零の映写機希構を読んだキロール

 最後になるが、これはこの作品を読んだ感想ではない。


 小説を書くのって難しい。

 見事な世界観を構築できても、描写が淡々としていると勿体ないとか読者は思うのだから。

 でも、それは仕方が無いのだろう。

 読み進めるには、構造的な謎も大事だが、キャラに感情移入してもらう事も大事だ。

 何故なら、怒りや悲しみなどの感情は、異世界人だろうと未来人だろうと、人間が書く者であればほぼ共通するからだ。

 もし、読者に全く理解できず、共感も生まれない感情の起伏を描けたとしたら、それは天才の所業だと思う。


 滅びかけの世界は、奇妙な魅力がある。

 それに私が取りつかれたのは、クラーク・アシュトン・スミスの描いたゾティーク(ゾシーク)を読んだ所為だろうか?

 あの美しい表現で、荒野と魔術と化け物の大地をかいたC・A・スミスに私が憧れるのは仕方がない。

 ホラーなのにアイロニーに富んでいたり、詩も書いたり、彫刻したりと言う多彩さも魅力だが、何よりその文章能力である。

 私の作品である『異世界に置ける武力衝突』でワインの産地を書いて、これは味が如何のとか書きだした箇所があるが、これは完全にC・A・スミスの影響である。

 ヨロスの葡萄酒と言う単語は幾つかの短編で言及されており、世界観の構築の一端として私も似たような事を書いたわけだが……、功を奏していると言えるのか不明だ。


 C・A・スミスの力量は、今更言うに及ばないだろうが、終末世界へ私を担ったのは、実は彼ではない。

 小学生の頃に読んだ児童文学書が原因だと思われる。

 『不死販売株式会社』と言う題名の海外SFを児童向けにした小説だった。

 これが完全なディストピア物であったのだ。

 冷凍保存された主人公が目覚めた世界は、科学が発展した未来だと言うのに暗く陰鬱だった。

 レーザー銃を持った通り魔が十数人を殺した所で、現場にいた身なりの良い紳士が「今回のはまだまだですな、私が依然見たのはより多くを殺していた」とか談笑する世界だ。

 世界に馴染めない者達はゾンビとして当局から逃げ回る日々……。

 子供心に、何だこれはと驚いたものだ。

 当時はサイバーパンクもディストピアも知らない純粋な子供だったから……。


 話を終末世界に戻すと、この話が深く心に残っている。

 これと『火の鳥 未来編』は私のトラウマだった時期もある。

 そう共に未来でありながら、滅びが間近に迫っているような気配を感じさせるのだ。

 火の鳥は今ではある種の救いが見て取れるが、子供の頃はそうは思わなかった。

 C・A・スミスのゾシークも、騎士や戦士が剣や槍を使い、魔術が跋扈しているが実は遠い未来の話なのだ。

 つまり、未来は常に発展し続けて薔薇色みたいな考えは、私の中では完全に破壊された物でしかない。


 そう言った趣味嗜好の私が読んだ今作『零の映写機希構』も、かなりの技術力が垣間見える世界である。

 つまり、遠い未来の滅びの話であったのだから、琴線に触れない訳は無いのだ。

 

 我ながら難儀な趣味嗜好を持ったものだ。

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