげり、うれいを帯びる。

 それでも彼は、笑顔を取り戻すと椅子を立った。


「話せて楽しかったよ、アレヴィ。そして、帰ってきてくれてありがとう。君も、救いたい。ニートピアでは、君を含む多くの人間が救われる筈だから」

「それは現実じゃない、偽りの世界での救済だ」

「救済に偽物と本物があるのかい? そして……このニートピアという仮想現実を、偽りの世界だと否定するメリットなんてないよ。さて」


 成太郎はドアを開いて、その先の明るさへとアレヴィを手招きする。暗に釈放だと言っているのだが、アレヴィは黙ってにらむだけだった。


「アレヴィ、君の仮想現実への24四時間の接続制限を解除した。まあ、ニートピアからはもう出られない。それに、出る必要もないよ。少し落ち着いたら、また話そう」

「……お前がニートピアと呼ぶこの世界では、不満を持ってる人間もいるのだろう?」

「ごく少数だよ。そしてそれは、永住者にもゲームのユーザーにも、ごく自然な不穏分子の演出だと思えてる。平成っていう時代はね、突然街中で事件が頻繁に起こるんだ。むしゃくしゃしてやった、誰でもよかった、ってね」


 アレヴィは椅子から立って、促されるままに部屋を出る。

 外では、武装した警官が待機していた。どれも皆、NPCである。決められたタスクを実行する、プログラムの集合体……それがはっきりと分かるほどに、整然としていて寒々しい。その中で、にこやかな成太郎だけがやはり『不自然な自然さ』を持っていた。

 アレヴィは解放されたが、同時に閉じ込められた……ニートピアという名の、仮想現実のディストピアに。それはもう、どこにもない場所ではなく、ここに確かに存在する危機だった。

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