第7話「平成という時代のニート」

 平成オンラインのゲーム上のマイルームとして、アレヴィにはマンションの一室が与えられていた。3LDKは少し広過ぎて、現実の寝床である安アパートが恋しくなる。清潔感にあふれた室内には、クラシカルなブラウン管タイプのテレビの他、ありとあらゆる家電製品が揃っていた。

 アレヴィは今、暮れた陽の光の最後の残滓ざんしを浴びながら、テレビを見ていた。

 ニュース番組では、今日の秋葉原の刃傷沙汰にんじょうざたは報道されていない。


「……随分と必要性のない、重要度の低いニュースばかりだな。……これも平成の世の特徴、だったかな?」


 アレヴィはテーブルの缶ビールを手に取り、見もせずに一口飲み込む。

 冷蔵庫には沢山の飲み物が冷えてて、どれも飲み放題……アレヴィのマイルームだから当然なのだが、平成オンラインはなにからなにまでいたせりつくせりだった。

 大量の現金が入った、貯金口座。

 まるで理想のような、母親という存在。

 そして、100年前への快適なステイを保証する高級マンション。

 ログインした瞬間から、アレヴィには平成の世を謳歌するための全てが与えられていた。そして、周囲がうらやみ本人が気付けぬボーナスポイントまで一緒である。

 そのことに満足しきってる声が、キッチンから大皿を持ってやってきた。


「アレヴィ、夕ご飯です! ママさんが作っておいてくれたのを温めなおしました」

「ああ、ありがとう」

「いい匂い……現実と違って、わたしも人間と同じものが食べられるんですね。こっちが青椒肉絲チンジャオロースで、こっちが回鍋肉ホイコーローです。はい、お茶碗です! 大盛りにしときました!」


 アンドロイドは基本的には、ほぼ人間と同じ食事が可能だ。だが、当然ながら脂肪分が多い食事は控えるようになっている。アンドロイド用の低脂肪食品も、現実ならば普通にマーケットやコンビニで売っていた。

 勿論もちろん、まだアンドロイドが実用化されていない平成の世では、存在すらしない。

 そして、アレヴィと同じく人間そのもののアバターとなったウェルには、必要なかった。

 ウェルは大皿をテーブルに並べるや、手をあわせて「いただきます!」と満面の笑みだ。


「アレヴィ、すっごく美味しいですよ! こんなに油こってり、味付け濃い目でしっかりなのに、全然くどくない。これって、おふくろの味ってやつなんでしょうか」

「さあね」

「現実と比べてどうですか? わたし、感激しました。だって、結構味気ないんですよ? アンドロイド用の消化にいい食品。コーヒーだってミルクが入れられないし」

「現実、か……俺の母親は料理なんかしなかったよ。手料理なんて食べたこともない」

「あ……す、すみません、アレヴィ。わたし、わたし……」


 うつむはしを止めて、ウェルが深刻な表情を陰らせる。

 だが、アレヴィは大して関心がないかのように振る舞い、事実全くきにしてないことを無言で告げた。食事を取りつつ、ニュース番組を見たまま言葉を続ける。


「今日の秋葉原での事件、やってないみたいだね。あの人は、ママは知ってたみたいだけど。ウェル、この部屋のネット環境は?」

「あ、はい。アレヴィの寝室にクラシカルなデスクトップタイプの端末がありました。今時ちょっと見ない、タワー型の大きいやつです」

「そう。じゃあ、? ネットの中でネットに接続するのも妙な話だけど……このゲーム内のことを検索してみよう」

「しっ、しし、寝室に! 一緒に!」

「ん? どうしたんだい、ウェル。また顔が赤いよ?」


 ウェルは耳まで真っ赤になって、先程の落ち込みようが嘘のように慌て出した。

 実際、ウェルはアンドロイドたちの中でも表情が豊かだと思う。相棒としての能力以上に、パートナーとしてアレヴィはとても好ましく思っていた。人間に生まれながらも、複雑な幼少期ゆえにアレヴィの感情と情緒は少しにぶい。実感をともなわないのは、経験をもとにした気持ちや想いが少なく、書物や物語で得た知識によるところが大きいからだ。

 そんなアレヴィには、表情豊かなウェルはとてもありがたい。

 そして、今回の事件も彼女との連携で解決されてゆくだろう。

 全世界規模のネット上の大量失踪事件……彼ら彼女らは、肉体を現実に置いたままどこへ? なんのために? どうして長時間の接続を止められず、追うこともできないのか。その答が、あの謎の言葉なのだ。

 もう一度アレヴィは、キーワードを口に出してみる。


「ニートピア……ニートのユートピアか。これも検索してみないとな」

「アレヴィ、それなんですけど……その、さっき台所に立った時、ついでだから軽く室内を見て回ったんです。それで、気になることが」

「うん? なにかあったかな……」

「いえ、逆です……逆なんです」


 再び箸を持ったウェルは、旺盛な食欲を復活させながら話を進める。咀嚼そしゃくして飲み込む合間に、彼女はアレヴィとは全く違う視点からの見解を述べた。


「なにかあったかというと、その……。本当に、なんにも」

「と、いうと」

「ゲームの中で平成の世を過ごすため、アバターを借りて全感覚と意識を投入してるユーザー……そのゲーム上の拠点となる、マイルーム。でも、アレヴィ……この部屋、妙だと思いませんか?」

「そうかな……確かに、やたら小奇麗で居心地は悪いけどね」


 アレヴィの現実の住居は、それは酷いものだ。

 下町の安アパートはボロボロで、住んでるアレヴィがズボラな無精ぶしょう体質なので目も当てられない。乱雑に散らかったゴミは、空のペットボトルやコンビニ弁当の容器、そしてスナック菓子の袋だ。そして、所狭しとゲーム機とその関連書籍、サブカルチャーの産物たるフィギュアやプラモデルが散りばめられている。

 今時紙媒体の本などと、ウェルはいつも言うのだが。

 それと、もっと部屋を片付けろとも言い、お小言を言いながら掃除してくれる。

 アレヴィの部屋が快適な居住性を取り戻すのは、いつだってウェルが訪ねてくれた時だった。そして、そういう時はおおむね、他者にはゴミにしか見えない宝物をいくつか紛失する。

 だが、それでもウェルの存在をありがたいと思う。

 そんな彼女が見つけた異変は、ほんの些細ささいなことだった。


「この部屋、生活に困る要素が全くありません。冷蔵庫には食材も飲み物も満載で、その上ママさんが料理までしてくれました。この時代はまだ、ガスを使ってるんですね……現実では2065年に国内の全てのガス管が廃止されましたが。電気も勿論もちろん、ネット環境も揃ってます」

「まあ、ないと困るからね」

「でも……でもですよ、アレヴィ。何不自由がないどころか、恵まれた生活環境のこの場所に……ユーザーであるアレヴィやわたしが、コストを払う要素が存在しないんです」


 つまり、ウェルのいいたいことはこうだ。

 電気ガス水道、そして常時接続可能なネット環境と、これらは平成の世でもかなり恵まれたインフラだ。電気とガス、水道は昔から日本の普及率は世界一である。そして、ネット環境……これも、平成の時代で急激に普及し、アレヴィたちの世界では当たり前のスタンダードになっていた。

 これらは全て、一定の期間内でのコスト、費用がかかる。

 俗に言う、通信費や水道光熱費だ。

 だが、ウェルの説明ではそれらを払うシステムが存在しないという。


「わたしも最初は気にしませんでした。このゲーム、平成オンラインは言ってみればバカンスのようなもの、実際に平成という時代の日本で自由に暮らすゲームです。ですが……」

「ログイン時に、多額の現金が銀行に振り込まれてたよね? ゲーム内の俺らの口座に」

「ええ。でも、そこからアレコレお金が引き落とされることがないんです。水道も電気も、ガスもただ、無料です。メーターがないんです、どれも」

「ゲームだから……というのも、少し妙だな。ここまで作り込んでおいて」

「現実のアレヴィやわたしは、この平成オンラインにログインするために接続料を払いました。でも、ゲームの中ではなにも……」

「ふむ」


 ログイン時、手の甲にデータを呼び出し、確認できた預金の残高は50万。

 莫大な金額ではないが、一気に使うことも難しい微妙にして絶妙な金額だ。

 そして、それは生活上必要なインフラの維持には不要らしい。

 アレヴィもようやく違和感を感じ始めた頃、ウェルは次の疑問を浮かべて並べる。


「そして、さっきのママさんの言葉……アレヴィ、わたしとアレヴィのマイルームを一緒にしたのは、それは……え、ええと、そ、そうです! 捜査上の理由で! 一緒だと便利なので!」

「うん、そうだけど……他に理由なんかないだろうに」

「……それ、本気で行ってるんですか。にぶちん……ま、まあいいです。それで、ママさんは妙なことを言ってましたね? 覚えてますか?」


 思えば、ママの態度と言動は不思議だったかもしれない。

 現実の母親を久しぶりに意識させられて、その追憶が襲ってきたのでアレヴィは気付けなかったのだ。だが、一字一句を丁寧に思い出して、口に出してみる。


「お金の心配はいらない……パパとママも働いてる。そして、心が風邪をひく……休憩と休養と、そして」

「そうです、そして……保護者会」


 それらは今、点と点でしかない。

 しかし、結びつける直線が膨らみ増えれば、なんらかの姿を浮かび上がらせそうだった。


「なるほど、ウェル。君の言いたいことが少しわかってきたな」

「はい。ちなみにわたしは、アレヴィのデザインしたアバターを使う以外、なにも特別な設定をしてません。潜入捜査ですし、ごく普通のユーザー登録をしただけなんですが。……ま、まあ、アレヴィと同じ部屋を拠点とするようにはしましたが」


 だが、現状で平成の世の中に招待されたアレヴィは、とある立場にある。

 これが偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか。

 後者だとすれば、誰がなんのために……?

 少なくとも、誰がやったかは突き止めねばならない。

 そして、なんのためにか……全く理解が及ばない。

 だが、はっきりわかっていることを改めてウェルが口にする。


「アレヴィ、あなたは今……この平成オンラインの中で、。親に養われ、就労も学業もしていない若者……ニートです」

「……みたいだね」

「そして当然、わたしもそうとしか……アレヴィの、こっ、こここ、」

「こここ? ウェル、どしたの?」

「ここっ、こっ! 恋人に! 設定されてます! ……しかも、多分同じニートです」

「そうみたいだね。……なんか、悪いよね。申し訳ない。でも、同じ部屋を使うよう設定したからじゃないかな? 誰だって俺の恋人役は嫌だろうに」

「ただの恋人役なら、そうですね。……演じる役柄でないのなら、その、大歓迎……です、けど」


 なにをモニョモニョ言ってるのか知らないが、またほおを赤らめウェルはうつむいてしまった。しかも、今度はだらしなく口元を緩めて不気味な笑みをうかべている。

 とりあえず夕食をビールの残りで流し込み、アレヴィは立ち上がる。

 ふとテレビを見れば、ニュース番組は相変わらず些末さまつなことを大げさに垂れ流している。48人組のアイドルがどうとか、全国津々浦々の駅弁がどうとか、ディズニーランドの新アトラクションがどうとか。もはやニュースではなく、ただの世俗的な話題の流布でしかない。

 それもまた妙だと思って、アレヴィは一応ウェルに確認を取る。


「そういえば、俺らはまだちゃんと平成ってのを知らないんだよねえ。ウェル、君は?」

「さっき、アレヴィがテレビ見ながらゴロゴロしてビールを飲んでる間に、少し」

「……俺も一応、情報収集のつもりだったんだけど。まあ、くつろいではいたね」

「全世界規模のグローバル化が始まった時期で、市場経済は混乱の中で不安定です。国際的にもテロが横行し、特に中東やアフリカは酷いですね。アメリカを始めとする国連加盟国が軍を派兵した紛争も多かったみたいです」

「日本は? その時、日本はどんな状況だったのかな」

「日本経済は長引く不況でデフレ傾向、消費が冷え込んでますね。また、無策で無謀なグローバル化によって格差が広がり、労働者階級の実質的な所得が激減しています。そんな中で少子化が深刻化し、国家財政も傾きかけているみたいなんですが……」

「ですが?」

「平成と呼ばれる時代、日本人が危機感を全く持っていなかったことがわかりました。ちょっと調べてすぐわかったんですが、少し理解不能です。明らかに日本という国家、日本人という民族が危機にあるのに……この平成の時期にそれを解決しなかったため、現実のわたしたちの世界、100年後の日本は苦労したんですよね」

「まあね。つまり、やっぱり……平成の世は脳天気で刹那主義的な傾向があるのかな?」

「かもしれません。一方で、サブカルチャー文化が飛躍的に発展し、世界各地で好まれていました。自動車とアニメを輸出する国、それが平成の日本でしょうか。しかし、自動車もアニメも、作る人間が豊かさとは程遠い時代ですね」


 ふむ、とうなって再びアレヴィはテレビを注視する。

 この平成と呼ばれる時代は、日本が世界大戦の傷を完全に癒し、その痛みを忘れた時代だとは知っている。それは高等教育で学んだが、実際に再現された仮想現実バーチャルリアリティに来てみると、驚く。

 平和が当たり前で、停滞することが許される不思議な、一種の諦観ていかんにもにた優しさ。

 奇妙な相互肯定の安心感があって、その中で二人は今、ニートなのだった。このゲームが単純に平成の日本であれこれ遊びまわるだけの娯楽なので、無職なのは別に困らない。勉強だって現実でやればいいし、バーチャル学校系のアプリケーションも豊富だ。

 何故なぜ、完全に再現された、歴史的に短くさほど大きな事件もなかった時期……平成の世で、ニートという職業をやらされているのか? まるでナイトやウィザードといったファンタジーの職業のように、ニートを意識させられるのか。

 その謎は謎のまま、潜入捜査の長い長い一日が終わろうとしていた。

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