第17話「再び、偽りの平成へ」
少年はアレヴィに、ジョーイ・マクレーンと名乗った。
どうやら彼の話では、マクレーン一家はアメリカ系
昔のアレヴィよりもジョーイは、随分と社交性があった。
「この部屋から、
そう言ってジョーイは、部屋いっぱいにコードやケーブルを広げ出す。
その部屋はやはり、アレヴィにとって懐かしさを感じさせた。乱雑ながらも、中央の机に座るジョーイにとっては居心地がいいだろう。手を伸ばせる範囲に、ありとあらゆるものが積み上げられていた。
昔の自分を見るような気持ちで、アレヴィは部屋をまじまじと見渡す。
すると、足元に不思議なプラスチック片が転がっていた。
拾い上げてアレヴィは、せっせとセッティングを続けるジョーイを振り返る。
「これは? なにかの部品のようだけど」
「別に……そんなことより手伝ってよ。あと、ママ……そんなとこに立たれると、ちょっと邪魔。……入るなら、入ってよ」
部屋の入口では、開かれたドアの前に
女将は散らかった室内を見て、それから小さく笑った。
室内は三次元プリンターや巨大なタワー型端末と、まるで小規模な電算室だった。他には机とベッドとがあって、少し手狭である。
「こんなにあれこれ買い与えて……私はドア1枚開けようとしなかったのね」
「それでよかった、それがよかったんですよ。女将さんは、ジョーイ君に多くを求めなかった。求める形で押し付けることもしなかったし、なにも期待していない訳でもなかったから……だから、よかったんですよ。今日の再会を、よかったできごとにしてください。これからの日々で、いつの日か」
「……高い借りを作っちゃったわね。いいわ、商売抜きで守ってあげる。そういう気にさせる男なんて、久しぶりよ?」
「ども」
女将はようやく、しゃんとした顔を取り戻した。
それは、昨夜遅くに闇夜で見た、肉食獣のような
必要なのは仮想現実への接続手段と、もう一つ。
アレヴィのこれからの戦いを、記録して、公表する。
そのためにも、物証を抑える。
公表までは時間を置くにしても、その間に記録媒体があれば交渉だって可能な
そしてなにより、膨大な量の人格と精神を放り込むために、平成オンラインは仮想現実の中に今も存在する。今日明日に消す訳にもいかぬ規模で、厳然としてありつづけてきたのだ。
アレヴィは、ジョーイがセッティングしてくれた椅子に浅く腰掛ける。
アジア支部庁舎の電算室と違って、市販品をかき集めた環境だが、問題はない。こうした全感覚再現型のダイブを可能とする環境は、裕福な家庭ならばどこにでもある。図書館や学校といった公共機関にもあるし、ネットカフェでもおなじみだ。
市販品なので、アジア支部調査の電算室と違ってヘッドギアをかぶる必要がある。脳内の神経パルスを同調させ、大脳が全身に送り出す電気信号を拾うためだ。準備を続けるアレヴィの側では、機器のチェックをしながらジョーイがこっちを見ずに喋る。
「えっと、アレヴィさん。いい? アレヴィさんのアカウントはどうやらまだ生きてる。けど、これは絶対罠だよ」
「だろうね」
「さっき軽く説明してもらったけど……その、平成オンラインの中の敵は、アレヴィさんを待ち受けてる。ログインした先が、即敵陣ってこともありえるから。だから、新しいアカウントを」
「いや、時間がない。俺のアカウントを使うよ。敵地の真っ只中ならむしろ歓迎さ。手間が
「ラスボス?」
「そういう感じの奴だったな。そういえば……彼は、成太郎はエクソダス計画にとって、どういう要素、要因なんだ? 番人とかか?
病院でアジア支部長のリツコ・カシワギからは、なにも聞いていない。というより、リツコのレベルでは共有されていない情報のようだった。過去、エクソダス計画と呼ばれる旗のもとに集った者たちが、ネット棄民政策をスタートさせた。それが今、不都合を生じさせているとは言っていたが……それと成太郎とは関係があるのだろうか?
「ま、行ってみればわかるさ。とりあえず、現実の俺の肉体を頼むよ、ジョーイ」
「う、うん」
「さっきの話……俺の過去なんだ。俺の母親は、生産性の
「知ってた。とあるところに、とか、ある人が、とか言う時は絶対そうだもの。生産性の呪縛……そういうの、誰だってそう思うだろうけど。僕も、心苦しいよ。毎日なににもならないことをしながら、親の金で」
「今はそれでいいし、それしかできないことは悪でも害でもない。ただ、飯は食ったほうがいいけどな。さて……行こうか」
アレヴィは一度、深く深呼吸して、心を落ち着かせる。
オペレーティングは全て、ジョーイがやってくれることになった。知り合って間もないが、どこか信用できそうな気がするし、今は信頼して全てを預けるしかない。
それでもやはり、心配になるのも事実で、ついそれを漏らす。
「因みにジョーイ君、君は仮想現実へは」
「よく行ってる。今の引きこもりなんて、肉体が部屋から出ないだけだから。いろんなとこに行くし、平成オンラインにもなんどか」
「そうか。平成オンラインでなにか、妙なことは感じなかったかい?」
「そういえば……その、僕、ちょっと……ううん、凄く、模型に興味があるんだ。20世紀末から21世紀初頭にかけて、つまり平成の時代のプラモデルが。でも」
「でも?」
「有名なメーカーの100年前のキットとか、買えて触れて、でも持ち帰れはしない。現実に三次元プリンターで出力しても、それはやっぱり別の物だ」
先程拾ったプラスチックの欠片を、アレヴィは思い出す。
あれはプラモデルのパーツだったのだ。
そして、思い出しながら喋るうちに、ジョーイは「あ!」と声を上げる。
「そういえば……ガレージキット、つまり個人で少数生産する上級者向けのプラモデルなんだけど、そうした品を揃えに秋葉原に行った時……妙な光景を見た」
「……もしや、ガレージキットを売ってる人間が、警察に連れて行かれたとか?」
「そう。平成オンラインの規約には確か、そうしたことは書いてない
確か、アレヴィが渋谷で目にしたのは、ファッション関係の摘発だった。最後に電話で会話した時、ウェルも同人誌のことを言ってたのを思い出す。
なにかが、わかりそうだ。
平成オンラインを
それらが頭の中で結びつく先に、アレヴィは奇妙な予感を感じる。
その正体をもう、アレヴィは知ってる気がした。
だが、今はそれが具体的にわからず、頭のなかで鮮明な像を結ばない。
ここから先は、自分の眼で確かめるしかない。
また、あの平成オンラインで……ニートピアで。
「まあ、いいさ。ありがとう、ジョーイ。君がいなければ、俺は俺の役目を果たせなかった。そうして逃げたり隠れたりもできるし、最悪また引きこもってもいいんだ」
「うん、俺もそう思う。だけど」
「そう、だけどって思うんだ。いいけど、悪くないけど、しょうがないけど……だけど」
「そういう気持ちは前からあったけど……ドアが開けられなかった」
「以前はね。君の開けたドアが、俺を救ってくれた。これから先の君を、君たち家族をも助けると思うよ」
すこし臭いなと思ったが、ジョーイの大きな
そうこうしていると、イットーがやってくる。
彼は、少し迷う素振りをしたが、「ええい、くそっ!」と呟くなり身をかがめてきた。そして、アレヴィは耳元で呟かれるイットーの言葉に目を見開く。
「すまん、アレヴィ。俺は俺で動いててな……お嬢ちゃんの身体を探してたんだが」
「ウェルの肉体、つまり普段使ってる
「ああ。だが、遅かった……
「……ウェルの人格と精神の復帰を待たず、再インストールするつもりですね。それは、困るな。ウェルを助けても、戻る身体がないとまずい」
アレヴィの相棒、ウェルは今も仮想現実の世界に捕らわれている。彼女だけが、24時間の接続制限を超えた場所で拘束されているのだ。それだけのことが内部処理的に可能なほど、あの平成太郎という男の権限は強いのだろう。管理者レベルだ。
そして、ウェルはアレヴィの相棒であると同時に、アジア支部の備品YEM0037Vなのだ。再インストールと各種調整をすることで、その機能は全てが回復するだろう。しかし、そうして再起動した彼女は、もうアレヴィにとってウェルではない。
アレヴィがウェルと名付けた少女は、そこにはいないのだ。
「言うかどうか、迷ったんだがよ。お前さんを動揺させるようなら――」
「私がなんとかするわ。女性型アンドロイドの躯体ね? 約束はできないけど、
アレヴィは黙って、女将の厚意に頷く。
すぐに女将は、
その背中を、ジョーイが呼び止める。
「ママ……と、とりあえず、その、心配かけてごめんなさい」
「そうね、心配したわ。でも、私が積極的に事態を好転させようとしなかったのも事実よ。ごめんね、ママだって悪かったのよね」
「すぐには無理だけど、少しずつ話したいよ……僕、模型が、プラモデルが好きで、そういうのってどうやって勉強できるか探したいんだ。ネットは
ジョーイの言葉に、何度も女将は頷いた。だが、まなじりに集まる光を指で振り払って、彼女は
どうやら、アレヴィのおせっかいなギャンブルは結果的に正解だったようだ。
それがわかったから、改めて自分のことに集中する。
再びこの現実に戻ってくる時……それは、ウェルと一緒でなければいけない。そして、この現実で初めて、大国が揃って加担した陰謀が明かされるといい。
それでなにが変わるとは言わない。
だが、アレヴィは真実をまずは手に入れることを望んだ。
それがあれば、少なくとも自分を守れるし、自分の大事で大切な人たちにもメリットがある。そして、そういう人間がこの数日で驚くほど増えてしまった。
その一人であるイットーが、最後に立ち上がって選別の言葉をくれる。
「俺ぁ、難しいことはわからねえ。ここからゲームの世界に行けるってんなら、行って来い! 忘れるなよ……現実なら俺ぁ、いくらでもお前さんを守ってやれる」
「期待してます、イットーさん」
「おうよ。だから……お嬢ちゃんも必ず連れて帰れ。ラッキョの二人がいねえと、からかう相手に困る。毎度からかって面白えのは、お前さんたち二人だからな」
「ウェルにもそう伝えます。じゃ……ジョーイ君、頼むっ!」
無言で頷くジョーイが、周囲の空間に無数の光学キーボードを浮かべる。立体映像のそれをタッチしてゆくと、すぐに室内が雑多な機械音で満たされた。ヘッドギアを通じてアレヴィの脳内に、特定の周波数のパルスが走る。脳味噌をスキャンされているような感覚の中で……徐々に彼の肉体は、全ての感覚を現実から喪失していった。
そして、もう一つの現実であり世界を繋ぐ場所……仮想現実に再構成される。
平成オンラインに戻ったアレヴィは、早速行動を開始するのだった。
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